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第九章 霧の中

   第九章 霧の中


「贋金を追っているうちに、意外な展開になってしまったな。特機隊の隊長として自らの不明を恥じる以外にないが、一個人としては、面白くなってきたと思っている。おれたちの活躍の場ができたわけだからな」

 レオンの発言に、ジェーガンは力強くうなずいた。

「幻惑草も贋金も、野心を隠すための下準備だったってわけですからねえ。まったく、とんだ道化を演じるところでしたぜ」

「幻惑草は内務省。贋金は財務省と司法省。反乱は兵部省が取り締まりの管轄になります。さらに困ったことに商工組合は、工芸省の指揮監督下にあります。市議会が機能しないときに、警備隊長として全てを統括する立場になったのを巧妙に利用したわけですね。各省の要人と両議員の皆さんが責任のなすりつけあいをしている間に、支配者としての既成事実を積み上げてしまえば、口出しできなくなると考えたのかもしれません」

 セラは悔しそうに言った。ちぐはぐな色合いの容姿が暗闇に沈み、降り注ぐ月明かりが髪に銀色の輝きを与え、彩がないぶんだけ調和のとれた顔かたちを浮き立たせている。

「いまの執政官府は、睨みが利かねえようだからな。そのおかげで、おれたちドワーフ族が苦しまなければならねえ。それでベックラーみてえなのがのさばってくるなんざあ、まったくもってふざけた話だ。そうでしょう、隊長」

「ああ。都市は一個人の私物ではない。ましてや独立など許しがたいことだ。執政官府の統制力が弱まっているときに独立騒動が公になると、多くの罪なき人の血が流れることになるかもしれない。分裂、内戦となれば、連邦政府が誕生したとき以上の犠牲が払われるのは明らかだ」

「しかし、隊長。微妙な情勢だからこそ、慎重に動く必要があるかと思います。せめてドワーフ族の皆さんの協力が得られれば、すぐにでも踏み込めるのですが」

 レオンは、腕を軽く組んだ。

「さて、そこだ。こちらには司令部に踏み込むだけの証拠が欠けている。しかも、その証拠となる武器は、ベックラーの手の内にありそうな状態だ。思考が堂々巡りになりそうだが、この悪意ある鎖をどう断ち切るか」

「契約で縛られているからなあ。これじゃあ証言も期待できねえ。まったく、無関係だと証明できれば、助かるってのによお」

「早く決めろ、レオン。もうすぐ夜が明けるぞ」

 グードは苛立たしげに言った。細い目がよりいっそう細められ、針のようになっている。

「証拠がなければ、うかつに動けないだろう。それとも何かいい考えでもあるのか?」

「おれには次善の策がある。ベックラーを捕まえられなければ、ゴブリン族を幻惑草密売の犯人として告発するだけのことだ。もっともその場合、ドワーフ族にも罪が及ぶかもしれんが、捜査に非協力的なのでは仕方がなかろう。フィルスが注目されるようになれば、ベックラーの不穏な動きも封じられる。つまり、痛み分けだ」

 取り囲んでいたドワーフ族のざわめきが大きくなった。顔つきが険しくなり、こちらを睨んでくるのもいた。

「ここでそんなことをぬかすなんざあ、おめえ、命が惜しくねえのか?」

「おれをこの場で消しても、すぐに同僚が嗅ぎつけるぞ」

 やめろ、とレオンはジェーガンを制した。

「ここで逡巡しても仕方があるまい。よし、おれが全責任を取る。ベックラーの確保に全力を挙げることにする。人質にとって証拠を要求すれば、司令部のようすからして、部下は言うことを聞くはずだ。確たる証拠はないが、時間がないのはもっと確実だ」

「やむを得ませんね。こちらは少人数ですし、明るくならないうちに決行するべきでしょう」

 セラも同意した。ジェーガンは、グードを睨みつけている。熱い視線と冷たい眼光が交錯しているようだった。

「我らの隊長が全責任を取ると言ったんだ。門外漢のおめえは手を出すなよ。幻惑草の密売より、反乱の予防鎮圧が優先するのは当然だ」

「構わん。どのみちおれは休暇中だし、目的は幻惑草の密売組織の撲滅にある。首謀者と思われるヨルクとベックラーがいなくなれば、目的を果たせる。ただしおれも同行させろ。協力は約束出来ないが、援護ぐらいはしてやる」

「してやるとは大した言いぐさだな。いいところ取りのつもりでいやがるのか?」

「フィルスにはおれの同僚とその部下がいる。貴様たちとて、利用しない手はなかろう」

 グードは危険を分散させたいのだろう、とレオンは思った。

 もし贋金造りや武装などの物証があがらなかったら、追求の線が途切れる。好機を逃さぬように、二本目の矢を放つつもりなのだろう。ゴブリン族がいる見張り小屋で、動かぬ証拠を握ったのかもしれない。

「いいだろう。おれたちだって手柄欲しさにしているわけじゃないからな。それより早く作戦会議に入るぞ」

「ああ、アニキ。ちょうど描き終わったぜ」

 先ほどまで無心に小枝を動かしていたマークが、顔を上げた。

 地面にはフィルスの俯瞰図が描かれていた。大きく描いた正方形の街を、南側から包み込むようにして川の線を引いている。川のない北側と港町ポーリアにつながる東側とに街道を意味する二重線が入っていた。落ちた橋を示すバツ印は、西側と南側に記されている。

「みんなも回ったからわかっているだろうが、いちおう確認しておくぜ。街はほぼ正方形だ。道も格子状に引かれていて袋小路はない。表通りは広いから、滑走路がいる翼竜を突っ込ませるには好都合だ。目印を確認しないと迷う可能性もあるが、この街は中央に灯台があるから楽だぜ」

 レオンが一同を見回して言った。

「作戦の目的は、ベックラーの身柄拘束。できる限り流血を避ける方針で臨みたい。急襲で警備隊を散らしつつ、司令部に踏み込むつもりだ。灯台下の建物にあると思われる証拠も同時に押さえておきたい。だが、敵はこちらが兵部省の人間だと知っている。当然ながら、翼竜による強行突入に対しての備えはしてくるだろう」

