日常
朝食を食べたと思う。味も形も分からなかったが、確かな満腹感から、多分食べたのだろう。
「なんで制服着てないのさ」
「制服?」
「……本当に今日はどうしちゃったの?」
それは僕の台詞だ。今日はどうしておかしな事が立て続けに起こるんだ。幼馴染を騙る少女。目に見えない朝食。朧げな両親。
そうだ、あの両親は一体なんなんだ? 真っ直ぐ見つめても、まるで煙のように形がハッキリしてなかった。そもそも、僕に両親はいない。僕を捨てたか、あるいは僕が親と認識する前に亡くなったか。いずれにしても、僕は孤児だ。
空が青い。それに蝉がよく鳴いている。今の季節は夏か。それにしては過ごしやすい暑さだな。
「……今日は学校サボろっか!」
「え?」
「今の状態で学校に行っても、何にも頭に入らないでしょ。だから今日はお休みにしよ!」
「僕に合わせなくていいよ。君は君の日常を過ごしてくれ」
「いいから! ほら行こ!」
彼女は僕の手を掴むと、走り出した。密集した住宅地を抜けると、何も無いかのように田んぼが広がっており、僕達は一本道の田んぼ道を駆けていく。
目の前に見える彼女の後ろ姿から視線を外すと、広大な田んぼの更に遠い場所に、ポツンと佇む森があった。ここからでもハッキリと見える程に森は広く巨大で、入り口と思わしき所には立派な鳥居がある。
「あれは何?」
「神様がいる場所だよ!」
駆ける足を止めずに彼女は答えた。さっきから休まず走り続けているが、彼女も僕も疲れた気がしない。どうやら本当に僕は少年になったようだ。でなければ、ヘビースモーカーがこんなに長く走れるわけがない。
走り続けて辿り着いたのは、廃れた公園。置き去りにされた遊具には錆や緑が生えていて、特にブランコは地面に埋もれていた。彼女はドーム型の謎な置き物の頂上に腰を下ろすと、僕に手招きをした。誘われるがままに頂上に上って腰を下ろし、頂上からの景色を見るが、数本の木が生えているのが見えるだけで、絶景とは呼べない平凡な景色だった。
改めて、僕は隣にいる彼女を見た。十代の可愛らしさというよりかは、二十代の可愛らしさが色濃い。つまり、色々と経験して得た美人さんだ。不意に見せる幼い表情だけが、彼女がまだ少女だという事を証明する。
「君は、誰なんだい?」
「……結構傷付くよ」
「ごめん。でも、僕は本当に君を知らないんだ。君だけじゃない。僕は僕自身も分からなくっている」
「記憶喪失?」
「というより、乗り移ったみたいだ。合点がいかないんだ。なにもかも。僕が知る僕は、こんな少年じゃない。煙草をよく吸って、それで……それで……あれ?」
自分がどんな人物なのか思い出せない。普段どんな事をしているのか。歳はいくつなのか。名前はなんなのか。正確に憶えているのは、煙草をよく吸っていた事だけ。それを加味すれば、僕の歳は二十以上だろう。
「つまり、今の自分が自分じゃないみたいって事?」
「ああ。でも、自分の事をよく思い出せない。前はどんな姿だったのか。もしかしたら記憶違いで、元々僕は少年だったのかも」
「自分が分からない、か……じゃあさ、見つけようよ。本当の自分を」
「どうやって?」
「具体的には言えないけど、こういうのって突然分かるものでしょう? だからその時まで、私が傍にいてあげる」
そう言って、僕の右手に触れる彼女。微笑む彼女の表情に特別さは感じず、むしろ安心感を覚えた。幼馴染というよりか、姉に近しい親近感がある。
「改めて、君の名前を聞いてもいいかな?」
「私は冬美。冬の美しさと書いて冬美。歳はアンタの一つ上で、ずっと一緒にいた幼馴染」
「そうか、どうりで。改めてよろしく冬美さん。僕は……えっと……」
「ユウヤ」
「ユウヤ? それが僕の名前?」
「そうだよ。それが私が知るアナタの名前」
ユウヤ。やはり身に覚えのない名前だ。僕が忘れてしまっただけか、あるいは別人の名前か。もし後者だった場合、やはりこの体は僕のものではないという事になる。その場合、この体の持ち主であるユウヤは、どうなったんだ?
今日はおかしな事ばかり続く。煙草を吸いたい気分だ。健全な少年の健康的な肺で、煙草はどんな味がするのだろうか。