恋焦がれて
【登場人物】
・長谷川 肇・・・主人公。幼少期から内気で、自ら友達を作る事が出来ない。玲子に片思いをする。
・一橋 海・・・はじめの幼馴染。顔が広く、玲子と恋をする。
・内山 玲子・・・小柄で、肌が透き通って白い。内気で、おとなしい子。
・翠山 樹・・・はじめの小学校時代の友達。
・綿貫 綾子・・・小学校5・6年生時の担任の先生
僕、長谷川 肇が生まれたのは、九十年代後半。時は世紀末であり、バブル崩壊の余波に、まだ社会が苦しんでいた頃。僕に当時の記憶は無いが、今思えば、そんな時期に僕を生んで育ててくれて、両親は本当に偉大だと思う。
僕の覚えている限りの最初の記憶は、既に二千年問題(西暦二千年になる瞬間に大規模停電や、インフラの狂いが起こるであろうとされた、重大事件。実際には、何も起こらなかった)よりも後。初めて積み木で遊んだ「海くん」との記憶だ。
途中で何度も崩れながら、何とか「お城」を完成させ、途轍もない達成感を共有した記憶がある。彼とは、幼稚園で同級生、クラスメイトであり、その「最初の記憶」から、お互い何となく遊ぶようになった。
最初に僕を誘ってくれたのは海くんであったが、彼はとても積極的に色々な人を誘い、いつも輪の中心にいる。僕にとっては雲上の人であった。それゆえ、彼に声を掛けられるだけで何でも一緒にやった。砂遊び、鬼ごっこ、時にはいたずら。勿論、大人をからかうことは許されないが、子供とは、まだ分別がつかないもの。嬉々として幼稚園の先生にいたずらを仕掛け、二人でよく怒られた記憶がある。
とにかく、海くんがいないと僕は何もできず、そして海くんはませていた。当時、女の子たちともよく話し、皆に愛されていた海くんだったが、特に思いを寄せていた女の子がいたようだ。
彼女の名前は「内山 玲子」。あまり目立つ方ではないが、その透き通った白い肌とショートヘア。石鹸の良い香りに、僕もついドキッとしてしまう事がある。しかし、海くんと違って、幼稚園に通っている間、「恋」を覚えたことは無い。
そもそも、恋とは何かも知らない。海くんは、当時から僕より何歩も進んでいたのだ。
僕はといえば、男子は男子。女子は女子同士でつるむものだと思っていたので、女子という「別次元の生き物」に話しかける事は出来ず、ただただ海くんにとって、「僕の番」が来るのを待っていただけの小心者だった。
そんな僕でも、海くんが内山さんに想いを抱いていることだけは分かった。彼女に話しかけるときだけ、ビッグマウスになる。自分をよく見せようとしているのは僕の目にも明白で、それでも誰もが海くんと「仲良し」だった。
僕はと言えば、海くんに誘われない間は、絵本を読んだり絵を書いてみたり、今思えば、我ながら将来につながる遊びをコツコツとやっていた事は良かったと思う。そして、一人遊びと賑やかさの表と裏をバランス良く楽しめた幼稚園時代でもあった。両方とも苦痛でなく、海くんには今でも感謝している。
そして、僕と海くん。内山さんを含めて、主な顔見知りは、ほぼ同じ小学校へ上がった。小学一年生のクラス分けでは、不思議なことに、僕と海くん、内山さんまでが同じクラスになった。
また幼稚園の時のようになるのかな? そう思っていた。
しかし、海くんは変わらずに集団の輪の中心にいたが、僕には新しい友達ができた。彼の名前は、樹。二人で毎日雑談したり、お互いにちょっとしたプレゼントを贈ったりした。
二人で「ポケットモンスター」にハマり、毎日進捗を報告しあったり、嬉しかったこと、良いこと、悪いことなどを語り合っていた。
僕がずっと樹くんといたせいか、海くんとは、疎遠になっていった。しかし、遠目に見ている限りでは、効果はないのに、内山さんと話す時だけ、ビッグマウスのアピールを続けていた。
「変わらないな」
と苦笑しながら、いつか二人は結ばれるのだろうかと、興味を持っていた。
僕らの小学校では、二学年ごとにクラス分けされる。小学三年生のクラス分けで、ついに僕は海くん、内山さんと別のクラスになってしまった。しかし、風の噂では、二人はイイ関係になったらしい。僕は、
