第五章 蒼茫の標
第五章 蒼茫の標
グードは、折られた小枝から葉を取った。
内通者との連絡は、できるだけ目立たない手段を用いる。
木の根元には、小便の跡があった。小用をするふりをして列から抜け出て、慌てて付け文をしたためたようだ。手のひらに当てて爪で書いたらしく、暗がりでは読めそうにない。
とりあえず懐に入れて、フィルスに向かう街道へと戻った。
満ちつつある月が、踏み固められた土を青白く照らしている。人為的に置かれた小枝と小石が、ごく小さな目印となって浮かび上がっていた。
川のせせらぎの合間に、フクロウの鳴き声が遠くに聞こえた。風は凪いでおり、青い草の湿った香りだけが鼻に届いていた。
ふいに、道の奥から金属音が聞こえてきた。修道院で小間使いの男が鳴らす、修道女除けのベルに似ているが、余韻を残さない点で異なる。
目を凝らすと、一人の男が見えた。細い半身をうつむきかげんに丸め、長い足を引きずるようにしてこちらに進んでくる。
大きめの麦わら帽子を深めにかぶり、貫頭衣に似た麻の服を身にまとっている。腰のベルトには鎌と砥石が下げられていて、歩を進めるたびにぶつかり合い、音のもとを作り出していた。刃が薄いせいで、ベルのように聞こえたのだろう。
フィルスは森の街だから、良質の牧草は採れないはずだ。だから牧童は、遠くまで草を刈りに行かねばならない。日没まで懸命に働いて帰路に着くところと考えるのが、いちばん素直な見方といえる。街道沿いには、家と船宿が点在していた。
大股で五歩、といったところで男は足を止めた。
「お寒うございます――」
「ゼニーロに行けと言われたのか?」
グードが声をかぶせると、下げかかった頭が、途中で止まった。麦わら帽子のつばがわずかに上がった。とがり気味のあごが、ぼんやりと見えた。口元は、よく見えない。
「なぜ、おれが刺客だとわかった?」
二十歳前後の若い声だが、上ずった調子はない。否定をせず、すぐさま認めるところなど、それなりの覚悟がうかがえた。油断するな、と言い含められたかのようだ。
「その鎌だ」
「ごくふつうの草刈鎌だろう?」
「いいや、違うな。おれは農村出身だからよく知っている。草刈鎌は、すぐに刃の切れ味が悪くなる。だから砥石を携帯するのは常識だ。そこまではいい。問題は、その薄い鎌の刃だ。ふつうは湾曲しているから、研いでいくうちに、月が欠けるように刃が痩せていく。ところが貴様のは、真っ直ぐで薄い。まるで、首を狩るためだけに打たれた得物のようだ」
グードは少しだけ安堵した。内務省から放たれた刺客なら、このようにすぐばれるような失態は犯さない。やはりゴブリン族の連中が差し向けたと考えられた。
男は、腰に下げていた鎌を右手に取った。柄をいじると、軽やかな音を立てて鎖が垂れ下がった。左の膝あたりに分銅が揺れている。
「さすがに見事なものだな。察しの通り、おれは首狩りのデュラハン族さ。あんた、グール族なんだってな。夜は長い。神に嫌われた者どうし、とくと語りあうってのはどうだい?」
どうやら足止めする心積もりのようだった。フィルスに逃げ込んで、市場で積荷をさばいたら足がかりが切れる、と連中は踏んだらしい。
すぐに戦いたいが、気がかりな点があった。刺客を放つからには、首尾を見届ける連中もぬかりなく寄越しているだろう。場合によっては、加勢のかたちで背後からの襲撃を企てるかもしれない。あたりは茂みが多く、隠れる場所には事欠かない。厚手の外套は、飛び道具に対してそこそこの備えにはなるが、完全に防ぎきるほどではない。毒を使われたら、浅手でも危なくなる。
まずは、第三者の存在を調べることだ。
グードが考えをまとめたとき、ほんの短い悲鳴が上がった。茂みが騒ぎ、半裸の二人が街道に崩れ落ちた。その上を見慣れた男が、跨いで出てきた。フリーデルだった。反りの入った剣を、優雅な身振りで鞘に収めている。
「やあ、諸君。もう邪魔は入らないから、安心して続けてくれたまえよ」
「あの二人を、きちんと送り届けたのだろうな?」
「もちろんだとも。騎士に二言はない。お前と違って約束も守るってわけさ。妖艶な美人ばかりを相手にしていると、可憐な少女との会話がやけに新鮮に感じるな」
どうやら途中まで、馬で駆けつけてきたようだった。着衣が乱れているのに、息が荒くないのはそのせいだろう。
襟元を正したフリーデルは、脇に立つ男を舐めまわすように見やった。
「若いくせに古いなあ、お前さんは。格好も考え方も。まったくもって麗しくないぞ」
麦わら帽が真横をうかがうように動いた。
「なんだ、あんた? おれをあざ笑うつもりか」
「いやいや、むしろ同情しているのさ。この大男は強いぞ。それ以上、形容できないぐらいに。とりあえず尻尾を出したんだから、さっさと丸めて逃げることだ」
