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第四章 道化を伝う潮

   第四章 道化を伝う潮


 助けたのか、助けられたのか。

 港町ポーミラに向かう道すがら、グードは考えつづけた。南下する道中、ほとんど睡眠をとっていないが、それでも考えずにはいられなかった。出来事の裏側に、許容しがたい事情があった。

 最初に四人組と、襲撃者を始末せよとの指令がきた。内務省の極秘指令は、第三者の手に落ちることのないよう、合言葉のあと伝達者が符丁で伝える決まりになっている。

 上層部の誰かが、任務における匿名性を狡猾に利用してきた。誰が指令を出したのかは、伝達者以外知ることはない。もし追及されても、命じた者は知らぬ存ぜぬで通せる。

 四人組を処断するのに、不自然さはなかった。たとえ隠滅工作であっても、国益につながる行為に違いない。自分の歌を利用されるのは嫌なことだったが、目的があれば耐えられる。

 問題は襲撃者だった。伝達者は、反政府主義者でこちらを恨みに思うもの、とだけ伝えてきた。いつの時代でも不満は底辺から湧き上がる。積み上げた堆肥の下から、熱を持ってくるのと同じだ。だから、物乞いに成りすましていたとしても不思議には思わなかった。

 レオンが杖術を使ったとき、初めて罠と悟った。誰かが自分を、兵部省との私闘に持ち込もうとしていた。調べたところ、統計調査室長の息子だった。統計の調査が表向きの仕事になっているが、魔法使いがいるなら諜報工作の拠点に決まっている。斬ったり、警備隊の手で処刑されたら、復讐に燃える父親からの報復を覚悟しなければならない。連中は、ただの兵士の集まりではない。それなりの練達者が揃っているはずだった。

 かといって、与えられた任務を放擲するわけにもいかない。標的は内務省の同僚だった。失敗して逃げられましたと報告できるわけがない。嘘はすぐに見抜かれて、今度は抗命罪を着せられるおそれもあった。事情を知った四人組に、逆に始末される可能性もある。

 どうすべきか考える余裕はなかった。しかし、レオンが四人を倒してくれた。

 助かった、と安堵する暇はなかった。自分も一味だと思われていた。自衛のために、勝手に体が動いた。結果として自分の身を守り、レオンを逃がした。強く印象づけもした。

 これなら、いちおう任務を果たしたことになる。まさか兵部省の人間を片付けろ、とは言えまい。

 レオンには、恩も仇もない。ただ、借りはあった。懐に銅貨の詰まった革袋がある。この重さのぶんだけ、足運びが重くなる。いつか返さねばなるまい。

 借りがあると、動きが鈍くなる。

「よお、グード。あいかわらず無愛想なことだな」

 名前を呼ばれ、グードは、ポーミラに到着したことに気づいた。

 視界のやや下に、こちらを見上げる男がいた。つり上がり気味の眉に、薄い若葉色の瞳。整えられた亜麻色の口ひげと薄めながらも引き締まった唇。それぞれが三十代半ばの年齢相応に、精悍さを示している。

 同僚のフリーデルだった。久しぶりの再会となる。

 二人で肩を並べて、ポーミラに入った。白塗りの建物に寄り添って、大通りを進む。

 しおれた街、といった印象を受けた。自由貿易港に見られる、水際に沿った横への広がりがない。街道も舗装されておらず、荷車が通るたびに(わだち)を埋めた貝殻が、きしんだ音を立てている。

 通りをねり歩く順風待ちの船員たちの顔にも覇気がなかった。どうも交易所で買い叩かれたようだ。船員は、報酬の他に地位に応じた分量の交易が認められている。少ない分量ならば、付加価値の高い商品を積み込むはずだ。そういったものに限って、景気の変動に弱い。酒場のドアの隙間からもれてくる歌声も、どことなく寂しげに聞こえる。

