「一人の読書好きが、一つの物語を本気で『批評』してみた」
しゃみせんさんの作品
「姫を生贄に捧げた男は、今日もこの世界で生きている」
https://ncode.syosetu.com/n7694fz/
Nコード N7694FZ
この「批評文」を読む前でも、読んだ後でも、どちらでもいいですから、そのまましゃみせんさんの作品を読みに行くと、より楽しんで頂けると思います。
こんにちは。
第八のコジカです。
略して「ハチコジ」です。
ええ、誰もそんな風には呼んでませんね。
さて、私のツイートに端を発した「批評」の試み。
抽選の結果、しゃみせんさんの作品を「批評」させて頂くことになりました。
「批評」の文字から「」をとらないのは、それが私にとって、どこまでも「おこがましい行為」であることの証だと思ってください。
さて。
題材とさせて頂くのは、しゃみせん氏作「小説家になろうサイト」にて現在も連載中の作品。
「姫を生贄に捧げた男は、今日もこの世界で生きている」
です。
すでにファンの方も多いだろうこの作品。
今更この作品に対して何を「批評」するんだ?という感もありますが、やると言ったからには全力で読み込んで、可能な限りの提案をさせてもらいます。
「読む」という行為において、人は何を求めるのか?
作者は物語を「書く」ことで、読者になにを提供しているのか?
「楽しい」「面白い」は、なにも笑えるという意味だけではないはず。
冒険譚を読み、見たこともないファンタジー世界に胸を躍らせるのも、そう。
青春物語に感動して「泣くことを楽しむ」のも一つ。
怪談を読んで「ゾクゾクすることを面白い」と捉えることも一つ。
作品を読むことで、読者の心になんらかの「動き」が起こり、それを心地良く思えるのなら、それがすなわち「楽しい」「面白い」なる。
そういったことを念頭に置いて、私の心がこの作品の「どこに」「どのように」心を動かされ「楽しい・面白い」と感じたのかを、出来るだけロジカルに捉えていきたいと思います。
そして、これは前もってお伝えしておりますが、この「批評文」はしゃみせんさんだけを読者に想定していません。
同じ志を持つ、全ての作者仲間たちに向けてこの文章を綴っています。
ほんの少しだけでも。
しゃみせんさんと、多くの仲間たちの役に立つことを願って。
それでは、参りましょう。
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「姫を生贄に捧げた男は、今日もこの世界で生きている」
作者:しゃみせん さん
この物語は、2020/3/12現在で49部分に渡り投稿されています。
感想:44件
レビュー:10件
ブックマーク:118件
総合ポイント:604pt
評価ポイント:368pt
というデータです。
章構成は……
・「神話」 2話
・ 第一章 第一部
「ハクト・キサラギ」 8話+幕間3話
・ 第二部
「アレク=フォン=フリューゲル」 11話
・ 第三部
「闘技会」 17話+幕間2話
・ 第四部
「新たなる武器を求めて」 6話 以下続く
となっています。
細かな物語の説明などは、この「批評文」を読まれるくらいの方なら、前提として作品を読んできていると思いますので、一切合切省きます。
では、さっそく以下から始めます。
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【神話パートについて】
・先に結論から記します。
↓
このパートはバッサリとカットして、本編に編入する。
もしくは、一個の完全なるエピソードとしての一本立ちをはかる。しかし、本編までの物理的な距離が開いてしまうので、やはり前者の方が有効。
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ここから神話パートの概要です。
「聖剣創造」と「魔刀降臨」
これはいわゆる、作者による世界観の説明パートである。
いわゆる聖剣・魔剣に関するエピソードが書かれており、その内容自体はとても「私の好み」である。
「※タイトルは最後まで回収しません」
と、作者自身が言っている本作において、いまのところタイトルに沿ったエピソードが描かれているのは唯一この神話パートのみ。
「聖剣創造」では……
神・悪魔・人間による三つ巴の争い。
それを鎮めるべく祈りを捧げ続けた聖女。
その尊き魂と引き換えに創造された聖剣。
が、語られる。そして「魔刀降臨」では……
「聖剣創造」の舞台と同時代だが別の場所。
