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第八章 鉱山の雫

   第八章 鉱山の雫


 蜜蝋燭を灯しても、上は暗いままだった。

 闇に押し潰されそうになるほど、洞の天井は高い。十人の大人が手を繋いで届くかどうかのポポリの巨木である。伐採所の近くだが、あたりは暗闇に包まれていて、中で静かにしている限り、敵に見つかることはないはずだった。

 ジェーガンは、洞の内壁にもたれかかりながら、さきほどの出来事を思い返していた。

 冷静になれば、周囲に気を配ることもできたはずなのに、憤って失敗した。

 小さい鍋のようだ、とジェーガンは自嘲した。すぐ熱くなって、かき回された。結果として、太腿に傷を負った。自分の過ちで、味方を死地に追いやった。明らかな失態だった。

「どうした、ジェーガン。そんなに痛むのか?」

 酒瓶のふたを閉めながら、レオンが、心配そうな顔で言った。

 どうやら、傷口を洗ってくれたらしい。斬られただけでなく、先ほど地面を這いつくばってもいた。ついた泥や土で、膿むのは避けねばならない。

「いいや、隊長。ちょっと傷口がしみただけでさあ」

 本当はしみていなかった。もしかすると、心に吸われたのかもしれない。

 今ごろになって、酒精の冷たさを感じる。

「卵があれば、白い膜を傷口に貼ることができるのですが」

 どうやらセラは、傷は浅いと励ましたいらしい。泡が出るまで揉んだ薬草を腿に塗り、松明用の松脂を重ね、白い布を巻きつけてくれた。戦場で嗅ぎ慣れた青臭い匂いが、酒に混ざって微かにただよってくる。

「増血作用のある薬草がありますが、煎じましょうか?」

 ジェーガンは手で制した。

 回復力には自信があった。病気も怪我も食べて治す先祖代々の風習のおかげだろう。険阻な山に住んでいると、医者にめぐり合う機会が少ない。

 逆にセラのほうが心配だった。休むことなく翼竜と飛び回っていれば、疲労がたまっているはずだ。なにに突き動かされているのかはわからないが、自分を追い込むように頑張りすぎる。

「そんなに構わなくていいぜ。このぐらいの出血でくたばるほど、ドワーフ族の血は薄くねえ」

 華奢な体が、一瞬固くなった気がした。なにやら誤解したようにも見えた。慌てて取り繕う。

「いや、違うんだ。おれたちは普段から高い山で暮らしているだろう。だから、血が濃く出来ていて、このぐらいの出血ぐらいじゃあ息が上がらねえってだけだ。決して、エルフ族の血が薄いおめえのことを悪く言っているわけじゃねえんだぜ」

「はい、わかっています」

 返事ははっきりとしていたが、どことなくかすれて聞こえた。疲れのせいだろうが、傷ついたようにも聞こえてしまった。先ほどの失態で、引け目を覚えているからかもしれない。

 マークがいれば、血の気の多さには自身があるもんな、と笑い話にしてくれるところだろうが、あいにく偵察に行ってしまっている。

 ジェーガンは頭を掻いた。

 どうも、よその女の扱い方は難しい。出稼ぎ仲間連中も、一緒に暮らすのなら同族の女が一番だ、と言っていたのを思い出した。

 好んで不自由な高山に住みたがるよその女などいないので、負け惜しみだと思っていたが、なんとなく意味がわかってきた。出稼ぎに行きながらも、他の部族と血が交わっていかないのは、そのあたりに原因があるのだろう。

 レオンが、あいだを取り持つように口を開いた。

「贋金造りの場所と犯人はだいたい特定できた。我々の任務はあくまでも贋金の調査だから、これで切り上げてもいいんだが」

「隊長。回りくどい言い方はなしにしましょうや。ドワーフ族が贋金造りに関わっていることは間違いねえ。だから、おれはどうしても理由が知りてえ。あいつらに直接会って詳しい事情を聞くまで、たとえ足を引きちぎられても、おれは帰りませんぜ」

 レオンはしばらくこちらを見つめていたが、はっきりとうなずいた。

「わかった。では率直に聞こう。ドワーフ族が同族を監視していたのはなぜだ。なぜ、団結心に定評があるドワーフ族が、同じ部族を見張る必要がある?」

「それは考えるまでもねえ。交わした契約のためでさあ。契約書にそう書いてあれば、なにがなんでも従って行動する。それがドワーフ族なんで」

「となると、契約した相手は念を入れたんだな。もし、味方が監視しているのにドワーフ族が逃げたとしたら、部族全体の信用が失墜するわけだ。それほど契約は重いというわけか?」

「そういうことで。普通の人間が契約を結ぶのは、生活のためでしょう。商取引にしても、雇用にしても同じです。ですがドワーフ族は違いまさあ。おれたちが住んでいる高山は、契約していかなければ生きていけない土地なんで。つまり、生きるためでさあ」

「出稼ぎか。そうとう苛酷な生活をしているんだな」

 端正な顔に影が差し込んだのは、炎の揺らめきではない気がした。

「高山は何も恵んでくれやしません。水もほとんどねえし、空気ですら薄いですからね。だから外に働きに出て、手に職をつけて家族を養っていくしかねえ。しかし優れた技術を持っている人間は限られます。だから、大部分は荷役夫や傭兵として契約を結ぶわけでさあ」

 二人のとも、無言で聞いてくれた。痩せた畑が水を吸い込むようだ、とジェーガンは感じた。

「一度契約を結んだら、途中どんなに辛くても苦しくても、逃げるわけにはいかねえ。納得したうえで結んだ契約を中途で破棄すると、二度と雇ってもらえなくなりますからね。特に傭兵が厳しい。決して逃げねえ。負けていても逃げねえ。全滅しかかっても逃げねえ。死んでも逃げねえ。逃げたら信用を失って、仲間の家族が飢えることになっちまいますからね。だからこそ、傭兵として重宝されるともいえますが」

 職人も傭兵も、自分で値段を決める。自分の値段で、仲間の価値が決まる。そう叩き込まれてきた。だから、炭も握った。煙たがられながらも、知識をひけらかしてきた。

「別の場所に移住しようとは思わなかったのか?」

 レオンの声は、沈んでいた。

 宣教師や魔法使いたちの暗躍は、先祖代々の言い伝えで知っていた。しかし、仲間と同じく恨みには思わなかった。でなければ連邦政府で働くわけがない。先祖を追い立てた諜報部員になったのは、皮肉なめぐり合わせとしか言いようがないが。

 木がなくては、鉱山では生きていけない。だから、木を独り占めしようとしたエルフ族との戦争を始めたのだ。いわば部族全体の意志だった。他人のせいにしては、先祖を穢すことになる。エルフ族とて同じことだろう。さもなくば、魔法使いを婿として受け入れたりはしない。

「なんだかんだ言っても、故郷ですからね。それに、誰も住みたがらないからこそ、土地を奪われることもないってわけなんで。高山なら盗賊の心配もねえですしね。家族や仲間と離れるのが、少し辛いぐらいのもんでさあ」

 セラがおずおずと口を挟んだ。

「必要としてくれる人間がいるから、頑張ることができるのですね」

「そいつは違う。世の中に、もともと不要なものなど何ひとつありはしねえんだ、セラ。この木を見てみろ」

 ジェーガンは天井を指差した。

「材木商の娘ならわかるだろう。これほどの空洞があるから、伐られずにすんだ。それでおれたちが体を休めることが出来る。身を隠すことも出来た。不要と勝手に決めるのは、支配者ぶった人間の思い上がりだ。仲間もそうだ。欠けているものがあるからこそ、がっちりと組み合わせることができる。組み合わせれば、元よりもはるかに強くなる。ゴンドランド連邦も、そうやって誕生したんじゃねえか。そうは思わねえかい?」

 ただの牡蠣殻でさえ、焼けば石灰として使える。銅と鉛を一緒に焼いて鉛だけを溶かし出し、石灰の上に流し込んで熱すると、鉛が下に落ちて銀だけが上に残る。あるいは、赤レンガのかけらと塩でもいい。

 どちらも一見してつまらないものだ。しかし、使いようによっては大変な価値を生みだす。人間とて例外ではないはずだった。

「そうですね。そうですよね」

 いきなり、セラの目が大きくなった。わが意を得た、といったふうに何度もうなずいている。

「そういうこった」

 なにをどうわかったのかよくわからないが、元気になるのはいいことだ、とジェーガンは思った。

 それにしても、よその女の気持ちは、やっぱりよくわからない。

 レオンが話題を戻した。

「任務の話に戻ろう。お前の話からすると、ドワーフ族と契約を交わした人物がいるということになるな。考えられるのは商工組合の組合長ヨルクと、警備隊長のベックラーだが、どちらだと思う?」

