こっちの家族と、あっちの家族
タマが目を開けると、白い天井が見えた。薬品の匂いもする。
(病院か?)
「やっと目が覚めたね」
天井の代わりに、白夜の端正な顔が映った。
「ひえ」
「驚かせて、ごめん。君、三日も意識がなかったんだ」
「三日……お嬢様はっ」
がばりと半身を起こしたが、胸に激痛が走って、タマは「いてて」と呻き、再び横になった。
「肋骨が一本、折れているんだ。肺に刺さらなくて幸いだった。急に動いてはだめだよ。医者を呼ぼう」
ベッドの脇から動こうとした白夜を、タマは引き留めた。
「だ、大丈夫です。それよりお嬢様はどうなさっておられますか」
「小林が警官たちを率いて邸内へ突入し、無事保護されたよ。衰弱していたので、この病院に入院させた。食事をするようになったら、元気を取り戻した。部屋の中を歩き回れるほど回復している」
「よかったあ」
タマは、ほうと息を吐いた。
「君、気絶する前に言った言葉を覚えているかい?」
「え、ええ。もちろん」
タマは身体に痛みが出ないよう枕に頭を乗せ、白夜の方へ目を向けた。
「端女として、お仕えいたします。存分にお使いください」
「そうじゃないよ」
真面目に答えたタマに白夜が頭を抱える。
「『何でもする』と言ったね。それにつけ込むようで悪いが、僕の妻になってもらう。僕は身分とか育ちとか気にするほうじゃないけれど、君が納得しないようなので、その前にある家の養女になってもらうよ。『何でもする』と言ったよね」
念押しされて、タマはコクコクとうなずいてしまった。失言だったなあ、と思っても、あのときは必死だったのだ。
「その家というのは……」
「あら、だめよ。急に報せたら、びっくりしてしまうわ」
細く開いていた病室のドアの向こうから、晃子さまの声がした。
「母上」
白夜が肩を落とす。
「母は君を心配して毎日、病院に来ていた。でも、病室には入らないんだ。目覚めたとき、君が母を見て怖がるんじゃないかと心配している」
「そんなこと……」
ヒトの姿の晃子さまは気品があり、優雅だ。鬼になっても、いや変化したあとは壮絶と言っていい美しさだった。畏怖を覚えるほど。
「私が晃子さまを怖がることなんて、ありえません。晃子さまはいつも優しくしてくださいました。あの夜も、私のために怒ってくださいました。そんな方を恐れ嫌うなんてことは決してありません」
「まあ、タマさん」
ドアを大きく開けて、晃子さまが入って来た。後ろにはお付きの葉月が黒紋服姿で佇んでいる。
「嬉しいわ。じゃあ、わたくしの義娘になってくれるのね。ああ、楽しみ。二人でお買い物や帝劇に行きましょう」
「母上、デエトは僕の方が先約です」
と、苦い顔をした白夜が、タマのほうを向くと甘い笑顔となる。
「まだまだ僕たちは互いのことを知りません。一緒にお茶を飲んだり、おしゃべりしたり、どこかへ行ったりして、互いのことを語り合いましょう」
「は……はひ」
タマは恥ずかしいやら、嬉しいやら、驚くやらで顔を赤くして掛け布団を目元まで引き上げて、それを隠した。
「葉月、お紅茶を。それが無ければ、煎茶で良いわ」
と、側仕えに命じた晃子さまは、葉月から渡されたクッキーの缶を開けて一つを取り出し、タマの口先へ持ってくる。
「明治屋のクッキーよ。お口に合うかしら」
「母上、喉に詰まらせたら、どうするんですか」
「お医者さまは、『身体を治すために何でも食べさせなさい』とおっしゃったわ」
「クッキーはお菓子です。もっと滋養のあるものを」
二人の会話を聞いていて、タマは『いいなあ』と思った。異形と呼ばれた母君を持ち、自身も術者なのに、白夜は温かい家庭で育ったようだ。それに比べ、同じ術者の子なのに、タマの生い立ちは殺伐としている。
(私がこの方たちと家族になる?)