「デュラハン族は、敵に背を向けない。たとえ、どんな巨大な敵であってもな」
事実だった。連邦政府の軍隊がゴンドランド大陸を征服していく際の先陣は、常にデュラハン族がつとめていた。宣教師たちに導かれて死を恐れずに戦ったために、狂戦士とまで呼ばれ、敵から恐れられていた時代もある。
味方の死体を踏み越えて前進し、死ぬまで武器を振り回す。首を刎ねられても突撃してきた、との言い伝えも存在していた。宣伝のために誇張されたのだろうが、性向をよく表している。
勇敢さと粘り強さはドワーフ族も持っているが、神に盲従はしない。兵士として利用しやすかったのは、デュラハン族だったろう。死んだとしても、神のお導きで済ませられる。報酬は首狩りの免罪と、天国への招待だけだ。国庫は少しも痛まない。
フリーデルは、わずかに肩をすくめた。
「そいつは、よくわかる。お前さんは個人でおれは集団を相手にしている。違いはそれだけだ」
「どういう意味だ?」
「要するに、おれたちは同族だってことさ。まあ、好きにしなよ。こっちはこっちで好きにするから。食屍鬼と首狩り族との戦いとは、素晴らしい見世物ではある」
グードは、横目を使った。木の幹に体を預けるフリーデルの姿が目に入る。軽口を叩く余裕のありそうな口調に、疲労感とは違った気だるさが混ざっているようだった。
デュラハン族とは、初耳だった。日頃から首狩りのフリーデルと言っていたのは、別に自嘲ではなく、出自のデュラハン族としての生き方を貫こうとしていたのかもしれない。
過去を引きずってはいるが、決してすがりついてはいない。自分と同じだ、とグードは思った。軽薄そうに見えながらも、嫌悪感を持てなかった理由がわかった気がした。
嘘だ、と男はきっぱりと首を振った。しかし、分銅が心の動揺を表しているかのように大きく振れた。打ち消すかのように、分銅を回し始める。速度が上がり、巨大な盾となった。足元から、かすかに砂埃が舞い上がってくる。
「騎士になったデュラハン族など、いるわけがない」
「至極ごもっとも。父親が死ぬときまで、おれも信じてなかったからな。しかしまあ、世間は世界と同じぐらい広いのさ。さっさと麦わら帽を脱いだらどうだい。自分がいかに視野が狭かったかよくわかるぞ」
「笑わせるな。政府に媚を売っただけだろうが」
「そう言いなさんな。だから、先祖が売ったものをせっせと買い戻しているんだ。まあ、美しいものに限るがね」
二人の会話の隙に、グードは、外套の下から柄に手をやった。すぐに、男が飛び出た。左手が伸びる。分銅。剣に飛んだ。右にかわす。風を切り、外套が激しく叩かれた。左の耳朶が熱くなった。逆に、首筋は冷たく感じた。
細く息をついた。
男は、こちらよりも少し背が低い。麦わら帽子のつばは大きく、視線の先にある狙いを読むことができない。
分銅をわざと外したと考えられた。こちらの得物を見て、剣先が届かない位置で間合いをとろうとしたつもりだろう。得物を叩き落とせば、ぞんぶんに鎌を振るえる。
予想通り、鎖が伸びた。今度は頭上で回し始める。目の前で、左から右へと分銅が飛んでいく。右手の鎌は、刃先をこちらに向けていた。
「寂しがる気持ちはよくわかるぞ。お前さんは左利き、いわゆる悪魔の手だものな。その手で鎌を使っているのなら、村で仲間はずれにされても当然だ」
グードは、男の右手に目をやった。たしかに刃の位置が逆の、左手用の鎌だった。
左利きは散開して戦う前衛の戦士としては希少価値があるだろうが、農村では忌避される。一列に並んで穂を刈り取っていくとき、一人だけ左利きがいれば、隣の人間が危なくなる。だから、仲間はずれにされる。農村はおしなべて排他的だ。頑迷な人間は疎外され、追い出される。
男の上体は、微妙に左右に揺れている。踏み出す癖を悟られまいとしているようだ。
牽制のために、足元の小石を蹴った。男は動かなかった。膝に当たって、草むらに跳ねていった。
二歩、下がってみた。男は両足で軽く小刻みに飛び、間合いを詰めてきた。あごが少し動いた気がした。狙いを読んで、笑っているのかもしれない。
剣が使える間合いも、抜かせてくれる隙も与えてくれそうにない。頭上で光る楕円の光輪から、殺意のこもった闘志が読み取れた。
「左利きは、直そうと思えば、直せたはずだ。生き方が素直じゃないねえ。こう、ねじくれているっていうか、まったく美しくないぞ。お日様に当たってないせいじゃないか?」
「黙れ、と言ったはずだぞ」
「同族のよしみで忠告をしているだけだ。せっかく、大きな麦わら帽子を持っているんだから、昼間に汗を流して真面目に働けよ。お前さんは健闘した。だから引き分けでいいじゃないか。ゼニーロに告げ口するのはいなくなった。利き手とともに、人生をやり直す最後の機会だぞ」