「ヨルクだと思いますぜ。あくまでもおれの読みですがね」

 ドワーフ族が契約を結ぶのは、自分が兵部省と契約を交わしたときのように、待遇に納得した場合に限られる。たとえ武人のベックラーがうまいことを言って契約を交わそうとしても、それを見抜けぬ仲間たちではない。武力で脅すのは無駄な行為だ。勝ち目がなくても闘うのは、傭兵たちが証明してくれている。徹底的に抵抗されて騒ぎが大きくなり、犯行が明るみに出るだけだ。

 だいいち商売の素人が、商工組合を使わずに贋金を流通させることは不可能だった。

 そう説明すると、レオンは何度もうなずいて賛意を示した。心のどこかで、ベックラーを信じたいという気持ちがあるのかもしれない。

「とにかく、まだ証拠が足りません。わかっているのは集落からなにかを運び出しているのと、贋金を造っているという事実だけですからね。だから山脈東側の伐採場に戻ってきたわけでさあ。何かあるとしたら、ここしか考えられません。西側集落からの抜け道もあるでしょうし」

「向こう側に通じる坑道がある、と言いたいわけだな?」

「雨雲もあまり通さねえほど高さのある山です。西側から大量に贋金を運び込むためには、稜線を越えていたんじゃあ割にあわねえ。どこかに抜け道が掘られているに違いねえですよ」

「たしかに、ここらへんの山脈はくびれている。掘るなら、ここが一番楽だろうな」

「運搬について色々考えたんですがね、隊長。ポポリの巨木を運ぶときに中に贋金を詰めて運べば、誰にも知られずにすみますぜ。巨石と同じように荷車ではなく、丸太を敷いて運べば轍の深さから重さを測られることもありませんからね。運んだ後の木は、スが入っていたことにして、細かく切って石垣の土台にしちまえば何も残りませんし」

 静かに、とセラが唇に指を当てた。

「誰か来ました」

 ジェーガンは、斧槌を手にした。レオンも杖を手にとった。

 立ち上がろうとしたとき、茂みが割れ、闇がマークのかたちに浮き上がった。

「おれだよ、アニキ」

「入口は見つかったか?」

「ああ、ジェーガンが言ったとおりだった。下草を刈った跡をたどると、洞窟の入口があったぜ。まさか、天然の洞窟が向こう側に通じているとは思わないよな。どうりで地図に載っていないわけだ」

「入口のようすはどうだった?」

「見張りがいた。しかめっ面をしたドワーフ族が二人だ。ひげを生やしてねえから、まだ少年だろうな。気が張っているばかりじゃ疲れるだろうから、おれが休ませてやったよ。まさかアニキ譲りの杖術を使うとは思わなかったけど、素手だとかえって手加減が出来ないからさ」

 マークは瘤のある木の棒を見せつけた。身が締まっているポポリの枝は、細くても棍棒の役割ぐらいは果たせる。

「周囲はどうだった? 誰かいたか?」

「いいや、不思議なぐらい静まりかえっていたな。不気味なぐらいだった。どうしてなのかよくわからないが」

 首を振るマークの後ろから、重い声が聞こえてきた。

「ゴブリン族なら、おれが片付けた。不意を突けば簡単に倒せるものだな。枯れ葉をかけているから、すぐには見つからないだろう」

「誰だ!」

 マークの誰何に添うかたちで茂みが割れ、大男が姿を表した。肩幅は広く、胸板も厚い。ドワーフ族をふたまわりほど大きくしたような体型だった。長めの外套をはおっていて、腰には剣を思わせるふくらみがあった。

「そのまま後をつけてもよかったが、中に見知った顔がいたのでな。つい声をかけた」

「グードか」

 レオンが問いかけた。どうやらこの大男は、グードとかいう名前らしい。

「て、てめえ、いつの間に」

「貴様の特技が偵察なら、おれは追跡が専門だ。お互い背中に目はついていないのなら、先を歩く者の後をつけるのはたやすい。荷役夫の連中よりは難しかったが」

 どうやらグードは、セラの言っていたゴブリン族の連中を追ってここまで来たようだった。それにしても、マークが背後を取られたのは驚きだった。巨体のくせに、動きが身軽らしい。

 グードは、隙のない身のこなしで洞の前に立った。

 穴の中から見上げているせいか巨体がより大きく見え、威圧されているような気分になる。口調は淡々としているが、襲撃者を思わせる冷酷な響きはなかった。とらえどころのない野郎だ、とジェーガンは思った。銅像が口を利くと、こういった感じになるのかもしれない。

「レオンよ。どうしてここに、は省こう。目的があって、お互いここに来ていることだしな。どうだ、今まで見聞きしたことを教えあわないか?」

「殺そうとした人間のいうことを信じろと言いたいのか?」

「殺そうとした人間がそばに来ているのにもかかわらず、仲間を守って身構えようとしないのは、おれが今置かれている立場を少しは理解している証拠ではないのか。違うのなら話すことなどないが」

 二人はしばらくにらみ合ったあと、レオンが折れるかたちで口を開いた。

「いいだろう。ただし、等価交換だ。あんたの情報に応じて、こちらも話す」

「よかろう」

 全員の簡単な紹介をすませたあとで、二人は言葉を交しあった。

 ジェーガンには損な取引に思えた。ゴブリン族が犯行に関与しているかもしれないのは、とっくにわかっていることだった。荷役を奪われたとの話は、すでに仲間から聞いている。

 ただ、幻惑草の話は初耳だった。ドワーフ族だけが栽培を許されている薬草のはずだ。空腹と疲労感を消し去る作用があり、山脈の稜線を延々と歩き回る成人の儀式には欠かせないものだ。

 石灰とともに噛むとは知らなかった。幻惑草を精製できるというのも同様だ。内務省が動いているとは聞いていたが、それほどの効果はないはずと決めつけていた。

 贋金同様、ドワーフ族が犯罪に関与しているのだろうか。ジェーガンは気が重くなった。

 続いて、レオンが話す番になった。グードは黙って聞いていた。しかし、隊商が何やら荷物を持って出て行ったのを聞くと、手振りで話を止めた。

「それは、精製された幻惑草に違いなかろう。かさばらないうえに、高値で売れるからな。隊商も喜んで取引に応じるだろう。一度砂漠に入ってしまえば、追跡の手を容易にかわせる」

 ジェーガンはかろうじてうめき声を上げるのを抑えた。

「おれたちが幻惑草を密売する犯人だって思っているのかい? 幻惑草の精製なんて方法は知らねえし、その必要もねえのによ」

「ジェーガンとかいったな。世の中には裏の面が存在するから、おれたちが活動しているのではないのか。確かにドワーフ族は契約を守る立派な部族だと評判を得ている。しかし、愚直で頑迷な連中と評価されているのもまた事実だ。契約書にそれなりの文言が記されていれば、従うより他にはないだろう。誰にでも弱点はあるものだ。仲間思いの貴様たちならわかるだろう」

「てめえ、真っ当に生きているおれたちに、なんの弱味があるってんだ!」

 まあ待て、とレオンが間に割り込んだ。

「まだ運び出しているのが、精製された幻惑草だとは決まったわけではない。それよりも皆で早く洞窟に行こう。幻惑草であれ贋金であれ、新たな証拠が見つかるかもしれないからな。セラ、おまえは山脈の稜線上を旋回して、どちら側にでも急行できるようにしておいてくれ。月と集落の位置関係を常に頭に入れておくんだ。月に翼竜の影が入ると、相手に意図を悟られる」

 大事なことはわかりきったことでも、念を押しておく。特機隊の習慣だった。セラも決してわかっています、とは言わない。黙ってうなずいて、姿を消した。

「では、マーク。案内しろ」

「あいよ」

 マークを先頭に、洞窟の入口へと向かった。下草が刈ってあるので、歩くのは楽だった。

 洞窟が見えてきた。かがり火のそばに倒れている人影があった。マークの言ったドワーフ族の少年に違いない。右足は折り曲げられていて、親指を結んだひもが、後ろ手に縛り上げた手首につながっている。こうすると、どうあがいても逃げられなくなる。

 口にもしっかりとひもがかまされ、舌を噛み切れないようになっていた。奥にも一人いて、同じような姿で横たわっている。

「怒るなよ、ジェーガン。こいつらも必死に剣を振り回していたから、棒で突き転がして縛り上げるしか方法はなかったんだ。逃げられて通報されるのも厄介だしな」

 険しい表情になったのがわかったらしい。言いわけをするマークに無言で斧槌を押し付け、ジェーガンは手前の少年を抱え起こした。

 頬を強く張った。乾いた音がして、少年は壁に叩きつけられた。続いてもう一人。同じく張り倒す。

 マークが急いで前に回り込んできた。

「おい、なにをしやがる。そいつらは同族で、しかも子供だろうが!」

 ジェーガンは静かに答えた。

「こいつらは殴られた理由がきちんとわかっている。おれたちが敵だったらどうする? こいつらが死ぬだけじゃない。奇襲を受ければ、他の仲間まで犠牲になったことだろう。交わす契約には善悪の区別はねえ。ただ守るか守れないか、それだけだ。年齢は関係ねえ。相手が強くてかなわないと思っても突っ込む。武器がなければ、殴って噛みつく。それがおれたちの戦い方だ」

