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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ホラー

*この話はノンフィクションですか?

作者: 寿々喜 節句

 私の話をしよう。


 私はある施設の所長を務めている。

 責任者であり、経営者である。

 だが私が起こした事業ではない。

 前所長が突然辞任し、他に誰もやる人がいなかったため泣く泣く引き受けたという流れだ。

 小さい施設だったため、人がいなかった。

 そんなわけで、自分で言うのも何だが、若くしてそれなりの役職につくことになった。


 分からないことは分かる人に聞きながら、支えてもらいながら、なんとかかんとか経営をしてきた。

 幸いコロナが流行っても打撃を受けるような会社ではないのでのらりくらりとやってきた。



 私は趣味が多い。

 音楽が好きで、演奏をするのも歌うのも聴くのも大好きだ。

 そしてよく小説を読む。特にミステリー小説が好きで、月に最低五冊は読んでいた。

 あと基本的には自分で料理を作る。外食も好きだが、美味しいものを食べると自分でも作ってみたくなる。

 他にもドライブが好きだ。仕事終わりに車で一時間くらい遠回りして帰ることがほぼ毎日だった。

 あとは友達と出かけるのも好きで、飲みに行ったり、観光をしたり。やはり温泉がメインだった。


 日中は仕事をして、それ以外は趣味やお出かけとギチギチにスケジュールを組んでいた。



 コロナが流行ると生活が一変した。

 前述のとおり、会社経営には大きな影響はなかった。

 しかし出勤時間が短縮したり、業務の変更があったりと、今まで通りとはいかなくなった。

 それでもなんとかやっていた。

 うまいこと立ち回れていたと思わなくもない。

 それにコロナが流行って時間が空いた分、スケジュールに余裕を持って行動できた。

 さらに小説を書く、という新しい趣味まで習得した。

 

 時間が立つに連れ、コロナも落ち着き、もとの生活に戻り始めた。

 私もそれに合わせて業務や趣味も今まで通りに戻そうとした。

 だができなかった。

 余裕のある生活からまたギチギチのスケジュールに戻そうとすると、体が拒否をした。

 脳が追いつかなくなった。


 もともと私は時間の管理が苦手だ。

 スケジュールがギチギチと言っても、分単位で動くようなものではなくて、時間が空いているからこれをやっちゃおう、という衝動的なタイプなのだ。

 だから仕事もどんどん手を付けているタイプだった。

 それでいて仕事を誰かに振ったりすることもできなかったから随分と仕事を抱えていた。

 でも今まではなんとかやっていた。

 しかし私は仕事ができなくなってしまった。

 コロナがあけて、リズムが戻らず、思考が停止し、仕事に手をつけられなくなった。

 そんな自分を情けなく思い、責め続けた。

 ずっと窓を眺めて、ここは二階だし飛んだところで骨を折る程度だな、などと考えていた。



 私も精神、心理のプロだ。心理関係の国家資格を持っている。

 自分の状況くらいわかる。

 よく自分のことを「うつだ」とか、「発達障害があるかも」とか、言う人がいるが、診断も受けずにそんなこと口に出してはいけない。

 辛いこともあるだろうけれど、それなら辛いといえばいい。

 自己診断はよくない。

 がん患者の前で、診断も受けてないのに「私がんかも」といえるのか? という話だ。

 だから私は自己診断だけに留めないためにクリニックへ受診しに行った。

「うつ病です」

 先生からのその言葉に、やっぱりな、という気持ちと、言語化されたことによる安心感からか、その場で泣いた。

 正直に言えば、自分がうつになるとは思っていなかった。

 私はもともと明るい性格をしていると思っていたし、楽観主義者だと思っていた。おしゃべりだし、冗談もよく言うし。実際に、周りからそう言われていたし、そう思われていたはずだ。

 だからショックもあった。

「明日から仕事は休んでください」

 先生に言われ、業務をまとめて休みに入ることになった。

 いわゆるドクターストップだ。



 私以外の職員は私がうつであることは感づいていた。

 ここ数週間の私は、仕事もままならないし、言葉にも詰まるし、頬はこけ、目の下のくまもひどかったと、あとから聞いた。 

 実際に、食欲もなかったし、睡眠も取れていなかった。

 だから診断結果を持っていったら、逆に安心してくれて、休みに入る手伝いをしてくれた。

 私はそこでも泣いた。

 私が抜けることで負担がかかるのは目に見えているのに、協力的になってくれることが嬉しかった。

 休むことに抵抗があったが、ちゃんと休養して良くなりたい、良くならなきゃと強く思った。


 休み方は休職にしようと思ったけれど、今まで仕事をほとんど休まなかった私には有給休暇がたくさんあった。

 だからとりあえず有給休暇を消化している。

 