「良かったね」
という思いでいっぱいだった。
なぜなら、幼稚園の時にあれだけ遊んでくれて、しかも内山さんを振り向かせるために、あれほど努力していたのだ。人が努力する姿は美しい。そういう訳で、祝福の言葉の一つでも言いたかったが、中々会う事が無く、また、その情報も確かなものではないため、ますます海くんと疎遠になっていった。
一方で、樹くんとも別のクラスになってしまい、僕は、休憩時間に「一人遊び」を延々と続けていた。特にお絵描きが好きで、「デッサン」という言葉も知らずに、デッサンばかりしていた。
最初こそ、誰にも話しかけられない「ぼっち」であったが、次第に天才画家よろしく、クラスの中でも僕の絵が人気になっていった。他のクラスにもその人気が伝わり、内山さんも見に来て、とても楽しそうであった。
その時の海くんの暗い目。今でも忘れられない。これまでよく二人で遊んだ仲だったのに、僕を恨んでいたのかもしれない。
それからは、僕自身絵を描くことを止め、内山さんも来なくなったことから、海くんに恨まれることもなくなった。しかし、僕はまたクラスの「ぼっち」になった。海くんも遊びに誘ってくれず、絵も描かず、注目を浴びることも嫌になり、樹くんは別の子たちと遊ぶようになった。僕は、間違いなくカースト(集団の一番低い身分)になった。
それでも、海くんや、樹くんと遊んだ思い出にふけり、それ以外の時間は読書をしたり、仮眠を取ったりと、退屈な毎日を過ごした。僕は元来、自分から人の輪に入っていくことが出来ない。それ故、この退屈な時間は小学四年生まで続いた。
段々と海くんの事が嫌いになり、ガツンと一言言ってやりたかったが、それすらも出来ない小心者であった。海くんも、一度僕を恨んだ後、全く絡んでこなくなった。そう。小学五年生のクラス替えまでは。
僕は、その日、雷に打たれたような衝撃に見舞われた。そう。小学五年生のクラス替えの発表の日である。なんと、海くんに内山さん、樹君までが、そろって同じクラスに決まったのである。
僕にとっては気まずいクラス分けであった。海くんは、相変わらず、僕が内山さんを含めたクラスメイトの注目を集めるのを嫌うだろう。そして、おそらく樹君は、あれだけ遊ばなくなってから長く、今更声を掛けるのは気まずいだろう。
実際、僕にとってもこの両名との学校生活は、気まずいものになっていた。そういう訳で、「牛歩戦術」(わざと、牛の歩みの様にゆっくり歩くこと)を駆使し、ゆっくりと五年生の教室へと向かった。教室に入ると、いきなり海くんと目が合った。
「天才画家が来たぞ!」
海くんの第一声に、僕を含めたクラス中が驚いた。
その一声に振り返る人も多く,クラス中の注目を集めた僕は、牛歩どころか、退歩した。思わず、家庭科用のお裁縫セットを入れた手提げを落としてしまい、皆が二度見した。僕は、頭の中を数え切れないほどの危険信号が駆け巡り、思わず振り返り、逃げようとして何かに当たった。そして後ろに倒れてしまい、その「何か」を見上げると、それは、新しく五年生の担任になる「先生」だった。
「大丈夫? 気を付けてね」
その先生は、四十~五十代の女性教師だった。これまでも、この先生は校内で何度か見かけた事がある。眼鏡をかけていて、いつも硬いイメージだ。怒られるかと身構えたが、どうやら心配をしてくれているようだ。
「裁縫セットは壊れてない? 怪我は?」
そう言いつつ駆け寄って僕を立ち上がらせた。クラスの皆は、この新しい担任の先生がどんな人物であるか、推し量っていた。恐い先生? それとも優しい先生? 海くんは罪悪感があるのか、視線をそらし、席についてしまった。先生は、
「大丈夫? 何があったの?」
と、とても心配してくれた。しかし、海くんを敵に回す訳にはいかない。僕は必死に取り繕おうと、
「すみません。おなかが痛くて」
と言い、赤面しながらトイレへと逃げるように向かった。クラスの皆の笑い声を背に受けながら、僕は無事にトイレへ避難することができた。気づけば、冷や汗だらだらで、五年生の初日から悪夢を見た。
