呪詛(じゅそ)と祝詞(ことほぎ)
「呪」と「祝」という字は似ていながら、両極だ。呪は相手に「禍あれ」と神に願う。「祝」は「良きことあれ」と願う。
〝人を呪わば、穴二つ〟という言葉があるように、人を恨んで呪えば、自らの身も亡ぼす。
呪禁師が人を呪って、そのたびに身を滅ぼしていては、仕事にならない。古代の呪禁師はその悪業を避ける術も知っていた。
是枝家では、これは一子相伝の術だった。だから、弟の暁月は知らない。弟は父から陰陽師流のその術の手ほどきを受けたことだろう。
「つい思い出してしまった」
タマは弟のことを頭から追い出した。
三人同室で寝起きしている女中部屋へ戻り、人がいないのを確認して足台を持ってき、それを部屋の隅に置いて足台に乗り、両手を伸ばして天井の板をずらした。手探りして布包みを持って、降ろす。
埃をはたいて風呂敷包みを解くと、中から小さな畳が二枚と和紙にくるんだ針、そして薄紙に包まれた幣が出て来た。
「給金を貯めて、作っておいて良かったあ」
針と畳板は特注品だ。呪いに使う道具だった。
次にタマは押し入れにある自分の行李を引っ張り出した。蓋を開ければ、中はぐちゃぐちゃ。
「あの警官たち、証拠がないか、探しやがったな。あるわきゃないのに」
タマの持ち物は、今着ている帯と冬用の袷一枚とお嬢様がくれた綿の入った、ちゃんちゃんこ。夏用の単衣一枚。洗い替えの腰巻と長じゅばんだけだった。あと、呪い用に使おうと買い置いた筆などの筆記用具と和紙数枚。
タマは風呂敷包みに筆記用具と紙を突っ込み、腰巻と長じゅばんを持って、旦那様の寝室へ向かった。
旦那様が殺された部屋に、白木の祭壇とお骨と位牌が置かれている。憲武の命令だ。お供えの花の水替えなどは、この部屋に誰も近寄らないので、タマに仕事が押し付けられた。だから、七日ごとの経を読む坊さん以外、誰もここには来ない。お嬢様は離れに閉じ込められているし。
「タマ、何をするつもりなんだい?」
旦那様の幽霊が興味津々な様子で出て来た。昼間なのに。
「ちょっと儀式をいたしますので、邪魔しないでくださいませ」
と、答えたタマは、ふと気づいたことを尋ねてみた。
「そういえば、お葬式に奥様のご親戚が一人もいらっしゃいませんでした。どうされたんでしょう」
「ああ、それか」
旦那様が空中で座った格好をして足と腕を組む。
「妻とは相思相愛だったのだが、身分違いでね。反対を押し切って結婚したのを舅どのは面白く思っていなかったのだ。美知子が生まれてからは親戚付き合いをしていたのだが、妻が亡くなってからは音信が途絶えてしまった。妻の父上は、高辻侯爵閣下。開戦派の重鎮で、私の政敵にあるお人だ」
「なんとも面倒な」
どこの家も何かしらあるものだ。
「でも旦那様、お嬢様が苦境に立たされているこの時、生きている間の恩讐など忘れて、夢枕に立つなりなさって、おすがりしたらいかがですか?」
「あの舅どのの夢に出るのか」
うーん、と幽霊の旦那様が考え込んでいる。
「私はこれから準備をしますので、もう話しかけないでくださいまし」
タマは幽霊を無視し、部屋の外に出た。水場へ行って手を洗い、口をすすぐ。本当は精進潔斎をしたいところだが、略式だ。
部屋へ戻ってくると、着物を脱いで洗いたての綺麗な腰巻と長じゅばんに着替えた。これも本来は新しい衣が望ましいのだけれども、替えの着物がないタマには下着を替えるくらいしかできない。
そして風呂敷包みから畳と針と人形の紙と幣を取り出した。
儀式を行う前の特別な呼吸法を行う。その後、再拝二拍手。幣で祓い、心の中で招神を行う。一枚の畳の上に人形を置き、それより薄い畳を被せる。
四寸八分の針を両手で捧げ持ち、念を込めて右手に針を持ち、左手で針先を畳に当てる。
「禁厭の一念を通す神の御針……」
ここに病気平癒だったら、その言葉を乗せ、呪うならそれを言う。タマは憲武に激痛が起こるよう、頭と胸とタマを蹴った右足に針をうった。
(殺しはしないよ)
タマは今まで呪いで人を殺したことはない。けれども先祖たちはそれをしたようで、是枝家のアレが付いた術師は、人を殺すごとにアレが邪悪に巨大になり、やがて術師の精神と身体を喰らう。アレが付いているのは夕月と暁月。でも半々ではなく、夕月が三分の二、暁月が三分の一に何故か分裂している。
今、夕月ことタマに付いているアレは、タマが痛めつけられたことにご満悦だった。そう、今はそれだけで済んでいる。
タマは送神をし、再拝二拍手をして、『蔭針の呪法』を終えた。
針をさしたままの畳を、タマは白木の祭壇の後ろに隠した。こんなところ誰ものぞかないだろう。呪法が成就したら、『神楽の秘文』を唱えながら針を抜けばいい。
「旦那様」
と、タマは祭壇の前に坐り直し、告げた。
「これをやって憲武が改心せず、まだお嬢様を虐げるようだったら、私は大威徳明王の調伏法によって、あやつを呪殺いたします」
と、遺骨に向かって額づいた。
この術は、命がけになるだろう。けれども、二人からは大恩を受けている。恩人を殺し、苦しめるやつに、やらない選択はない。
幽鬼はそんなタマを哄笑し、姿を消した。