男は、聞くそぶりを見せなかった。空気を切る音で消し去ろうとするかのように、分銅をさらに速く回し始めた。
グードは半歩だけ左足を引いた。フリーデルの長広舌が、助言に聞こえた。
鎖つきの武器は、当てるまではいいが、当てた後の制御ができない。重い鉄球なら惰性で動くだろうが、小型の分銅ならそうもいかない。しかも、鎖が長い。だから、利き手で扱う利はないと読んでいた。
しかし、分銅が主な攻撃だと仮定するとどうなるか。
大きめの麦わら帽は、顔を隠すためではなく、分銅から頭を守るためのものではないのか。ボロ布を詰めるのにはちょうどいい。あるいは鉄の鉢かもしれない。
軌道を、剣で変えることはできない。抜く前に踏み込んでくるだろう。もし当てたとしても、身が折れるか、手が痺れて使えなくなるに違いなかった。
しかし、ひとつ手はある。
グードは決めた。湿った手のひらを外套の内側でぬぐい、息を整える。
無言で、前へ跳んだ。
男は声を出した。気合が漲っている。右から横薙ぎに分銅が迫る。
首を下げ、右手で外套を跳ね上げた。舞って、当たった。軌道は狂わないはずだ。しかし、隙は出来る。右にまくれた外套も、剣を抜く邪魔をしない。
柄を握り、剣を抜きはなつ。地に左ひざをつけて、横撃を入れた。胴体に手ごたえ。振り抜いた。外套が眼前にかぶさった。視界が暗転する。何も見えない。
分銅が肉に当たる音が聞こえた。か細いうめき声があり、倒れる音が続く。
外套が落ち、視界が晴れた。見ると、分銅が男の体にある。鎖が巻き付いていた。
細身の体が小刻みに痙攣をし、すぐに治まった。
勝った、という気はしなかった。ただ、済んだ、としか思えない。大きく息をついてから、ゆっくりと立ち上がった。剣を収めた鞘が、重く感じる。
フリーデルは無言で屈みこみ、男の右袖をまくった。
裏側に、刺青が入っていた。中央に輝く太陽らしき模様があり、お互いの尾を噛むようにして、二匹の蛇が周りを囲んでいる。片方が白く、もう片方は黒い。
「これは?」
「蛇はデュラハン族にとっての神様さ。宣教師が広める前のな。この男は、どうやら呪術師の家柄だったらしい」
蛇は草が枯れる冬に眠り、種をまく春に出てくる。だから、大体の農村で、今でも水と農耕の神として祭られている。
それだけではない。蛇は脱皮をし、そのたびに成長していく。死と再生の象徴として、デュラハン族が敬うのもうなずけた。首を狩られることで被害者は人として死に、その首を祭ることで、神として生まれ変わって彼らに恵みをもたらすわけだ。
太陽が大地の恵みを、そして白蛇が生、黒蛇が死を表しているのかもしれない。尾を噛み合っているのは、死と再生の絶え間ない繰り返しを表現しているのだろう。
フリーデルは、次に左腕を見せた。
こちらにも、刺青が入っていた。乱れた黒髪の人間が彫られている。男でも女でもなく、中性的な顔だった。よく見ると、髪は蛇になっていた。無数の黒蛇が頭から伸びていて、さまざまな姿勢をとっている。
「ひい爺さんの遺品だった盾にも、この紋章が彫られていた。もっとおっかない表情だったし、嫌いな蛇がいっぱいいるしで、身がすくむ思いがしたがね」
「呪術師なのに盾を持つのか?」
「いや、勇者の証だ。彼の家は、おそらく呪術師から鞍替えしたのだろうな。なるほどね、デュラハン族の勇者なら、政府の人間を嫌って当然だな。彼から見れば、こっちは許しがたい裏切り者だ」
「蛇の髪をもつ生首が、勇者の紋章となったのか」
「そうさ。蛇の数は、狩った首の数を示している。生首は呪術用で神様になるから、公のもので私有はできない。だから髪を少し切り取って勲章代わりに家に持ち帰って飾ったのさ。その名残で、聖獣の蛇となって生首とともに紋章となった。これだけ蛇が彫られていれば、勇者の家柄に決まっている。呪術師と勇者。まさにデュラハン族の選良だな」
グードはうなずいた。
左利きは直そうとしなかったのではない。左腕に勇者の証を彫るほどの家柄では、おいそれと直せなかったわけだ。直せば、先祖を否定することになる。たとえ同族に追い出されることになったとしても、デュラハン族の誇りを貫いたわけだ。あるいは貫かざるを得なかったのか。
平和になれば、勇者は必要なくなる。といって、先祖から受け継がれたものを容易に捨てられるわけがなかった。選良の家柄となればなおさらだ。小さい頃の教えが、そのまま心に焼き付いているのかもしれなかった。
フリーデルは、麦わら帽を取って、男の目を閉じさせた。
「こいつの行き先がどこかは知らんが、顔を見る限りいいところらしい。せっかく眠りについたんだ。叩き起こされるのは不本意だろう。丁重に葬ってから、フィルスに向かっても遅くはないだろう」