そこで起こった姫神子の悲劇。
そこから生まれた呪われの刀。
というエピソードが語られている。
「聖剣」と「魔刀」、これはおそらく、後に本作の主人公であるアレクとハクトが手にするものなのだろう。
これはネタバレではなく、私個人の単なる「妄想」でしかないのだが、それぞれの「剣」と「刀」の誕生に「美しい女性の死」が関わっているのも興味深い。
二人の主人公アレクとハクトにも、それぞれに「エリス」と「クラリス」という美少女のパートナーが設定されている。
そしておそらく、アレクとハクトはいずれ「聖剣」と「魔刀」を各々の手に握り、生死をかけた宿命的な闘いをするのではないか。
……となれば、エリスとクラリスの行く末は……
などと、想像をたくましくしてしまう。
作品の冒頭で描かれているのは、神話のテンプレートではあるが、そういった読み手の想像力を掻き立てるようなエピソードだ。
もう一度言うが「内容は私の好み」だ。
だが、その書き方と提示の仕方には多少なり意見せざるを得ない。
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【指摘】
実は作品紹介のページにおいて、作者自身が「ここは読み飛ばしてもいい」と言っている。
これはどういうことなのかと言うと、おそらく作者自身も「読みにくいなぁ、このパート」と思っているということだ。
もし私が編集として作者であるしゃみせん氏の横にいるのなら、このパートはバッサリ全カットを提案する。
その代わりに、このエピソードをどうにかして登場人物たちの口から語らせるか、古文書を読ませるかなどの、本編へと溶け込ませるやり方をとってもらう。それも、物語の早いうちにだ。
例えば、第1章から登場する主人公のハクトには、共に村で育った幼馴染の少年と少女が居る。
この二人との会話、もしくは3人で神話の物語を絵本で読んだ、などという方法をとれば存外すんなりと本編へ編入できるはずである。
だが、しゃみせん氏は独立したエピソードとして神話を冒頭に記している。
にもかかわらず「読み飛ばしてよい」とも言っている。
この矛盾は読者に混乱をきたす。
読者の心理からすれば、一冊の本を手に取って、それを開いたとき、そこに「読まなくてもいい」ものが書かれてあるとは考えない。
1ページ目から終わりまで、そこには「読むべき内容」が書かれていなければならないのである。
これはWEB小説とて同じことだ。
そもそも読者は、自らの意志で物語を読もうとする時、それを「最初」から追っていくものである。
勿論どういった読み方をするのも読者の自由で、中には「適当にパッと開いたところから読み始める」という読者もいるかも知れない。
そういった読者もまぁ一部いるとして、やはり圧倒的大多数は、最初の「1ページ目」から順に読んでいく、という読者だろう。
これは教育によるものなのか、それぞれの読者の経験からくる習慣なのか、そこは定かではない。
例えばすぐ近くにある文庫本を一冊手に取って頂きたい。
表紙から始まり、一枚めくって著者紹介、タイトル、前書き、目次、そうして本編が始まる。
おそらく読者は、こういった本編までに配置されたいちいちにも一応は目を通し、そうしてようやく「面白い物語が始まる!」と期待を大きくして本文を読み始めるわけだ。
書き手が「書き出しの一文」に、自身の持てる最高の一文を持ってこようとするのは、そうした読者の期待値の高さを身をもって知ってるからに他ならない。
だからこそ……
「吾輩は猫である。名前はまだない」(夏目漱石)
「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」 (カミュ)
「――罰がなければ、逃げるたのしみもない――」(安部公房)
「――これは、鼻のあるべきところに陰茎がぶらさがっている男の話である」(山田風太郎)
……というような、名文が捻り出されてくるのだろう。
(最後の山田風太郎の「陰茎人」のユーモアは圧巻。しゃみせんさんの作品を読んだら、その次に読むのをオススメ)
なんにせよ、私たち(読者)は「本は1ページ目の1文目から読むもの」だと思っている。いや、そんなことを意識さえせずに読んでいるのが普通だろう。
書き手としては、そうした「読者の無意識下の特性」というものには十分に注意を払っておく必要がある。
アクセス解析を普段から目にしている諸兄らであれば、「最新話のPVやユニークはボチボチあるのに、なぜか1話目でブラウザバックされがち」という現象をよくご存じのはず。