 セラのしなやかな指が、街の中央に向けられた。

「こちらは人数が少ないぶんだけ、戦力の集中が必要になります。ベックラー警備隊長が用心深い性格だとすれば、身を守るために人員を警備隊司令部に集中配置していることでしょう。はじめに散らしたとしても、再び囲まれるとこちらが不利になりますね」

 レオンはうなずいた。ヨルクが殺害されて放火されたのなら、犯人であろうがなかろうがベックラーは警戒し、対策を講じているに違いなかった。

 相手の失策を前提に、作戦を立てるわけにはいかない。

「火炎放射器が使えれば楽になるかも知れないが、あいにく作っている時間がなさすぎる。分量もよくわからないし、効果もいまひとつわからない。ここはどうしても奇襲しかなさそうだが」

 マークが手についた砂ぼこりを払って立ち上がった。心もち胸を反らし、薄い赤目をレオンに向けた。

「おれはまず地上から仕掛けて、護衛を引っぺがしたほうがいいと思う。人数が少ないから、二手以上には分けられない。地上で騒ぎを起こす班と、司令部を急襲する班とに別れて行動するってのはどうだい?」

 持ってきた地図に目を向けていたジェーガンが首を振った。

「発想はいいが、人数が少なすぎるぜ、マーク。こっちには城門をぶち抜く戦力はねえ。唯一西側の石垣が崩れているが、城門付近には、傭兵として駆り出されたオーク族が配備されている可能性がある。気づかれて騒がれたら厄介だ。朝とはいえ、まだあのあたりは暗い。夜襲で守備側が城門から出てくることはありえねえ。かえって守りを固められるだけじゃねえのか」

「だれが外側からだと言ったよ。もともと城壁を直したのは夜盗対策なんだろう。だったら、内側でそれらしく暴れてやろう。街の人間には悪いが、少しだけ騒ぎに付き合ってもらうとしようぜ。市内を歩き回ったときに、空き工房を見つけておいた。解体寸前だったから遠慮なく燃やせるぜ」

「場所はどこだ?」

「ちょうどいい具合に南門近くだぜ、アニキ。ここなら、西側を守っているはずのオーク族が異変に気づいても、司令部を横切るかたちで加勢してくる気遣いはねえよ。まさか、橋が落ちている南側から仕掛けてくるとは思わないだろう。これなら、おれ一人で騒ぎを起こせるし、建物の陰や暗闇にまぎれて追跡をかわせる。まだ石垣は穴だらけだし、警戒していても隙間に短剣を差し込めば、おれなら容易に乗り越えられるぜ」

 妙案に思えた。いままで警備隊が役目をおろそかにしていたのを逆に利用している。

 不景気でありながら、フィルスがそれなりにやっていけたのは、組合長であるヨルクの功績だと住民は思っているに違いなかった。功労者が殺されて店に火をつけられたうえに、翌朝に夜盗の襲撃があれば、警備隊は司令部から出動せざるを得ない。さもないと街の人間の不安が、統治者に対する不信に変わる。今の段階でベックラーが、完全に人望を失うような態度は採れないはずだ。

「単純なおめえにしては、なかなかいい作戦を立てるじゃねえか」

「戦術の基本は、包囲と突破しかない。そのうえおれたちは少人数だから、突破だけを考えていればいいってわけだ。敵の構えを崩すのは、格闘術に通じるものがあるしな。今回のようなやり方はあまり好きじゃないが、急ごしらえじゃあ仕方がない」

 マークが苦々しげな顔をしている気持ちはわかる。こういう裏門から忍び込むような作戦は、性分として不本意に違いない。

 レオンはふと、試されているような気になった。騙されたから、騙し返すのか。それはない、と自分にいい聞かせた。騙されたのは自分が甘かったからだ。騙すのは相手が多勢だからにすぎない。だから、別のものだ。

 全てを知っていたはずのヨルクがいなくなったいま、警備隊司令部を急襲するしか、ドワーフ族を救うすべはない。

「一度出火すると、明るくなった場所が目印になりますから、より正確に司令部を狙えますね」

 セラも賛意を示した。決定しようと思ったとき、ジェーガンが地図から顔を上げた。

「隊長。気がかりな点が一つあるんですが、いいですかい?」

「何だ?」

「いや、なにね。これだけ広大な森をつくれるほど、雨雲ができやすい土地柄ってえこってす。しかも川も流れていますしね。つまり、ここいらの湿った空気と、明け方の冷たい空気が混ざるってえと」

 霧か、とレオンは唇を軽く噛んだ。手を挙げたセラが、言葉を継いだ。

「しかも、周辺は森に囲まれていますから、風通しが悪いはずです。ですから、いちど深い霧が出ると、すぐには晴れなくなるでしょう。視界が悪くなりますと、近づくのは容易になりますが、今度は弓が使えなくなりますね」

「まあ、考えようだぜ、セラ。相手だって飛び道具が使えないんだ。突っ込むときに、矢で幕なんかを張られたんじゃあ、翼竜もかわいそうだ」

「おい、マーク。おめえもいっちょまえに、翼竜を気遣う気持ちが生まれたか」

「うるせえぞ、ジェーガン。言っておくが、そうなったらお前の頭にある地図が絶対必要になるんだからな。軽口を叩いている暇なんかないぜ」

「わかってる。おめえが尻尾でうなっていたときから、ずっと頭の中に叩き込んである。いま地図を見ているのは単なる確認作業だ」

 レオンが結論を下した。

「よし、作戦は決まったな。では、マーク。お前が先に街に潜入して陽動しろ。それからおれたちが突っ込む手順でいく。ところで、セラ。郊外に翼竜を下ろす場所はあるか?」

「はい。川の上流にわずかながら空地がありました。飛び上がるほどの広さはないので、翼竜を降ろせはしませんが、羽ばたくことでしばらく宙にとどまることぐらいは出来ます」