男の顔には、苦悶の痕跡はない。積もり積もった業を清算したような、安らかな表情をのぞかせている。ようやく死ねた、といった感じだった。
顔立ちは整っていた。勇者となれば、それなりの女性と一緒になる。連綿と続いた家柄に見られる、血の尊さが感じられた。捨てられない誇りのもとでもあっただろう。歯も整っていて、幻惑草を噛んでいた痕跡はなかった。薬に逃避せず、苦難を正面から受けきってきたようだ。
民家から調達した農具で穴を掘り、男たちを寝かせた。始末の悪そうな土だ、とグードは思った。赤い粘土のようで、水はけが悪そうなうえに肥えていない。周辺の水を抜いて焼畑をしようとしても苦労しそうだった。乾けば乾いたで土ぼこりが舞い、吸い込めば胸を病む。防ぐには牧草を植えるのが一番だが、それなら木を伐採して金に換えたほうがよほど利益が出るだろう。
麦わら男が一介の農夫としてやり直す機会は、ここにはなかったわけだ。
河原から持ってきた石で、全身を覆った。これなら野犬に掘り返されることはない。
フリーデルが、盛り土に白い花を植えた。手をはたき終えたところで、グードは尋ねた。
「ところで、馬はどうした?」
「途中の宿屋につないでおいた。あとで部下たちが連れてくるさ。それまでゆっくりと散歩でもしながら行こうや」
「非常呼集をかけたのか?」
いやいや、とフリーデルはとがり気味のあごを振り、さっとフィルスに足を向けた。
「面白そうな捕り物が見れそうだ、と言っただけさ。暇を持て余しているのは、おれだけじゃないからな」
しばらく無言で街道を歩いた。前後に人の気配がないのを見計らって、グードは訊ねた。胸の奥に、麦わら男へのわだかまりがあった。
「なぜデュラハン族は、宣教師を受け入れたのだ? あの男のように、誇り高くて頑迷そうだが」
フリーデルは、さりげない所作で三角帽のつばを触った。
「首を狩れば狩るほど貧しくなったからだ、とひい爺さんが言っていたそうだ。凶作のたびに首を狩り、神として祭る。神だから、粗略には扱えない。霊験があればあるほど、祟りもより大きくなるからな。もちろん捨てるわけにもいかない。だから供物が際限なく増えていく。しかし、開拓する土地にも限度がある」
「収穫を圧迫したわけか。それでも、首狩りの風習を止められなかった。デュラハン族そのものの否定につながる。加えて周囲に畏怖されなくなれば、首を狩られていた他の部族たちからの報復もありえる。相手にしてみれば、意味もなく殺されたのだ。憎悪は、骨の髄まで染みているだろう」
「そういうこと。たまたま疫病が流行ったときに、聞きつけた宣教師たちがやってきて、病気を治していった。農業指導のおかげで、収穫も格段に増えた」
「諜報組織の常套手段だな」
宣教師たちは、滞在地で医者や教師の役割を果たすことが多い。布教のためだけではなく、実利もある。腕のいい医者ならば、噂を聞いてはるばる遠くからやってくる患者から、現地の動向を探りだせる。教師であれば、両親の動静を子供に尋ねても怪しまれずにすむ。
「しかし彼らがきてくれて助かったのも事実。ここにきてようやくデュラハン族は、呪術師の呪縛から解放されたってわけだからな。ただの物語なら、めでたしめでたしで終わるんだろうが」
そこで終わるわけがなかった。フリーデルの曽祖父の時代には、まだ戦乱が続いていた。
共和政治と専制政治とは、水と油の関係にある。政治的な妥協は成立し得ない。当然のことながら戦闘は苛烈をきわめることになる。巧妙な機動で優勢を確保し、より有利な講和条件を結ぼうとする馴れ合いの戦術は、過去のものになった。
当初、政府の財政基盤は脆弱だった。高価なうえに信義に薄く、肝心なときに粘りがない傭兵を雇うわけにはいかない。市民軍は必然の産物といえる。
市民兵は防衛戦闘に効力を発揮する。補充が容易で、郷土愛が強い。数を頼りに押し寄せる王国連合軍の波に寡兵で立ち向かえたのは、城塞都市だったフォルトファーガの防衛力もさることながら、どこよりも高い建国理念を掲げていたからだろう。
敵を退け、攻勢に転じる段階になって、共和政体ならではの問題が生じた。
市民たちだけで外征を続けるわけにはいかない。拡張期にはどうしても人材が不足しがちになるし、戦闘による損耗が続けば、統帥に悪影響を及ぼしかねない。
諜報活動や外交にも限度がある。割拠していた領主たちに、利害を調整して団結する余裕を与えるわけにはいかなかった。大陸中央部近くに位置するフォルトファーガは、地理的に包囲網を形成されやすい。
宣教師たちの活動を知って、執政官府は膠着状態を打開する決断をしたのだろう。政府は、ときとして冷酷な決断をせざるをえないときがある。
「徴兵して、最前線で戦わせた。首狩りの罪を血で償え、と諭したわけだ」
