恐怖とは乗り越えてこそ
事実を元にしたフィクションです。
※残虐な描写はありませんが下品な描写があります。ご留意下さい。虫(特に黒いあいつ)が苦手な方は避けた方が身のためです。※
以下、作中の台詞や文章の抜粋。作品の雰囲気を掴む判断材料にして下さい。
・「なぁ、みんなに聞いて欲しいことがある」
・「しかし、近年の著しい人口増加によって、虫は新たな食料として有効ではないかと考えられているぞ? その主な任務が都市防衛と災害対策であり、想定してない非常事態に備えた遊撃部隊である蛇苺としては、そのような食料資源の模索と研究は、業務範囲外ではないと思うがな。さぁ軍曹、食べてみろ。軍人として、人体実験の先槍となれ」
・「あんた頭おかしいんじゃないのっ!?」
・「宗教上の理由で、その提案は却下させてもらいます」
・「お前は殺戮が教義の邪教徒か」
・「もうあいつら、宇宙空間に追放してやろうぜ。その方がお互いのためだ」
・「んな!? 虫人差別ですな! 差別ですな!? 人権団体が金せびりに来ますぞ……!!」
・私たちの言い伝えに、こうある。
・「私は死んだ」
それは原始のときより姿を変えていないとされ、深淵を好む。
体表は月のない夜色。漆黒の翅を四枚と、風を読む短い尾を一本、長く鋭敏な角を二本も持っている。
それは獲物を求め、丑三つ時を這い回り、幾多の狭間を支配する。それの動きは、さながら音と光のない稲妻の如く、我々の死角を移動する。
天からの光さえも遮る高い城壁を築こうとも、それらは確実にその護りを突破し、どんなに堅牢な扉でも、その無意味さを知らされることになる。その所業は、無から有を生じさせる、この世の真理の如し。
それらは、我々の糧を奪いに来る。夜毎、あらゆる物を啜り、喰らい、犯していく。それらが通った道は汚染され、何人もそこに留まることを拒否するのだ。
もし見付けたときは恐れるな。その恐怖と共に、それを必ず打ち払わなければ成らない。もし取り逃せば、また闇へと帰還し、脅威の回復力を持って、傷を癒すのだ。
しかし、それらがどんなに優れた再生能力と、不死身にも似た体を持とうと、命ある限り、終わりを迎える定めであることは、我々と変わりない。
だからといって安心はするな。それらの雌は、体内に幾万もの悪鬼の揺り籠を内包し、死を迎えると同時に、その悍ましい小箱を放出するからだ。
然り……我々人類が、それらを完全に滅する方法は――ない。
だが、悲観するには早い。対抗法は限られているが、無敵にも思えるそれらを退ける方法は存在する。
古来より、各々の家が独自に継承してきた武器だ。それは、新たなる古今東西の見識を凝縮するあまり、神々からの呪いを受けし物――エヴリウェア・オブ・ザ・ディエティ《新聞》を、更に圧縮して造られる。それは主に父母の両手に収まり、深淵の魔物を打ち払うであろう。
●
「なぁ、みんなに聞いて欲しいことがある」
ロズデルン帝国の西地方、デンイェン・カトラヴィーナ。その中心的な都市、古都ルエイエ。それは常に、帝国の西に控える強国、エガリヴ聖教によって結束を強めたエガリヴ連邦からの圧力を受けてる。
そのためルエイエ陸軍は、帝国最強の護りを持つと称えられ、屈強で誇り高い者ばかりだ。しかし、どんなところにも、爪弾きにされる者はいるもので。
それが私たち、厄介者の巣と倦厭される、ルエイエ陸軍警邏部特殊事案対応課――蛇苺だ。
この可愛くて慎ましく、お淑やかで自愛に満ちた私こと、マヒロ・フーロ伍長も、そんな蛇苺隊に押しやられてしまった悲劇のヒロイン。いつも、下品で節度のない同僚からのセクハラに耐え、今日も健気にジャンク・スィーツをポリポリしながらネットを巡回し、あらゆる政治思想を持つ者に対して、無差別に呪いの言葉を吐き続けている。
先程の暗号なしの短距離テレパスは、そんな蛇苺隊の一員からのもの。皆は彼のことを、釣り軍曹と、親しみと侮蔑を込めて呼ぶ。