 なにか思い当たるふしがあるのか、マークは、開きかけた口を閉じた。

 親指を結んでいたロープだけを解いて、少年たちを立たせた。引き結んだ口元は震えていて、目には涙がたまっている。しっかりと、殴られた理由がわかっている。

 ふと、口元に目をやった。唇がひび割れていた。殴られたせいではない。慌てて、手の指も見る。やはり、ひび割れがあった。

「おめえらの役目は見張りだけじゃねえな。牡蠣殻も焼いてやがるだろう?」

 少年らは無言だった。しかし、それ以外考えられなかった。

「年端もいかない少年がやる仕事じゃねえんだがな」

「なんだか、危険な作業のように聞こえたが」

 レオンが、聞きとがめたように訊ねてきた。

「ええ、隊長は知らねえでしょうが、これほど厄介な仕事はありませんぜ。窯を使って貝殻などを焼くんですがね、そのときに重い毒気が出るんでさあ。銅鉱石とはまた違う毒気ですがね。それを吸うと気を失って、焼けた窯に落ちることも珍しくないんですぜ」

「それは初耳だ。フィルスで見かけなかったのは、危ない仕事だったからだな」

「まあ、燃料の薪が必要だったからともいえますがね。もっともそれだけじゃねえんです。出来上がったばかりの石灰は火を出しやすいんで。だから水に漬けて大人しくさせねばならねえんだが、これがまた大変なんでね。いきなり入れると弾け飛んだりするんでさあ。そういった仕事に従事していると、どうしても唇や指がひび割れちまう。だから、一目見てわかりましたぜ」

 なるほどそういうことか、とマークが思い出したようにつぶやいた。

「石灰を使った新兵器とやらを錬金術師から聞いたことがあるぜ。そいつに硫黄と精製した油を混ぜこんだものを筒に入れて水を注ぐと、巨大な火を吹くんだと。なんでも海賊対策の切り札にしようと開発していたらしい。魚くさい人造バター造りなんて、ふざけた研究だと思っていたんだが、どうやら偽装だったみたいだぜ。まんまと釜焚き屋に騙されたな、アニキ」

「おれでさえ知らないことを、よく知っているな」

「上層部の悪態をつきながらカリカリしている連中がいたから、それとなく酒場に誘って聞き出したのさ。連中も陰の存在だから、自らの功績を認めてもらいたくてしょうがないってわけ。ちょっとくすぐってやるだけで、嬉しそうにしゃべってくれたぜ。どうだい、単純な人間だと常に思わせておけば、こういった情報も聞き出せるんだぜ」

「思いのほかしつこい性格には、相手も迷惑しただろうがな」

 マークはばつが悪そうに頭をかき、あらためて少年たちに向き直った。

「ひでえことをしやがるぜ。良心に苛まれるってことがねえのかな」

 マークが憤る気持ちは嬉しかった。しかし、契約書に記されていれば、ドワーフ族としては従うより他にない。

 ジェーガンは改めて少年たちに視線を注いだ。収穫があった。集落には壮年の男性はいない。留守を預かって、危険な力仕事を任せられるのが、少年たちだけだったと推察できる。

「いいか、おめえら。契約ってのはな、ドワーフ族にとって鉄のようなものなんだ。固くて、冷たい。そう思うだろう。おれも父ちゃんに言われたときはそう思っていた。確かに、鎖のように動きを封じられる場合もある。だが、使いようによっては身を守る盾や鎧にもなるんだ。ちゃんとした契約を結べば、そいつがおれたちを守ってくれる。先祖のように騙されず、故郷を奪われることもなくなる。しっかりと、胸に刻んでおけよ。いつか必ず、役に立つときがくる」

 マークが口を添えた。

「ジェーガンの言うとおりだぜ。こいつは融通はきかねえが、背中を見せることができる得がたい人間なんだからよ」

 少年は、ようやく口を開いた。

「それを言うために、私たちを襲ったわけではないでしょう?」

「もちろんだ。おれたちは贋金と幻惑草の調査に来ている。仲間の無実を晴らすためだ。おれはおめえらが、利を貪るためにしているとは思えねえ。なにか事情があるはずだ。それが知りてえだけだ」

 顔を見合わせる少年たちの表情には、困惑の色が浮かんでいた。洞窟を守る任務は失敗していた。この上、口を割ったのでは重大な契約違反となる。そうした思惑が交差しているようだった。もっとも、なにも知らされずに立たされている事情も否定できない。

 しかし、調査が入った以上、無実を晴らしたいに違いない。何をどうしたらいいのか、途方にくれているように思えた。

 マークが、少年たちの肩を軽く叩いた。

「じゃあ、こうしようぜ。お前たちはここで寝ていろ。もし詰問されたらこう言うんだ。一人の育ちが悪くて乱暴なドワーフ族がやってきて、いきなり殴りつけられ縛り上げられたと。なにを訊かれても、後のことは覚えていないと主張するんだぜ。お前たちはドワーフ族を守る責任があるが、味方のドワーフ族だと思ったのなら仕方がないってわけだ。どうだいジェーガン、妙案だろう?」

「育ちが悪くて乱暴は余計だがな」

 木立がかすかにざわめいた。入口を吹きぬけた風が、暗澹としていた雰囲気を払ったようだった。

「おじさん!」

「おじさんじゃねえ、おれはまだ二十歳だ」

 マークは笑いながら、ジェーガンの肩を叩いた。

「どっちでもいいじゃねえかよ。要するに、無実を晴らして欲しいってんだろう。おれたちに任しておけ。何とかいい具合にまとめるからよ、なあアニキ」

「安請け合いはできんが、最善は尽くすつもりだ」

 ジェーガンは足元に転がっている剣を手に取った。見るからに切れ味が悪そうで、重心もどことなく握りからずれている気がした。素人が打ったものに違いなかった。それでも重くて振り回しにくい斧槌よりはましといえる。腰に差してから、少年たちに向き直った。

「わかった。こいつを契約料としよう。斧槌は署名入りの契約書代わりだ。無くすなよ。ドワーフ族にとって契約書は何よりも大事なものなんだからな」

「ここでゆっくりと寝ておくといい。結果がどうであれ目が覚める頃には、全てが終わっているはずだ」

 グードが穏やかな声で言った。気遣っているように聞こえたが、どことなくぎこちなさがある。

 真摯な視線に送られながら、洞窟に足を踏み入れた。

 無実ならば、絶対に疑いを晴らしてやらねばならない、とジェーガンは思った。

 ドワーフ族全体の名誉がかかっていた。契約を交わした自分自身のためでもあった。




 まるで呑み込まれたようだ、とレオンは思った。

 冷え込んでいた外とは違い、洞窟は汗がにじむほどの熱気がある。地の熱のせいだろうが、洞窟そのものが生きているかのような錯覚を覚える。神話絵巻に出てくる蠱獣の体内も、こういったものに違いない。

 頭上や首筋に滴り落ちてくる水滴は、生温かい唾液のようだった。牙のように垂れ下がった岩以外の箇所は滑らかで、松明の光を受けて天上で揺らめくさざ波模様が、ぬめった感じの岩肌に、貪婪な生命を吹き込んでいる。

 しばらく歩き続けると、穴がひとまわり小さくなった。一目で坑道とわかった。無駄なく組まれた肋骨のような坑木が、奥まで延々と続いている。上への勾配ができ、ところどころに段差があった。急な出水の勢いをそぐために、わざと切られたものらしい。

 足音が水音に変わるたびに、レオンは顔をしかめた。地面を伝って流れていく水が、やけに足にしみる。

 坑道の両側には溝が掘られていて、坑道脇にあつらえた溜め池につながっている。池は自然の空洞を利用したものでそこそこの深さがあり、中には屑鉄が大量に沈められていた。坑道からしみ出た水には少なからぬ銅が含まれていて、鉄の働きによって取り出せるらしかった。鉱山を知りつくしたドワーフ族の叡智といえた。

 余分な水は、奥に続いている穴から流れ出る仕組みになっている。付近の樹木が枯れていないのは、地下に広がる石炭のせいかもしれない。炭には、水を清める働きがある。

 そう指摘したジェーガンは、無言で先頭を歩いていた。歩幅を数え、決まった数になると立ち止まっては岩肌に手を当てている。ドワーフ族の間では、暗闇でも現在の場所が把握できるようにと、独自の模様を側面に彫りつけてあるとのことだった。

