百鬼夜行と人の情(なさけ)
紙片を投げたあと、タマは力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。
シャン、シャン、と鈴の音がする。
ふと顔を上げれば、そこに紺の羽織姿の斎木白夜がいた。
「え……どうして?」
「預けた僕の式神を飛ばして、呼んだだろう? もののけの道を通って来たんだ。それにしても……ひどい傷だ。やつらに、やられたのか」
タマの前にしゃがんで、タマの顔の青あざを見、右腕の袖をまくってそこにも打ち身があるのを確認した白夜は、本邸の明かりを睨みつけた。
「これは、いいんです。それよりも」
と、タマは白夜の前で正座した。
「斎木さま、お嬢様を助けてください。お金も何も持っていない私には、この身しかありません。斎木さまの望まれるお嫁さまには、卑しい育ちの私にはとてもなれませんが、下僕にはなれます。何でもします。どうか、この身を捧げますから、お嬢様だけはここからお救いください」
タマは両手をつき、深々と頭を下げた。
「タマさん……」
戸惑いながらも白夜は嬉しそうだった。
「ああ、この清冽な魂。自己犠牲をためらわない潔さ。心底、惚れてしまうね。君が『下僕』のつもりでも、僕には『お嫁さま』だ。そのうち、君にもそれが分かるようにしてあげるよ。大切にする」
ごめんなさい、とタマは心の中でわびた。
一緒に行くつもりはない。白夜が美知子お嬢様を連れ出して行ったあと、タマはアレを使って屋敷の連中を皆殺しにするのだ。嘘をつくのはいつものことだが、このときばかりは心苦しかった。
そのとき、澄んだ声がした。
「白夜さん、いきなり飛び出して行くとは。……まあ、タマさん。誰にやられたの?」
後から晃子さまがやってきて、タマに訊く。二藍の着物に金と黒の市松模様の帯をしていて雅やかだ。しかし最後の声は、とても低くて凄みがあった。
「母上、あちらにいる三隅の一家三人と、その使用人、ごろつき。それに用心棒を寄越している楠屋という高利貸し。あと、手は出していないが、高辻侯爵という年寄りが傍観していたな」
《そうだよ。ひどいんだ》
《もっと早く白夜を呼べば良かったのに》
イナサとヒカタが空中に姿を現して、ぶつぶつ文句を言っている。
「おまえたち、白夜さんの守護なら、何故報せなかった」
晃子さまが子どもたちを睨んだ。
ひえっ、と二人は白夜の背に隠れる。
《お使いを頼まれていたんだよう》
《さっき戻って来て、ここンちの幽霊に聞いたの》
「さよう。お二方を責めなさるな、高貴な御方」
と、晃子さまの前に旦那様が姿を現し、片膝をついた。
「ここで会ったのも何かの縁。我が復讐にお力を貸していただきたい」
「ふん」
と、晃子さまが鼻で嗤う。
「ほざくな。たかが幽鬼の分際で。復讐などより、わたくしの義娘を傷つけたことが許せぬ」
ざわり、と周囲の空気が動いた。晃子さまの結い上げた髪がほどけて、ばさりと背に落ちた。両目が金色に光り、するすると額に二本の角が生える。
「来よ!」
晃子さまが右手を挙げた。すると、そこに吸い込まれるように天の星々が集まってき、星のなくなった夜空は漆黒の闇となる。
ざわざわと、闇の中から異形のものたちが生まれ出て来た。飛ぶもの、細長いもの、這うもの、人に似てヒトでないもの、皿やひしゃくに手足が生えたものたちが幾万と。
(小さい頃、蔵の中にあった本で見た、もののけたちだ……)
「母は、仏法に帰依した夜叉女の生まれ変わりで、過去世の記憶と神通力を持ったまま転生したんだ」
と、白夜が告げ、タマを横抱きにして持ち上げた。
「あ、あのっ」
「暴れると落ちるよ」
タマに言った白夜は、振り向かないまま背後に命じた。
「小林、この地域を管轄する警察に連絡をして踏み込め。殺人、詐欺、窃盗、暴行。あの一家、三隅伯爵殺し以外でも、叩けば埃がいくらでも出そうだ。証拠もすぐにそろうだろう」
「はっ。ただちに」
小林が裏門から姿を消した。
本邸では、悲鳴と怒号が上がっている。ガシャン、バリン、と物を投げつける音、割れる音も。
「ひいっ、ばけもの!」
「このやろう、来るんじゃねえ!」
「いやああっ。助けて」
「金なら、やる。だから、あっちへ行け!」
「だれかあっ」
憲武の一家を残して、もののけたちはヤクザ者と使用人たちを持ち上げ、振り回し、獲物を掴んで百鬼夜行を開始する。
行列は楠屋と高辻侯爵の屋敷まで続いた、とタマはあとでイナサとヒカタから聞いた。白夜の腕の中で気を失ってしまったので、記憶が途切れているのだ。