その声は覚悟を持った色をして、震えていた。
それに反応して、可愛い私が目をやる。するとそこには ロレンス・カエデラント大佐のデスクに両の掌を突いて、項垂れる釣り軍曹がいた。
ロレンス・カエデラント変大佐とは、我ら蛇苺隊のボスにしてお荷物。トラブル・メーカーにしてトリック・スター。故に人望はない変態のことだ。だから、そのデスクに掌を突いていることに、大した疑問はない。
しかし、それでも様子が妙なのは確かだ。釣り軍曹が変であることは常なので、そこも疑問にはならないけれど、この違和感と云うべき感覚。そう、その感覚を私が持った理由は、釣り軍曹から発せられている、ただならぬ雰囲気からだろう。この今にも「やってもうた」と言い出しそうな、この重苦しさだ。
そうして私が釣り軍曹を観察していると、違和感の正体を一つ発見した。
ロレンス・カエデラント変態佐の、悪趣味な黄色のマグカップ。それは普段、ブラックコーヒーが注がれた状態にある。今はロレンス・カエデラント変態が不在のため、空のそれはデスクの端に置かれているか、この近くの給湯室にある筈だ。だが、そのマグカップは今、デスクに突いていると思っていた釣り軍曹の掌によって、デスクに押し付けられている。しかも、デスクと掌に挟まれ、逆さになっているのだ。それは何かを閉じ込める、檻にも見えた。
これは何か嫌な予感がする。
私たち、そこにいた蛇苺の面々は固唾を飲んで……とまでは行かないけど、そこそこ緊張した態度を取り繕いながら、どんな死球が軍曹から飛んでくるか、身構えていた。
そして声が来る。
「黒いの、捕獲した」
●
「ピンク塗装してネトオクに出せ」
蛇苺内外から、無用曹長と忌まれている俺は、反射的にその案を提出した。
深い意味はない。単に、不意に思い付いただけだ。しかし言った後、今の発言が、何気に深い意味を持っていることに気付く。
恐怖にも、お裾分けの精神が必要だと、誰かが言っていたような気がする(気がするだけで、誰も言っていなかったような気もするが、それは些細な問題だ)。更に、恐怖を面白可笑しくすることに依って昇華しようと云う、実に高度文明らしい、アバンギャルドな発想。これぞ正に、心馳と芸術の融合である。
うーん。自画自賛することは、あまり趣味ではないが、中々どうして、感慨深いものがあるな。
「やめてよ! 今、ピンク色の黒喰虫を想像して背筋が、ぞわってなったんだから! ぞわって!!」
フーロ伍長が自身を抱きしめながら、天敵を発見した山猿のような金切り声を挙げた。その顔は、今にも泣きそうになっている。いい歳して、何を怖がっているのか。
「釣り軍曹。お前、軍曹なんだから食え。それが世の……軍曹としての理だ」
唐突に、梯子外し兵曹長が滅茶苦茶なことを言った。何処ぞの独裁国家でも採用しなさそうな拷問方法だ。実家が寺院で、ラゴ教徒としての位階を持つ聖職者兼軍人の言葉とは、とても思えない。
「そんな理があってたまるか!!」
全くその通りだ。確かに、グロテクスを冠する蜘蛛――アシダカグモは、一部の人々から軍曹と呼び崇められてはいる。だが、それはあくまで蜘蛛の話であって、人間に適応してはいけない筈だ。
しかし俺は、このまま放っておいた方が面白そうだし、関わったら変なとばっちりを食いかねないので、釣り軍曹が悪食の使徒を食してくれることを、密かに願うことにした。
「軍曹がどうにかしてくれないと、その原始のときより地を這う不死性の怪物は、人類には滅する方法がなくなるだろ? これは軍曹としての使命だ」
梯子外し兵曹長が、更なる追い討ちをかける。ここまで来たら、さしもの釣り軍曹も、逃れることはできないだろう。
「なら、軍曹より階級が上の梯子外し兵曹長殿、お前が部下に指針を示してみろ。食え」
その切り替えし方があったか。
「宗教上の理由に依り無理」
何処の宗教だ。ラゴ教にそんな教義はないだろ。……ないよな?