 レオンはそのまま付き従うことにした。黙々と進んでいるのは、順調な証しといえる。

 間ができたので、後ろを歩くグードに尋ねてみることにした。

「あんたが北門から馬で飛ばしてきたのは、幻惑草の解明を急がねばならない事情があったからだろう?」

「ああ。おれにとってこれ以上ないほどの窮地だ。なにしろ、重要な証人が消されて、おれに嫌疑がかかってきたからな。だから、やむなく騎馬で北門を強行突破した」

「証人とは、組合長のヨルクだな」

 そうだ、とグードは即答した。

「奴が経営する酒場に、吟遊詩人として潜り込もうとした。用心棒の空きはなさそうだったからな。試用の歌をうたっていたときに、下での騒動のせいで失敗してしまった」

 右を歩くマークが振り返った。松明の光を浴びて、赤い髪が銅色に輝いている。

「悪かったな。そいつはおれのせいだ」

「ずいぶんと正直に謝るものだな」

「なあに。嘘や駆け引きが、おれは大嫌いなだけさ。あっちもおれのことを嫌っているだろうぜ」

 唇の端から、白い歯がのぞいた。しかし、目は笑っていない。傷を持つ人間なら、顔を背けたくなるような鋭い視線だった。嘘は許さない、とかすかに赤みを帯びた瞳は語っているようだ。

 グードに動ずるようすがないのを見てとったのか、マークは前に視線を戻した。

 段差の間隔が少しずつ広がり、勾配がゆるやかになってきた。中間地点に近づいているようだ。熱がこもっているせいか、肌がほてってきた。

「あんたが酒場を追い出された後、ヨルクが殺され、酒場に火がつけられた。おれたちが宿屋に着いて話し合っていたときだ」

「ああ、おれも宿屋に戻っていた。同僚と一緒に、善後策を立てようとしていたところだった」

「まったく、かわいそうになあ。常識的に考えれば、暗殺の首謀者は内務省だってのが、一番しっくりくるよなあ。なにせ、幻惑草密売の証拠と証人を消せたうえに、邪魔なあんたを犯人として始末できるんだ。内務省なら殺害の動機など、いくらでもでっち上げられるだろうぜ。こっちもいい迷惑だがな」

 マークの言うとおりだ、とレオンは思った。なにしろ兵部省に依頼しておきながら、四人組ごとこちらを消し去ろうと考える連中だ。そのぐらいの芸当は、眉一つ動かさずにやってのけるだろう。

「おれたちは宿屋にこもったきりで、その後の事情は知らない。あんたはどうだ?」

「火事と聞いて宿屋を飛び出そうとしたら、東門からゴブリン族が積荷を載せた荷車を押しながら出て行くのが見えた。やつらが警備隊を無視してくれたおかげで、北門に脱出の隙ができたのだから最悪の事態ではなくなったのだが」

「積荷?」

「そうだ。樽がいくつか積まれていた。同僚とその部下たちが全力で追っているから、いずれ中身はわかるだろう。とにかく、おれは断ち切られた糸をここで紡ぎ直さねばならん」

「なるほどな」

 連絡手段がなければ、同僚や部下が証拠を押さえたかどうかがわからない。ここでフィルスに戻るのは冤罪の危険が伴う。一度捕まってしまえば、相手は抗弁する機会など与えはしないだろう。どうしても警備隊を説得できるだけの証拠を握りたいはずだ。

 幻惑草と贋金。全く違う事件だが、手を握る余地はありそうだ。

 マークがわざとらしく背を伸ばした。

「ああやだやだ。色々な出来事が起こりすぎて、頭が混乱してきそうだぜ」

「断ち切るのも、一つの手だ。おれが言うのもなんだがな」

 後ろにいるグードが、ぽつりと言った。体格にふさわしからぬ声量で、自分に言い聞かせているかのようにも聞き取れた。

 レオンたちが立ち止まって振り返ると、今度ははっきりと言った。

「得るものが多いと、かえって混乱することがある。さまざまな民族を受け入れているこの国のようにだ。逆に余計なものを削ぎ落としていけば、本質が見えてくる場合もある」

「絞り込めと言いたいのか、グード」

「そうだ。なにはともあれ、フィルスで一番偉いのはベックラーだ。犯罪に関与していないとは考えられない。いかなる事態になっても、責任が生じるのは自明だからな」

 道理だった。それでも、ベックラーの関与は信じたくなかった。

「賄賂でヨルクに弱みを握られている、と教えてくれたぞ。言葉ではなかったが」

「それこそ変だとは思わないか。相手は、地元の商工組合の組合長だ。いわば警備隊司令部に出入りする業者だろう。だったら、露骨に金銭を渡さなくても、いくらでも経費を浮かせる手段があるはずだ。金銭の始末に気が回らない男は、清廉とはいわん」

「つまり、困窮していると見せかけるために、わざと賄賂を受取ったと解釈するのか」

「今のところ否定はできんだろう。ベックラーを信じきるなら、無実の論拠を固めることだ」

 グードの突き放したような言い方に、マークは即座に反応した。

「しかし、グード。一つ聞いておきたいが、正しいとか正しくないとか、どうやって考えて行動しているんだ。お前さんだって迷うことはあるだろうに」

「おれは迷わない。逡巡よりも即断のほうが、早く結果が出るだけましだ。たとえ悪い結果だったとしても、立て直すだけの余裕が生まれるからな。それにおれは決断が正しかったから、今まで生きのびてこられたと割り切っている。だから、後悔もない」

 淡々とした物言いだったが、心に響いた。常に生死の境界を渡り歩いている人間だけが持ちうる、深い含蓄があるように聞こえた。殉教を覚悟した宣教師たちの説教に似た導引力がある。

 マークは、両手を首の後ろに回した。

「言っていることはわかるが、後の言葉だけは賛成できねえな。みんなを守るために犠牲になった、おれの親父とお袋の行動は、今でも間違ってねえと思っているからな」

「逆に言えば、息子よりも仲間が大事だったと貴様の両親は思ったのかもしれない」

「言いすぎだろう、それはよ」

「少なくてもおれの両親はそうだった。貴様の両親がどう考えて行動したのかは知らん。ただ、物事には必ず裏の面も存在する、と言いたいだけだ。誇りを持つのは結構だが、他人との差別化をしているとは思わんか。ならば、傲慢と変わるまい」

 マークは、両親の思い出を抱えている。一方のグードは、両親の思い出を捨ててきているようだった。どちらも両親を失っていることは同じなのに、交わることはなさそうだった。

 レオンは、黙って聞くしかなかった。両親が生きている人間が口を挟むのは、僭越に思えた。魔法を追い求める自分に対しての戒めのようにも聞こえた。

 会話が途絶えた。ただひたすら足を進める。

 単調な行程も、とうに半分は過ぎているようだった。岩の質があきらかに変わっているし、水抜きのための傾斜も奥に向かうようになっている。採掘現場に入ったのだろう。道がいくつにも分かれ、迷宮の体をなしてきていた。

「よしよし、どうやらおれの出番がきたみたいだぜ」

 マークはわざとらしいあくびをして、レオンの松明を貰い受けた。点在している木箱を適当に開け、中に入っている銅鉱石を見やるにも飽きてきたようだ。

 分かれ道に入り、すぐに出てきた。それほどの長さはないようだった。前方や後方から出てくることもあった。わざとらしく肩をすくめ、収穫がないことを知らせてくる。

 たしなめるかと思ったジェーガンは、まだ前で岩肌を触りながら進んでいる。坑道が入りくみだしたためか、立ち止まる割合が増えていたが、足どりはしっかりとしていた。

 グードが横に歩み寄ってきた。盛り上がった肩が、視界の隅に入ってくる。

「レオンよ。いま一度訊く。ベックラーはこの犯罪に関与していると思うか?」

「わからない。いや、正直言ってわかろうとしたくないのかもしれない。おれを信じて内情を明かしてくれたんだ。情を入れるのは間違っている、と頭ではわかっているのだが」

「ベックラーは、情実と理屈とどちらで貴様を説得してきたのだ?」

 いきなり頭を殴られたような衝撃があった。グードがなにを言わんとしているのかが、わかったからだった。レオンは少し考えて答えた。

「理屈だな。情に訴えているようでも、理のほうに重きを置いていた気がする」

 とくに贋金を出回らしている理由がそうだった。街と警備隊のためにやむを得ず黙認する、といった雰囲気を醸し出していたが、奥底には自分の地位を守るための思惑もありそうだった。だから、銅山を探して欲しいとの依頼も、自然に受け止められたのかもしれない。

「つまり、ベックラーが幻惑草と贋金の黒幕だとすれば、理にかなう行動を取ると考えられないか。理とは、すなわち利だが」

「しかし、グード。どう考えても、贋金と幻惑草だけでは、現在の地位を投げ捨てるには釣り合わないと思うんだが」

「おれもそう思う。ならば他に何かがあるということにならないか? 武人の良心とやらに釣り合うだけの何かがな」

 レオンはうなずいた。幻惑草も贋金も富をもたらす。普通ならこれだけで十分のはずだ。足りないとすれば、名声だろうか。しかし、武人の名声は戦場での華々しい活躍から生ずるのであって、地道な警備業務からではない。年齢や国内事情から考えれば、もうその機会はないはずだ。