 威勢の良さが売り物のはずの牡蠣売り女の声も、どことなく湿っていた。干した魚網のそばに吊るされている魚も、売れ残りを仕方なく加工している印象を受けた。

 活気が感じられるのは、大して儲けにならない巡礼者を奪い合う客引きの声と、河口近くの国営造船所から聞こえてくる槌の響きぐらいのものだった。

「元気そうだな、フリーデル」

「あえてのんきと言ってくれよ。密輸船の連中が出ないかぎり、おれの出番はきやしない。ここに沿岸巡視官さまがいらっしゃるぞ、と宣伝してやっているのにな」

 フリーデルは皮肉そうに唇をゆがめ、羽根のついた銀縁の黒い三角帽をかぶり直した。

 グードはあらためて服装を見やった。沿岸巡視官らしく、実用的な服装をしている。ひざ丈まで長さのある毛織物の外套は、よく水をはじく。足に密着する白いタイツは、敏捷な動きを妨げることはない。亜麻布のシャツは、汗をよく吸い取る。革のベルトに下げられた長剣は反りが入っていて、馬上でも振りやすいつくりになっていた。

 ここまでは地味といえた。しかし、紐でボタン掛けした絹服は、鮮やかな赤に染められていて、襟には精緻な模様のレース編みが縫いつけられている。さらに右肩にある外套留めの金具の表面には、エナメル細工が施されていて、夕陽を浴びるたびに紅玉のような輝きを放っていた。

 高価な服は、辺境の港町にふさわしいとはいえない。まさしくここに巡視官がいるぞ、と知らせているようなものだ。

「密輸船を取り締まる仕事は、軽く振舞えるほど楽ではないだろう」

「まあな。昔は港に張り付いて、安くてかさばる積荷を運んでくる船だけを見ていればよかったらしいがね」

「あざとさを見極めるわけだな」

「それだけじゃない。貨物が安いと、向こうで品物を売って得た金が、仕入れに使われずに帰りの船内で寝ることになる。そんなことはまっとうな商人なら誰も歓迎しない。必ず、高価でかさばらない品物をどこかに隠しているってわけさ。両替商がなかった、いかにものどかな時代の話だが」

「こちら側にとっては、のどかな時代でもなかっただろうがな」

 連邦政府の工作員も、密輸に手を染めていた時代があった。銅貨の私鋳によって、調達が難しくなった現地での活動資金を捻出するためだ。

 領主たちが質の悪い銅貨を鋳たのは、高利息の戦債を償還するためだけではない。防諜という側面もある。怪しそうな人物を漫然と追跡するよりも、外地から金貨や銀貨を大量に持ち込んでくる分不相応な人間を、徹底的に見張るほうが効率はいい。

 牽制効果もあった。連邦政府の人間ならば多少の遠慮があるが、密輸犯ならば堂々と処刑できる。明白な証拠を突きつけられては、政府は見捨てるより他にない。

 だから、工作員は主に塩を扱った。いざとなれば、海に投げ入れるだけで証拠を消せる。現地で銅貨を得るためだけだから、別に損をしても構わなかったわけだ。専売制で苦しめられていた地域では、さらに安く提供することで住民の協力も期待できた。

「だが、今の密輸商人はもっと巧妙な策を弄してきているはずだ。ならば危険でもあるぞ」

「そうらしい。しかし、おれは並の人間とは違う」

 連邦政府により関税が撤廃され、密輸船は激減した。しかし、気楽な閑職ではない。密輸は禁制品に限られるようになったため、より危険な任務になっている。普通なら目立つ上着を着て挑発しながら歩き回るよりも、連中から金をもらいながら、海岸沿いをのんびりと散歩していたほうがいいはずだ。

「中途半端に着飾るのは止めたほうがいいぞ。賄賂を貰っていると勘ぐられかねん」

「よしてくれよ。首都では首切りのフリーデルと呼ばれてきたんだ。そう簡単に生きざまを変えられるのなら、こんな辺境にまで飛ばされるわけがないだろう。ま、首の皮一枚つながっているだけまし、といったところさ」

 監察局から事実上の左遷となったのは、危険を承知で同僚の不正を暴き、多くの上役を辞職に追い込んできたからだった。ていのいい厄介払い、もしくは緩やかな流刑といったところだ。

 派手な服装は以前から変わらないが、うらぶれた辺境の地で見ると、謹厳実直を装い、その実腐敗しつつある上層部へのあてつけとも見てとれる。

「危険な立場はお互いさまか」

「だが、おれは少なくとも命は狙われていないらしい。ということは、幻惑草の捜査の焦点からは外れている。そうじゃないか?」

 幻惑草は、文字通り幻覚をもたらす作用のある植物だった。本来は疲れを癒したり、眠気を覚ましたりする薬草だった。しかし、精製された白い粉が首都に出回るようになり、名称と連邦政府の対応とが一変した。悪魔の粉と呼ばれ、毒に犯される人間が出てきたからだった。