「大丈夫だって。漆黒の悪魔って、夜中に水分補給のために人間の唾液を啜りに来るって言うからさ」
明らかに面白がっている声が響いた。この幼くも残虐な声……いや、幼いからこそ残虐な声は、|屍漁り呪科准尉からのものだ。クリクリとした黒い瞳をキラキラと怪しく輝かせ、釣り軍曹を覗き込んでいる。
「だからやめて! 寝れなくなるから!!」
「適当なこと言うなよ。それ、誰が検証したんだ? しかも、何が大丈夫なのか一切、伝わって来ないぞ」
釣り軍曹が眉間に皺を寄せ、屍漁り呪科准尉を糾弾する。
「いくつか、就寝中に噛まれる被害が発生しています」
怯えるフーロ伍長と釣り軍曹を余所目に、無慈悲な男の声が響いた。混じり気のなさが逆に異様さを感じさせる、その声色は、ブラジャー情報曹長のものだ。
「やめろ、ブラジャー。聞きたくない情報に、無意味な確証性を付与するような情報を提供するな。お前の役目は、そんなことではない筈だ」
「名前を呼んではいけないあの虫が、夜中に人類の唾液を啜りに来ているのは、ほぼ間違いないでしょう。私の魂でありアイデンティティ――本日、着用している、黒レースのブラジャーを賭けても構いません」
「ひぃぃぃいいいい……!!」
フーロ伍長が地獄でも見たかのように叫ぶ。なるほど、確かにここは地獄のようだ。その証拠に、伍長の傍らには、悪魔のような笑み浮かべる聖職者兼軍人の梯子外し兵曹長がいる。
「ほらな。だから食えよ、釣り軍曹。大陸の中南部地域じゃ、食してる民族がいるらしいじゃないか」
「あれは深遠の魔物の仲間にしても、今このマグカップに封印されているこれとは別種だろ。こいつは食用に飼育もされてなくて、人の生活圏で生息しているから、どんな病原菌を持ってるか分かったもんじゃない」
「しかし、近年の著しい人口増加によって、虫は新たな食料として有効ではないかと考えられているぞ? その主な任務が都市防衛と災害対策であり、想定してない非常事態に備えた遊撃部隊である蛇苺としては、そのような食料資源の模索と研究は、業務範囲外ではないと思うがな。さぁ軍曹、食べてみろ。軍人として、人体実験の先槍となれ」
「軍人だからって、人権を軽視した実験は行われるべきではない。そんなことは帝国憲法に触れる。実験したくば専門家を連れて来い」
こいつら、無駄知識で無駄論戦しやがって……。普段から、その能力を社会のために生かすことはできないのか? 俺はできない。
「ふざけずに真面目な話をしますと、食用の地下道の増殖者は臭みもありませんし、食しても健康被害はありませんよ。食べたことがあるので保障します。私が本日、着替えに持って来た、花柄ピンクでリボンが付いたブラジャーを賭けても構いません。しかしながら、発展都市に巣食ってる深遠の魔物は、対毒スキル保有していたり、病原菌だらけなので、やはり食べたらマズイと思われます」
そりゃ、美味くはないだろうな。美味いと云う話は、風聞でも全く聞いたことがない。食べた感覚は海老に似ているらしいが……。体表が同じキチン質だからだろうか。