おまけに、今度は教室に行くのが、更に億劫になってしまった。仕方なく、ほとぼりが冷めるまで、トイレで時間を過ごした。一時間ほど経っただろうか? いつの間にか寝てしまっていた僕は、ようやく教室へ行く決意をした。勿論牛歩であったが。
教室に向かう途中、さっきの先生が待っていた。
「何をしていたの! どこにいたの! どうして今まで戻らなかったの! 」
さっきまで心配をしてくれていた先生だったが、やはり硬い先生だと思い知らされた。海くん抜きで怒られた経験が無く、更に、今後の展開を予測すると、今日は最悪の日になると悟った。そうして、半ば先生に引きずられながら教室に戻ってきた僕を、皆は嘲笑し、僕は小さくなっていた。しかし、助けてくれたのも担任の先生だった。
「こら! 笑わない。では、新しく担任となる、綿貫 綾子です。年齢は伏せますが、宜しくお願いします」
そこで、皆の関心は、見事に先生に移った。
「えー何歳なの? 」
「結婚してるのー? 」
僕は、そうして風景の一部に溶け込めるだけで、ホッとした。出来れば、このままオブジェでいさせてほしい。しかし、次の一言で地獄に落とされた。
「では、出席番号順に自己紹介を」
僕は絶望した。また、皆の注目を集めて、恥をかいてしまうのでは?
「では出席番号1番の青山 千晴君から、名前と簡単な自己紹介を」
「青山です。サッカーが好きで、少年クラブに所属しています。宜しくお願いします」
「では、次! 」
「はい、石嶺 聡子です。特技はありませんが、宜しくお願いします」
先に言われてしまった。僕が、そう言っておきたかったのに・・・。
「はい。では、内山 玲子さん」
「はい、内山です。多くの人と仲良くなりたいので、よろしくお願いします」
流石は、誰かさんのアイドルだな、と舌を巻いた。元来、僕は人の顔と名前を覚えるのが苦手。いや、覚える気もないので、その後、しばらくは退屈な時間が続いた。しばらく皆が挨拶する中で、段々意識がボーっとするようになり、そしてある一言で目が覚めた。
「一橋 海です。この学年で、友達が百人います! そうだよな、皆(笑)」
先生は冗談だと受け止めた。そして僕も。しかし、周りの反応は違った。クラスの九割以上の人が拍手を始めた。僕は動揺した。確かに人気者だけど、そこまでいくとは。どれだけ「友達」の敷居が低いのか?
綿貫先生は、
「拍手を止めなさい。どうして最初から拍手をしないの? 一人だけもてはやすのは許しません!」
と怒鳴り、一気にクラスの雰囲気が冷え込んだ。その後は、皆粛々と挨拶をし、それに対して、パラパラと拍手が起こる。そんな意味のない時間が続いた。僕も、
「長谷川 肇です。よろしくお願いします。」
とだけ挨拶し、樹君もそれに続いた。そして、それに続き、綿貫先生の訓話。
「皆さんは、これから二年間、このクラスメイトと過ごし、そしてこの小学校を巣立っていく事になります。くれぐれも、いじめや無視などないように。皆が笑って卒業できるクラスにしていきましょう」
と締めくくり、その日は解放された。僕は帰ろうと校庭を横切ると、海くんが走ってきて、
「おまえ何で逃げようとしたんだよ。俺は歓迎するつもりだったんだぜ」
と話しかけてきた。僕は、言葉に詰まり、
「いや、その。前の」
「信じろよ。幼稚園からのダチだろ。それに、お前は俺の百人の友の一人じゃないか」
と、気さくに話しかけてきた。僕はとても嬉しかったが、口をついて出た言葉は、
「あ、うん」
だけだった。海くんは、遠くでサッカーをしていた同級生たちに呼ばれて、
「じゃあな!」
と言いながら、僕の背中を二回叩き、その集団に向かっていった。どうやら、クラスの中で、オブジェとして生きる必要は無いみたいだ。それだけでホッとした。
そして、住宅街に立ち並ぶ中の一角にある、鉄筋コンクリート二階建ての我が家へ帰宅すると、半ドンで帰った僕のために、母がカレーを作ってくれていた。
「おかえり。冷蔵庫の掃除も兼ねて、あんたの好きなカレーを作ったからね」
「やったー。今日はいいこと続きだ! 」
早速カレーをお玉ですくってみる。この匂いは・・・学校のカレーと同じだ!
