お嬢様と小間使い 2
翌日、朝食が終わったあと、同室の女中たちが荷造りをし出した。
「どうしたんですか」
「出て行くんだよ。執事の高野さんが交渉してくれて、さっき知らされた。今までの給金がすぐに支払われるって。今のうちだよ」
「そうさ。夜の騒ぎを知らないのかい。あの女の……奥様付になった女中のおもんが楠屋から来ているやつらに手籠めにされそうになったんだ。なんとか逃げたんだけどね。楠屋ってのは、悪どい高利貸しで、情け容赦がないんだ。その取り立てをしているヤクザもんさね。誰も逆らえないんだよ。あんたも、行くとこがないなんて言ってないで、さっさと逃げな。酷いことされる前にさ」
と、二人とも荷物をまとめて出て行ってしまった。
その日は屋敷中の使用人たちが去って行った。執事と女中頭と料理人もだ。残ったのは、お嬢様の世話をしているばあやのキヨとタマだけだった。
今までいた使用人が出て行った午後、憲武と楠屋の知り合いだという者たちが入って来た。どいつもガラが悪そうだ。
そんな騒ぎの中でも、憲武の娘の佐和子は彰浩を仕事中にもかかわらず呼び出し、お嬢様に見せつけるように庭を二人で散歩してから出かけて行った。
憲武の妻の邦子も朝から呉服商を呼び出し、高価な着物を何枚もツケで買っている。
(ババアとスベタには、悪夢を送っとくか)
タマはさっそくそれを実行に移したので、その夜から邦子と佐和子は悪夢に悩まされ、憲武も頭と胸と右足が痛み出したので、その激痛で泣き叫び、医者が呼ばれて大騒ぎだ。
でも、それも三日続いただけだった。憲武が一人の男を呼んだ。
(十郎太……)
廊下を拭き掃除していたタマは、その姿を見ると物陰に隠れた。
新しい女中頭は、お嬢様付の小間使いであるタマを本邸の掃除・洗濯にこき使う。二人女中が入ったけれど、さぼってばかりで仕事を全部、タマに押し付ける。女中たちの仕事は、もっぱら男たちの相手だ。こいつら元女給じゃないか、とタマは思っている。
タマは十郎太が入って行った部屋を庭から回り込んで窓から中をうかがい見た。
元客間の洋間にはベッドが入れられ、憲武の寝室となっていた。カーテンが少し開いている。
(十郎太……だよね)
洋装した十郎太は十八歳ほどに見える。
(でも、三年前と変わっていない。私がこいつを〝十郎太〟と名を知ったのは、どうしてだったか)
三年前の冬、ウロの前に子どもたちが集められた。監視をしていた使用人たちの話から、茅野の血を引く者だけでは足らず、是枝の血筋の者も入れられたと知った。でも、名なんてお互い知らないままだ。
(そうだ、父が『十郎太』と呼んだ。だから、名を知っている)
ウロの子どもたちを屠った十郎太は、大柄で十三歳とは思えなかった。そして体格は今でも変わらない。なぜ?
(あの儀式には、私が知らない他の理由があるのだろうか)
つらつらと考えていると、憲武の声がした。
「おう、素晴らしい。痛みがなくなった!」
「家族の病も癒えるだろう」
十郎太の平坦な声が答えている。
(術が破られた!)
十郎太は一人前の術師に育ったようだ。
「主からの伝言だ。『依頼を受けるのは、これで最後にする。疾く金を払うように』と」
「なんだと、金の亡者が。殺ったのは、私だ。おまえは手を出していないだろうが」
「潜入までが俺の受けた依頼だった。殺すとなると、高辻侯爵にばれる。それは互いに良くないと思う」
「くそっ。分かった」
しぶしぶ憲武は頷いた。
十郎太が部屋を出て行く。
(殺しの片棒を茅野家が担いだ? 茅野家の陰陽師はお上にお仕えしているから、金で術を売らないはずなのに? それに高辻侯爵って、お嬢様の母方のおじいさんじゃないか。関係があるのか?)
