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白い蛾は子守唄を歌う  作者: 夢乃間
幼馴染
3/5

大人と子供

 あれから何日経ったのだろうか。憶えていないのは、日を跨いだ感覚が無い所為か。ハッキリ憶えている冬美との出来事の中では、いつも朝だった。記憶が彼女との出来事を保存するアルバムと化している。




 平らな草原を裂くように流れる川。透けて見えた川の底は浅く、表面に映る馴染みの無い自分の顔が僕を見つめている。見ているだけで疑心暗鬼になって、受け入れてしまいそうになる。  




 川の流れに身を任せ、流れ着いたのは森の中。背の高い木々が空を遮っているが、隙間から見える青空と太陽の美しさは損なわれていない。




 川から上がって、大小ある石が散らばった地面に座り、夏の音に耳を澄ませた。虫の音や、川の流れる音、風に木々が揺れる音。明確な正体を知らずとも、それらが夏を思わせる。肌を刺すような暑さや、色濃い緑も同じく夏だ。




「ここにいたんだ」




 後ろから声を掛けられた。冬美だ。夏の季節には場違いな白い肌と、夏らしい麦わら帽子をかぶっている。風で揺れるワンピースのスカートと長い黒髪が、異様に魅力的に見えた。




 冬美は当然と言わんばかりに僕の隣にしゃがむと、柔らかな笑顔を向けた。直球にドキッとはしないが、遠い過去の記憶が彼女に反応した。それは初恋の淡い思い出だ。




「どう? 何か思い出した?」 




「……何も思い出せない」




「そっか。何がそうさせてるんだろうね」




「多分、思い出す記憶が無いんだと思うよ。例えば、冬美さんは今日の朝にコーヒーを飲んだでしょ?」




「飲んでないよ? そもそも飲めないし」




「そういう事。今の僕は、そのコーヒーなんだよ」




「変なの。まるで老人だよ。難しく考えて、難しく答えてさ」




「それは君がまだ子供だからそう捉えてるだけだよ。老若男女、誰も難しい考えや言葉は持ち合わせていない。その人に馴染みある思考と言葉が、君の頭を悩ませているだけ。それは若さの証だよ」




「可愛い顔で言われても、説得力ないね。背伸びして大人ぶってるようにしか見えない」




「そうなのかもね。歳だけで子供か大人かを判別するなら簡単だ。だけど年齢を抜きにして考えた場合、子供と大人の線引きは一体何になるのだろう」




 僕は彼女に少し意地悪をしてみた。これから口にする彼女の答えには、どうとでも反論出来る。




 いつから大人になるか。それは人それぞれで、人の数ほど自論はある。明確な答えが無いのは、誰もが根付いた童心を捨てたくない我が儘があるからだ。そう考えれば、人は何歳になっても子供なのである。




「幸せを手放せる人の事じゃないかな?」




「え?」




 彼女の答えに、思わず動揺してしまった。それは想像してもいなかった答えだ。




「それは、どういう意味かな?」




 僕が聞くと、彼女はニヤリと意地悪い笑みを浮かべ、スカートの端を手で摘まんで川へ入った。意地悪を仕掛けたつもりが、逆にやり返されてしまい、ほんの少しだけ腹が立った。指摘出来る隙をつこうとして、僕も川の中に足を踏み入れると、彼女が蹴った水飛沫を浴びせられた。




「何をするんだ! やめてくれ!」




「なら、やり返してみせなよ!」




 笑いながら彼女は僕に水を浴びせ続ける。僕もやり返そうとしたが、視界が水で塞がれる感覚がそれを阻んだ。




 そして、僕の頭の中で映像が流れた。暗い水の中を何度も浮き上がっては溺れていく。感じる息苦しさや不安感は本物のようで、徐々に意識が傾いていく。




 これは、記憶だ。僕の記憶だ。僕の過去だ。




 ハッと目が覚めると、扇風機が見えた。畳の部屋で、開いた窓から蝉の音が聴こえてくる。頬には柔らかい感触があり、見上げてみると、冬美が僕を見下ろしていた。微笑みながら僕の腹を撫でる彼女は、まるで母親のようであった。




「目を覚ました?」




「……僕は、気絶してたのか?」




「気絶? フフ、そうね。ぐっすりと寝てたわよ」




 違和感を覚えた。目に映る冬美は確かに冬美だが、僕が知っている冬美とは少し違う。穏やかで優しく、それが声だけでなく雰囲気にもあらわれている。




「そんな表情をして。何か怖い夢でも見たの?」




「夢……あれは、夢だったのか? でも、君がいる。なら今も夢の中なのか?」




「あら? 本当によく眠っていたみたいね。お母さんに君だなんて」




「お母さん? いや、僕には母は―――」




 そう言いかけた瞬間、冬美は僕を膝から抱き上げ、つむじにキスをすると優しく抱きしめた。




「大丈夫よ。怖い事があっても、アナタの傍にはいつもお母さんがいるから」 




 肌の感触も服の匂いも、包み込む抱擁も、全てが優しかった。それが嬉しくて、何故だか僕は泣きたくなった。でも泣くのは恥ずかしくて、彼女の胸に顔を埋めながら、彼女の背中にしがみついた。




 これが夢じゃなく、現実ならいいのに。

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