「アニキ、ちょっと来てくれ」

 ささやき声がした方向にグードとともに足を運んだ。

 坑道の突き当たりに、ドワーフ族の背丈に合わせたかのような、木製の小さなドアがあった。

「レオンよ。あまり期待しないほうがいいぞ」

 グードは、壊された鍵をあごで示した。部屋の中に隠されているものは、鍵を掛けるていどには大切だが、見張りを立てるほど重要なものではない、と言いたいようだった。

 くぐって、中に入った。部屋ではなく、倉庫だった。壁一面に板が打ちつけられていて、手前に素焼きの水がめがあり、奥に木箱と袋らしきものが整然と並んでいた。

 床には木の屑が敷き詰められていて、なにやら白い粉状のものも振り撒かれている。

「ドワーフ族は無実だ、とジェーガンのように言いたいぜ、アニキ」

 マークが、床の粉を手にして言った。どうやら石灰のようだった。たしかに乾燥剤として用いるのは、用途の一つではある。

「逆にいえば、少年にわざわざ危険な作業を強制しなければいけないほど大事なものではない。そう言いたいんだろう、グード?」

「その調子だ、レオン。どのみちこれだけではドワーフ族の無実は証明出来ない。とにかくなにか証拠になるものを探そう」

 三人で手分けして内部を調べた。

 ついで木箱を開けていく。おそらく坑道で足止めをするために用意されたと思われる、組み合わされた古釘が詰まった木箱が一つだけあった。あとは銅鉱石と思われるレンガ色をした鉱石と、溜め池に入れる屑鉄が詰まったものがほとんどだった。集落に運ばれていったのか、ところどころに空き箱があった。

 マークが袋の中から白い粉をつかみ出した。

「小麦粉だぜ。おそらく外から持ち込まれてきたものだろうけど」

 ぼやき声を聞きながら、レオンは水がめの蓋を開けた。中はきれいな水で満たされている。

「ああ。小麦はポーミラから運び込まれてきたものだろう。そうなると、やはり隊商が持ち込んできた品物が気になるな。石炭だとは思うのだが」

 奥の木箱を開けようとしたグードが振り返った。

「たしかにポーミラでゴブリン族の連中が小麦を運んでいるのを見かけたし、フィルスには水車小屋があって、粉にするのはたやすい。しかし、なぜ外部からと断言できた? 貴様の話だと、集落には畑があったようだが」

「水がめの肉が薄い。それでいて焼き色にムラがないのは、土に混ぜ物をしていないからだ。すると粘り気のある土のみを使って焼いた、との結論を導き出せる。つまりむこうの土は、水はけが悪くて耕地には向かないのがわかる。畑はあったが、荒れていた」

「かさばるうえに壊れやすい土器を隊商が持ち込むことはないが、フィルスから持ち込まれた可能性は考えられるだろう。加えて疑問がある。土器は野焼きで作るはずだ。無人の集落跡地で煙が出たら、それこそ怪しまれる。隠れ住んでいながら、大っぴらに存在を誇示するわけがあるまい。首謀者がなんらかの手段を講じていない限りだが」

 的確な反論だったが、自分の推論に異議を唱えられているようで、あまりいい気分にはなれなかった。

 グードはいかなる物証も、ベックラーに関連づけたいと考えているようだった。証人になりえるヨルクがいなくなったためだろうが、こうも露骨に言われると反発心を抑えられない。

 こちらを見据える細く鋭い視線の先に、自分たちを信頼してくれた人がいる。

「それはない、と思う」

「根拠は?」

「水がめの内側が黒ずんでいた。これは草の汁か樹液を熱いうちに焼き付けて、耐水性と耐久性を上げたためだ。乾燥地帯の集落や遺跡などによく見られる技法だが、水と木が貴重な高山に住むドワーフ族が身につけていてもおかしくはない。なにしろ野焼きの長所は、薪や炭が不要な点につきる。枯葉や枯れ草、それに畜糞で焼けるからな。生葉で覆えば大して煙も出ない。文献にも書いてある」

「博識だな。これなら十分歴史学者として通用するだろう」

 それはどうも、とレオンは気のない返事をした。

 歴史学者を目指していて得したことは、なにも知識ばかりではなかった。工作員として潜入するのにも役に立つ。

 料理人と同じく、機会があれば身分が高い人間にも比較的容易に接触ができる。学問は疑問を持つことから始まるので、色々なことを尋ねても怪しい目で見られることはない。とくに歴史は、政治や経済とも関わりが深い。

「やっぱりアニキ。ろくなものがないぜ」

 マークの声をよそに、グードが最後の木箱を開けた。中には乾燥させた葉が、きっちりと詰められていた。

「見ろ、幻惑草だぞ。干して乾燥させてあるが、なぜここに隠す必要がある?」

「きつい鉱山労働に必要だからだろう。干せば体積を減らして長期間保存できる。逆に言うと、一般人には使用が禁止されている植物だからこそ、鍵を掛けて管理していたともとれる。栽培と使用はドワーフ族の権利として認められているから、問題にはならない」

 まあな、とグードは素っ気ない返事をした。細めた目には、ドワーフ族に対する疑念が宿ったようにも見受けられる。

 疑う気持ちはレオンにもわかった。現にこうして坑道の中に幻惑草があり、精製するために必要な石灰を、ドワーフ族の少年たちが身を捧げるようにして焼いている。

 しかし、入口で訴えてきた少年たちの目は、真っ直ぐ向けられていた。真相は別のところにあるはずだ。こちらを信じて道を明けてくれた、と思いたかった。

「なんだ、こりゃ。すげえ苦いぞ」

 振り返って見ると、マークが別の袋に入っていた粉を舐めていた。よほど苦いらしく何度も床に唾を吐いた。それでも足りないらしく、何度も舌を指で拭っている。

「こいつも小麦粉だと思っていたのに、なんだってこんなに苦いんだ?」

「小麦粉のそばにおいてあったのであれば、ふくらし粉だろうな。以前、作戦会議室におれがパンを持ってきたことがあったろう」

 少し首をかしげていたあと、マークは手を打った。

「ああ、あれか! 中がスカスカのパンで、すげえ柔らかく焼きあがったやつだよな。しかし、ドワーフ族がふくらし粉を使うかねえ。ジェーガンは食べた気がしねえって、ぶつぶつ言ってたじゃないか。それに、腹持ちも良くなさそうってさ」

「じゃあ、ゴブリン族が食べるのか? こいつを?」

「そうさ。人間ってのは贅沢をしだすと、きりがないぜ」

 レオンは、バルラムとの会話を思い返した。

 今回の事件には、やはり工芸省が関与しているのではないのだろうか。ふくらし粉はもともと、舎密開発局が発明したものだ。錬金術師であれば、銅の精錬も、幻惑草の精製もたやすくこなせるに違いない。

 レオンの考えを、グードは興味深そうに聞いた。

「確かにな。しかも、工芸省は商工組合を統括できる立場にある。ヨルクを消して証拠の隠滅を図る動機がある」

「早く集落に行って、もっと証拠をつかもうぜ、アニキ。もう一押しなんらかの確証が欲しい」

 元いた坑道に戻ると、ジェーガンが太い腕をこれみよがしに組んで待っていた。非難がましい視線を受けながら、レオンが倉庫でのいきさつを話すと、ジェーガンはあごヒゲを軽くひねった。

「小麦粉とふくらし粉は、おれたちのものじゃねえですぜ。言いたくねえが、こっちの主食はソバ粉ですからね」

「ソバは、痩せた土地でも育つからな」

「それに小麦粉と違って、ソバ粉は水で練っただけでも食えますからね。薪が貴重な岩山じゃあ、ありがてえ作物ですぜ。言うまでもなく鉱山の中でもですがね」

「ではなぜ、あそこにふくらし粉が置いてあったのだろう。必要だから小麦粉のそばに置いてあったはずだが」

「だから考えすぎだって、アニキ。ドワーフ族のものでなければ、ゴブリン族のものに決まってるじゃないか。あそこにあったのは、ただ集落に運ぶのが面倒だからだろうぜ。フィルスにはパン屋もあったし、なんの不思議もないさ」