「ああ、十分だぜ。それなら酔う前に降りられそうだ」

「と、いうわけだ。何か言いたいことはあるか、グード?」

 グードは作戦自体には、関心を持っていないようだった。

「いや。貴様たちの決定に干渉するつもりはない。それより早く出撃したほうがいい」

 見上げると、中天が少し青みがかってきた。東側は山が邪魔をしているが、夜明けが近いのは明らかだった。もう、一刻の猶予もならない。

 レオンは、バズラに向き直った。

「お別れです。出来れば、納得のいくまで話し合いたかったのですが、残念です。時間がないので、これで失礼します」

 暗いので、表情まではわからない。しかし、顔はこちらを真っすぐにとらえている。

 ややあって、顔が振られた。

「誰か、全員の分のサンダルを」

 すぐさまサンダルが届けられ、レオンに手渡された。

「坑道の中を通ってきたのなら、履き替えたほうがよい。濡れたままだと、悪い水で足を痛めるからの」

 足を痛めるほどの毒水ということは、サンダルが傷んでいることは十分ありえる。不覚を取るな、と遠まわしに言われている気がした。

 サンダルは革製だった。おそらく、なけなしの金で手に入れたのだろう。新品は二足だけで、他は履き古されたものだった。

 グードが無言で、真っ先に新品のサンダルを取った。履き古されたほうが、すぐ足になじんで動きやすいと考えたのだろう。もう一足は、セラが遠慮がちに履いた。

 レオンは全員履き替えたのを確認した。

 バズラに別れを告げたが、際立った反応は返ってこなかった。それでもこちらの意志は伝わったようだった。静かに囲みが解け、道ができた。

 急いで翼竜のところまで行き、全員いつもの位置に乗り込んだ。グードはレオンの後ろに座った。

 羽ばたきが少しずつ大きくなり、地面からの衝撃が消えた。もう、後戻りは出来ない。

 マークの悲鳴に似た叫びの間から、レオンはグードに問いかけた。

「まさか後で功を譲った、とか言い出すんじゃなかろうな」

「それこそまさかだ。貴様らがただの物乞いじゃないことぐらい、とっくにわかっている」

 つまらぬ冗談だ、と言わんばかりにグードは舌打ちをした。

 皮肉とも取れる言い方だったが、腹は立たなかった。おそらく地位や名声に関しての恬淡さが感じられるからだろう。削ぎ落としているのは、なにも主義や心情ばかりではなさそうだ。

 ジェーガンが指示する位置で、かすめるようにして稜線を越えた。水平線が白くなって、海も本来の色をとり戻しつつあった。

 ふいに体が沈む感じがした。気流が、山の斜面を下っているからだろう。我慢していたはずのマークが叫びだし、ジェーガンの叱咤する声が重なる。

 セラが振り返った。銀色だった髪の艶が夜空で薄れ、くすんだ絹糸となって首に巻きついている。

「やはり霧です、隊長。街はおろか、森すらも見えません」

 肩越しに見やると、確かに霧がかかっていた。脂を抜いた羊毛が、森全体に敷き詰められているかのようだ。虫食いを思わせる点々が、かろうじて木々の突端だとわかるぐらいに濃い。

「喜ぶべきなのだろうな。警備隊もこちらを発見できないだろうから」

 横のジェーガンは、ぶつぶつと数を数えている。おそらく頭の中の地図と、翼竜のいる高さと速度から位置を割り出しているのだろう。不意に叫んだ。

「近いぜ、マークを降ろすところだ!」

 指差した位置に、巻貝を逆さにしたような螺旋を描いて降下していく。乳白色の海から、土が見えてきた。羽ばたくと、土ぼこりが舞った。

「よし、じゃあ行ってくるぜ」

 マークは、転がるように飛び降りると、すぐに姿を消した。細い道を見つければ、後は一本道だ。橋は落ちているが、水が引いているのであれば、なんとか渡れるはずだった。

 再び羽ばたいて、上空に昇る。ジェーガンの指図どおりに、フィルス近辺で旋回を続けた。

 東の空が一段と明るくなった。水平線から中天まで、虹をさかさまにしたような色合いに変わり、海と空とがきっぱりと別れ始めている。

 隊長、とセラが、困惑した顔を向けてきた。

「この子、そうとう疲れているようです。無理をさせすぎました」

 気がつくと、鞍が熱くなっていた。羽ばたく力も弱くなってきている。考えてみればこの数日、食事を減らしたうえに、ろくに休ませないで酷使し続けてきていた。

 下向きの気流では、乗っかって体力を温存するわけにはいかない。

 このままだと、力尽きて墜落するおそれもある。

 静かなままの街を見下ろしながら、レオンは、ただちに決断した。

「やむをえん。ジェーガン。セラに警備隊司令部のおおよその位置を示せ。強行突入を図る」

「しかし、それじゃあ警備隊の真ん中に突っ込みますぜ」

「落ちるよりはましだ。おれたちがいなければ、マークが捕まってしまう公算が大きい。避けるにはこちらが先に突っ込むしかない。中心での異変に気づけば、マークも追っ付け駆けつけてくるだろう」

 あるいは、城門の守備隊を片付けるなり、誘導するなりして、退路を開く算段をするはずだった。そのぐらいの機知は期待できる。

 わかりやした、とジェーガンは節くれだった指を下に向けた。

 セラが、たずなを引いて、張りのある声を出す。翼竜が羽ばたくのを止め、前傾姿勢をとった。下降が始まった。羽根を縮めると、速度がより増した。顔に、冷たい風が当たり、涙がにじんできた。手の甲で拭い、視界を確保する。

「では、行きます。皆さん、気をつけて」

 灯台らしき突端が見えた。突っ込む。翼竜の上体が起きた。翼竜は、二回大きな羽ばたきをした。弱い左側に傾く。石の格子模様が浮かんだ。地面は近い。

「おれは、灯台に行く」

 降り立ったグードが走った。速い。レオンも続く。背後からジェーガンのくぐもった声が聞こえた。振り返ると転がり落ちていた。持っていた剣が音を立てて滑ってきた。手渡したとき、短い悲鳴が聞こえた。他人の声だ。警備隊に違いない。グードの姿が、霧に溶け込んでいく。

 翼竜は飛び去った。街道のどこかで、少しでも体を冷やさねばなるまい。

「敵の奇襲だ!」

 警備隊の声は大きかったが、慌てふためいたようすではなかった。敵、とも言った。やはり備えをしていた、とレオンは思った。ベックラーはこちらが仕掛けて来るのを読んでいた。ならば、容疑がさらに濃くなる。