ご明察、とフリーデルはわざとらしく明るい声で答えた。微かだが、口元に歪みがある。
「実に巧妙だよ。宣教師の連中はこちらに来る前に、周辺の村全てを支配下に置いていたんだ。完全に包囲したうえで、棘だらけの逃げ道を用意したってことだな」
グードは違和感を覚えた。ただそれだけの理由で、死に物狂いで戦うわけがない。やはり、神に救いを求めていたと考えるべきだろう。贖罪の後の繁栄を夢見たに違いない。
そうなると、麦わら男の先祖が取った行動が見えてくる。呪術師としての威信が失墜したら、勇者となる以外に、部族の長として君臨する術はなかったのだ。左利きも、窮余の策だったのかもしれない。
「多大な犠牲を払って、戦乱は終結した」
「同時に、用済みとなった。利用するだけして、後は知らん顔だったらしい。ひい爺さんはかろうじて出仕がかなったが、大部分の人間は農村に戻らされた。教義に敬服して聖職者になろうとしたのも大勢いたらしいが、これもまたごく少数の人間だけだったそうだ」
だろうな、とグードは口の中でつぶやいた。聖職者は、厳しい修練の末に、神との契約を交わして生まれる。得体の知れない、ましてや先祖が首狩り族だった人間と神とが容易に契約を結べるのであれば、修道院など必要なくなる。
もし仮に在俗の宣教師として生きようとしても、一般の信徒がいい顔をするまい。元首狩り族となれば、それなりの視線にさらされることになる。聖職者になれたのは、それなりの技能を身につけていた連中だけだろう。
ちょうど、魔法使いの連中のように。
グードはふと、レオンとのやり取りを思い出した。魔法使いの生き方に似ている。
宣教師も魔法使いも同じようなものだった。堂々と他人の土地に乗り込み、教導して味方を増やしていく宣教師が陽とすれば、敵地で人知れず動く魔法使いは陰といえる。白蛇と黒蛇のように、お互いがゴンドランド連邦政府のために尽力している。
双方とも、この世界を支えようとする強い意志を持っている。だからこそ、命を賭けられる。殉教者として、あるいは魔女狩りの犠牲者として死んでいける。
逆に過去にすがろうとしている人間は、弱い。捨てられない脆さであり、己を持とうとしない柔弱さだ。そう思えた。
麦わら男も、エルフ族のように確固たる己を持っていれば、世間と妥協しても生き抜けただろう。あるいはドワーフ族のように、孤高を貫く集団に身を置いてもいい。
グードは、心に問いかけた。自分こそ、どちらも持っていない。なのに、生きている。もしかすると、妄執によって生かされているのかもしれない。
「己を貫こうとすればするほど、住む場所がなくなっていくようだな」
つぶやきに似た声を、フリーデルは聞きとがめたようだった。
「おれはむしろはぐれ者でいい、と思っているがね」
普段なら、女は陰のある男を好むからな、といった軽口が続く。しかし、三角帽を深くかぶり直した仕草は、やけに錆びついていた。
「監察局から沿岸巡視官に飛ばされて、初めて部下を持った。部下にも色々な人間がいることを知った。正義感に燃える男から、出世のために働く連中までな」
淡々とした口調には、出世主義者を排撃しようとするとげとげしさはなかった。
世の中には、何も無いところから這い上がろうとする人間もいる。階層化社会であっても、流動性があれば、連邦全体の活性化につながる。万人が平等という連邦の基本理念は、ただの飾りではなかった。
建国の父と称された初代執政官のヴェルデーは、平等の精神をゴンドランド連邦政府の主軸に据えた。怨嗟渦巻く乱世の余韻が残っている中で、信仰心に訴えるわけにはいかなかった。 過剰になると異教徒、すなわち被征服者への迫害へとつながる。
ヴェルデーの志のもとに、征服された領主たちは枢密院議員として名誉を保全され、体制に組み込まれていった。それぞれの民族も、居住人口比によって元老院の議席が与えられる選挙制度によって国政に参加させた。
平和が維持され続けたという点で、統治は成功と見なすべきだろう。問題は、ヴェルデーが善政による公共心や愛国心を醸成する間もなく、逝去したことだった。後継者たちは、自分たちには民族統合を推し進めるだけの求心力がないと悟り、力を担保に平等政策を推し進めなければならないと実感したに違いない。
格差を極力なくすためには、公平な税制と再分配政策が必要だが、実行するには強大な力がいる。既得権益を自ら手放す人間は少ない。統制力を維持するために、内務省と兵部省の権限が強化された。
ゴンドランド連邦全体の国益となるならば、狡猾な政策であっても実行する。それはまるで、苦労を重ねて切り開いた道を、徹底的に舗装する行為に似ていた。反乱者という雑草を芽のうちに引き抜き、不平という穴を埋め、平らに踏み固めながら一歩一歩進んでいく。