ゆえに、ブラウザバック抑止策として1話目の内容を変えたり、改行・空白を調整したり、会話文を増やしたり……と、様々な工夫をするのは、もはやWEB小説のセオリーだろう。
しかし根本的な問題は、そういった小手先のテクニックが欠けていることではないはずだ。
これは私自身もそうなのだが、いわゆる「書き手としての初歩的なミス」が原因なのである。
多くの作品は、その世界観を読者に提示するため、冒頭に冗長な説明や描写を並べてしまっている。
作者諸兄に共感を呼ぶ言い換えをすれば「書き手の心の整理」を小説の本編冒頭でおこなっている、ということ。
悪し様に言ってしまえば隠すべき「書き手のエゴを晒している」ということである。
そういった世界観の説明文は、往々にして「硬く退屈で、読み進めにくい文章」となる。
これが問題なのだ。
ファンタジーにおいて、舞台となる世界観の説明は確かに重要だが、その提示の仕方には相当に気を付けなければならない。
まして70万もの作品が居並ぶ「なろう」なのだから、ファンタジーのパターンやテンプレで「無い」ものを探す方が難しい。
であれば、やはりその内容の複雑さや細かさを描くことで勝負するのではなく、いかにスムーズに読者を自分の世界へ引き込めるか?その「手際」で勝負するしかない。
(ここを書いていて、いま完全に自分にブーメランが突き刺さっています)
世界観説明の独立したパートは、それ自体が「悪手」と言わざるを得ないのかも知れない。
それはやはり主要な登場人物と共に描かれるか、もしくは登場人物の口から直接語られるのが無難だろう。
本編の文章には読み手を「楽しませる意識」がしっかり入っているだけに、神話パートの語り口の硬さが余計に残念に思われてならない。
「なろう」のトップページ、もしくはTwitterなどのSNSから「最新話ページ」へ流入してきた新規読者が次に開くのがこの「第1話ページ」。
続いて読むか否か、ほとんどの読者がここで判断を下してしまう。
この神話パートが配置されている位置は、そういった重要な「場所」なのである。
この点は、すでにしゃみせん氏も充分に認識されていることだろうから、是非、具体的で大胆ともいえるような一手をうって欲しいと思う。
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【本編について】
・ここでも先に結論
↓
クラリスかエリスを殺してみてはどうか?
それがダメなら「同等以上」のキャラを今から造形して殺してみてはどうか?
そこに、しゃみせん氏の最高の「愛と死」のパフォーマンスが発揮される可能性がある。
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二人の主人公、ハクトとアレク。
そしてそれぞれのパートナーであるクラリスとエリス。
二組のカップルが交代で物語を紡ぐ。
視点はそれぞれハクト、アレクのもの。
このそれぞれのカップルは、完全にニコイチである。
ドラえもんとのび太。
ブラックジャックとピノコ。
宮川大助と花子。
切っても切れない絆であり、また片恋でもある。
しかも好意のベクトルは女→男であり、男の「奥手」ないしは「鈍感」によって進展しない状況となっている。
いわゆる……
チッ。
爆発しろ!
な、テンプレである。
ちなみに大助・花子の間柄も当然、愛である。
あそこは爆発しなくても、まぁ、いいか。
お幸せに。
さて、第一部ではハクトのエピソード。
第二部ではアレクのエピソードが綴られる。
第三部では、ついにハクトとアレクが出会い、剣を交える。ここでの視点は「ハクト」のもの。
出会い、日常、冒険、事件、闘い。
迷い、決断、行動。
夢、絶望、恥辱、そして救い。
おおよそ人が生きていくうえで、日々当たり前に体験していくこと。
また、凡庸な生き方ではけして味わうことができないであろう、死と隣り合わせの出来事たち。
そして個性あるキャラクター。
勇気ある少年、誇り高き騎士、美少女の錬金術師、人懐っこい幼馴染……
肝っ玉な酒場の女店主、残忍酷薄な大男、卑怯な貴族、謎めいた鍛冶師……などなどなど。
物語の細々とした詳述は避けるが、ここで描かれているのは、仲間(美少女)や好敵手と出会いながら「夢」に向かいひた走る少年の生き様である。
……さて、こう書いて我ながら困った。
コピーライトとすれば零点どころかマイナス点の紹介のしかただからだ。
賢明な読者諸兄はもうお気付きと思うが、ここまでの紹介文の何が悪かったのか?