「これ、ルーは何使ったの? 」
「バーモントの甘口だけど。それがどうかしたの? 」
「学校の給食と同じだ! 市販のルーを使っていたのか」
「いいから、食べなさい」
「勿論。また作って」
あれ? 何かが違うと思ったら、お肉が見当たらない。何度かお玉でかき混ぜていると、母もその意図に気づき、
「冷蔵庫の掃除を兼ねるって、言ったでしょうが」
と言い放つと、それっきり、いつもの女性雑誌に目を落とした。
僕は、頬を膨らませながら、ご飯にカレーをついで一人寂しく食べ始めた。今日の海くんの言葉を思い出しながら・・・。
ご飯を食べ終えると、眠たくて、つい寝てしまったようだ。夢の中で海くん、そして内山さんが出てきた。僕は気づけば内山さんを挟んで、海くんと真反対におり、内山さんの取り合いをしていた。
「彼女は僕の物だ!」
「違う! 昔から俺の物だった!」
「このクソや」
そこで目が覚めた。心臓は早鐘を打ち、汗びっしょりだった。とても罪悪感を覚え、自分でも胸糞の悪い夢だった。あんなに良くしてくれた海くんを・・・。
そして、もう一つ。僕は内山さんのことが好きなのか? 自分でも、こんな夢を見たのは初めてだった。今まで何でもなかったのに・・・。
僕は、自分の中の顕在意識に、刷り込ませた。
「僕は、内山さんのことは好きではない。海くんのことを裏切らない」
と。しかし、明日からの学校生活で、海くんを裏切らずにいられるだろうか? 途端に学校へいくことが不安になってきた。
「いい一日だったのに」
そう呟きながら、すっかり沈みゆく太陽を眺めていた。
夕時、父親が帰宅し、家族三人でカレーを食べていた。僕は、今日夢見た複雑な心境を誰かに吐露したくて仕方が無かった。この夕食の時間は、それにぴったりであったが、のどまで出かかって中々言い出せなかった。やはり僕は小心者だ。父親は仕事帰りに、僕の為にたこ焼きを買ってきてくれて、その「散財」について母とけんかしていた。そして、母も色々文句を言いながら、結局は親子3人でたこ焼きをつついていた。
テレビの主導権は、この時間、父親が握っていて、いつも通りプロ野球の中継が流れていた。僕は結局、忘れたことにして、カレーとたこ焼きをほうばった。大丈夫。あれは、一時の悪い夢だったんだ。
きっと・・・。
次の日、僕は早くに目が覚めた。起きたばかりのクリアな頭で、昨日の夢について考え始めた。なんだか、今日は海くんに会いたくないな。そんなことを考えていると、いつの間にか学校へ行く時間になっていた。大丈夫かなあ。上の空で学校への通学路を歩んでいった。
教室に着くと、やはり海くんがいた。どうやら僕が来たことに気づいてはいないようだ。いつも通り、輪の中心にいて、そして内山さんも参加していた。僕は、すっかり内山さんを眺めながら、昨日の悪夢を思い出した。顕在意識では、好きではないと思う。しかし、僕の潜在意識は・・・。
授業が始まり、僕は早速「目立って」しまった。何をするのにも必要な筆記用具を、筆箱ごと家に忘れてきたのだ。
「誰か、貸してあげなさい」
綿貫先生は、ため息交じりにそう言うと、海くんが、鉛筆、続いて消しゴムを投げつけてきた。海くんを中心に、周りの皆は笑いながら、軽く頭を下げる僕を見ていた。僕と綿貫先生のため息が重なった。
「では、授業を始めます」
その後は、退屈な時間が続いた。教科書に落書きしたり、周りの人間はどう過ごしているのか観察したり。始業式の翌日の授業は、そのほとんどが復習に充てられるため、海くんに借りた鉛筆もあまり使うことが無く、教室にいる事だけが役目みたいなものだったのだ。
やがて、下校時間がくると、海くんに筆記用具を返しに行った。彼は、プレイボーイよろしく、内山さんとイイ感じで話していた。昨日の夢が頭をよぎる中、努めて冷静に、
「これ、貸してくれてありがとう」
と、事務的に返却しようとした。海くんは、
「お前、俺の鉛筆を落書きに使っていたな? 勉強には使ったのか?」
と意地悪く尋ねてきた。そこに内山さんが、
「やめて。長谷川君が可哀想」
と助け船を出してくれた。
海くんは諦めたように鉛筆、消しゴムを受け取り、
「またな」
と形式的にバイバイの挨拶をした。
僕は、相変わらずいいところを見せたいんだな、と思いながら
「またね!」
と、半ばホッとしながら挨拶をして、帰路に着いた。一言目に出てきた言葉は、
「あーあ、嫌な奴だった」
という感想だ。