「よし、おれは反対にベックラーの元に行く。できるだけ警備隊を引きつけておいてくれ」

 グードの向かった灯台から、司令部の見当をつけた。踏み出す。玄関が見えた。淡い緑色をした鎖状の鎧が浮かんだ。二体。敵意がある。右側を杖で打つ。盾で受けられた。横撃がくる。飛び退ってかわした。右に飛んでもう一度横撃を誘う。ぎりぎりでかわす。隙が出来た。石突きをあごの下に突きこんだ。手ごたえがある。何かを吐いて、倒れた。

 紋章が迫ってきた。より大きな盾で上体を守っている。同じ手は無理だった。また、誘うしかない。鎧に差がある。こちらは革鎧だった。機敏さは、こちらが上だ。得物の杖も少しだけ長い。斬撃。ななめから来た。かわしつつ杖で応じる。肘に打撃が入った。突き抜けるように思いっきり踏み込む。剣を巻き込むかたちになった。剣先が下に向いた。体をねじる。一回転して、脇腹を突いた。折れ曲がって倒れた。詰まった声に、兜の金属音が混ざる。

「ジェーガン、生きてるか!」

「もちろんでさあ!」

 近くで返ってきた。元気がある。にらみ合っているらしく、音はしない。遠くの金属音は、グードのものだろう。悲鳴が上がり、慌しい足音が交錯している。

「おれが踏み込む。お前は玄関を死守しろ!」

「わかりやした、玄関ですね!」

 返事は、間が開いていた。言った意味を考えたのだろう。大声で了解したなら、安心して仕掛けられる。

 両開きのドアを開けて、片側だけ勢いよく閉じた。鎖が慌しく鳴った。警備隊。誘い出しにかかった。

 身をかがめて待った。姿が浮き出る。また二体。駆けているので、盾が横向きになっている。左ののどを突く。入った。痰を切ったような音がした。崩れ落ちる。右がひるんだ。飛び上がって体当たりを食らわせる。固い。左肩がしびれた。ふっ飛んで倒れたところで、兜に杖を叩き込んだ。強い衝撃が伝わってきた。音が鳴り響く。体が跳ね、動かなくなった。気を失ったようだ。

 これで、敵は容易に踏み込めないはずだった。視界が悪いのが幸いした。

 レオンは、音を立てずに玄関をすり抜けた。壁に体を寄せながら、階段を上がる。

 慌てる必要はない。ベックラーの居場所はわかっている。あとは決着をつけるだけだった。




 天が味方してくれたのだろう、とジェーガンは思った。

 神は信じないが、天は信じられた。山に住んでいると、恵んでもくれない神よりも、陽光だけでもしっかり注いでくれる天に祈りを捧げるのは当然だった。

 恵みを恵みとして感じられないのは、生まれながらに持っている罪のせいだと、宣教師は諭したらしい。だから、布教に失敗したのだろう。

 人間が神の子であるなら、どうして初めから罪をこちらに背負わせようとするのか。仲間や家族にはできる限り良くしてやるべきではないのか、との長老の反論に、他の仲間が同調した。鉱山で培われた仲間意識の前には、神の入り込む余地はなかった。

 濃い霧は、天恵に思えた。いくら訓練を積んでも、こうも視界が悪くては戦いようがない。二の腕に赤い紐を結んでいるのは、同士討ちを避ける工夫なのだろうが、視界が悪すぎて役に立っていなかった。この地勢なら、霧は珍しくないはずだ。つまり、警備隊の連中はオーク族と同様この街に慣れていない。ベックラーが自分の悪事を知りうる人間を、意図的に遠ざけたのかもしれない。

 夢の中のようだった。綿や羊毛に包まれているようでありながら、からみつく手ごたえがまるでない。しかし、まだ雲の中よりはましだ。大地が加勢してくれる気がする。

 注意深くあたりを見回した。ベックラーを拘束するまで、楽観できない状況にある。

 壁に背をつけて死角をなくしたいが、距離が離れすぎていた。また、こちらの気配を残しておく必要がある。消すと、敵は司令部に殺到するに違いない。

 警備隊員が見えた。右側。驚く顔があった。お互い飛びすさった。また霧に溶ける。すり足で、反対側に逃げた。やれやれ、とため息が出る。舌打ちも出た。粗末すぎる剣では斬りあえない。しかし、契約は契約だ。手放すわけにもいかない。

 悲鳴が上がった。灯台とは違う方角だった。正門あたりと見当をつけた。鈍い、殴りつけるような音がして、何かが倒れたようだった。攻撃の仕方からして、マークに違いない。

「こっちだ!」

 おう、と反応があった。駆けつける音がする。赤毛は、濃い霧の中でも目立つ。やがて短剣を手に身構えながらすり足で進んでくる姿が見えた。

「豚野郎どもを巻くのに苦労したが、どうやら間に合ったようだな。火をつけないうちに騒ぎが起こったから、なんとなく事情はわかったけどよ。それにしてもずいぶんとまた慌しいこった」

「わかっているなら、いちいち聞くんじゃねえ。隊長が司令部に突入したぞ」

「よし、アニキなら大丈夫だろう。廊下なら囲まれることはないからな」

 翼竜の鳴き声がした。複数の怒声も聞こえる。街の西側からだった。オーク族がいて、こちらに向かってくるはずだった。セラが援護してくれているらしい。長い絶叫も起こった。直線が多い街路では、弓を使いやすい。

「翼竜のやつ、やるじゃねえか。お前が囲まれたときもそうすりゃあよかったのにな」

 警備隊が背中から飛んできた。二人がよけた間を、すり抜けて倒れる。悶絶していた。

「なんなんだ、こいつは?」

「殴り飛ばされたに決まってる。消去法でいけば、やったのは一人しかいねえ」

 すぐに霧の中から、巨大な輪郭が浮かび上がった。グードだった。身にまとった外套には、いくつかの切れ込みが入っている。左腕を押さえている指が、少し赤く染まっていた。囲まれてかわしきれなかったといったところか。

「灯台下の建物をのぞいてきた。これからベックラーの元に行く」

「何かあったのか?」

 ああ、とグードは素っ気なく答えた。

「守る連中はあらかた片付けたから、見たければ見に行くがいい。ひとまずそこをどけ。おれはどうしてもベックラーに会わねばならん。決着をつけるためにもな」

 細められた目は、鋭くもあり、醒めているようでもあった。ただ、落ち着き払った声には、決然とした意思が感じられた。灯台の下に、複雑な気持ちにさせる何かがあるようだった。