それは、要素を並べてあるだけで、何一つ「魅力」を示せていない、という点だ。
だがあえて、この紹介文のままで話を進めよう。なぜならこれは、この物語の構造にも関わることであるからだ。
例えばの話だが、もしあなたが「ワンピース」を読んだことのない人に、その作品の「あらすじ・魅力」を紹介をするとしたらどうするか?
別に「鬼滅の刃」でもいいし「進撃の巨人」でもいい。
ただし、先にあげた文言を使ってはいけない、としたら?
出会い、日常、冒険、事件、闘い。
迷い、決断、行動。
夢、絶望、恥辱、そして救い。
少年、夢、仲間(美少女)、好敵手。
騎士、錬金術師、幼馴染、酒場の女店主、残忍な大男、鍛冶師……云々
以上と、それに「類する言葉」を全く使わずに、である。
作品の構成要素を上げるのではない、読者を虜にするその「魅力」を紹介するのである。
これは結構難しい。
それはなぜか?
上記の全て(それに似た表現)が、おおよそファンタジーに限らず「物語」といわれるものに必ず含まれるテンプレ要素だからだ。
ある作品を限られた文字数で紹介する。
例えば諸兄らもよくやるであろうTwitter140文字での作品紹介。
この限られた文字数で、確実にフォロワー(潜在的読者)に「刺さる」には、このあたりのテンプレ文句は避けるのが基本だろう。
好き嫌いはあるし、なかにはそういったものを好んで漁る読者もおろうが、単純に考えて不利である。
どうしたって、テンプレ要素を並べただけでは大多数の群に「埋もれる」からだ。
作品の魅力をかいつまんで紹介するのなら、その作品の最も特筆すべき点に注目しなくてはならない。
それはそのまま「書き手の意識」に投影するならば、設定や舞台などはテンプレを使いつつも、その「使い方」「描き方」で他とは圧倒的に「異なる点」を書かねばならない、ということだ。
このことはほとんどの作者が意識するだろう。
そして同時に、多くの作者は自身の「他と圧倒的に異なる点」に注目しきれていないことが多い。
さて。
では、しゃみせん氏の作品において、特筆すべきは何か?
それはズバリ「死」である。
しかもそれは「無造作な死」だ。
この作品において、私は「死」の扱いが非常に上手いと考えている。
私が氏の作品を読み始めて、まず衝撃を受けたのは、第一部の3話。
主人公の少年ハクトが、幼馴染のベンタスとキャロルの3人で、初めての冒険者クエストに挑戦し、首尾よくそれをこなして帰ろうとするシーン。
以下に、そのシーンを引用。
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3人で並んで歩いていると、突然キャロルが転んだ。なんの前触れもなく、本当に突然だ。
「大丈夫か? なんもねえ所で転ぶなんてお前らしいぜ」
「ええ、大丈夫よ。ごめんなさい。でもおかしいわね……痛っ!」
キャロルが不思議と痛がったので足元を見る。そこには水溜りがあった。
どうやらキャロルはその水溜りに足を取られて転んだらしい。
────そして、水溜りに入ったはずの彼女の右足は、足首から下が無くなっていた。
「えっ。えっ! 何これっ! 痛い痛い!!」
※傍点はコジカによる
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この後、主人公を残して幼馴染の少年少女はあっさりと魔物に殺される。
そして主人公だけは運良くクラリスに命を救われ、そこから物語は動ていく……という展開だ。
いわば幼馴染二人は前段を盛り上げるため、ないしは主人公の「動機」を固めるための捨て駒である。
つまりは「殺されるために」登場してきた存在だ。
その登場人物の存在価値を最大限に引き出し、あますことなく活用しているのが氏の「殺し方」である。
私はなにより、まずこのキャロルが右足を失う描写の「素っ気なさ」にゾッとした。
もう一度、引用する。
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────そして、水溜りに入ったはずの彼女の右足は、足首から下が無くなっていた。
「えっ。えっ! 何これっ! 痛い痛い!!」
※傍点はコジカによる
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たった2文である。
余談だが、氏の作品をTwitterで紹介するのなら、上の2文をツイートに入れ込めば、かなりのインパクトになるのではないか。
私はここの部分を読んで、氏の作品に惚れたといってもいい。