平穏無事に過ぎていったのだから、結果的には正しい選択だったろう。ただ、隙間なく並べられた丈夫な敷石も、年月を経れば風化して丸みを帯びるし、轍のような溝もできる。定期的な手入れが必要だろう。
無言の歩みを同意と受け取ったのか、フリーデルが言葉をつなげた。
「連中は密輸犯を捕まえるという目的では一致団結している。ひとつひとつはバラバラだが、まとまって共同体になっている。そう考えたとき、まるでモザイク画のようじゃないかと悟ったね。内務省の中にいて、せっせと悪を暴いていたときには思わなかったことさ」
「どこにもはめ込めないかけらとして距離を置いて見れば、モザイク画の欠陥がわかると言いたいのだな?」
フリーデルはうなずいた。三角帽の羽根が、主人の意を示すかのように大きく揺れる。
「神になるかどうかは知らんが、人がいずれ死ぬのはたしかだ。だったらそれまで色違いの破片をせっせと取り除いて、美しいモザイク画を完成させてやりたくってな。お前もそう思うだろう?」
「そうかもしれんな。完璧な世界は、ずいぶんと息苦しくなるだろうが」
秩序だった世界には、やはり違和感を覚える。安らぎに満ちた世界になるだろうが、それでは冥界と変わるところはないような気もする。活力のなくなった廃墟のような世界を望むのは、俗世を外れた宗教家ぐらいのものだろう。
もっとも、食屍鬼にはふさわしい世界なのかもしれないが。
グードは、軽く頭を振った。全てを捨ててきた人間の思考ではなかった。連邦からの借りを返していくだけでいい。
「なあに、この世界は広い。死ぬまでは生きられるさ。お月さまもそう言っているようだし」
中天にある月が、水晶玉ような冷たく冴えた光を放っていた。
グードは、懐から先ほどの葉を取り出した。月にかざして見ると、はっきりと文字が浮かび上がった。ただ一言「花」とだけ書かれていた。
せびり取った葉を、フリーデルは興味深げに眺めやった。
「ずいぶんとゼニーロってのは恐れられているようだな。汗臭い男どもに、こんな乙女のような言葉を残させるなんて」
「意味は通じた。問題はない」
「こちらへの罠という可能性はなさそうだな。罠であれば、もっと具体的に書くだろうからな。つまり、内通者はあちらさんにはまだ特定されてはいない、か」
フリーデルは葉をちぎって、草むらに撒いた。
「だが逆に、疑心だらけの集団から逃げ出して逢引をする余裕はなくなったな」
「別に構わん。犯罪組織の一掃は、おれのつとめだ」
おれたちの、な、とフリーデルは三角帽のつばを上げて、天を見上げた。月明かりを帯びた薄緑色の瞳が、不敵に輝いているように見える。
「とにかく、お前は宿で休むことだ。どうせ酒場が開くのは夕方からだろう。おれはそのあいだ、付近の散策でもするさ。呼び寄せた部下たちも、おっつけ来るだろうし」
お互いのんびりとやろうや、とフリーデルは意味ありげにグードの肩を叩いた。
浮遊感が消えた。
上昇気流に乗ったせいで、むしろ逆に吸い付くような感覚をレオンは覚えていた。緩やかに旋回しながら昇っているので、外側に振られる感じもあった。綿のような雲の中に入り、顔に吹きかかる風は冷たく湿ったものになったが、鞍を通して伝わってくる翼竜の背中は温かい。
出発してから五日が過ぎていた。大陸中央に広がる高原と砂漠とを東南に向かって越え、コロンブエ山脈南端から北上するために迂回していた。予定より二日遅れたのは、極秘任務ということもあって、遊牧民や隊商たちの目をかわす必要があったからだった。
好天だが、油断はできなかった。上空の風は平穏そのものだが、コロンブエ山脈から吹き降ろされる乾いた風と、東域海側からの湿った風がぶつかる場所であり、気流が不安定になりやすかった。とくに山麓では突風に気をつける必要がある。
そう教えてくれたセラは、右前方にいた。雲を抜けて太陽の下に出ると、艶のある灰色の髪が白く波打ち、レオンの顎をくすぐるように波をうった。
首都に帰還してすぐ出立となったはずなのに、翼竜を操る声は鋭かった。声だけを聞いていれば、華奢な体から発せられたとはとても思えない。
「こら、早く降ろせ。吐くぞ、漏らすぞ。うわ、こええ。助けてくれ、死ぬ。てめえら、死んだら化けて出てやるからな。いや、死んでたまるか、ちくしょうめ」
先ほどから、後方にいるマークがかすれた声をあげていた。翼竜の背中に渡した鞍の端を、必死の形相でつかんでいる。長い首と鋭い歯との死角を求めた結果だった。安定している上体とは違い、舵の役目を果たす尻尾の揺れは大きかった。酔って蒼ざめた顔のぶんだけ、赤くなった瞳が目立っている。
うるせえ、と隣にいたジェーガンが怒鳴った。顔は、広げた翼の先端部分に向いていた。
