貴女が愛されたい人は、私を愛してくれているようですね?
この世界には創造主である女神様の寵愛を受けた者が稀に生まれるという。
その存在を人は『聖女』と呼び、殆どの者は彼女に悪意すら抱かず、好意的に見るようになるとか。
今世の『聖女』ジリアンは我が国の伯爵令嬢。
私と同年代の少女だった。
私は彼女の事が好きではなかった。
初めは確かに彼女を好意的に見ていたけれど、その気持ちは徐々に薄れていったのだ。
理由は単純だった。
ジリアンが私に悪意を向けたから。
いくら女神様の加護によって好意的に見える相手であっても、悪意や敵意を向けられ、害されてまでその想いが持続する事はない。
私達は人であり、本来感情の源というのは外的要因にあるからだ。
ジリアンを好意的に見ることが出来る箇所が誇張されるとはいえ、全く存在しないものを誇張する事は不可能。
そして自分に悪意を向けた相手に好意を向け続けられる人間はそう多くはない……そういう理由から、私の心は当然のようにジリアンから離れた。
彼女は、私の婚約者サディアスを幼い頃から好いていた。
サディアスは私と幼馴染の公爵令息であり、異性であれば必ず振り返ってしまうであろうと程に美しい容姿を持っている。
おまけに文武両道。
私の自慢の婚約者だ。
どれだけ魅力的な異性であっても、既に相手がいるのであれば身を引く……それは当然の判断だ。
しかしジリアンはそれを選択しなかった。
自分は聖女であり、皆から愛される存在だから。
だからサディアスは自分の方がお似合いなのだと、そう考えていたらしい。
結果、彼女は自分に向けられた好意を利用して私の悪評を広めた。
具体的な内容としては、「侯爵令嬢アナベラは聖女ジリアンの人気に嫉妬して数々の嫌がらせをしている」……といったもの。
偽りしかない情報に人々は振り回され、私を蔑むようになった。
けれど……正直そこまで気に病む事はなかった。
周囲からの風当たりは当然悪くなったし、社交界は居心地の悪い場所になってしまったが、それでも私には確かな居場所があった。
***
「そろそろ、痛い目に遭わせても良い頃だろう」
静かな声でそう告げながら、サディアスは持っていたティーカップをテーブルに戻す。
公爵邸に招かれ、二人きりでお茶を楽しんでいる時の事だ。
「ジリアン様の事?」
「彼女も、その噂に転がされる連中も含めてだ」
――サディアスは、私を信じてくれていた。
そして自分へ言い寄るジリアンへ、大きな嫌悪も抱いていた。
仏頂面がトレードマークのような彼は相変わらず表情筋があまり動かないが、瞳は冷たい色をしている。
「未来の公爵夫人を――俺の大切な人を害すればどうなるか、くらいは今後の為にも知らしめておくべきだ」
「私はあまり気にしていないのだけれど」
「君が気にしていなくとも、俺が不愉快でならない」
彼は非常に憤っている様だったが、その様子を嬉しいと思ってしまう自分がいる。
――サディアスは私を愛し続けてくれている。
それをわかっているからこそ、私の心は救われていた。
翌日。
私はサディアスと夜会に出席していた。
すると周囲からはひそひそと囁く声や嘲笑が聞こえる。
その中にはジリアンの姿もあった。
「聖女様を貶めようとしていながら、何と面の皮の厚い事」
ジリアンの取り巻きの一人が、やや大きな声でそう言った。
それをサディアスは見逃さない。
「――今、何と言った?」
「え」
サディアスはツカツカと取り巻きへ近づくと、彼女の手を掴み上げた。
「ひ、ヒ――」
「今何と言った、と聞いたのだが?」
「あ、アナベラ様が、ジリアン様を貶めようとしていると――」
「ほう? 具体的には?」
「そ、そのっ、ジリアン様を転ばせたり、水を被せたり」
「証拠は?」
「しょ、証拠、ですか」
「当然だろう。こちらは我が公爵家の一員となる婚約者を侮辱されているのだ。それは我が家を愚弄する事にも等しい。であるならば、そうするに値するだけの確固たる証拠があるという事だろう?」
