ウロと少女
明治維新は遠く年号も大正と代わり、各地に鉄道が通って帝都では洋装の婦女子も現れ、オペラに新劇、レヴュー。ミルクホール、パーラー、カフェなどの西洋文化が花開いていた。けれども地方に行けば、いまだ古い因習のまま人びとが暮らしている。
(あと、もう少し)
小正月(一月十五日)。十三歳になった茅野夕月は、この地方の成人の儀で放り込まれた山の洞の隅で目を閉じて身体を丸め、時間が経つのをひたすら待っていた。
大勢の人が戦う音。悲鳴とうめき声、そして血の匂い。
一つだけあるランプの光の下で、薄闇の中、惨劇が繰り広げられている。
吉野にある山奥のこの村、茅野男爵家の領地に住む分家の子どもたちは十三歳になると集められ、この洞に入れられて殺し合いをさせられるのだ。家の長男長女以外の子どもは男女問わずすべて。
夕月は本家の娘だったが、次女で妾腹なので入れられた。死んでもいいから。本家にはすでに正妻の娘と跡継ぎの男子がいるので、夕月はいらない子だ。
ここは蟲毒を造る洞。
ただし、食い合わせるのは蟲ではなく、人だ。殺し合わせ、生き残った一人を妖術使いの暗殺者として育てるのだ。
茅野家は陰陽師の血筋で、それも宮中での汚れ仕事を請け負ってきた家系だった。公家の末端であったが、その役割ゆえに明治となってからは男爵位を賜り、裏の仕事を引き受けながら表向きは紡績業に携わり、成功していた。
妾を持つのは違法でなく江戸の頃からの風習で、家を絶やさないために妾を迎え、後継を作る。夕月の母の華月は跡継ぎを産むために隣村の是枝家から買われた妾だった。茅野男爵の正妻は子爵家の娘だったが、娘の鹿野を産むとき難産で、もう次の子は望めないと医師から告げられ、すぐに当主の茅野高治は華月を迎えた。
裏の仕事を知らない正妻の蔦子は、「娘に婿をとればいい」と反対したが、茅野家では陰陽道に精通した者が当主となる条件があることから、高治は男子による血の継続を望んで妾を持ち、最初に女子を次の年には男子を得た。その女子が夕月だ。
母の実家は呪禁師の家系だった。奈良朝の頃、呪禁師は独立した部署だったのだが、陰陽道が盛んになると共通する術が多いことから、陰陽師の下に組み入れられた。華月の実家は茅野家のもとで長年働いていたため、男爵の要請を断ることができなかった。
夕月の母・華月は、この成人の儀で娘が命を落とすのを恐れ、幼い頃から娘に呪禁の術を教えた。それは確かに今、役立っていた。
(全部終わるまで息をひそめているの)
夕月は寒さで震える自分を両腕で抱きしめて、そう自分に言い聞かせていた。
やがて、洞の中央に一人の少年がすっくと立った。もはや、うめき声さえ絶えている。
夕月は目を開けた。
全身返り血で真っ赤。腰のあたりにぼろ布をまとっただけの少年が、感情のない瞳をこちらに向けた。
(ひっ)
上げそうになった悲鳴を抑え、夕月は息を止める。
そのとき、洞の戸が開き、光が差した。
「おう、残ったのは十郎太か。よくやった」
光を背に入って来た三つ揃えの洋装姿の男は茅野高治男爵。夕月の父だった。齢は四十になったところだ。
「来なさい」
少年をさし招き、男爵は出て行こうとした。
「ねえさん、夕月!」
その脇をすり抜けて、上着にシャツとズボンといった洋装の少年が入って来た。
「ひどい。せめて遺体だけでも……」
「探すのはやめておけ、暁月。無能はいらん。死亡届くらいは出してやるがな」
男爵は生き残った少年を伴って、上機嫌で去って行った。
暁月と呼ばれた少年は、まっすぐ夕月の前までやってきた。
「無能はどっちだ。阿呆が」
と、吐き捨てた。
「隠形の術を使ったね。夕月、よく生き残った。あの阿呆が気づかなくて良かったよ」
暁月は優しく声をかけ、夕月の前にしゃがみ込んだ。
「そのままで。後片付けの使用人たちが来る前に、逃がしてあげるよ。生き残ったのは幸いだったけれど、ぼくたちは幸せになってはいけないんだ。それを忘れないで」
泣きそうになりながら、暁月は微笑んだ。