「おめえも魔法特機隊の副隊長なら、効きもしねえ呪詛じゃなくて、ちったあ前向きに酔い止めのまじないでも唱えてやがれ。地形が頭に入らねえだろうがよ」
「こ、このヒゲ野郎。ま、魔法使いを侮辱するんじゃねえ。お、覚えてろ。魔法が使えるようになったら、じ、自慢のヒゲを真っ先になんとかしてやるからな」
「ぜひ、そうしてくれ。手入れの手間が省ける」
へこまされたマークは、押し黙った。しばらくすると風を捉えたのか、翼竜は滑空を始めた。セラも一息ついたようだった。
体勢が安定したところで、レオンは再び前方を見た。吸い込まれるように広がる青空の下に、広大な森が見える。木々が密生しているせいで緑が濃い。目をこらすと、地平線近くに川らしき線が鈍く光っているのが見えた。その上を、鳥らしき黒点が動いている。
「隊長。フィルスが見えてきました」
セラが振り向いた。なびく髪から、細面の顔がのぞいた。狩猟民族であるエルフ族の血を引いているせいか、他の誰よりも早く目標を見つけられる。遠くを見るだけなら、マークの能力を凌駕していた。
ただ、全ての偵察を任せるわけにはいかなかった。残念ながら夜目が利かない。おそらく青い瞳の色のせいに違いなかった。
セラは、絵の具を使う肖像画家よりも、無彩色の石材を用いる彫刻家が興味を持ちそうな容姿だった。
涼しげな目元に据わる瞳は、白砂を敷いた中央海のように青く澄んでいる。肌は浅黒いながらもなめらかで張りがあり、陽光にきらめく髪とともに、存在を浮き立たせている。会話で控えめに動く唇は、まるで風にそよぐ赤い花びらのようだった。
整った顔立ちながら彩色がちぐはぐなのは、夜目と同じで血の気まぐれとしか言いようがない。しかしながら、神秘性が求められる占い師としてはたぐい希なる素質といえた。
四分の一しか血が入っていないせいだろう。エルフ族の面影は、やや大きめの耳にしか見られない。魔法使いの血も、同じく四分の一だけ入っている。
僻地に住み、排他的な行動をとりがちなドワーフ族と違って、大家族主義をとっていながら、交易などで積極的に多民族と交わってきたエルフ族ゆえに、混血は多い。
「様子はどうだ?」
「街の周囲に、洪水の痕跡が見られます。そのせいでしょうか、西と南の二ヶ所で橋が落ちています」
「最近か?」
「いいえ、水が澄んでいますので、少し前あたりかと。川面にさざ波が立っているのは、水が引いたせいでしょう。普段は浅いようです」
「山までさほど距離はねえのに橋が落ちるほどの出水があるってことは、上流は傾斜がきついってこったろうな。いつも水がきれいだってのなら、地盤が固くて岩も多いってことになるし。上流から筏で贋金を運ぶのはきつそうだ」
ジェーガンが、自分に言い聞かせているようにつぶやいた。鼻の下を掻いて集中している姿を認めたようすのセラが、レオンに向き直って言葉を添えた。
「それから上流にあたる西側で、崩れた外壁の修復工事をしているようです。詳細はよくわかりませんが」
「街の中はどうだ?」
「中央部に灯台が見えます。それほど新しいものではなさそうですが」
レオンは唇を引き結んだ。海に面していない都市に灯台があるのは、治安が悪い証拠かもしれなかった。街の内外で、夜間に騒動が起こったとき、すぐさまその場所を照らす。威嚇の効果もあるし、場合によっては、伸びる光の先に警備隊が出動することもある。真下はおそらく監獄になっているはずだった。
不景気の影響が及んでいるとすれば、治安が悪くなるのも無理はない。賃金を削られ、仕事にあぶれた職工たちが、酔いまぎれの憂さ晴らしに暴れ出すことはよくある。周囲が見晴らしの悪い森なので、盗賊団の存在も考えられた。
翼竜は、大きく東に回りこんだ。数度羽ばたき、高度を上げる。
道が見えてきた。木々の緑で、赤土色の線が浮かび上がって見える。川に沿うかたちで東の港町ポーミラに伸びていくものと、北の森に向かう直線道路の二本だけがフィルスから出ている。山脈に伸びて行く西の道は細く、途中の空地で途切れているようだった。
レオンも街の場所を確認した。上流には水車小屋らしき建物が密集している。粉挽き小屋にしては数が多すぎるので、紙料を潰すためのものだろう。
東の街道以外は、私道に違いなかった。直線に引かれているのは軍用道路の特徴だが、木々がせり出している点で異なる。軍用道路では奇襲を避けるために、道路脇の木は伐採して視界を確保しなければならない。
「西の空地は伐採所らしいな」
「北にもあるようです」
性分なのか、セラは一言一言考えながら、求められた答えだけを率直に述べようとする。占い師として振舞うには少しもの足りなく感じられるときもあるが、工作員の資質としては優れたものかもしれない。