ここに至るまでに数千文字を費やし、主人公と共に描かれてきた登場人物である。
モブではないのだ。フラグと言えばフラグだが、幼馴染はそれぞれに夢もバックボーンも描かれ、途中までは主人公と共にこれから様々な冒険をしていくのだろうなぁ…と、想像していたくらいだ。
そんな人物が、この2文を皮切りにあっという間に殺されてしまう。
グロさ、とか残酷さ、露悪趣味などではない。
死へと至るその「素っ気なさ」が氏が紡ぐ文章の魅力の一つなのだ。
これは真似するにはなかなかに難しいモノである。
この「死」に対する「素っ気なさ」を成立させるためには、逆説的だが、キャラクターへの十分な「愛」が必要となる。
氏の文章における「愛」は申し分ない。
これはおそらく氏、本人の人柄もあるのだろうが、読んでいて「そこはかとない愛」が感じられる文体なのだ。
それは、自らの描く世界に対してでもあるし、キャラクターに対しても、そしてその向こう側にいる読者に対してでもである。
少し口はばったい言い方になるが、しゃみせん氏は、その文体に「愛と死の同居する人」なのである。
紹介した前半部分のエピソードの他にも、この作品では冒険物語の常として、剣劇や魔術による「死」が様々に描かれている。
護衛の依頼で野盗に襲われ、死んでゆく護衛隊長。
闘技会のバトルロイヤルで無惨に散ってゆく闘士たち。
それらの「殺されるため人物たち」は、幼馴染ほどのボリュームで書き込まれてはいないが、そこにはきちんとした作者の愛と責任を感じられ、そして素気ない死に方を与えられる。
この自身の持ち味を余すことなく発揮したエピソードを、かなり前半に配置した氏の計算は的確だったと思われる。
私同様に、ここから続きを読まずにはいられなくなった読者が多いだろう。
……なんだかここまで書いてきて、改めて自分の文章を読み直すと「素っ気ない死」だの「殺し方」だの「愛と死の同居」だの……かなり危ない人の戯言のようであることに気付いてしまったが、ここまできたらもう戻れない。後悔なんて、あるわけない(さやか)。
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【指摘】
さぁ、ではこのしゃみせん氏の持ち味を最大限発揮するにはどうするか?
これはもう、ものすごくシンプルな解としては二人の主人公と、それぞれのパートナーを順番に殺していくしかない。
暴論のようだが、これはおそらく氏も想定している展開の一つだろう。
思い出してみて欲しい。
本編に先駆けて語られる「神話」では、英雄が手にする「聖剣」と「魔刀」のために、それぞれ乙女が命を落としているのである。
となれば、その英雄の投影体たるハクトとアレクの横に居るクラリスとエリスが、死なないわけがあるだろうか?
いいや。残念だがおそらく死ぬ。
しゃみせん氏には、すでにそのイメージもあるはずだ。
そのシーンを描ききった時、間違いなくこの物語は最高の盛り上がりを見せるだろう。
そして、最高の「素っ気なさ」と、そのあとに襲ってくる最高の「喪失感」。
これを想像するだけで、私はゾクゾクするし、そのためにもこの物語を読み続けていくだろう。
読者の「喪失感」は大きければ大きいほど、この作品の評価を高めることになる。
そうするためにはどうすべきか?
これに対する提案としては……
「手数」
「時間」
「深さ」
「死ねない理由」
……というのは、いかがだろうか?
「手数」は単純にもっとエピソードを細かく沢山書け、ということ。
「時間」もそれに付随する。エピソードが多ければ、読み手はそれだけ多くの時間をキャラクターと共有する。
「深さ」は、キャラクターの人間性の深掘り。これもエピソードが重なればある程度は自然と増すものだが、それだけでは十分ではない。
暗い過去、消えない傷跡、キャラクターが、いま「そうなっている」具体的理由など、人間として共感できる部分を造形し活写して欲しい。
「死ねない理由」は、そのまま「生きる理由」だ。どんな小さなことでもいい。いや、もしかすると物凄く小さな理由の方が心に響くかもしれない。
例えば「春に植えた種の、まだ花が咲くのを見てないから」とか「あの人の手を、もう一度握るまでは」など。
それが他人にとって取るに足らないことであっても、本人にとっては何よりも大切である、と描けていれば。
そしてそれが「死ねない理由」となっているにも関わらず、そのキャラクターが「素っ気なく」死ねば。
その「喪失感」は計り知れないものになるのではないだろうか?