 絶妙な表現だといえる。金銭のためなら、人を殺すことを厭わないあの四人組などは、悪魔といわれても仕方があるまい。

「海岸線は平和そのものときている。ならば、幻惑草は陸路で運ばれているに違いない。そう踏んで、街道沿いの港町を重点的に捜査しているところだ」

「成果は出たのか?」

「いいや、まだだ。密輸船も見つかっていない。ところで、グード。幻惑草の捜査中止命令が出たってのは本当か?」

「そうらしいな」

「らしいとはおまえらしいことだ。いったいどんな事情が隠れているんだ?」

「知らんよ」

 上層部の誰かが幻惑草の密売に関与しているのは、四人組を処断したときに確信した。しかし、フリーデルに話すわけにはいかない。相手の力量は、いまだ測りかねている。話しても、危険が分散できるわけでもない。

 おいおい、とフリーデルは肩をすくめた。こちらの心を見透かそうとするかのように、目を細めている。

「中止命令が出ているのに、のこのこと辺境の港町までやってきたんだ。手がかりを知らんとは言わせないぞ。これからどこに行こうとしているんだ?」

「おれは休暇中だから、連絡は入ってこない。それだけのことだ」

「休暇中ね。ならば、ますますお前の行き先を聞かねばならんな。内務省の行動規範に、休暇を取る場合、常に行き先を知らせておくこと、とある。お前も役人なら、規則は守らないとな」

「派手な服を着ている人間に、規則うんぬんを言われるとは思わなかったが」

 グードは大きなため息をついた。十年以上も同僚としてつきあっていると、手柄を立てるためではなく、こちらの身を案じて言ってくれているのがよくわかる。

「自治都市のフィルスだ。南下しながら酒場を回って、幻惑草の相場を調べてみたが、あの街を中心として、ほぼ同心円状に価格が上がっていくのがわかった。逆に言えばあの街に元締めがいることになる」

「同心円状か。すると、敵さんも違った意味で、かなりのきれい好きと見えるな」

 フリーデルは、価格が均等に上昇している理由を気にしたようだった。末端の価格は、流通経路によって決まるから、密売は単一の組織の犯行だと推察できる。

 それなりの組織力を持っていなければ、他者を排除するような芸当はできない。手ごわい相手だろうが、逆にその組織さえ叩ければ幻惑草の密売を根絶できるともいえる。

「なるほど、森の街フィルスね。このところ海岸ばかり歩いていたから、気づかなかったな。そいつは面白くなってきた」

「別に面白くはないだろう。貴様が危険を冒してまで幻惑草を追う必要はあるまい」

 フリーデルは、舞台俳優さながらの仕草で、両手を大げさに一周させた。

「輝く夕陽。紺碧の海。白い砂浜にみずみずしい緑。可憐な花に、麗しき乙女たち。世の中は美しいものがたくさんある。それを穢そうとする醜い化け物連中の首を一人残らず跳ね飛ばしてやるのさ。美しいものを愛でないのは、もはや人間とはいえますまい」

 大声だったが、まわりの反応はなかった。大通りには酒場が密集している。なけなしの金でヤケ酒をあおる酔っ払いは珍しくない。

 フリーデルは気にしたようすはなく、視線が合って笑顔をこぼした妙齢の女性に、三角帽をとって、わざとらしく片目をつぶってみせている。

 うまくはぐらかされた気もするが、こいつらしいとも思う。報酬を貰いながら正義を振りかざして回る男より、何かを貫いて生きようとする男のほうが信用できる。

 だから、長い付き合いになった。

「おまえはどうなんだ、グード。報酬や名誉が目当てなら、他に色々な仕事が転がっているぞ。正義のためとしか思えないぐらいの執念深さじゃないか」

「フリーデル。おれの前で、軽々しく正義など言わないでくれ」

「なぜだい?」

 相棒となってから、幾度となく問われ続けてきた質問だった。いい機会だ、とグードは思った。過去を話しても、ここなら酒気と喧騒によって、打ち消してくれる気がした。

「おれの母は、領主に税金の軽減を頼みにいって、貞操を守るためにのどを突いた。耐えかねた父は、義憤によって暴動を起こしたが、敗れて処刑された。あろうことか母の墓前で、反乱罪の汚名を着させられてな。多民族の集合体であるゴンドランド連邦からしてみれば、暴動はいかなる理由があっても悪として断罪せざるを得ない。つまり、父は盗賊や殺人者と同じ犯罪者として処遇されたわけだ」