「非常時の用材確保のために周辺での伐採が法律で禁じられているとはいえ、わざわざ遠くから運んでくるようだな。西の道から伐り出したほうが楽だろうに」
「木材は重くてかさばるので、輸送にそれなりの人員と経費が必要になります。ですから、街の近くでは成長が早くて需要の多い薪材を植え、価値が高い建築材と船材で周辺を囲んだほうが効率よく伐採できます。丸太は一度乾燥させて目方を減らし、まとめて一度に街まで運びます。余計な水分があると、市場にいる製材業者がいい顔をしません」
「しかし街までいちいち運ばせるとなると、言い値で買わされるだけ経費がかさむだろう。不景気ならば伐採所で直接取引したほうが、業者も安く買えて助かるだろうに」
「盗伐による横領と、真っすぐな良材ばかりを購入されるのを防ぐためです。曲がった材木ばかりだと、運搬に手間取ってしまいますから。残念な話ですが、利益を第一に考えてしまう人がいる限り、この習慣はなくならないかと思います」
レオンはうなずいて、話題を変えた。
「たしか密生して植えることで、より硬い木ができると以前に言っていたな」
「はい。縦に伸びるのは土の養分で、横に太るのは日光の量で決まりますので。固く締まった木にするために、計画的な植林は不可欠です」
目をこらして見ると、西と北とでは木の葉の形が違っている。北の地平線近くの森は、樹木が密生して植えられているらしく、緑がより濃く見えた。
「なるほど。となると西で薪材を、北が建築材と船材を伐採しているわけか」
「はい。北の伐採所付近に群生しているポポリの老木ですと、樹皮は染料や紙の材料になりますし、固く締まった木材は、耐波性が求められる外洋航路の帆船などに使われています。製紙と紡績の街フィルスにふさわしい木材といえます」
材木商の娘だけあって、セラは植物全般に詳しかった。森の民であるエルフ族には、木材の取引で財を成した人間が多い。露天の薬草売りから身を起こして、元老院議員にまで登りつめた男の出世譚はつとに有名だった。
相場の動きが激しく、取引で大金が動く職業では、なにより信用が重要視される。血族のつながりが強いエルフ族にとって、まさに天職といえた。
隣を見ると、いつの間にかジェーガンが目を閉じていた。頭の中で、地図の修正をしているらしい。しばらくしてから、レオンは訊ねた。
「上からなら銅山の場所が一目でわかると会議室で言っていたが、どうだ?」
「変ですねえ。鉱石を焼く時に、毒気が出るんですがね。それが木の葉の色を変え、時には枯らしちまうことがあるんで。だから目を凝らすまでもなくすぐに見つかるはずなんですが。ちゃちな贋金を造る連中には、おれたちのように毒気を抜く芸当ができるわけがねえと思うんですが」
「ほかに手がかりはないのか?」
ジェーガンは処置なし、といったふうに首を振った。
「国営鉱山ならすぐにわかるんですが、調子が狂っちまいましたぜ。野郎どもはこそこそと掘ってやがるから、竪坑が見つからねえんですよ。通気と排水のために必ずこしらえにゃあならねえと、上がやかましく言っている穴なんですがねえ。あいつらは法律なんかどうせお構いなしでしょうから」
「お、おまえらドワーフ族なら、あ、穴ぐらいごまかせるだろうよ」
「うるせえぞ、マーク。おめえまだ、会議室での話を根に持ってやがるのか。だいたいおれたちの竪坑は、雄牛の骨で掘ってた時代から、噴火口のように盛り上げて作るしきたりなんだよ。風が通るたびに、中の空気が抜けやすくなるからな」
「この辺りには銅山がない、と?」
「いいや、隊長。山深く掘らねばならねえ水銀鉱山や炭鉱じゃねえんで、普通の坑道だけで十分じゃねえかと思いますぜ。なにより手っ取り早くて安上がりですからねえ。それより木が枯れていねえほうが変ですぜ」
道理だった。ジェーガンの考えをまとめると、銅山はここにはないということになる。しかし、精錬もされていない贋金が大陸東側に出回っているのも事実だった。山脈に近いこの街で、より詳しく調べてみる必要がありそうだ。治安が悪そうなところも気にかかる。
「わかった。ひとまずフィルスに拠点を作って行動しよう。おれはひとまず責任者を訪問してみる。セラは製材所と市場の調査。ジェーガンは商工連盟の取引所で金属のほうを当たってみてくれ」
了解、と二人の声を聞き、レオンは後ろを振り返った。
「おい、マーク。ようやくお前の出番がきたぞ。街全体をくまなく回って、怪しい点を見つけるんだ。治安が悪いかもしれないから、気を引き締めていけよ」
マークは蒼ざめた顔をあげた。唇の端に、ひきつった笑いが浮かんでいる。
「なあに、心配してくれなくても、ここより危険なところはないぜ」
強がりではなく、心の底から言っているように、レオンには思えた。