「揚げたら食えるんじゃね?」
寧ろ、揚げる以外に調理法があるとも思えない。カブトムシのように、サダラにして食えと? ヘルバ上等兵、冗談は顔だけにしろよ。
「ああ、揚げるで思い出したんだが、俺、久々に自炊しようと思って油――」
「皆まで言うなぁぁぁああああああああ!!」
フーロ伍長が投げた椅子が、ヘルバ上等兵の顔面に刺さる。憐れ、ヘルバ。お前の勇姿は、直ぐに忘れ去られることになる。そもそも、俺はお前のことを、名前以外はよく知らないから、忘れるようなこと、そのものがなかった。
ぷつりと糸が切れたように気を失ったヘルバ上等兵が、膝から床に崩れ落ちるのを無視した俺たちは、半錯乱状態にあるフーロ伍長が、次に何をし出すか見定めていた。
まだ死にたくないからな。生きていても、特に何もないが、とにかく死ぬのは嫌だ。そう云うものだ。
ヘルバ上等兵が顔面からダクダクと血を流すのと同じぐらいに、ダクダクと涙を流すフーロ伍長は、もはや怪人か精神異常者。ガクガクと体を震わせ、今にもまた誰かをその手にかけそうな勢いだ。蛇苺の顧問弁護士に、精神鑑定の準備をするよう、打電しておこうかな。
「もうさ、全世界の奴らとその卵を人里離れた場所に集めてよ。そこに核を撃ち込むの。これこそ核の平和利用だよ!」
いきなり、ワールドワイドな話になりましたね……。そこまで虫が嫌いなのも異常ですよ?
俺は、そんなフーロ伍長を落ち着かせるために、言葉を紡ぐ――
「知ってるか? あいつら、放射線にも耐性あるんだぞ」
つもりだったが、俺の嗜虐心のせいなのかどうか知らないが、俺の言葉は、フーロ伍長の必死な訴えを無残に破壊していた。
自分でも、自分が怖ろしくなるときがある。なんてことを言うんだ、俺は。
フーロ伍長は声なき悲鳴を挙げ、気絶した。
そして平和が訪れる。
「つーかさ、マヒロがそこら中に対虫用の罠やら何やら仕掛けてるのに、なんでこいつ、こんなところで繁殖できてるんだ?」
しかし平和が訪れても、我々は軍人だ。平時に潜む危険に目を光らせ、仮想敵に対しての対抗策を練らなければならない。そのためには、かつて起こった悲劇を分析し、何が至らなかったか、良かったを評価しなければならない。梯子外し兵曹長の疑問は、そんな義務感から来るもの……ではないな、うん。この人、そんなこと絶対考えてない。
「薬剤耐性でも得たんじゃないか?」
多剤耐性って、何処の細菌だよ。淘汰を経ずに次のステップに行けるだなんて、本当に怖ろしい生物だな。
「耐性で思い出しました。癌検診で癌は発見されませんでしたけど、大腸の中から出てきたと云う女性がいますね。もしかしたら、胃酸に勝つ新種が発見されたかもしれないと、話題になったようです」
放射線にも耐性持っているのに、何を思ったか、今度は強酸耐性まで持つようになったか。奴ら何を想定してるんだ? 宇宙にでも進出する気なのか?