 嫌な予感がする。この大男は、目的のためなら手段を選ばない苛烈さを持っている。功績を独り占めするような卑劣漢ではなさそうだが、手柄を横からさらうぐらいはやるだろう。もし、幻惑草にこだわるようならば、状況証拠次第でドワーフ族が冤罪を被りかねない。

 とにかく灯台に行ってみるしかない。見れば、全てがわかるはずだ。

 黙って脇に寄るマークを見やりながら、ジェーガンは口を開いた。

「おい、グード。約束を忘れるなよ。今回の作戦は、おれたちの領分だ。隊長の責任がかかっているんだからな」

「くどいな。おれは、嘘はつかん」

 やむを得ず譲ると、グードは音もなくドアの向こうに消えていった。

「聞いたろう、マーク。おれは灯台に行ってくる。おめえはここを守っててくれ」

「まかしとけって。ただ、戻ってくるときは合言葉を使えよ。間違えて殴っちまうかもしれないぜ」

「なんだよ、合言葉って。そんなのいつ決めやがったんだ?」

「たった今だ。そうだなあ。契約と頑固ジジイでいいだろう。どっちも固くて食えないし」

「好きにしろ、まったく」

 歩き出すと、腿が痛みはじめた。痺れもきている。酒と薬草の効果がきれたのか、あるいは片方だけが効いているのかよくわからない。しかし、立ち止まるつもりはなかった。傷口が開いても、死ぬほどの深手ではない。

 灯台に向かう石畳の上に、多くの警備兵が倒れていた。苦悶の表情が浮かんでいないのは、すぐに気絶したことを意味している。視界の悪い状況下で、正確に急所を打てる人間は、そうはいない。

 教えられてできるものじゃない。おそらく、実戦で鍛え上げられたものだろう。隊長と同じだ、とジェーガンは思った。

 逆境が人を鍛え上げる。ドワーフ族が行う苛酷極まりない成人の儀式もそうだった。世の中に対する怒りや恨みがあるからこそ、いかなる逆境にも耐えられる。強くなったのは、単なる結果にすぎないのではないか。

 灯台の真下についた。ドアが半開きになっている。

 中に入り、あたりを見回す。結構な広さがあった。高さもある。採光用の小窓から、弱々しい光が差し込んでいて、焼いたレンガにくすんだ赤みを与えていた。

 広い室内に埃が舞っていた。それでいて、床にくっきりとした足跡がない。おそらく、この建物が何らかの目的で使われ続けていたのを示している。

 奥へと歩み寄る。やはり、灯台と思っていたのは煙突だった。灯台につながっている壁には、石炭を燃やしたような煤がついている。息を止めて煙突を見上げると、何かを取り外したような痕跡があった。場所からいって、集落で見た毒気を抜く金属管に違いなかった。

 煙突の汚れ具合からして、我らドワーフ族の仕業ではない。バズラならもっと丁寧に掃除するはずだ。

 武器や贋金の証拠はなかった。鋳型も、炉もない。おそらく異変に気づいて運び出したのだろう。森の中、水車小屋、石垣の土台など、隠す場所はいくらでもある。

 隅のほうに、大きな布袋が倒れていた。あたりには銀貨らしきものが散らばっている。

 近づいてよく見ると、やはり銀貨だった。ひとつ手に取って見ると、きちんとした刻印が入っている。ゴンドランド連邦の正貨に違いなかった。

 やはり何かをしていたのに違いない、とジェーガンは察した。これ見よがしに銀貨を置いているのは、偽装のためだと思われた。これなら、警備兵が厳重に監視していた言い訳となる。

 物証は出なかった。賭けに負けた。そう思うと、急に足と体が重くなった。

 建物を出て、マークの元に戻った。あたりは静寂が、支配していた。

「おい、合言葉は?」

「ふざけんな。おれだ」

 力の抜けた口調で、事情を察したらしい。色白の顔がこわばり、眉根が寄せられた。

「見つからなかったのか?」

「ああ。確かに何かを鋳ていたような形跡があった。だが、それだけでは拘束する理由にはならねえ。ところでマーク。忍び込んだときに、オーク族の武器を見なかったか?」

「あの霧じゃあ見えねえよ。むやみに近づくわけにもいかねえし。ただ、一人だけ出くわしたが、そいつは丸腰だったぜ。なんでも、役立たずに持たせる武器はねえ、とか言われたんだと。まあ、逃げ出す途中だったから、余計な荷物がなくていいかもしれないが」

「とにかく、手遅れにならないうちに隊長の後を追え。おれはこの足だ」

 そのとき、なにやら集団で駆けつけてくる足音がした。雑多な鎖の音がする。増援か。しかし、オーク族ではなさそうだった。走り方になにやら秩序らしきものが感じられた。

 一直線でこちらに向かってきた。

「よおし、その場を動くな。武器を地面に置け。我らは内務省のものだ」

 身構えようとしたが、機先を制された。警備隊員も同じ立場らしい。石畳に金属がぶつかる音がした。

 ジェーガンは、マークとともに剣を地面に置いた。どのみち切れない剣では、多勢を迎え撃つことはできない。内務省というからには、グードのいう同僚だろう。

「おい、ジェーガン。ひょっとしたら、賭けに勝ったかも知れないぜ」

「だといいがな」

「どういう意味だ?」

「あそこで証拠が見つからなかったのは、グードも同じだ。そうなるとやはり次善の策として、ゴブリン族に罪をかぶせてくるかもしれねえ。結果的にドワーフ族が巻き添えを食っちまう」

「飛び立つ前にアイツと約束しただろう。だったらそれを剣のように振りかざせよ。諦めるなんて、生粋のドワーフ族のお前らしくないぜ」

「おいおい。武器は、捨ててくれたまえよ」

 正面からきざっぽい声が掛けられた。足音が近づいてくる。マークは、こちらをかばうように身構えた。

「だれだ、てめえ」

 霧の中から、一人の男が姿を表した。口ひげを優雅な素振りでいじりながら、足音を立てることなく近づいてくる。グードが集落で言っていた、同僚とはきっとこの男だろう。

 それにしても派手な男だ、とジェーガンは思った。

「おれは、ゴンドランド連邦内務省所属のフリーデルという者だ。ただいまより巡視官の権限で、フィルスの警備隊司令部を捜索する。舞踏会は終わった。見苦しい抵抗はやめたまえ」

