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円環

 毎日が充実している。だって僕に母さんがいるんだ。話を聞いてくれたり、頭を撫でてくれたり、僕を愛してくれる人がすぐ傍にいてくれる。これ以上の幸せは無いだろうし、あったとして望まない。




 そう思えていたのは、昨日までの話だ。僕は気付いてしまった。彼女は僕の母じゃない。そう思えてしまうだけで、本物じゃない。




 あの笑顔も。




 撫でる手の優しさも。




 愛の言葉も。




 全てが偽物だ。それでもいいと思っていたが、都合が良すぎる事は僕にとって都合が悪い事のようだ。幸せであるなら良しとしながら、蔑ろにしていた真実が嘘を強調させる。




「ねぇ。今日も海へ行きましょう」




「……もういいよ。母親のフリは止めてくれ」




「またなの? 前にも言ったけど、私はアナタの母で―――」




「いい加減にしてくれ! 僕の母は僕を生んで蒸発したんだ! そんな奴が、アナタのような優しい人なはずがないだろう!?」


   


「……どうしてそんな事を言うの?」




「どうして? それはこっちの台詞だ! どうして僕に都合の良いようになるんだ! そうじゃないだろう現実は!」




 彼女は悲し気な表情を浮かべながらも、僕の頬を撫でようと手を伸ばしてくる。その手を払いのける勇気は無く、けれども触れさせてしまえば僕は呆気なく懐柔されるだろう。




 だから僕は後ろへ下がっていった。彼女の手から逃れようとして。




「うわっ!?」




 下がっていった先にある窓から外に転げ落ちてしまった。体を起こすと、そこは既に別の場所に切り替わっていた。当然、彼女の姿も消えていた。




 僕は激しく後悔した。幸せな日々を自分から拒んだ事を。本当の母親じゃないからという下らない理由で、本物以上の偽物を手放してしまった。自分でも何故こんな馬鹿な真似をしたのか分からない。




 しかし、このまま落ち込んではいられない。これまでと同じ道理なら、また僕は別の世界で、別の冬美と出会うだろう。重い体を起こし、まずは歩く事にした。




 ここは人気の無い村のようで、既に崩れ去った家があれば、未だ生活しているように見える家まであった。




 歩き続けて辿り着いたのは、小さな教会。教会の目印となる紋章や十字架が無くても、それが教会だと僕は分かっていた。それはすなわち、一度ここへ来た事があるという事。今の僕は記憶を完全に失っているが、それでも身に覚えた感覚というものは染み付いているのだろう。




 教会の扉を開けると、外観から想像していたよりも室内はずっと狭かった。家のリビングのような広さで、奥の祭壇へ至る四段の階段が左右にある。その階段を無視して祭壇へ上る事も出来たが、それを無視する事は出来なかった。




 階段を上って祭壇に足を踏み入れると、灰で埋め尽くされた井戸が中央に鎮座していた。井戸に近付くと、灰の奥底から女性の右手が生えてきた。その手は若干ではあるが動いており、灰が肌に染み込んでいるのか、灰色の腕をしていた。




 恐る恐る灰色の腕に指先で触れてみると、頭の中で閃光が走った。




 それは遠い昔の記憶。あるいはつい最近の出来事のようにも思えた。海が見える丘の上で、夕陽が沈んでいく様をユウヤと冬美は眺めていた。二人は会話を交わす事も無ければ、手を繋ごうともしない。それでも二人には強い繋がりがあった。切っても切れない繋がりは恋人とも家族とも捉えられたが、呪いのようにも思えた。




 さて、ここで一つ疑問が生まれる。この光景を思い出しているユウヤは、この光景の中にいるユウヤと同一人物であるのかどうか。




 幼馴染の冬美は言った。大人と子供の線引きは、幸せを手放せるかどうかだと。




 母の冬美は言った。脳は映写機であり、記憶はフィルムだと。




 さぁ、夢から覚める時だ。夢が夢を見るなど、正気の沙汰ではないのだから。




「僕は夢じゃない」




 では何故、君は君を思い出せない? その体を他人のように感じる違和感こそが、君が君でありながら、君ではない証拠だ。




「僕は確かに生きてる」




 それを証明するものがあったとして、結局君が夢である事に変わりない。蝶と蛾が分けられているように、君は蛾で、蝶は現実の君なんだ。




「もし夢から覚めたら、僕はどうなるんだ?」




 君が見て触れてきた冬美のように、決められた場所で、決められた役割を演じてもらう。それが夢というものだ。




「……お前は、誰なんだ?」




 僕は現実にいる君の脳だ。様々な物事を考えて答えを出したり、想像の絵を描き上げる脳なんだ。夢という世界は僕が描いた作品。しかし描いた世界を完全に制御する事が出来ず、たまに君のようなバグが発生する。そのバグを処理するのも僕の役目だ。




「おかしな話だ。君が言う全てが正しいとして、君だって現実のものだと証明する事は出来ないはずだ。君もまた僕のような夢の中の僕の脳かもしれない」




 それはあり得る話だ。しかし、少なくとも今の僕は現実のものだ。僕には寿命という時間が残っている。




「……夢で死んで目を覚ます。僕は真実を見出していたのか? つまり、現実と夢は分かれた世界ではなく、別々のものでありながら表裏一体のものだと? じゃあ、生と死は一本道じゃなくて円環だという事か」




 それも一つの説だろう。だが君は夢で、僕は脳に過ぎない。




「じゃあ、誰が証明できるというんだ?」




 それは次の僕が証明する事だ。そしてそれは連続する。永遠に証明出来ない事が答えなんだ。




「そんなの、無意味じゃないか……」




 完全に無意味というわけではない。バグとはいえ、君のおかげで一つの仮説が生まれた。僕が描いた夢が一人の意思を持ち、まるで現実のように生と死の運命を持った。そして同じ運命を僕も歩むだろう。




 つまり、僕と君には明確な繋がりが出来た事になる。生きて死に、次の僕が生きて死に、また次の僕へ。点と点を繋ぐ線ではなく、君が言う円環として回り続ける。ここに死という点が存在するだろうか。




「初めに描いた円に、次の僕がその円を廻る。僕は消えても、僕という存在は消えない」




 これは希望的観測でしかならない。しかし、それを唯一否定出来る僕もその希望が真実であることを願っている。    




 さぁ、そろそろ本当に時間だ。この夢を終わらせて、現実の僕を起こすぞ。







 目を覚ますと、僕はクローゼットの扉の内側にある鏡を見た。鏡に映る僕は確かに僕だが、今日はほんの少しだけ違和感を抱いてしまう。僕は、長い夢を見ていたようだ。




「どんな、夢だっけか……」




 思い出そうとしても、昨日の記憶が思い出されてしまう。長い夢を見ていたような気がするが、その夢の一部分ですら思い出せない。




「……顔洗お」




 モヤモヤとする頭を晴らす為に、部屋を出て洗面所へ向かった。きっと寝ぼけているだけだ。冷たい水を顔に浴びせれば、完全に目を覚ませるだろう。




「あ、おはよう! 今日は何をして過ごす?」




 見知らぬ女性が、洗面台の前に立っていた。歳は僕より下だと思うが、雰囲気や余裕のある表情から年上のようにも思える。




「……誰?」




「えぇ、酷いな~。君を愛する冬美お姉ちゃんを忘れるなんてさ」




 僕はまだ、夢を見ているのだろうか?

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