「マークの言うとおりですぜ、隊長。どのみち贋金には関係のない話でしょう。それより土器のほうが気になりますぜ」

「やはり、ドワーフ族が焼いたと?」

「いや、器じゃなくて土のほうです。それほど粘り気があるのなら、炉を作るのに最適だと考えたまででさあ。まあ、先に進みましょう。出口は近いですぜ」

 目を凝らして坑道の先を見ると、少し明るい点があった。微かな冷気がこちらに流れてくる。

「よし、お前が先に出て事情を説明しろ。ドワーフ族どうしなら話も通じやすい」

「まさか襲撃はされねえと思いますがね。ゴブリン族と違って、やましいことはしてねえんだから」

 それでも、慎重にいきたかった。ジェーガンを先頭に立て、出口に向かった。




 奇襲といえないこともなかった。

 責任者を呼びやがれ、とのジェーガンの居丈高な問いに驚いたのか、二人の見張りは手斧を取り落としそうになりながら、集落に向かって掛けていった。

 レオンは目を凝らして、月明かりに浮かぶ集落を眺めた。

 緩やかな傾斜の先に、建物が点在していた。二人の見張りは、鐘楼のある大きな建物を通り抜け、十字路の角に消えていった。

 周囲を警戒しつつ、山肌に視線を向けた。細い山道があり、露出した礫岩を避けるように上へと伸びている。畑らしい畝があるようだが、暗くてよくわからなかった。

 そのまま上空に視線を移した。まだ、星が瞬いている。セラの姿は見えない。しかし、松明で合図をすれば、すぐさま急降下してこちらを回収する手筈にはなっている。一度外に出れば、退路は確保できたも同然だった。

 やがて、こちらを遠巻きにするかたちで、住人たちが集まり始めた。当然ながら子供はいない。素手だったが、表情は強張っていた。ただ、疑念以上の感情には思えなかった。あらかじめ連邦政府と言ったのが効いたのかも知れない。

 人の山が別れ、一人の小柄な老人が出てきた。ひげは完全に白く、へその辺りまで伸びている。服は黒っぽく汚れていて、着古しているようなほつれが目立っていたが、恥じ入ることなく進み出てきた。

 おそらくこの集落の長老に違いない。

 老人はバズラ、と名乗った。ジェーガンが代表して話し始める。

「おれたちが来たんだから、おおよそは察しているだろう。面倒くせえ話は抜きだ。なにが起きて、なにをやらかして、なにをしようとしているのかが知りてえんだ」

「話すわけにはいかん。お主ならわかるだろう」

 一度咳を払ってから、バズラは答えた。いずれこういったときがくるのを知っていたかのように、やわらかく落ち着いた声色だった。ただ、態度は毅然としていた。心の中にまで踏み込ませまい、とするかのような頑なさがありそうだった。契約をあくまでも遵守するドワーフ族の掟が、老人の姿で現れたように思えた。

 ジェーガンは続けた。

「言い方が悪かったかもしれねえが、なにも責めようとしているわけじゃねえ。こっちもなんとか事態を打開したいと思っているんだ。贋金造りも幻惑草の密売も、おれたちドワーフ族には縁のねえ話だ。裏で操ろうとしている人間をあぶりだせればそれでいい。だから、あえて訊く。おめえたちと契約したのは商工組合長のヨルクか、それとも警備隊長のベックラーか?」

 一人の男が口を開きかけたが、バズラが目で制した。年老いて朽ち果てていこうとする人間とは思えないぐらいの強い眼光だった。

「同じことを何度も言わせるな。契約を結んだ相手を明かせるものか」

 おいおい、とマークが口を挟んだ。

「どちらの犯罪も重罪だぞ。それでもかばおうっていうのかよ。どんな咎めが待っていると思う。鞭打ちぐらいじゃすまないぜ」

「よそ者にはわからんだろうが、ドワーフ族にとっての契約は絶対だ。わしらは契約書を読み、納得して署名した。破ったら、もう生きてはいけぬ。ゴンドランドのどの地でもな」

 なるほど鉄に違いない、とレオンは思った。

 契約が結ばれている限り、ドワーフ族はここに住むことができる、とバズラは信じているようだった。鉄は剣として傷つけもするが、盾として身を守ってもくれる。洞窟の入口でジェーガンが苦悩混じりに言った言葉は、ここにきて真実味を帯びてきた。

 グードが肩に手を乗せて、ささやきかけてきた。

「夜が明けると、こちらが不利になるぞ。ここで道義の議論をしている暇はない」

 レオンはうなずいた。首謀者に、時間的な余裕を与えたくなかった。

「バズラさん。契約書には、捜査が及んだときに妨害せよ、と書いてありましたか?」

「内容を話すわけにはいかん」

「ならば、勝手に捜索させてもらいますよ。妨害されたければどうぞ。ただ、やましいところがなければ手を出されないほうがいいでしょう。みなさんの無実を晴らすためにも」

 レオンたちが進み出ると、ドワーフ族たちはざわめきながらも素直に道を開けた。

「おれは、幻惑草の証拠を探す。またあとで会おう」

 グードは素早い身のこなしで、闇に溶けていった。

「どうする、アニキ。おれはあのでかい建物を調べるべきだと思うぜ。鐘楼にまで見張りを置いたんだ。きっと何かがある」

「よし、ひとまず三人で行こう」

 下り坂を通って、集会所に出た。長老を先頭に立てて、皆ついてきていた。グードを追うようすはない。となると、偵察に出たマークの言ったように、ドワーフ族にとって大事なものがあるに違いなかった。それとも、見られると困るようなものなのか。

 両開きのドアを開けて、中に入った。

 やはり鍛冶工房だった。中に柱がないせいか、外見より奥行きがあった。船底状に反らせた天井が、屋根の重さを支えている。床板をはがしたらしく下は赤い粘土質の土がむき出しになっていて、うっすらと積もった灰の上に金属の小塊が落ちている。

 息を殺して、注意深く歩き回った。手前側に金床や鉄槌、それにふいごなどの道具が置かれている。奥に大きな釜があり、わきに泥の塊のような石炭が盛られた銅板張りの木箱と、銅鉱石がうずたかく積まれている。壁に並んでいるなめし革の前掛けが、なにかを覆い隠していた。

 めくってみると、雑多な農具だった。鋸などの伐採道具もある。松明の炎を映した農具は、作りたての銅らしい光沢があった。一方の鉄製の伐採道具には修繕したような痕跡があり、古びた木の柄は土のせいか手垢のせいか、黒光りをしている。

 レオンは、警備隊司令部でベックラーとのやりとりを思い出していた。フィルスを開拓する意思があると言っていた。新品の農具は、そのために打たせたものなのか。だとすると、やはり街の将来を思っての行動となる。

 しかし、司令部では集落のことは一言も口に出してはいない。商工組合に口止めされているからか。といって、消極的だった商工組合が農具を作らせるのもおかしい。

 時間が惜しかった。レオンは、心の片隅に留めておくことにした。今は、贋金の調査が優先する。グードと合流したときに、意見を交換すればいい。

「おおい、みんな来てくれ」

 手招きをしたジェーガンにつられて、奥へと歩いた。次いで見上げる。そこそこ太い金属の管が上に据えつけられていた。途中で下に向かって曲がっていて、また上に伸びている姿は、大きな金管楽器と表現しても差し支えない。

「こいつは鐘楼じゃねえ。煙突だ。ここで銅鉱石を焼いて、毒気を外に逃していたってわけだ」

 マークが納得のいかないようすで訊ねた。

「しかし、確かに上には人がいたんだぜ。毒気でやられるだろうよ」

「二人とも地面を見な。じっとりと濡れているだろう。これは上から水滴が落ちてきたからだ。となると、あの管の中に水を入れて、毒気を抜いているに違えねえ。なるほど楽器作りのように、溶かした鉛を金属の管に流し込んで固めてから、ひん曲げたってわけだな。無駄がなくて結構なこった」

 レオンは煙突の内部を再び見上げた。

「水煙草と同じ原理か。煙がまろやかになるがいささか物足りない、と親父が言っていたが」

 レンガ張りの内壁には、掃除をした痕跡があった。丹念に掃除をしたようだが、目地に入り込んだ黒い煤までは落とせてはいない。

 枯れた木が見当たらなかったのは、煙突内部の構造で説明できる。しかし、まだ疑問が残っていた。良質な石炭を使わなければ銅や鉄は溶かせないはずだ。なのに、ここには泥のような石炭しかない。

 大釜の中をのぞきこんだジェーガンが驚きの声をあげた。

「おい、こいつは油だぜ。なんで油がここに入っているんだ?」

「答えは下にあるようだぜ、ジェーガン」

 マークを挟み込むようにして、大釜の下をのぞきこむ。焼きレンガの窓から、石炭がのぞいていた。盛られている石炭と同じ色だが、乾いていて軽い。

「どうやら油は、石炭から水気を取るためのものらしいぜ。熱した油の中に入れれば、水気は飛ぶからよ」

「なあるほどな。そうすれば火力は上がって、銅や鉄を溶かせるか。考えたもんだぜ」

 マークは、とげのありそうな視線をジェーガンに向けた。

「お前、さっきから感心してばかりだけど、全然知らなかったのかよ?」

「おれたちの生活に、山で荷物になる油なんかねえよ。せいぜい灯火に使うぐらいだ。水気を飛ばせるなど思いもしなかったぜ」

「そうなると隊商の知恵かもしれないな。食品でも何でも、水気を抜いて乾燥させれば、持ち運びには便利だし、保存が利くからな。なあ、アニキ」

「舎密開発局の連中かもな。火炎放射器の研究で、油を精製する必要があっただろう。そこから応用したのかもしれない。とにかくこれで、隊商から石炭を買い入れているわけではない、とわかったわけだ。じゃあ、何を手に入れているのだろうか?」