何だか今日一日疲れた。勿論毎日疲れてはいるが。海くんが、ここまで嫌な人になっていたとは・・・。何が友達百人だと思いつつ、家に着いた。
リビングに入ると、珍しく父親が早く帰ってきており、母親と口論になっていた。それをかき消すように、
「ただいまー! 」
と、大声を出すと、二人はそそくさと口論をやめ、父親はスーツから私服に着替に行き、母は夕飯の支度にとりかかった。目が真っ赤になっていた。
「何かあったの? 」
「お父さんがね、会社をクビになったの」
「え?」
「だから、明日からどうするの? という話になってたの。まだ家のローンもあるのに」
「どうするつもりなの?」
「まだ決まってないの。突然のことだから」
嫌な予感しかない。まさか、離婚なんてしないよな。普段から馬の合わない夫婦だけに、僕は心配になった。海くんのことなんてどうでもよくなった。
それっきり、父親と母親は一言も喋らず、父は自室にこもり、母は夕飯を早めに作り終わってテレビを見ていた。明日からどうなるんだろう? その日の夕飯は、とても静かな中で粛々と進んだ。誰もテレビを付けないし、父も母も何かを考えているように、一つも言葉を発しない。僕は居ても立っても居られなくて、早めに夕飯を済ませた。
そして、自室に戻ると途端に、父と母は今後のプランを話し出したようだ。ぼそぼそと声が聞こえる。しかし、決してけんかをしている訳ではないみたいで・・・。
僕は明日何を言われるんだろう? もしかして給食費が払えなくなり、また皆の前で恥をかくのかな? もう大好きなすき焼きを食べられないかも。なんて考えていると、お風呂が沸き、母に呼ばれた。リビングに一度顔を出したけれど、父も母も何も語らず、それっきり話し声もしなくなった。
翌朝、母は高らかに宣言した。
「これからは、共働きをする」と。父親は職安へ。母はパートの勤め先を探しに、ママ友たちの所へと出かけてしまった。僕は、一人寂しく朝ごはんを食べていた。こんな朝は初めてだった。
その日以来、僕は、家で寂しい時間を過ごすことが増えた。
最初のうちは慣れなかったが、そのうちに「鬼の居ぬ間に洗濯」もとい、テレビゲームを好きなだけできることに気づいた。楽しい時間は増え、成績は急降下していった。しかし、最初のうちは夢中でテレビゲームばかりしていたが、段々飽きると、誰でも良いから一緒に夜まで遊べる友人が欲しかった。幸い、すぐに見つかった。
そう。あの海くんだ。彼の家は母子家庭になったらしい。原因は両親の離婚だが、母親が夜中まで働いているから、俺の夜の時間は自由なんだ。海くんはそう教えてくれた。僕としては願ったり叶ったり。そのうち、僕の父、母も深夜まで働き詰めになり、僕も「真夜中の自由」を手に入れた。
どうやら、内山さんもワルになったようで、海くんと付き合うために、毎日一緒に夜まで遊んでいた。僕たち三人は、追試もそろい踏みとなり、一緒に
「馬鹿だなあ」
と、笑っていた。
ただ、成績が落ちていった三人は、「面談」と称して親と一緒に綿貫先生に呼ばれ、各々大変こっぴどく叱られた。
しかし、それぞれの家庭に事情があり、監視役が付くことはなく、その後も三人で夜中のコンビニで買い食いをしたり、人通りの少ない下り坂で、自転車で思いっきりスピードを上げて坂を下ったり、時には遠くの歓楽街まで行き、職務質問をされることもあった。
勿論補導され、親に迎えに来てもらい、またまたこっぴどく叱られたが、人というのは無理やり自分の思い通りに変えられない。僕たちも、夜中まで出歩くこと。
つまり、「必要悪」がないと、心にぽっかりと空いた穴が塞がらなかったのだ。こうして不良少年・不良少女が生まれる事を知った。ただ、
「それでもいいや」
と思う僕が、そこにはいた。
時々痛い目にも合うけど、普段は開放感があり、とても楽しく人生を謳歌している。内山さんに沢山話しかけても、海くんは何も言わなかった。画家の卵だった小学校三年生の頃とは違い、僕を認めてくれたのだと思う。
実は、この頃から僕も内山さんが気になり始めた。しかし、海くんという彼氏がいる以上、略奪愛をしようとは思わなかった。ただただ、三人で過ごす時間が愛おしかったのだ。
そして、小学校の卒業式では、三人で集合写真を撮影し、三人のうち、誰も欠けてはいけない。そんな仲になり、全員が同じ、地元の中学校に進学した。この頃から、世の中の不況により、樹君も両親が深夜まで帰って来ず、僕たちの輪に加わった。内山さんは、紅一点。このグループに居づらくなったかな?
