幕間、二
・屋島出版『21世紀の高校世界史』の巻末付録『かんたん世界史年表』より一部抜粋
395年…ローマ帝国東西分裂。
1453年…コンスタンティノープル陥落。
1914年…第一次世界大戦。
2000年…大災厄。
2001年…(前略)第5次レヴァント戦争。聖都封印会議発足(後略)
2002年…(前略)クリスマス・イヴ平和条約。大災厄ならびに世界同時多発紛争の終結が宣言される。国際連合は世界復興機構(WRO)へと発展的に解消。
・とある女神の回想
古代都市ウガリト。
交易の中継地として栄えた、人類史上最古の都市の一つ。海の民の侵入により破壊され、20世紀に発掘が開始されるまで歴史から姿を消す。
その、忘れられた物語の裏で繰り広げられた、神々の戦いの記憶。
こんな話がある。
神王は無能だった。
全てを司る権能を持ちながら、やる気が微塵も感じられない。かつては違ったと聞くが、過去の栄光ほど価値のないものは存在しない。
というわけで、誰かが代わりをやらねばならない。神々の王を代行する存在が必要だ。
私…アナトと双子の妹、愛の女神アスタルトは、全てを見通す眼を持つ太陽神シャプシュと共に、一柱の英雄の側に立った。
その名はバアル。暴風雨を司る神。私たち双子の兄であり、たった一つの愛の対象。
勿論、みんな仲良くハッピーエンド、という訳にはいかない。邪魔が入るのは世の常だ。
最初の敵は、水域の龍神、ヤム=ナハル。バアルとは、農業において欠かせない水を共に司る、宿敵といえる存在。
私が出れば、龍神だろうと神王だろうと十秒もあれば八つ裂きにできる。けれど、バアルはそれを良しとしなかった。
「僕がやらなきゃ、みんなついてこない。
鍛冶の神に武器作ってもらったし、とりあえず単騎で突っ込んでみるよ。あ、ヤバくなったら助けてね」
バアルは見事勝利した。もっとも、ヤムを殺し切るのは不可能だったので、神王を脅して建てさせた宮殿の地下牢に封印した。それでもたまにリスポーンして、その度に仲良く殺し合いをするのが恒例行事となった。
めでたしめでたし、と言いたいところだったけど、また邪魔が入った。しかも、もっと性格の悪い類の。
「死の神、モート…生命の象徴たる嵐を司る兄様との相性は最悪です。間違いなく死にます」
「…うーん、そうだね。じゃ、死んでくるから、後はよろしく」
「は?」
バアルは惨敗して死んだ。だが、私たち純正の神は、永遠にして不滅。単に、冥界に囚われただけだ。
「世界の半分を貴方に授けましょう。だから兄様を…バアル様をお返しください」
なので、モートに頼みに行った。
「嫌だね。半分と言わずに全部欲しい。君も、アスタルトも含めてね。神々の王にふさわしいのは、この私だ」
断られた。
「あはは…じゃ、ご機嫌よう!」
隠し持っていた剣でモートを真っ二つにした。そのまま細胞レベルまで分解してばら撒いた。「死」の概念そのものであるモートもまた不滅ではあるが、バアルを冥界から解放することには成功した。
「…一度自分を殺させて、私に救出させることで『死』を克服する…そういう作戦だったのですね」
「言ったら、絶対アナトは止めにくるだろ。だから、黙って突っ込ませてもらった」
「二度としないでください。次は兄様もミンチにします」
「…申し訳ございません」
どうしてそこまでして、と思う。
王権など、正直あまり価値のあるものには思えない。兄様がそれにこだわるのは、あの下等な世界に住む、人間とかいう種族のためなんだろうけど…。
兄様は、私たちと同じ輝きがある、と彼らを評した。
観察してみる。確かに、私たちに少し似ているような気がしないでもない。心があり、言葉を話す。
試しに一人、殺してみた。宝物を捧げるように説得しても聞かず、面と向かって私を罵倒してきたアクハトとかいう王子様。神に逆らうとはなんと愚かな、と神官を鳥人間に改造して戦わせたら、王子はあっさり死んだ。どうやらこの動物たちは、私たちと違ってとても脆いようだ。一つ、勉強になった。
ただ、アクハトを殺したのは少しマズかったらしい。
「アナトってば、少しは自重しなさいよね。兄様、モートに頭を下げてアクハトの死を無かった事にしたり、復讐心に燃える彼の妹に武器を貸して怪物退治をさせたり、色々大変だったんだから!」
バタフライ・エフェクト…世界を旱魃で滅ぼしかけ、兄様を困らせてしまった。アスタルトに怒られた。アナト、反省。
なので、今度は殺しても良さそうなのを殺すことにした。
とある都市国家で、戦勝を祝す宴が開かれている。
殺した同族の数を自慢し合ったり、戦利品を誇らしげに掲げたりしている。ありふれた光景。なのに、何故かは分からないけど、無性に腹が立った。
その時、声が聞こえてきた。
「許せない…お父様に…お母様も…!この人達と…仲良くしたいって言ってたのに!