今の会話から、さまざまな疑問が湧いてくる。
そのとき、「タマー。どこいったんだい」と女中頭の呼ぶ声がした。
タマは、抜き足差し足でそこを離れ、女中頭の前まで行き、「仕事が遅い」と言って殴られた。
女中頭が代わってから、いつもこうだ。たいした理由もなく、殴られる。たまに酔った男たちに遭遇すると、気晴らしに殴る蹴るの暴行を受けた。だから、なるべく会わないよう、こっそり動くことにしている。
その日、仕事が終わった夕方、離れへ戻る途中で憲武が出て来るのを見かけた。
タマはとっさに植え込みの陰に身を隠して、やり過ごした。
と、離れの方から悲鳴が聞こえた。
駆けつけ、戸を開けると、水屋の土間でお嬢様が包丁を持ち出し、胸に突き立てようとしているのを、ばあやが止めようと取っ組み合っていた。
「ハッ」
タマは手印を作り、息と共に〝気〟を投げつけた。
カラン、と包丁が土間に転がる。
お嬢様がへたり込み、泣き出した。
「どうなさったんですか?」
「どうもこうも。あいつがお嬢様を遊郭に売るって言うんだよ。そして私には、今すぐ出て行けって。行かないと腕の一本もへし折るって脅すのよ」
「外道が」
タマが吐き捨てた。
「キヨさん。私は出て行けって言われてないよね」
「ええ、でも置いても四十九日までで、お嬢様もその法要が済んだら、遊郭に連れて行くと」
ふう、とタマは息を吐いた。そして、お嬢様の前に正座する。
「お嬢様、辛く悲しいのは、お察しいたします。私は孤児です」
本当は母と弟がいるけど、もう会うこともないから、孤児も同然。
「過去の記憶を失い、行き倒れていたところ、お嬢様と旦那様に助けてもらいました。私に頼る相手はいませんが、お嬢様にはどうです?」
「母方のおじい様がいらっしゃるけれど、うちとは仲たがいしているから、だめよ」
しゃくり上げながら、お嬢様が答えた。
「それでも、自分の血を引く孫が困っているのに、手をさし伸べないなんて不人情はなさらないでしょう。手紙を書いてはどうですか?」
「そうです、お嬢様。私がここを出て行くときに高辻様のお屋敷へ届けます。それなら、怪しまれないです」
ばあやのキヨが勢い込んで言った。
タマとキヨに説得され、よろよろとお嬢様は立って、土間から上へあがった。そして離れに持ち込んだ勉強道具のノオトを破って、手紙を書いた。
キヨはそれを胸元に隠し、荷物をまとめて去って行った。
「おじい様が来てくれなかったら、どうしよう」
タマが整えた膳を前にして、お嬢様がつぶやいた。膳の料理は、キヨが作ったものだ。離れには水屋があるので、煮炊きができ、ここに押し込められてからは本邸から届けられる米や野菜でキヨが食事を作っていた。
「待っても来なかったら、逃げましょう」
タマの言葉に、お嬢様が顔を上げた。
「逃げられるかしら。逃げても……それから、どうすればいいの?」
「お嬢様が通っていらっしゃる女学校では師範になる道もあります。育英制度というものがあるとも聞きます。裏店の長屋に住まいを移しても、学校へはかよいましょう。連れ戻されそうになったら、警察署に駆け込むんです。たいへんな苦労をされることになりますが、女の身であっても働いて生きていく道はあります。それでもだめだったら、芸者になりましょう。同じ身を売るなら、他人ではなく、自分で売ったほうがまだ覚悟ができます。お嬢様は英語の他にはお琴や日舞も得意でしょう?」
「ええ、好きよ。でも、芸者さんになるほど上手じゃないわ」
「お嬢様なら、師範でも芸者でも、なんにでもなれます。伝手が出来れば、英語の翻訳もなさればよろしいかと」
ふふ、とお嬢様が久しぶりに笑った。
「タマと話していたら、気が楽になったわ。そうね、おじさまにやられっぱなしでは腹が立つわね。きっと逃げましょう」
「はい。しばらく私のみがお世話をすることになり、ご不自由をおかけしますが、お心を強く持ってください」
と、タマは頭を下げた。
「まあ、タマ。私でもご飯は炊けるわよ」
お嬢様の明るい声を聞いて、タマもほっとした。
タマは離れにお嬢様が一人でいる間、ヤクザ者たちが入って来れないよう、毎日結界を張った。
それでしばらくは過ごせると思っていた。
けれども、現実の厳しさは遥かに上をゆく。
新しい料理人は意地悪で、お米を一日に一人分しかくれない。
「一人前の働きをしていないじゃないか」
女中頭がそう言って、食べ物を満足にくれないのだ。料理人もその指示に従っている。
夕方、一人分のお米が入った袋を持って離れに戻るタマを、お嬢様が笑顔で迎える。
「大丈夫。お粥にすれば、かさが増すわ。二人で食べましょう」
味噌や醤油、塩などの調味料はまだ水屋にあったので、味噌をおかずにして飢えをしのいだ。
法事のために来るはずの僧侶は、屋敷にいるヤクザ者を恐れて訪れることがない。御用聞きも同様だ。人の出入りがないため、逃げる隙を見つけられなかった。
(高辻様は、実の孫のお嬢様を見捨てるのか)
キヨが去って七日も経つのに、誰も助けに来なかった。
限界だ。
お粥ばかりで、お嬢様が日に日に衰弱していく。
タマもやくざ者たちに殴る蹴るの暴力を受け、あばら骨を折ったのか、そこがひどく痛む。女中頭に叱りつけられ、掃除や洗濯をするのだが、痛みに耐えているのでさらにどんくさく、やることなすこと遅い。
しかしアレだけは、タマが虐待を受けているのを喜んで、その力を増している。
(一人を呪うだけじゃだめだ。こいつら全部をやらないと)
タマは、アレの力を使う決心をした。自分の命と引き換えに、全員を殺す。
(だけど、お嬢様だけは……)
タマは夜になり、お嬢様を寝かしつけてから離れの外に出て、斎木白夜からもらった折り鶴を空中に投げた。
紙は白い鳥となって飛んでいき、夜空に消えた。