と心配したが、毎日楽しそうで、男女の比率は、僕たちのこの年代には関係ないのかな? と思ってしまった。いや、もしかしたら、内山さんは異性に囲まれ、「モテる」のが好きなだけかもしれない。
いずれにしろ、僕たちは中学校に上がり、もっと非行がエスカレートしていった。煙草を吸ってみたり、お酒も飲み始めた。髪を染めたりして、一緒に遊ぶメンバーも含めて、皆の成績が、ビリから数えた方が早いくらいだった。それでも、
「何とかなるさ」
と、甘い見通しでいた。
しかし、ある日を境に、内山さんが突然来なくなった。やはり将来の事が心配になったらしいと、海くんから聞いた。実は、その少し前に、僕は内山さんに、
「この先どうなるのかなぁ?」
と漏らしていた。その時はあまり考えずに発した言葉だったが、彼女は深刻に考え、グループから脱退した、という訳だ。
海くんは、
「お前のせいで!」
と、僕を責めた。僕は、ただ謝る事しかできなかった。僕もグループを抜けようかと考えたが、お酒の味、煙草の風味、そして昔からの友達。いけないことは分かっていても、このグループで甘い汁を吸いすぎたようだ。
そのため、何とか海くんに許してもらい、男三人でつるんでいた。それでも、顕在意識の中では友達だった海くんが、潜在意識では面倒くさい相手であることを、僕はまだ気づいていなかったため、幼稚園の頃のように指示待ちをして、アイデアを出してもらいながら、遊んでいた。
ずっとこうなるのかな? 海くんにとって、内山さんは、もうどうでもいいのかな? このまま大人になっても男三人で仲良くできるだろうか? と授業中にもやもやしていた。
この頃からだろうか? 内山さんを女性として意識するきっかけとなり、非行グループに内山さんがいた頃がとても懐かしく、愛おしく思えた。幸い、僕と内山さんは、中学一年生のクラス分けで、同じクラスとなっていた。ただ、内山さんが非行グループを抜けてからは、一度も話していない。彼女は、女子グループの中へ帰ってしまったのだ。
ちなみに、海くんと樹君は、他のクラスで二人仲良くやっているらしい。僕は、非行グループを抜けたふりをして内山さんに近づこうとした。しかし、まだその勇気はなかった。
「何か、きっかけがあれば、機会があれば」
そう願うようになった。
しかし、流石に、女性多数の中に男一人で飛び込んでいくのは難しい。僕は、内山さんが一人になるタイミングで、声を掛けた。
「あ、お久しぶり・・・」
「あ、長谷川君? お久しぶりです。どうしたの?」
「僕、えっと、あのグループ辞めたんだ。今日空いてるかな?」
「うん。何しようか?」
僕は、もうそこで詰んだ。そういえば、何をしようか考えていなかった。彼女もそれを察して、
「じゃあ、駅前でお茶はどう?」
と、提案してくれた。やった! 遂に内山さんと二人きりになれる。思わず、
「ありがとう! 宜しく」
と下心全開の返事を返した。
気が付くと、クラス中の視線を集めていた。それだけでも恥ずかしいのに、野次馬の中に、他のクラスのはずの海くんがいた。思わず目が合い、海くんの表情がみるみる変わっていった。最初は茫然自失、そして、内山さんと僕を見比べ、最後に怒りが噴火した。
「お前、なんで玲子に手を出しているんだよ!」
と僕に詰め寄り、小さな声で、
「今夜、大橋に来い!」
と、小さな声で命令し、そのまま出ていった。
その日は、内山さんと二人で駅に向かったが、あまり話が弾まず、お茶は今度という事になった。僕は、一応海くんとの約束を守るために、もうあきらめるであろう、深夜2時に大橋へと向かった。