神様…どうかこの者たちに裁きを!」
戦利品の…一つのようだ。敵国の姫。暗い感情に心を焼かれている。…可哀想に。
分かった。その願い、聞いてあげる。
「ちょっと身体、借りるね」
少女を依代にして、顕現する。狩りの時間だ。
13秒間。誇りにかけて、狙った獲物は一匹たりとも逃さなかった。
膝の高さまで、赤い水に浸かっている。
「アハハ…仇を…女神様が…かタきを取ッてくだサイました!アハハ、アーッハッハッハ!」
生き残りは一匹だけ。金切り声、狂った笑いが宮殿に虚しく響いていた。
…こいつら、何なの?
「あーあ、派手にやっちゃって。駄目だよ、アナト」
「何故、駄目なのですか。彼らは獣です。脆くて、穢れた、何の価値もない動物たちに、どうしてそこまで肩入れなさるのですか。理解できない。私には、理解できない!」
「落ち着いて、アナト。確かに、言いたいことは分かるし、正論だとも思うけれど。私や、バアル兄様には見えるの。可能性が、いずれ私たちの座へと辿り着けるほどの」
あり得ない。神と人間は決定的に違う。だけど…バアル兄様とアスタルトがそう言うなら、信じてみることにしよう。
そう、思ったの。本当。
…それなのに。
バアル兄様も、アスタルトも信じていたのに!
あれほど、良くしてやったのに!
最後に返ってきたのは、邪神として私たちを罵倒する声!
私の愛するものを、辱めて満足か!
私の大好きなバアル様を、悪魔に貶めて、それで何か、価値のあるものが生まれるというのなら見せてみろ!
可愛いアスタルトに、よくも汚名を被せてくれたな!許すものか、お前たちを許すものか!
…だけど、もう、何もすることはできない。
確かに、全能に限りなく近い権能を、神は振るうことができる。やろうと思えば、現実を好きに書き換えることも。玩具で遊ぶみたいにね。
でも、三次元宇宙の強度で、無制限の干渉を受けてみなさい、たちまち時空連続体がぐちゃぐちゃになってしまうわ。
だから、普通はきっかけが必要。人々が幻視する神話の物語や、社会に根付いた信仰、あるいは時空の乱れ。そういったものと、諸々の条件があってはじめて、私たちは世界と接続できる…そういう合意が上位存在には存在している。
だから、もう、誰一人として私の名前も、物語も知らない中世以降の世界では、私は機能停止をせざるをえなかった。
だけど、私は再び目覚めてしまった。
あたりに広がるのは、無人の荒野。遠くに、「聖都封印会議の権限により、立ち入りを禁ず」と書かれたフェンスが並んでいる。
即座に状況は理解した。2000年の大災厄、南極への隕石落下に始まったソレは、世界中で紛争を誘発・激化させた。どうやら、ウガリト遺跡の周辺は完全に無人化してしまっているらしい。
これは、通常の世界線では起き得ない展開だ。少なくとも、21世紀初頭においては、こんなことは起きないはず…。
「この気配は…極東の太陽神…?」
…なるほど。大災厄は、破滅を防ぐ次善策だったようだけど…まあ、私にはあまり関係のないことだ。
…それよりも、出力の低下が激しい。意識を保てるのは、せいぜい数時間といったところだろうか。
考える。
大災厄並びに世界同時多発紛争の死者は28億人。そのうち、13億人は純粋に災害に巻き込まれて死んだようだ。じゃあ、残りは?
餓死したか、殺されたかのどちらかだ。
…危機においても、崇高な理念や苦しむ同胞より、自らの醜い本能を優先させてしまう。しかも、資源を食い荒らし、時間を浪費し、自分で自分の首を締め上げているのに気づきもしないか、気づいてもやめることができない。
ああ、そうか。
言葉と外見に騙されていたけれど…こいつらは、知恵あるヒト、などと呼ぶに値しない。
害獣だ。
この星は害獣の楽園だ。
なら、狩人がすべきことは一つ。
害獣は、一匹残らず駆除されるべきだ。