「外殻が油脂でコーティングされてるか、キチン質だから人間に消化できなかっただけじゃないかな? 胃酸に漬けたら、気門や口から中を焼かれて死んでると思う」
こと屍骸のことに関しては、屍漁り呪科准尉は強いな。殆ど、その長所が発揮される場面はないけど。
「しかし、それは丸呑みしたと云うことでしょう? 食道をどうやって通過したのでしょうか? 興味が湧きますね」
「そう言えばね、光に背を向ける虫が口の中に飛び込んで来て、それをフォークで掻き出そうとしたら、そのフォークまで飲んじゃった女性もいたらしいよ。無事に手術でフォークを胃の中から取り出すことに成功したけど、茶翅は消え失せていたみたいだね」
なんで屍漁り呪科准尉は、そんなこと知ってるんだよ。お前は、なんのプロフェッショナルだ。
ふむ、と、ブラジャーが考え込む。いや、考えなくていいから。それより、メディック呼ぼうぜ。二人も意識がない奴がいるからさ。俺は呼ぶ気ないけど。
「寝ている間に口や耳の穴に入ってたって事例、結構あるよな。見境なく、狭い穴だったら何でも入りたがるとか、あいつら童貞かよ」
釣り軍曹が怖ろしいことを言った――
「人は誰しも、原因不明の腹痛の一回や二回は、経験してるよね」
が、それを掻き消す、より怖ろしいことを屍漁り呪科准尉が言い放った。
お前ら、よくもそんな平然とした面で、そんなことが言えるよな。
「俺、夜中に目が覚めたんだよ」
突然、賽之目伍長やシシキバ伍長と賭けポーカーに勤しんでいた、萎まない男伍長が、静かに口を開いた。
ええい、どいつもこいつも、さっきまで仕事もせずに、各々が趣味やら何やらに興じていた癖に、どうしてこんな下らないことに関しては一致団結できるんだ? 最初に口火を切った俺が主張するのも可笑しいが、もう好い加減にしろ。
「そしたら、光を敵とする深夜虫が、隣で寝てた彼女の唾液吸ってたんだ……。ズズズズズ……ってな。もうそれ以来、彼女とキスできないんだけど、どうしたら良いと思う?」
お前、好い加減に、セフレを彼女って言うのをやめろ。
「もう、あんたたち、ホントに好い加減にしなさいよ」
その内容とは裏腹に、とても怯えた色をした声が、不意に飛んできた。「ん?」と思いながら声の方を見ると、小刻みに震えている毛布が見える。
おはようございます、フーロ伍長。この糞暑い時期に、よくもまぁ毛布なんて被っていられますね……。それ、何処から引っ張り出して来たんですか? 災害対策用の毛布は、ここからちょっと離れたところにある倉庫に保管されている筈ですが、態々《わざわざ》そこまで行って毛布を引っ張り出し、ここに戻って来たんですか?
「だって! 倉庫にいるかもしれないじゃない!! 一人の方がよっぽど怖いしっ!!」
なるほど。
「……もう、あんたたちのせいで今晩眠れなくなっちゃったじゃない。どうしてくれる訳?」
そんな風に、ヒステリックに叫んで怖がる彼女に、萎まない男伍長が、優しく、そっと囁く。
「俺のベッドが空いてるぞ」
「うるさい死ね!! 可愛い女の子以外は滅びろ!!」
レズもここまで極まると、生々しくて嫌だなぁ……。
「もう放置でいいだろ面倒臭い」
フーロ伍長の喚き声に嫌気が差したのか、釣り軍曹が投げ遣りに喋り始めた。お前が事の発端なのに、何を言い出す。
「んで、態佐が帰ってきたときに、ドッキリ成功とか言って、そいつが冷蔵庫の中に帰るのを待てば、それで全て――」
「無理無理無理無理、絶対に無ー理!!」
「うっせぇな。眠れないだろ。そんなに拒否感強いなら、マヒロが自分でぐちゃぁ潰してゴミ箱に埋葬してやれ」
その苦言を呈する声は、やたらと億劫で、怠惰で、面倒臭そうで、更に怒りに似た何かも含んでいた。
椅子を二つ繋げたベッドに、持ち込んだ私物のマットレスを敷いて、今朝からずーっと夢の探訪者となってた粉曹長だったが、差し詰め周囲が喧しくなったのか、物凄く不機嫌そうな顔で、そうフーロ伍長に告げた。
「嫌! あんたがやってよ!!」