 ジェーガンは黙って両手を挙げた。マークもそれに倣った。

「結構。神殿で祈る乙女には及ばないが、神妙な態度は実に麗しい」

 護衛がそれぞれ二人ずつ、両脇についた。

「ところでおめえさん、どっち側の人間なんだ?」

「おれかい? おれは常に美しいものの味方でありたいと思っている者だよ、ヒゲもじゃ君。少し早いが、これから警備隊長室で行われる後夜祭に招待されてもらおうかな」

 護衛にうながされて、建物の中に入った。ゆっくりと階段を上りながら、ジェーガンは考えをめぐらせた。太ももはあいかわらず痛いが、かえって頭が冴えてくるようだ。

 言動を見る限りフリーデルは、堂々と決着をつけるつもりらしい。ならば、こちらにも言い分はあった。

 贋金を見破れなかったのは残念だが、罪はここで騒ぎを起こしたぐらいのものだ。ドワーフ族による幻惑草の栽培は、公に認められている。精製と密売の証拠は、集落にはなかった。全て、ベックラーとゴブリン族が組んでやったことだと主張できる。

 灯台下の建物に置かれていた銀貨は、確証はないが幻惑草の密売によるものだと思われた。ドワーフ族から奪うほど、ゴブリン族は荷役にこだわっていたはずだった。したがって、密輸に関わっている確証はどうしてもつかめないはずだ。

 懸念はある。生じた問題は初めからなかったことにするのが、内務省の基本方針となっていることだ。しかし、ドワーフ族に罪はないはずだから、集落そのものをなくすことで落着するはずだ。追い立てられるバズラたちの無念さには心が痛むが、再起の望みはあった。

 とにかく、やることだけはやった。あとは、隊長に託すしかない。

 ジェーガンは、上に昇る階段に足を掛けた。




 建物の中は静かだった。

 摺り足で進みながら、レオンは耳を済ませた。警備兵が襲ってくる様子はない。

 外も、静かになっていた。剣戟の音がまったくしない。いずれにしても争いは終わったようだった。決着をつけるにふさわしい荘厳さが満ちてくる気がした。

 警備隊司令室のドアを開けた。木窓の外は霧で満たされているが、差し込む白い光はそこそこ明るく、部屋全体をぼんやりと照らし出している。

 ベックラーは執務机に座り、書類に目を通していた。淡々と走らせる羽根ペンの動きには、動揺したようすは見られなかった。

「おはよう、レオンさん。慌てて駆けつけられたのであれば、銅山が見つかったようですね」

 書類とペンを置き、ベックラーは顔を上げた。細い顔に、とりすましたような微笑が浮かんでいる。

「ええ、ついでに興味深いものも見つけましたよ。警備隊長どの」

「ほほう。それはなんですかな?」

「それは後ほどゆっくりと。他にも聞かせたい人間がおりますので」

 ここに到着した以上、焦る必要はなかった。

 グードが現れた。毀れかけた、といった姿になっていた。傷ついた腕をかばいながら間髪入れずに乗り込んでくるとは、大胆な行動といえた。もっとも護衛が倒れていないのだから、待ち伏せの可能性はない、と察したのかもしれない。

「なにか言っておくことはあるか?」

「いいや、おれは後でいい。貴様が先に言え」

 グードは壁に背を預けて、目を閉じた。息が心もち荒くなっている。

 しばし遅れて、マークとジェーガンがやってきた。二人とも、沈うつな表情をしている。

 もう一人、派手すぎる格好をした男が部屋に入ってきた。フリーデルと名乗った。心配そうな顔で、グードにささやきかけているところを見ると、内務省の同僚らしかった。

 沈黙に耐えかねたようすで、マークが口火を切った。

「残念だが、アニキ。何も証拠は出なかったそうだぜ。おれたちの負けになるのかな」

「いいや、おれたちの勝ちだ。しかも完勝だ」

 わざとらしく明るい声を出す。反応はそれぞれ違っていた。マークは首をかしげ、ジェーガンは目を瞠っている。グードとフリーデルは、こちらに目をくれずささやきを交し合っていて、ベックラーはしきりにまばたきをしていた。

 レオンは執務机の先に視線を戻した。

「ベックラー警備隊長どの。書類を見せていただきたいのですが」

「なんの書類ですか?」

「あなたがドワーフ族との間に交わした契約書です。暗器が見つかったのですから、よもや、集落での所業を知らぬとは言いますまい」

 一瞬、部屋中に疑問符が満ちたようだった。

「ちょっと待ってくだせえよ、隊長。ここに契約書があるとは思えませんぜ」

「ジェーガンの言うとおりだぜ、アニキ。用心深いコイツが、犯罪の証拠になる契約書を手元に置くわけがない。どこかに隠しているに決まっているぜ。もし置いていたとしたら」

 ああっ、とマークは口を開けたまま固まった。どうやら、言ったことを理解したらしい。

「そうだ、マーク。おれが欲しかったのは、彼の身柄だけじゃない。最も大事なものは、ドワーフ族との間に交わした契約書だ」

「おれにもわかるように順序だてて説明してくだせえよ、隊長」

 レオンはうなずいた。

「全ては、お前が洞窟の前で少年たちを諭した言葉からだった。契約書は鉄のようなもので、使いようによっては身を守る盾となる、とな。そこからおれは、ヨルクを捕らえて尋問できない以上、契約書を利用した作戦を立てられないものか、と考えた。ドワーフ族が、悪意を持った未知の第三者との契約に合意して署名していたとしたら、贋金造りや幻惑草の精製、それに密売を行っているはずだ。しかし、集落からはその痕跡は見つからなかった。言われたことを忠実に行って報酬を得るはずのドワーフ族が、犯罪に手を染めていないのはおかしい。つまり、契約書に犯罪を示唆する文言が記載されていないことになる。それならドワーフ族の無実は間接的に証明できる。ここまではわかるな?」