……とはいえ。
氏の描くこの物語は、まだまだ始まったばかりである。おそらくだが、100話や200話で終わる気がしない。
当然、主要キャラクターであるクラリス&エリスが「死」を迎えるのも、相当先の話だろう(勝手に死ぬことを前提に掲げていますが)。
それまでの間、氏はおそらく律儀にエピソードを重ねていくと思われる。
当然、山場もあればダレ場もあるだろう。
その起伏が、至るべきカタルシスをより高めもするだろう。
その時にお願いしたい、もしくは注意して欲しいのが、その道に唐突な「落とし穴」を作ってください!ということだ。
具体的には「最初の幼馴染並みに愛せるキャラクターの造形」そしてそのキャラクターの「素っ気ない」「死」と「喪失」である。
定期的にとは言えないが、ある程度の狙いを定めて、効果的にこの戦略を活用するのは決して間違いではないと思われる。
なにより、しゃみせん氏の文体における魅力は「愛と死の同居」なのだから。
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【総括】
今更ながら、しゃみせん氏の「姫を生贄に捧げた男は、今日もこの世界で生きている」は、このような「批評」など必要としない作品である。
にも関わらず、私の始めた無謀な提案に快くその胸を貸して下さったことを深く感謝します。
改めて今回の試みは、とてつもなく私の勉強になりました。
ここで述べた全ての事は、私自身の創作活動に対して何本もの鋭いブーメランとして返ってくることでしょう。
多分、自分自身の後頭部に刺さりまくって死ぬ(笑)
さて。
我々、多くのWEB小説を投稿している者のたちの共通した「目標」は「書籍化」だろう。
もっと言えば「書籍バカ売れ」からの「アニメ化」。
ゆくゆくは「推しの声優さんを自作のアニメに出演させてウハウハ」まで目論む者も少なくあるまい。
かくゆう私も、自作のキャラクターには林原めぐみさんと三石琴乃さんを起用する!ということは随分前から決めている一人である。
どうでもいい話に逸れ過ぎた。
話を戻そう。
我々は、より多くの読者に自作を読まれるようになり、あわよくばそれがビジネスとして成立するところまでいくことを願っている。
では、今の我々の努力は、日々の積み上げは、作品の更新は、果たして本当にその「目標」へと続く正しいものなのか?
これは「誰にも分からない」というのは、私のような書籍化の経験のない者の言葉だ。つまり弱者の言葉である。
「書籍化」を成し遂げた者、強者には、少なくともその経験則から得た「正しい努力」その「方法」を身をもって知っている。
勿論、同じ方法がこの先も通用するとは限らないし、経験の全くない者でもシンデレラストーリー的に成り上がってゆく者もいることだろう。
そういった者を横目で見ながら、我々は何を信じ、一体どうすべきなのか?
弱者の私でも、一つだけ言えることがある。
「思考と努力を止めずに積み上げ続けろ」
と、いうこと。
手数を増やせ。
実験し続けろ。
発信し続けろ。
成果が出るまでやれ。
これは小説に限らず、あらゆる分野の成功者たちが口にしている真実である。
ノウハウ、テクニック、裏技的スキル、チート能力。
そんなものは創作の世界に限らず、この世界のどこにもない。
仮にあったとしても、それはもう誰かの手に握られて独占されている。
ならば我々は我々、それぞれ一人一人が固有の「武器」を手にしなければならない。
今回の「批評」の試みは、そういった私自身の「武器」を探すものでもあった。
賛同、ご批判、全ての反応をしてくださった方々に感謝を。
そして しゃみせんさん、素敵な作品をどうもありがとう。……更新待ってるから、はよ!
さぁ、皆も読みに行こう!!
「姫を生贄に捧げた男は、今日もこの世界で生きている」
https://ncode.syosetu.com/n7694fz/
Nコード N7694FZ
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以上で、コジカの最初で最後の「批評文」は終わります。
ありがとうございました。
2020/3/12
やりました。
やりきりました。
とりあえず、なんとか最低限の「責任」はとったつもりです。
最後まで読んで下さってありがとうございます。
さぁそして、しゃみせんさんの作品
「姫を生贄に捧げた男は、今日もこの世界で生きている」
https://ncode.syosetu.com/n7694fz/
Nコード N7694FZ
にGO!!