 先生との話でわかったことは、私は大人の発達障害を持っている可能性が高いということ。それは私自身も思い当たるフシがあった。

 時間の管理、見立てが苦手な点から、そして幼少期の落ち着きの無さを加味するとその可能性が高いということだった。

 ただ、今の今まで障害と呼べるほどの障害ではなかったため生活できていた。

 しかしコロナで状況が変わって生活のしづらさが顕著になり、うつが併発したというのが流れだと思われる。

 私の年代、役職ではオーソドックスなうつの流れだそうだ。

 ちなみに先生自身もそうらしく、大人の発達障害自体は珍しいものではない。

 ただ、今はうつを治すのが先とのこと。


 先生からは「通院しながら、仕事から離れ、ダラダラ好きなことをして過ごしなさい」といわれている。簡単に言えばリセットだ。

 その通りにして過ごしている。

 ドライブをしたり観光をしたりして、時間と曜日の感覚を鈍らせるようにしている。



 今思えば、それなりにハードな生活をしていたかもしれない。

 今は余裕があるし、心が穏やかだ。

 趣味もちょっとずつ手を付けている。小説はペースを落として読んでいる。

 それに希死念慮ももうない。

 ただしかし、あのときよく死ななかったなぁと今は思う。

 生きている価値も見いだせなかったし、仕事について何も考えられないし、死んだほうが楽だと思っていたから。

 そんな事が頭を支配して一番辛かったときに、よくちゃんと受診したなぁとつくづく思う。


 受診のきっかけはいくつかある。

 自分自身が精神、心理のプロであるという点もそうだが、他にもある。

 それは応募したものの忘れていた、あるコンテストで私の作品が一次選考を通過したことだ。

 辛い気持ちながらも嬉しかった。私にこんな感情がまだあったのかと思った。

「二次選考まで生きるか」

 そう思った。

 それに近くに親戚の結婚式もあったし、タイミングが悪いと思った。

 そしたら今度は「今書いている物語もちゃんと終わりにしないとな」と考えるようになった。

 それで結局なんだかんだで生きている。

 もしかしたら物語を書くことは身体に血をめぐらせることと同じなのかもしれない。

 運命は信じないが、私を生かすために何かが働いたような気がしなくもない。

 誰に向けたらいいのかわからない、宛先不明の感謝の気持ちがある。

 生きている。ありがとう。



 今は落ち着いている。

 私は私自身とペンネームで人格を分けている。

 だから「最近辛い」とペンネームの私が言っても、そこまでちょっとしたネタ程度にしていたし、そんな大げさな素振りは見せていなかった。

 私にこんな演技というか擬態というか、とにかく、もうひとりの人格を操れるという能力があるとは思ってもみなかった。



 たぶん大丈夫。

 これで私は強くなったと思っている。 

 したくてもできない経験をさせてもらったと思うようにしている。もうしなくてもいいけれど。

 今は未来に希望を見出している。

 二次選考のことではない。

 一次を突破しただけで大きな意味があった。次がどんな結果でもおそらくダメージはない。

 それよりももっと地に足のついた、歩いていける、立っていられる、みたいな感じ。

 逆に自信につながるような感覚が芽生えている。

 今後何があっても結局今回のように乗り切れるのだろうなと前向きになれる気がする。

 とにかくこうやって文字にしている時点である程度整理はできているし、理解もできている。次のステップに向かっているということだ。

 それに、次にこういうことになりそうになったらどうするか、対応方法も考えてある。

 今回の件を振り返ってみて、どこでどうすれば防げたか、緩和できてたかを挙げることができた。

 過信はしていないが、それでなんとかできると思われる。

 せっかくの体験だ。学びに繋げたい。

 ただ、慎重に、ということは心がけてはいるけれど。


 今は小説を書くことも、音楽に触れることも楽しんでいる。

 仕事以外のことは平常になったと思える。

 少食にはなったがご飯も食べているし、夜も眠れている。

 それに笑顔も戻ったといえる。

 初診の際に、入院する必要がなかった時点で、軽度とはいえなくても、少なくとも良くなる見込みがあったといえる。

 なのでご心配なく。


 最後まで読んでくれてありがとう。

 さて、本題はここから。

 この後書きが、この小説の主題です。


 私は今までこんな話をしたことがありませんでしたし、そんな素振りも見せていませんでした。

 何度も言うように、私自身とペンネームとでかき分けているつもりです。

 さらに言えば、この小説の「私」は「私」であって、寿々喜節句のことであるとは限りません。

 登場人物の「私」がどんなペンネームなのかも明記していませんので、この登場人物の「私」が作者の私であるとも限りません。

 それに本文の登場人物の「私」と、後書きの「私」も同一人物とも限りません。

 ジャンルも「ヒューマンドラマ」ではなく「ホラー」です。



 はてさて、それではこれは誰の話でしょうか?

 

 架空の登場人物の「私」の話でしょうか?

 寿々喜節句という人格の話でしょうか?

 これを書いている作者自身の話でしょうか?


 そもそも、この話はノンフィクションですか?

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― 新着の感想 ―
[一言] うーん……本気で心配したらいいのか。 それとも節句様の掌で転がされたといったらいいのか。 どうとでも解釈できる作品ですね。 ホラーと純文学とエッセイを混ぜたような。 太宰治の人間失格とか、…
[良い点] 鬱は誰にでも起こり得ますからね。 正しい知識をもって、早期に病院にいけるといいのですが、現実はなかなか「私に限って」となるひとが多いですよね。
[良い点] うわあ、、、イヤなホラーだなぁ。 「見破れない嘘は真実の中に紛れ込ませた嘘」ってやつですね。寿々喜節句を知っていれば知っているほどリアルに感じるこの仕掛け。 いやでも万が一、、、と不安にさ…
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