「ええ。よくわかりますぜ。農具に擬した暗器は、こいつに命じられてやむなくこしらえたってこってすよね。弱みを握られているからこそ、銀を抜く秘法をも漏らしたわけですからね」

「そういうことだ。暗器の発見によって、首謀者がベックラーと断定できた。あとは契約書を押さえるだけだった。ドワーフ族の無実を証明しつつ、こっちを弾劾できる証拠となるからな」

 ジェーガンが頭をかきむしった。

「そこですぜ、隊長。こいつの性格からいって、犯行を示唆するような書類に署名するわけがねえ。なんでそんな契約書が必要になるんですかい?」

「そりゃあ逆だぜ。示唆するような文言がないからこそ、契約書の価値があるんだ」

「マークの言うとおりだ。契約書を押さえたのは、事件の真相を知る長老のバズラたちに証言をさせるためだ。ベックラーを拘束するためには、証拠と証人が必要になる。大罪であればなおさらだ。しかし、ただで証言をするはずがない。一連の事件に関して、ドワーフ族の関与はまったくない、と証明できるものが必要だったのだ。確信はあったが、確証も必要だった」

「確信って、隊長。ドワーフ族が無実だと思っていたんですかい?」

「そうだ。長老がおまえに、この地で生きていくつもりだ、と訴えた言葉からだ。生きる意志があるのであれば、わざわざ犯罪に手を染めるような書類に署名するわけがないからな」

 レオンは、部屋の隅にある書類棚を指さした。

「通常契約書には、後で改ざんを防ぐために二通作成して、割り印を押してあるはずだ。それを探せ」

「あいよっ。お安い御用だぜ」

 マークは勇んで書類棚を開け、書類を調べ始めた。隠したようすはなく、すぐに見つかった。

「あったぜ、アニキ。確かに、ドワーフ族との契約を記したものだ」

 受取った書面に目を落とす。契約書には、指定された場所に居住を認めること、そして、指示された品物を製作し、要請があったときただちに供出すること、さらに、フィルスの街の利益を不当に侵さないこと、の三項目だけが記載されている。

 漠然とした内容だが、逆にこれでドワーフ族の無実が証明できた。

 用心深いベックラーならば、犯罪につながる自分の利益についてわざわざ記すわけがない、との読みが当たった。市議会が閉鎖され、警備隊長がこの街の最高権力者である限り、ベックラー自身とフィルスの街の利益は、契約書がここに置かれている限り一致しているからだ。

 しかし、こちらの手に契約書が落ちれば事情が異なってくる。

 ジェーガンは、体がしぼむほどの大きなため息をついた。

「書かれていなければ、証拠がない以上、ドワーフ族を追求しようがねえってわけですかい。老人と子供では、あれほどの数の暗器はいらないですからね。仕上げの研ぎが入ってなければ、武器を造っていたともいえねえし。それなら、バズラたちも気が楽になりますぜ。しかし、隊長。契約書が見つからなかったらどうしたんですかい?」

「いっこうに構わない。すぐバズラを集落から連れてきて、証言をさせればすむことだ。ベックラーの身柄を確保したうえに、間接的ながらも無実が証明されているのだから、バズラが遠慮する理由はなくなる。だいいち何らかの不都合があるからこそ隠すわけであって、あとから見つかりましたと言い出せるわけがない」

 精製された幻惑草の密売には、連邦政府も頭を痛めている。犯罪を暴いたとなれば、その功績からいって、居住権ぐらいは得られるはずだ。もし元老院が居住権を否決するようであれば、政府に協力する人間は、誰一人としていなくなる。

 つまり、初めから負ける要素のない賭けだった。首謀者のベックラーを押さえた時点で、こちらの勝利は揺るぎようもなくなった。

 そう説明すると、二人は感心とも放心ともつかぬため息をもらした。

「人が悪いぜ、アニキ」

「本当だぜ、隊長。もう終わりだと思ったんですぜ」

 レオンは二人に向かって、素直にわびた。

「ああ、悪かった。しかし、最初からこちら側の勝ちしかないと言えば、お前たちは慢心するだろう。慢心は負傷や死につながる。とくに敵地に強襲をかける場合はな。だから、危険な賭けをしたように見せかけた。それに、もう一つ大事な理由がある」

「どういうことだい、アニキ?」

 内通者だ、とレオンは机を見据えて言った。

「長老のバズラに初めて会ったときに、おれたちに何か告げようとする男を目で制したのを覚えているだろう。そこから内通者の存在が疑われた。彼は話さないから、人数も正体も把握できない。困った問題になった。おれたちが勝利を確信した顔をすれば、事情を察して、バズラなどの証人になりそうな人間に危害を加えるおそれがあった。それだけは断じて避けなければならない」

 ベックラーの顔が、青みがかってきたような気がした。

「レオンさん。単なる仮定でわたしを責めるおつもりですかな? 道義的にみて、あまり感心できる言動ではないと思いますが?」

「謀略と思われても結構です。我々は工作員ですから」

 洞窟の入口で、こちらをすがるように見る少年たちの顔が浮かんだ。

 彼らに、安住の地を与えたかった。山を知りつくしたドワーフ族なら、銅鉱山を立派に運営していける。結果、国も豊かになる。親父が言っている誠実さのある謀略とは、助けを求めている人間の期待に応え、国益との両立を図ることではないのか。

 レオンは説明を続けた。

「とはいえ、勝算がないと思わせているのに、強引に出撃するわけにもいかなかった。そうすれば、勘のいいおまえたちのことだ。何か変だと思うに違いない。秘策があるのだろうと顔に出されては、内通者に見抜かれる可能性があった。つまり、こちら側にほとんど勝算がないうえに、強引に出撃しなければならない状況を作り出さねばならなかったわけだ。難問だった。しかし、グードが背中を押してくれたおかげで、最後の壁を乗り越えることができた」