しかし、橋の中間あたりに海くんはいた。こんなに遅い時間までいたのかとびっくりしたが、海くんも僕の姿に気づき、またしても詰め寄ってきた。そして、いきなり僕は顔に痛みを感じた、どうやら、グーで殴られたようだ。思わずよろけた僕を、海くんは追い打ちをかけるように二回、三回と殴った。僕はたまらず、橋の欄干に寄りかかり、次の攻撃に備えた。
「まだ終わらないぞ!」
そう言うと、海くんは僕にとどめを刺しに、渾身の一発を繰り出した。僕は、思わずしゃがみながら海くんのパンチを避け、同時に、突っ込んできた海くんの体が僕の体に当たり、浮き上がった。
その一瞬、僕は、悪魔になった。今なら投げられる。腰を浮かせ、両手で海くんの体を前へ引っ張った。僕の背負い投げは見事に決まり、海くんは暗い、大きな川へと落ちていった。
僕は、しばらくそこにたたずみ、茫然としていた。海くんは、その名の通り、海へ還っていった。海くんは、もういない。もういない。
少し頭が冷静になると、自分が殺人を犯してしまったことに気づいた。早く逃げなきゃ。帰らなきゃ。偶然にもその十分くらいの間、誰もこの橋を通らなかった。僕は逃げるように、その場を立ち去った。
いつも通り、こっそり家に入り、自室の床に就いたが、頭の中は警察に逮捕されるかもしれないという不安。そして、お世話になった海くんを、身を守るためとはいえ、殺してしまったこと。
この二つのストレスから、一睡もできなかった。翌朝、やはりと言うか、海くんの「行方不明」が学校や地区で広まった。警察は、仲の良かった一人として僕に事情聴取を求めてきた。
おそらく、昨日詰め寄られた件で、もしかしたらひと悶着あったのではないか、と疑っている様子だった。ただ、僕も捕まるわけにはいかない。必死に、知らぬ存ぜぬを貫き通した。その結果、海くんは「行方不明」で、証拠もないので、それ以上の話はなかった。
しかし、時々警察にマークされているな、と思う瞬間は何度もあった。そして、ストレス負荷が重なり、僕はPTSDになった。
ただ、海くんの遺体も見つからない以上、僕は逮捕されることはない。僕は徐々に日常に戻っていった。そして、不良グループは解散し、僕は内山さんに、思う存分アピールできるようになった。共にお茶をしたり、ごはんやカラオケにも行った。
そんな中で、ついに僕はカラオケで、歌に乗せて内山さんに愛を伝えた。とても有名な曲であり、彼女も、泣いて喜んでくれた。
しかし、その後順調に大人になっても、僕はこの件を「略奪愛」であり、残忍だと思っている。大きな罪悪感は、大人になっても消えず、あんなに良くしてくれた海くんに対して、申し訳ないという気持ちを忘れることはない。
それでも、僕だけはのうのうと生き残って、今日もこうして彼女と生きて、愛し合っている。この間、ついに結婚もして、永遠の愛を誓い合った。
そして、僕は小さい頃からの努力が実り、売れっ子の画家になり、しっかりと家族を養っている。しかし、この胸のとげは一生消えないだろう・・・。
時々、あの現場である大橋が視界に入ると、海くんの一生を奪ってしまったこと、そして、僕が海くんの代わりになり、彼女を大切にしよう。いつも、その気持ちを思い出させてくれる。
勿論、今になってもその大橋を渡ることには、抵抗がある。それでも、何故だろう。あの事件を経験した後、それでも、まだ「生きている」ことを実感して、温かい気持ちになることがある。自分でも不思議だ。それと共に、今でも海くんには、感謝の気持ちでいっぱいだ。きっと、共に過ごした日々が、そうさせるのだろう。
「海くんの分まで、奥さんと子供を幸せにする」。
それを忘れずに、今日も一日頑張ろう‼