信じられなかった。幸せになっても、いいのだろうか。
(術者としての自分を捨てて、アレを封印すれば。もしくは、アレを次の是枝の術者に譲り渡せば、幸せになれる。なってもいいんだ)
母がそうしたように。
母の華月は、是枝の術を夕月に教え、アレを譲り渡した。十三歳の儀式で夕月が生き残れるように。
アレを失った母に大きな術は出来ない。まじないを使った市井の占い師くらいにはなれるだろうが、呪殺など大技は不可能だ。
その後、葉月が煎茶を淹れて持ってきてくれ、それを飲みながら、晃子さまに餌づけされ、タマは白夜から気を失っていた間に起こったことを聞いた。
三隅邸に警官たちが入ったとき、邸内には憲武と邦子と佐和子がぼう然として腰を抜かしており、捕まったあとでもぶつぶつと何事かつぶやき、訊かれると正直に罪を認めているそうだ。三隅伯爵の殺人の件では、下男の正吉の証言と凶器の包丁が出たことで裁判に持ち込めるとか。邦子と佐和子も知っていたので、共犯もしくは従犯の罪に問えるそうだ。質屋に持ち込まれた三隅家の物も取り戻すことができた。
高利貸しの楠屋も、何か恐ろしいものを見たようで、その手下たちと共に素直に取り調べに応じているという。
高辻侯爵家では、ばあやのキヨが必死の思いで持って行ったお嬢様の手紙を、『ノオトの紙なんぞに書いてあるから』と祖父の侯爵は無視した。しかし、祖母にあたる夫人が抗議し、跡継ぎの長男もそれに同調したので、離婚だの後継を外すだの揉めているとき、侯爵は百鬼夜行に遭い、呆けてしまった。日常生活を送れることができないほど精神を病んでしまったため、政界を引退し、家督も長男に譲って隠居することになった。
「それで、新しく高辻侯爵となった泰治氏が、タマさんの養い親になると申し出てくれて、話がまとまったんだ」
「はあ?」
驚いて声を上げたら、クッキーを喉に詰まらせてしまった。
急いでお茶を飲み、何とか飲み下した。
「私の意見は?」
「聞いてくれないだろうなあ。家同士のことだから。高辻泰治氏は、母の父親の宮さまとお近づきになりたい。加えて、術師の我が家の伝手が欲しい。何かあったとき、心強いからね。古代では、呪い・まじないで人を病にしたり殺したりするのは八虐の罪の一つだったけど、現代では罪に問われない。政界は魑魅魍魎がうごめいているから、何かあったとき、術師と懇意だと心強い――という裏事情もある。でも、タマさんは気にしなくていいからね。面倒なことは、僕が処理するから」
爽やかな物言いで、白夜は黒い笑顔をした。
(茅野家といい、陰陽師の家は面倒だな)
タマは、白夜にすべてお任せすることにした。
翌日、晃子さまと一緒に、その夫で斎木家の当主の真夜氏が病室を訪れた。
四十過ぎの温厚そうな紳士だった。
「はじめまして、林タマ嬢。私が白夜の父です。うちはよそと違っていて、びっくりしたでしょう」
(びっくりどころじゃありません。ご当主さま)
と答えたかったけれど、タマは頭を下げた。
「うちは奥さんの関係で、あんな大きな家に住んでいますが、もともとは貧乏華族なんです。何かの拍子にまた貧乏暮らしに逆戻りするかもしれません。それでも、お嫁に来てくださいますか?」
「はい。私の方こそ、斎木さまと釣り合わないと思っているくらいなんです。むしろ、貧乏暮らしは慣れっこなんで、その点は安心してください」
「それは、頼もしい。白夜のことをよろしくお願いいたします」
と、頭を下げられたので、タマもベッドの上で再び下げた。
「まあ、あなたたち。コメ付きバッタのようよ」
晃子さまはその様子を見て、ころころと笑った。
その三日後、ドアをノックして美知子お嬢様が病室へ入って来た。
「タマ、具合はどう? って、いいわけないわよね」
お嬢様は緋色の被布姿だった。頬もふっくらとし、元気そうだ。
「叔父の一家は警察に捕まって、当分は拘置所から出て来られないわ。でも、本当に信じられない。素行が悪くて親から勘当され、財産を分けてもらえなかったことを逆恨みして、血を分けた兄を殺すなんて。そして家と財産を自分の物にしようと悪い人たちと手を組むなんて。お芝居だけのことかと思っていたら、違うのね」
お嬢様が唇を噛んだ。
「でも、警察と裁判所が罪を問うてくれるから、いいわ。それより」
と、美知子お嬢様が顔を上げた。
「彰浩さまが、婚約者の交換に我慢できなくて、弁護士を立てて裁判に訴える準備をなさっていたのよ。元村伯爵も同意の上で」
結局、三隅の家は美知子お嬢様が継ぎ、彰浩は婿養子になることが決まったという。
「喪中だから、婚儀は地味に、半年後することになったの。それでね、高辻のおじさまが養女にしたタマをそのときお披露目するんですって。あなたと従姉妹になるなんて、驚いたけど、嬉しいわ!」
今のお話で、知らないことがいっぱいあったけど?
お嬢様は、よほど嬉しかったのか、高辻家のことをタマに話して去って行った。
高辻家で頑固なのは引退した翁だけで、長男一家他は悪くはなさそうだった。
タマは白夜が見舞いに来たとき、お嬢様が言ったお披露目のことを訊いた。
「そんな話はあるけど、タマさんが嫌なら断れるよ」
と白夜は答えた。
いいのか?
今まで自分一人が生き残ることだけを考えていれば良かった。でも、 斎木家の家族の一員になるのだから、家の人たちの不利になるようなことはできないよな、と悩む。
そんなことを考えているうちに、旦那様の四十九日となった。タマは入院しているので、法事に出られなかったけれど、代理で行ってくれた白夜の話では、旦那様は無事、成仏したということだった。いろいろあったので、三隅邸を更地にして売り、別のところに引っ越して、美知子と彰浩は新婚生活を始めるそうだ。憲武に解雇された使用人たちも、大半が戻ってきてくれるという。
タマの作った呪具は、逮捕のどさくさのとき、小林が回収してくれ、白夜が焚き上げてくれたそうだ。
「よかった」
と、それを白夜から聞いたとき、タマは安堵の息を吐いた。
それを白夜は、にこにこして眺めていた。
(いいなあ。こんな穏やかな時間)
しかし、物事が良い方向に進んでいるときこそ、魔の刻が訪れる。
傷もほとんど癒え、明日は退院という夜にそれはやってきた。
夜中に、どん、と重いものが降って来た。押しつぶされそうだ。タマは呼吸を整え、真言を唱えた。
すると、とりあえずは息ができた。
瞬時に察する。アレの残りが戻ってきたのを。それも、巨大な邪悪の塊となって。これでは使役するどころか、押しつぶされて死にそうだ。精神と身体がアレに喰われる。
タマは息を調え、真言を唱え続けた。
これは、憑き移し。
術を使った者も分かる。暁月。
(何をしたの? 一人どころじゃないね。何人殺したの? 暁月!)
弟は、アレを使って悪を行い、罪障で大きくなったそれを夕月に投げて寄越したのだ。死んでもかまわない、と。アレの贄として。