仮にも上官に、あんたってのはないだろう……。俺も他人のことは言えないが。
「俺は船を漕ぐのに急がしい」
そう言い終えた粉曹長は、アイマスクと耳栓を引き出しから取り出して着用し、また夢の中へと出掛けて行った。相変わらず、そのメンタルには恐れ入るな。このパニック状態の中で、鼻提灯を作ることに専念できるとは。
「もういいわよ! 分かったわよ! 誰もしないなら私が処理するわよ!! ガトリングを持ていっ!!」
と言った端から、フーロ伍長はロズデルン陸軍警邏部に配布されている攻撃術式――蛇殺を展開し、発動可能態勢に入った。通常、その射程は五メートルが関の山だが、これを使い慣れているフーロ伍長なら、この階にある柱と云う柱を全て一撃で破壊し、この建物を倒壊させるぐらいの出力を出せる。
逃げ惑う、俺含む面々。ぶっ倒れているヘルバ上等兵と、眠り扱けている粉曹長は、その場から微動だに動こうとしない。放っておこう。我が身が大事だ。
「待て」
と、ここで、先程から読書に耽り、沈黙を守っていた眼鏡が立ち上がった。先月、我が蛇苺隊に配属され、既にその悪名をあらゆるところに轟かせている、セレスタン・グレイン少尉だ。
グレイン少尉はフーロ伍長の前に立つと、上官権限を用い、フーロ伍長の術式を粛々と強制停止させる。どうやら、俺たちの命は助かったらしい。
「落ち着くんだ、フーロ伍長。話を聴いて欲しい。現状を解決する策がある」
蛇苺隊で最も不真面目と罵られているグレイン少尉だが、今はいつになく、真面目な口振りだ。流石は腐っても、士官学校卒。何か名案があるのだろう。
「一セントのインセクトにも半セントのソウルネスとも言う。貴官らは先程から、そこに閉じ込められる、憐れな黒い彼の命を奪うことを前提として、話を進めている。しかし、それは間違っているのではないだろうか?」
そうやって、大衆を前に演説を始める政治家のように、大仰な身振り手振りを交えながら、グレイン少尉は語りだした。彼は、人に話を聴かせる才がある。それが発揮される機会は、殆どないが。
「これも何かの因果。僕は今ここに、彼を蛇苺のマスコットとして、飼うと云う選択肢を提示――」
「あんた頭おかしいんじゃないのっ!?」
フーロ伍長は、なんて失礼なことを言うのか。頭がおかしいのは、グレイン少尉だけではない。この場にいる俺を除いた全員は頭おかしい。
「何を言う、フーロ伍長。この燻し銀の怪虫は、世界的に見ればポピュラーなペットなんだよ?」
ペットとして飼われている黒き稲妻と、今ここに封印されているこいつは、別種だけどな。
「でも、あれじゃん、ほら。こう云うセンセーショナルな登場した生物って、物語じゃ、そう云う位置に収まることが多いじゃん」
一気に、普段の腰砕けた口調に戻したグレイン少尉は、さも楽しそうに、フーロ伍長を諭そうとする。諭そうと云う気は、微塵にも感じられないが。
「大抵、なんかの伏線と思わせといて、その実はキャラグッズ買わせるだけの存在に成り下がるよな」
シークレット・ストラップとかか。あのシルエットで、明らか人外だと分かるやつ。闇からの餓鬼は、シルエットになっても大差なさそうだな。
「出番があるとしても、ラスト間際までなかったり、メインキャラ庇って死んだりするよな。敵の顔面に覆い被さって、うわぁ! 何をする!! みたいな」
「私、醜悪なる黒虫に庇われてまで生きたくない」
それより敵が可哀想だ。それで足滑らせて、崖から落ちたりするんだろ? そもそも、深遠の魔物って懐くのか? 懐かれたら懐かれたで、かなり嫌だが。
「んなこと言ってると、何処ぞの神の計らいで、本当にマスコットにされかねないぞ。無駄口と無駄知恵回すのはやめにして、早くこの現状を解決できる妙案を思い付けよ。デスク・ワークは上官様の仕事だろうが」
「だから食えつってんだろ軍曹」
「だから食えねぇつってんだろ、蛇苺だけに」
「てめぇ、それでオチたつもりか?」
無限ループって怖いな。
修正:前回の後書きを消去し、ルビを正しく振り直した。