「あ、あ……」
サディアス鋭く目を細める。
「よもや――証拠も無しに我々を愚弄したとは言わないだろう?」
「そ、その、わたくしは……っ、ジリアン様からそう伺って――」
「ジリアン嬢が?」
「……ヒッ」
サディアスの視線が今度はすぐ近くにいたジリアンへ向けられる。
「今の話は事実か?」
「あ、う……っ、その……っ」
ここで取り巻きを切り捨てなかったのは、周囲の目があったからだろう。
この場にいる殆どの者は、ジリアンから私の悪評を聞いた。そしてそれを証拠も無しに信じた愚かな者達だった。
ここで取り巻きを切り捨て「知らない」と言ってしまえば、その他大勢に失望と疑念を抱かせてしまう。
そしてそれは、私やサディアスのように、ジリアンに好意を抱かなくなる者を増やす事に他ならなかった。
だからこそ、彼女は言う。
「っ、でも、事実なんです! 私は――」
「証拠は?」
弁明しようとしたジリアンの言葉が容赦なくぶった切られる。
彼女は言葉を失った。
「先程の話を聞いて尚そう声を上げるという事は、勿論証拠があっての事だろうな」
「そ、それは」
「ないのか?」
シン、と辺りが静まり返る。
サディアスは深々と息を吐いた。
「馬鹿馬鹿しい」
そして――
サディアスはジリアンの顎を乱暴に持ち上げるとその顔を間近から睨み付けた。
「覚えておけ。次に適当な話で俺の婚約者を害そうとすれば――公爵家の全てを以てお前と敵対してやろう」
ジリアンは既に何も言えなくなっていた。
ただ顔を青ざめ、震える事しかできない。
最早何か悪巧みをする気にもなれないだろう彼女の様子を確認してから、サディアスは周囲に視線を送った。
「今の話は聞いていたな? これは全てのものに当てはまる話だ。今後、証拠も無しにアナベラを嘲笑った者は、どんな些細な事であったとしても我が公爵家が制裁を下す! ……努々、忘れるな」
皆が視線を彷徨わせる。
重苦しい沈黙は、この言葉に逆らえる者など存在しないという証拠でもあった。
夜会から離れ、私とサディアスは馬車に乗る。
「どうもありがとう」
「いいや。言っただろう。俺が不愉快だっただけだ」
「それでもよ」
私はサディアスの隣に座り、彼に擦り寄る。
大きな手が私の頭を優しく撫でてくれた。
「私を変わらず愛してくれる人がいる。そしてそれが他の誰でもない、私が最も愛する人だという事。……それだけで、私は強く在れるもの」
だから私が周囲の蔑みに耐えられたのは貴方のお陰なのよ、と伝えればサディアスが小さく微笑んだ。
「当然だ。それに……愛する人が愛してくれる幸福ならば、俺も常に貰い続けている。お互い様だろう」
「……ふふ」
「どうした?」
「いいえ。ふと思っただけよ」
小さく笑えば、サディアスが目を丸くする。
私は目を閉じ、夜会から離れる際のジリアンの表情を思い出す。
愛する人に突き放されるだけではなく、明確な嫌悪と敵意を示されたジリアン。
その青ざめた、悲痛な顔。
「……どれだけ多くの人に愛されようと、心の底から愛して欲しい人の愛は決して手に入れられない。そんな加護にどれだけの意味があるというのかしら……と」
たった一人、最も愛している人からの愛だけを手に入れた私と、それ以外の全てを持っていたジリアン。
私達はどこまでも対極的だった。
「君には関係のない話だろう?」
「……それもそうね」
優しく顎を持ち上げられて、私はサディアスと見つめ合う。
普段の仏頂面からは想像もできないような甘い微笑みがあり、私もつられて笑ってしまう。
――たった一人、貴方が愛してくれさえすれば、それ以外は何もいらない。
そう思える事がどれだけ幸福な事か。
私は改めてかみしめる。
そして私はサディアスへ顔を寄せながら目を伏せ、深い口づけに溺れるのだった。
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