 レオンは細長い息をついて、考えをめぐらせた。

 大陸を横断してまで、無償で物を与えにくるわけがないし、もし来たとしても、わざわざ価値の無いものに群がる隊商などいるわけがない。運び出すのが精製された幻惑草だとすれば、持ち込んでくるものは何だろうか。

 石炭の仕組みはわかった。あとここで必要なものといえば、食料と鉛ぐらいだが、どれもフィルスで調達できるものだった。それに、運び出されたものに釣り合うだけの価値はない。

「まだ、調べ足りないようだな。他の建物を回ってみよう」

「おれもそう思いますぜ、隊長」

「そうだな、アニキの言うとおりだ」

 三人で手分けして、他の建物を回った。ドワーフ族たちは相変わらずこちらのやり方を見ている。ときおりひそひそ声が起こるが、水面に落ちる水滴のようには広がらず、すぐに消えた。

 建物は湿気を取るためか高床式になっていて、ほとんどが住居だった。幼い子供と老婆が中で寝息を立てている。柱に鼠を返す板が張られていたのは食糧庫で、ジェーガンの言うとおりわずかながらソバの実が入った袋があった。

 やがて、二人ともくたびれた顔で戻ってきた。どうやら何も見つからなかったらしい。

「駄目だな、なにもありはしねえ」

 どうも変だぜ、とマークが頭をかいた。

「偵察でのぞいた小屋に行ってみたんだが、贋金の鋳型はなかったぜ。だとすると、おれが見たものは一体なんだったんだ?」

「だから、おれを連れて行けって言ったじゃねえか。それをおめえは、なんだかんだ言って邪魔しやがって」

「それこそ面倒になったろうぜ。だいたい事情を複雑にしているのはお前たちのほうだ。さっさと契約書を見せればこういうことにはならないんだからよ」

 とうとう契約書は、見つからなかった。当然ではある。遵守するドワーフ族にとって、何よりも大事なものだろう。

 バズラを責めて吐かせるわけにはいかない。口を出そうとした人物をひと睨みで黙らせる威厳がある。下手をするとドワーフ族が騒ぎ出して、手負いで気が立っているはずのゴブリン族を招きかねない。

 レオンが考えあぐねているうちに、グードが戻ってきた。疲れを知らないのか、歩み寄る足運びは軽かった。こちらが訊ねる前に口を開いた。

「ゴブリン族の見張り小屋のまで行ってみたが、警戒が厳重でたいして近づけなかった。うめき声が聞こえたところをみると、貴様たちの襲撃が利いたようだな」

「応戦、と言ってもらいたいが」

「無駄な殺傷をしないのは、兵部省の方針か。たしかに、殺すより傷つけたほうが、救護に人員を割くぶんだけ戦力は落ちる。うめき声が上がれば、士気にも響くか」

「否定はしない。それより小屋の周囲の様子は? 重罪を犯しているとわかっているならば、襲撃があった以上、証拠を隠滅するに決まっている。こちらの集落に向かってこないのは、大したものがないとわかっているからだ。逆に見られては困るものがあちらの小屋に置いてあるに違いあるまい」

 レオンの問いに、微かにグードがうなずいた。

「ああ、幻惑草の青臭い匂いが漂っていた。おそらく夜遅くまで精製していたに違いない。三ヶ所はそうだった。残りの、山脈に一番近い場所だけが、熱気はあったが何も匂わなかった。あるいは、鼻がしびれたのかもしれないが」

「そこで贋金を造っているというのだろうか?」

「おそらくそれだけじゃねえですぜ、隊長」

 ジェーガンは、近くまで来ていたバズラに顔を向けた。

「長老。銅から銀を抜く秘法は、ドワーフ族だけが代々受け継いできたものだ。ゴブリン族に漏らさなければならないほど、苦しい生活を強いられているのはわかった。生きるためなら、誰も責める資格などありはしないさ」

 バズラは黙って答えなかった。伏せぎみになった目が、かすかに震えている。

「奪われた荷役の代わりに大人たちはみな働きに行ったわけだろう。ところがこの不景気では商工組合とてろくな仕事を紹介できるわけがねえ。自分の食い扶持を守るのが精一杯で、ここの子供と年寄りまでには手が回らねえ。といって、ここを捨ててバラバラになるわけにもいかねえのもわかる。だが、あんな少年たちに貝殻を焼かせるとは、酷過ぎやしないかい。まかり間違えば命を失うんだぜ。おれたちに契約者を教えてくれれば、悪いようにはしねえよ」

 バズラは、ようやく口を開いた。

「放っておいてくれ、言ったはずだ。おぬしもヒゲを生やした成人なら、契約の重さを知っているはずだ。それに憐れまれる筋合いはない。いまは食料を連中に頼っているが、家畜を買って女子供でも畑を耕せるようになれば、こちらも高い金を払ったうえに言いなりになる必要がなくなるのだ。たとえ身が傷つこうとも、こうして生きている。契約さえ守っていれば、この地で生き抜いていける」

 激しく咳きこみながらも、言葉をつなぐ。

「無理やり連れてこられたのではない。自ら決めて来たのだ。集落を見てわかったろうが、わしらは法を犯すようなことはしておらん。どこに間違いがあるというのだ」

「それじゃあ問題は解決しねえって言ってるんだぜ、おれは」

「わしらが現実から逃げているとでも言うのか? 冗談じゃない。わしらは厳しくても現実に向き合っている。そして、ここで生きていく。そう決めたのだ。だれにも邪魔はさせんぞ」

 ジェーガンは言葉に詰まった。洞窟入口で少年たちを諭した言葉を、そのまま蒸し返されているようなものだ。

 しおれた声に、悲痛な響きがあった。生きるではなく、生き抜くと言った。魔法使いとして、諜報部員として生きていくことを選んだ自分とは、覚悟が違っている気がした。

 待てよ、とレオンは心の中でつぶやいた。

 軽いめまいを覚えた。なにかがずれている、そう思えた。長老の言葉ではなく、今までの行動に。頭の中で、フィルスから集落までの出来事を並べ直してみる。

 一つの仮定が浮かんだ。一つ、また一つと目撃した物証が頭の中でつながっていく。

 やがて、結論に達した。間違いはなさそうだった。喉が鳴った。

「まあまあ、アニキ。そんなに怖い顔しなくてもいいじゃないか。このジイさん、頑固そうだけど悪気もなさそうだしさ」

「それより、集会所に行くぞ。ぜひとも確かめておきたいものがある」

 レオンは三人を引き連れて、集会所に戻った。せわしく扉を開いた。壁際に歩み寄り、前掛けを払って農具を手に取る。

「なんだよ、アニキ。それがどうしたい?」

「これが、問題なんだ」

 レオンは柄の部分を撫でていった。微かに段差がある。やはり、と思った。両手に力を込める。すると、さほど抵抗なく柄の部分が伸びた。松明の光で禍々しく輝く鋼が姿を見せる。

 研ぎは入っていないが、暗器だとわかった。切先が長いうえに、根元に重心が寄っているのは、刺突用として打たれたためだろう。

「まさか柄の中に武器が隠されているとは思わなかったぜ。研ぎ出してみないと、槍か剣かはよくわからないけどな」

「いいや、マーク。こいつは槍の穂先に違いねえ」

「なぜわかるんだよ?」

 ジェーガンは、別な農具から暗器を抜き出した。

「ムラがない木炭に比べて、石炭で武器を鍛えると刃こぼれがしやすいからだ。だから剣をこしらえるわけがねえ」

 暗器に目をやりながら、グードが訊ねた。

「レオンよ。なぜ見抜けた?」

「ここにはこれほどの農具を必要としないからだ。むろんフィルスにも」

 レオンは、三人に順を追って説明した。

 大勢の大人がいれば、壁に掛けられている多くの農具は畑仕事に役に立ったろう。しかし、ここにいるのは体力のない老人と女子供だけだ。ましてや雑草で覆われていたとしても、畑はすでに作られている。これほどの農具は不自然だった。そもそもここには耕す家畜もいない。

 森の街フィルスに持ち込むのも無理がある。向こうで畑を作るのなら、必要なのは農具ではなく、当面は鋸や斧を使って木を切るところから始めるはずだった。焼畑は不可能、とすでに聞いている。