 向けた顔につられたのか、皆の視線もグードに集まった。いつの間にか、腕に白い布が巻かれている。

「すまんな、グード。どうやら、道化にしてしまったようだ」

 くっきりとして意志の強そうな眉が、少しだけゆがんだ。しかし、すぐに戻った。

「気にするな。立場が逆だったら、やはりおれも同じことを言う」

「それで気が楽になったよ」

 それは良かった、とグードはつぶやいて、ベックラーの横に回りこんだ。同僚のフリーデルも挟むように歩み寄る。

 不安がよぎった。二人の動きには、ためらいがない。こちらとは違うなんらかの結論を導き出したような気がした。

「では、ひとまず首都までご足労願いましょうか、ベックラー警備隊長殿。コロンブエ山脈中央部の集落で行われていた、ドワーフ族による幻惑草の精製及び密売事件の証人としてです」

 木窓から、小鳥のさえずりが聞こえてきた。誰もが発言を理解していないようだった。

 沈黙を破ったのは、ジェーガンだった。

「こいつめ。言うにこと欠きやがって!」

「よせ、ジェーガン。やめろって」

 マークに腕を回されながら、ジェーガンはわめいた。

「おめえ、隊長と約束したろうが! ベックラーの拘束はこっちの領分だぜ」

「もちろんだ。だから、レオンの発言が終わるまで、おれたちは待っていたのだ。最善の策が潰えたのであれば、次善の策を用いるしかあるまい」

 レオンはいぶかしんだ。次善の策とは、ゴブリン族の捕捉であるはずだった。なのになぜ、ドワーフ族に焦点を合わせてきたのだろうか。

 そういえばグードは、集落にいたときに単独行動をしていた。そのときになにか証拠でも見つけたのだろうか。

「次善とはなんだ。そもそもドワーフ族には、幻惑草の栽培が認められているはずだぜ!」

 栽培はな、とグードはあっさりと認めた。針のように細めた目を、ジェーガンに向ける。

「ジェーガンよ。では改めて訊こう。集落を遠巻きに警戒していたのが、どうしてゴブリン族だとわかる。どうやって、ドワーフ族が扮したものでないと証明できるのだ?」

「なんだと!」

「貴様は大勢で襲われていながら、足にそこそこの傷を負っただけだ。なぜか。彼らが同族だったからではないのか。同じような赤銅色の肌だ。ヒゲをそり、墨を入れれば区別はつきにくい。しかも襲撃されたのは夜だった。月明かりだけで、なぜ、ゴブリン族だと明確に言い切れるのだ?」

 背中に冷たいものが走った。確かに理はあった。集落にいたドワーフ族は老人と子供だけであり、一方のゴブリン族は壮年だけだった。合わせれば、歯車のように全てかみ合う。警戒線が外側に向けられていた理由も説明できる。

 夜でもあった。こちらはジェーガンを救出するのに必死で、顔はよく見てなかったし、夜目が利かないセラでは証人にならない。

 あれはゴブリン族だ、と断言したかった。壮年の人間がいるのに、わざわざ少年たちに、危険なはずの貝殻を焼く作業をさせるとは思えない。しかし、欺瞞だと主張されればそれまでだった。焼いているところをじかに目撃したわけでもない。

 一同をゆっくりと見渡してから、グードは言葉を継いだ。

「とにかく、ドワーフ族の幻惑草への関与は濃厚だ。だから、ベックラー警備隊長を弾劾する証言は、採用されない。法廷の弁護人だって、そう主張するに決まっている。したがって先に言ったように、次善の策をとることにする。幻惑草の精製と密売を根絶するのがおれたちの役割だ。こちらは約束を守ったのだ。もはや邪魔はさせんぞ」

「では、ベックラー警備隊長。これから首都に同行していただきます。公用ですので、窮屈な思いをなされるでしょうが、武骨者ゆえご容赦のほどを」

 フリーデルが優雅な振る舞いで起立を促すと、ベックラーはやれやれといったふうに立ち上がった。こちらに顔を向ける。目に険しい光が宿っていた。やっと本性が出せた、といった感じだった。

「ところで、グード君とやら。この無礼な魔法使いどもはどうするのだね。清廉潔白なわたしを、さんざん侮辱したのだぞ」

「彼らの努力で、ドワーフ族の犯罪が明らかになりました。処分は兵部省に委ねて、妥協したらどうですか」

「妥協とはどういうことだね?」

「妥協とは、双方の合意によって成り立つものです。これまで商工組合と妥協してきた、とレオンに言っていた貴殿が、まさか知らぬわけではありますまい」

 グードの目は、黙って手を打て、と言っているようだった。

 忌々しげな表情を見せながらも、ベックラーは口を閉ざした。黙っていたほうが得だと判断したようだった。やはり圧迫するだけの何かを知っている、とレオンは察した。

「本当に証人としてここを出立するのだな?」

「わたしは嘘を言いません。彼らも知っています」

 三人が出て行こうとしたとき、ジェーガンが声をあげた。

「覚えてろよ、グード。おれたちを利用するだけ利用しやがって。生きている限り、おれは絶対、おめえを許さねえぜ」

 グードは顔だけ、レオンに振り向けた。幅のある体が、ドアをふさぐかたちになった。

「レオンよ、このわからず屋にゴンドランド連邦がどんな国であるか、帰り道にゆっくりと教えてやるのだな。ドワーフ族だけの理想郷など、単なる夢想のたぐいにすぎん。魔法使いが魔法を求めるようなものだとな」

 いきなり、頭を殴られた気がした。意味はわかった。現実を見据えろ、と言っている。

 ゴンドランド連邦は、多くの少数民族がさまざまな土地で暮らしている。国をまとめていくために民族の混成を進めようとしているのに、ドワーフ族だけ特別扱いさせるわけにはいかない。例外を認めれば、収拾がつかなくなるおそれがある。

「悪いな、魔法使いさんたち。贋金はたしかに醜いが、人は死なないからな」

「フリーデルの言ったとおりだ。すまんな、レオン。貴様も道化にしてしまったようだ」

 レオンは二人に向かって怒鳴ろうとしたが、かろうじて思いとどまった。

 裏に、何かがある。

 グードは、他人を嘲って喜ぶ男ではない。手柄を独り占めするような男でもない。剣を首筋に当てられたときにそう感じていた。だとすると、何のために我々を遠ざけたのか。ベックラーから切り離したのか。

 幻惑草の密売組織を根絶させる、と言ったはずだ。ヨルクが消え、ベックラーが根だとわかっているはずなのに、なぜここまでかばうのか。

 レオンには、まったくわからなかった。


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