「ほう、それは初耳だな。それで、その領主さまはどうなったんだい?」

 軽い口調だったが、深くかぶり直した三角帽の下からのぞくフリーデルの目は鋭い。

「暴政の責任を取らされて、追放された。さすがの枢密院もかばいきれなかったようだ。結果的に広大な土地が連邦の直轄地になったのだから、計り知れない国益をもたらしたはずだ。わざと暴政を放置して、反乱を誘導したのかと邪推したこともあったが、今は考えないようにしている。連邦政府が両親の仇をうってくれたのは事実だし、育ててくれた恩もある」

「ふむ、それで?」

「もし、正義が存在したのであれば、母は死なずに済んだ。悪が存在したとすれば、父は死なずにすんだかもしれない。しかし結局、正義も悪も消え去り、おれだけが残った。はっきりとわかったよ。この世には正義も悪も無く、混沌だけが存在していると。ないものをあると思うのは、狂信者のすることだ」

 国家も法律も、家族を守ってくれなかった。混沌の対極は、秩序では断じてない。虚無だ、と童心ながらに痛感した。だから故郷を捨てた。何もかも、過去の全てを捨てた。それでこそ、現状に対抗できる。そんな気がした。正しい決断だったと思う。混沌とした世界に秩序をもたらすはずの内務省も、自浄作用が働かずに腐敗してきている。

 一息ついて、あたりを見た。聴かれたようすはなかった。石畳を転がす車輪の音も余韻を残すかのように遠ざかり、人もそれぞれ建物に吸い込まれつつあった。

 ややあって、フリーデルは口を開いた。下がり気味のつばが、端正な顔に陰を落としている。

「正義のためではなかったら、なぜ幻惑草を追っているんだ?」

「さっきも言ったが、ゴンドランド連邦には借りがある。返しがいのある借りがな。大物の影がちらつく幻惑草の捜査が、一番借りを返せそうな手柄だと思っている。借りを返せば、いつでも死ねる。そんな生き方がおれには一番ふさわしい気がしてな」

「おい、グード。お前らしいぞ」

「むろん、冗談だ」

 本当のところ、冗談などではなかった。おそらく、死ぬまで連邦政府に借りを返し続けねばならないだろう。反乱者の息子として生まれ育った代償は大きい。

 しかし、苦ではなかった。生き方を割り切れれば、余計な悩みなどなくなる。

「で、あっちでどうやって手がかりを見つけるんだ?」

「すでに行きつけの酒場から、フィルス宛の紹介状をもらってある。しばらく酒場にもぐりこんでようすを見るさ。そう心配するな、フリーデル。核心に迫っているんだ。それほど時間はかからない」

 フリーデルは、大きく息を吐いた。

「心配はしていない。ただ、美味しいものを一人で食べるな、と言っているだけだ。わかるだろう?」

「ああ、連絡はする」

「必ずだぞ。お前の約束はあてにならないから、念押ししておくが」

 街外れまで、無言で歩き続けた。

 中央広場前の交差点で、騒ぎがあった。十人ほどが何かを取り巻き、罵声を浴びせていた。殴る音も聞こえる。

 人だかりはなかった。通行人も、少し目をやっただけで、足早に去っていく。関わりあいたくないたぐいの人間が、いさかいを起こしているようだ。

「皆々さまの鼻のつまみ具合からして、古漬け魚の叩き売りってところかな」

「するとおれたちは蝿か」

「違うといっても、あっちはそう思っているだろうさ。やだねえ、審美眼のない連中は」

 二人で駆け寄った。

 少年が囲まれていた。十二、三歳ぐらいか。殴られ続けていたらしく、顔が腫れ、服が破られていた。すぐそばには口を押さえられ、羽交い絞めにされた少女があがいている。

 奥には荷車が二つあった。荷物が申しわけていどに載っているほうは、おそらく非力そうな少年と少女のものと思われた。もう一つの荷車には、樽と袋が満載されていた。こちらは他の都市に荷物を運ぶ途中に違いない。