 暗器を仕込むのであれば、柄が古い伐採道具よりも新しい農具のほうが見つかりにくい。

 おそらく小屋でマークが見たのは、農具に見せかける先端部分を鋳型に溶かし込んでいるところだったのだろう。偽装ならば打って鍛える必要はなく、鋳型に流し込むだけでことたりる。

 ジェーガンが、鍬を手にとった。

「そういえば、仲間が嘆いてましたぜ。鍛冶の中でも、農鍛冶が一番難しいって」

「おれが聞いたなかじゃあ、斧鍛冶が一番難しいって話だったが」

「そいつは武器に限った場合だろうぜ、マーク。肉や骨は、人でも何でも大体同じだ。だが、農具は違う。土や草の質を考えてこさえなければならねえ。よおく考えりゃあ、いくら技術があっても、新しく住み着いたこいつらに、まともな農具を打てるわけがねえ」

「そう言えば、おれの村の鍛冶屋もよく自慢していた。気は小さかったが、いい男だった」

 グードが、ぽつりと言葉を漏らした。鎌の刃に目を落とす姿が、レオンにはどことなく寂しげに見えた。

 ジェーガンは柄を引き抜いた。やはり暗器がのぞいた。指先で切れ味を確かめつつ、話を続けた。松明の火を孕んだ茶褐色の瞳が、強い輝きを放っている。

「もう一つ、石灰の使い道がありましたぜ、隊長。これに比べれば贋金も幻惑草も目くらましにすぎねえ」

「暗器に関するものか」

「ええ。古釘や鉄屑から鋼を作り出す、これが一番の目的でしょうぜ」

 レオンたちは顔を見合わせた。意外な発言だった。これまでの話でも石灰の用途は広いと思っていたのに、さらに本当の使い道があり、それが主な目的になっていたとは思わなかった。

 取り巻くドワーフ族からも、驚きの声が聞こえてきた。ざわめくほど驚嘆したようすがないのは、いずれジェーガンに見抜かれると思っていたからかもしれない。

「ジェーガン、おれたちにもわかるように言ってくれ」

「鉄鍋の底が抜けるのは、火によって炭の気が抜けて、鉄そのものがもろくなるからでさあ。逆に炭の気を加えれば強くなるって理屈なんで。ただ、鉄の表面は滑らかですから、そのままじゃあ炭の気が入っていかねえ。だから、粉を水に溶かしたものを塗って、表面を崩してやる必要があるんでさあ。それにしても考えやがった。小さな古釘や鉄屑なら、表面はおろか、中まで炭の気が入っていきますからねえ。砂鉄や鉄鉱石からできる生娘のような鋼にはかなわねえが、量産する武器ならこれで十分だと思いますぜ。身持ちが固くないぶんだけ加工が容易ってわけで」

「やはりドワーフ族の秘法なのか?」

「なあに、こんなのは町の鍛冶屋でも知ってますぜ。ただおれたちは水に海の塩も加えますがね。その配合が秘伝ってわけで。塩ってのは鉄を錆びさせる性質がありますから、一緒に溶かして使えばより容易に炭の気を入れられまさあね。すまねえ、隊長。石炭が悪いと思っていたから、鉄にまで頭が回りませんでしたぜ」

 気にするな、とレオンは慰めた。そもそも銅を溶かすほど石炭の質が良くないとの先入観があった。油を使って水気を抜く方法を知らなければ、思い至らないのは当然だ。

「それがポーミラから、海藻を運んでいた理由か」

 横を見ると、グードの顔つきが険しいものに変わっていた。

 そういえば、とレオンは洞窟の入口での情報交換を思い返した。潤滑材としても、塩としても使えるのであれば、運び込むゴブリン族にとっても、鉄を打つドワーフ族にとっても無駄のない品物となる。大量に運び込んでいる説明もついた。

 大して役に立たない情報だと思っていたが、意外な成果をもたらしてくれた。

 ジェーガンが、少年と交換した剣の鞘を払った。

「暗器は、ドワーフ族のものじゃないですぜ、隊長。こんな切れない剣を見張りに持たせているんですからね」

「わかっている。信じたくないが、ここまでくれば嫌でもわかる。依頼者はベックラーだろう」

「おれもそう思うぜ、アニキ。正規兵は暗器など使わない。武装していたゴブリン族でもない。とすると、戦闘に慣れていてほとんど手ぶらだったオーク族のためのものだろうぜ」

「それに、鋼を研ぐには大量の水が要りますからね。おそらくフィルスで仕上げているはずですぜ、隊長」

「そうだな。長い槍は、重装歩兵の得物になりうる」

「おあつらえ向きに、フィルスは直線が多くて槍が使いやすい街だしな。問題は柄だぜ。普通は粘りがあるトネリコかリンゴを使うはずだが」

「あるいは斧槌にも使っている、裂けても折れねえヒッコリーだ。しかし、硬いポポリだって悪くはないかもしれねえ」

 グードは、手にしていた鎌をようやく壁に戻した。

「レオンよ。ベックラーがドワーフ族に武器を造らせる動機は何だと思う?」

「フィルスの独立、と言いたいところだが、用心深いベックラーのことだ。そこまで大それた野心は抱いていないだろう。せいぜい政府を揺さぶりつつ、自治領主並の地位の確立か、元老院議員への推挙を要請するといったところかな」

「しかし、隊長。あいつはケチな犯罪組織の首魁じゃねえ。直轄都市の警備隊長ですぜ。もし、贋金を造っていることが明るみに出たら、威信を丸つぶれにされた連邦政府が迅速に介入してきますぜ。そんな危険を冒せますかねえ」

 普通はな、とレオンは首を振った。

「買収していれば別だ。現に財務省は動いていない。おれの考えでは、まず、銅から抜いて作った銀で、周辺の自治領主たちを買収して力を蓄える。相手とて他の領主と銅山の所有権をめぐって血を流すよりも、ただで銀塊をもらっていたほうがいいに決まっているからな」

「たしかに、もともと反抗的な土地柄ですからね。政府に対する忠誠心は持っていないと考えるのが自然でしょうぜ」

「その通りだ、ジェーガン。そして今度は枢密院や元老院議員、それに政府要人たちを順に買収していく。全員が共犯なら、罪を追求されずにすむ。ものごとには常に裏がある、とグードが言っていた意味がようやくわかった気がする」

 むろん、議員や役人連中とて愚かではない。ただ、油断しているに違いなかった。

 いざとなれば港町ポーミラを押さえれば、食糧を自給できないフィルスはすぐに自滅すると思い込んでいるのだろう。そうなれば、罪をベックラー個人に被せて知らん顔を決め込む。金を貰っただけ得というわけだ。あとは、堂々と銅山の国有を宣言すればいい。

 しかし、山脈を通り抜ける坑道があったらどうなるか。金さえ出せば、食糧は隊商や領主たちがいくらでも持ってきてくれる。

 腹の探り合いは、どうやらベックラーに分がありそうだった。

「少しは成長したようだな、レオンよ」

 グードは特に嬉しそうな顔もせずにつぶやいた。

「するとアニキ。司法省がこちらに依頼してきたのも?」

「ああ。微妙で手に負えそうにもない問題だからだろう。兵部省の上層部と同じ見解だと思う。駄目でもともと。最悪の場合でも、責任をこちらの失態として押し付けることもできるからな。だが、汚れ仕事を受けたからといって、結末まで思惑に従ってやる理由はない」

「とにかくここの将来は、おれたちが決めるってわけだ。面白くなってきだぜ」

「ついでに、この国の未来も決めてみたいものだがな」

 レオンは松明を天に向けてゆっくりと回した。

 月明かりに、翼竜の姿が浮かんだ。影が大きくなり、集会場前で交差する道を滑走して降り立った。

 驚いて逃げふためくドワーフ族のあいだをすり抜けて、レオンはバズラの前に立った。

「バズラさん。あなたがたは契約を立派に守っただけだ。だから、これからのことは我らに任してください。何があっても、あなたはあずかり知らぬこと。いいですね?」

 バズラの目に、悲しげな光が宿っている気がした。上に立っている者として、思っていることを口に出せない辛さがあるに違いない。

 やがて、肩を落とした。うつむいた顔からは表情は読み取れない。微かに唇が動いたようだが、何を言っているかはわからなかった。

 周囲も、静かだった。どうやら、交わした契約書には契約者を守る、とは書かれていないようだった。それで充分だった。

 誇りを持ちながらも満足に生きていけない人間の気持ちは、魔法使いとして生きてきた自分にはよくわかる。本当なら、誰にも頼ることなく生きたかったに違いない。

 駆け寄ってくるセラの姿が、はっきりと見えた。

「すぐに作戦会議を始める。目的はベックラーの拘束。疲れているだろうが、あとひと頑張りしてくれ」

 レオンは、いつの間にかベックラーを呼び捨てにしている自分に気づいた。


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