 出会いがしらにお互いが衝突し、騒動になったといったところだろう、とグードは読んだ。荷物の少ないほうが道を譲る街道の掟を、少年はまだ知らなかったらしい。

 立ち去ろうとした男の一人に、少年が殴りかかった。すかさず反撃を食らって倒れこむ。囃す声がまわりから起こった。余裕からか、少年が立ち上がるのを待っていた。

 周りを囲んでいる男たちは、小柄だががっしりとした体格をしていた。赤銅色の肌色は、陽光と潮風とに身をさらしてきたせいだろう。一見すると山の民であるドワーフ族に似てないこともないが、きれいに髭を剃っているうえに、上半身裸でさらに墨を入れている点が異なっている。

 どこからどう見ても、生粋のゴブリン族に違いなかった。

 グードは、素早く視線を走らせた。輪から一歩引いた場所で、偉そうにふんぞり返っている親方らしき男には見覚えがあった。取り巻き連中よりも一回り大きい背丈の持ち主で、突き出さんばかりに大きい顎と、ときおりひきつったような唇からのぞく乱杭歯は、忘れ去るにはあまりにも印象が強すぎる。

 昔、面倒を見た男だった。相手は、もっと鮮明にその時のことを覚えているに違いない。首筋につけられた傷のように。

 少年は立ち上がった。まだ闘うつもりらしい。

 割って入ろうとするフリーデルを、グードは手で制して、そのまま前に進み出た。

「ずいぶんと出世したな、ゼニーロ」

「おや、これはグードのダンナ。お久しぶりでございますね」

 驚愕の表情から、すぐに卑屈そうな笑顔に変わった。

 呼び捨てにしたからか、殴打を加えていた手下たちの手が止まった。首をかしげ、肘で突きあいながら、いっせいに視線を向けてきた。

 友好的な表情ではないが、嫌われるのは慣れているので気にならない。腐臭が漂う人間を相手にしていると、埋葬人夫や処刑人よりも忌み嫌われるようになるものだ。

「グードの細目野郎じゃないのか。取調べで机を蹴飛ばした頃のように」

「もう十年も前の話じゃありませんかい。いいかげん大人になりましたよ」

「いたいけな少年を皆で殴りつけるのが、大人のやることとは思えないがな」

「ちょっとしたいさかいごとですよ。たった今、止めようと思っていたところでさあ」

 ゼニーロが、おい、と顎をしゃくると、すぐに輪が崩れた。強い安酒と潮風とでのどをやられているのか、手下たちがこぼす不満まじりの声は低く濁っていた。姉らしき少女も解き放たれ、少年の元に走り寄った。手にしたハンカチで、少年の口を拭った。

 グードは少年に、今のうちに行け、と目配せをした。しかし、少年は口元にハンカチを当てられながらも、まだ動こうとはしなかった。細い肩が大きく上下していて、息遣いが荒い。膝が笑っていたが、足は動いていなかった。腹の底から湧き出してくる怒りが、恐怖を克服しているように見える。

 やむを得ずゼニーロに視線を戻す。この愛想良く振舞う男に、訊いておくことがあった。

「ずいぶんと出世したようだな」

「男の価値は口の堅さと忍耐強さ、それに腕っ節で決まると言いますからねえ。それさえ持っていれば、地位のほうが放っておきませんよ。ほら、これがその証拠でさあ」

 ゼニーロは、誇らしげに自分の胸を叩いた。

 胸の部分には、色あざやかな海獣の模様が彫り込まれている。体の前に墨が入っているのは、荷役夫の中で相当な地位にいる証だった。新入りは荷車の後ろで押す。だから、背中にしか模様は入れない。出世するにつれ、肩、胸、腹などに模様を入れていく。

 痛みに耐えることで、男の価値があがる。そう言いたいようだった。

 潮流と風との関係で、船は決まった期間に集中して寄港してくる。積み上げられた荷物の中から負担が軽く、なおかつ利益の出る荷役を受けられる人物の元に、より多くの人夫たちが集まるのは当然といえた。

 荷役夫にとって、親方の権威は絶対的なものがあった。腰に巻いている革紐は、担い帯としてよりも、罰を与える鞭として使うほうが多い。

 フリーデルが、少年たちをかばうように進み出た。

「忍耐力があるというなら、幻惑草には手を出していないな?」

「もちろんでさあ。こいつらにもきつく言ってありますぜ」

 そんなはずはなかった。ゴブリン族が幻惑草を噛む習慣を捨てるわけがない。幻惑草の鎮静効果は、重労働の労務者にひと時ではあるが安らぎを与える。一度その習慣に染まったものが、やすやすと手放せるわけがない。

 不信に満ちた視線を察したのか、ゼニーロは挑戦的な口調で付け加えた。

「だいいちおれたちは愛国団体ですぜ。国益に反するような真似は一切しやあしませんよ。ゴンドランド連邦が続く限り、永久に通関税を支払わなくて済むんですからね。ねえ、グードのダンナ。そうでしょう?」

「ものは言いようだな」

 連邦政府が通関税を全面廃止したのは、商業振興のためだけではない。反抗的な領主たちが、通関税を担保として戦費を調達するのを予防するためでもあった。これはうまくいった。商人たちは歓迎したから、儲け損なった両替商も渋々ながら従うよりほかになかったわけだ。

 関所が廃止され、領主たちの工作員が蠢動する余地ができたが、強力な防諜組織が抑えこんだ。ドワーフ族などが持っていた金銀鉱山を保有して、財政に余裕ができたことも寄与している。

 しかし、政治的な圧力をかけた以上、どこかに歪みが出てくるのは必然だった。現に、状況を最大限に利用しようとする輩がここにもいる。

「愛国団体たるもの、積荷をごまかしたり、さらってきた花売り娘を無理やり好色な客にあてがったり、禁制品を二重にした樽の底に隠すようなことはしないだろうに」

 斬り込むようなフリーデルの視線を横目に、ゼニーロは胸を反らせて答えた。

「あのときは飯が食えなかったからですよ、ダンナ。それともなんですかい。食屍鬼のグール族のように、墓を暴いて食えとでもおっしゃるんで?」

「勘違いするな。グール族が先祖の柩を開けたのは、埋葬品を売って飢えをしのぐためだ。おれは、凶作で泣く泣く墓を掘り返した彼らと、卑劣な手段でドワーフ族の荷役を横取りするような下種たちとを一緒にするつもりはない」

「それこそ誤解ですよ。ただおれたちがヤツらより安い賃金で荷役を引き受けただけですぜ。馬車馬を飼うよりも安くあがるって、みんな喜んでいますよ。おれたちの活躍で荷主も店主も喜んでますし、結果的に物の値段も安くなりますから、買い物客も大喜びです。できる限り多くの人々を幸せにしていくのが、連邦政府の方針でもありますからねえ。われわれが悪いというのなら、政府が悪いということになるんじゃありませんかい?」

 きれいごとの裏面に、企みが浮かんで見えた。安く引き受けて商売敵を消し去り、それから賃金を引き上げていく。独占すれば、手数料決定の主導権を握るのはたやすい。

「口数が多いせいかな。まっとうなことを言っているはずなのに、全然感銘を受けないのは」

 ゼニーロは横を向いて、唇の端で笑った。

「気にしなくてもよござんすよ。世の中、民族と同じ数だけの見方がありますからねえ。それにしてもダンナ。ずいぶんとグール族をかばいますねえ。まるでダンナがグール族みたいですぜ」

「だったらどうした?」

 グードは冷然とゼニーロを見据えた。

 別に隠しているわけではなかった。それに、隠しても無駄だとも思っている。過去は捨てられても、消すことはできない。一度押された反乱者と食屍鬼の烙印は、一生ついて回る。

 ならば、食屍鬼として生きていくだけだった。この世にはびこる腐りきった人間どもを、一人残らず喰らい尽くし、無に戻す。それが一番自分にふさわしい生き方のような気がしていた。

 フリーデルがさらに一歩踏み出した。三角帽をさらに深くかぶり直している。

「いよお、赤の他人の兄弟。ずいぶんと威勢と景気が良さそうじゃないか。さあて、かっこよくて果てしなく強いこの沿岸巡視官のフリーデルさまに、さっさと金儲けの秘訣をお教えしないか」

 目つきは見えない。ただ口元には、虚勢ではない不敵な笑いをひらめかせていた。右手はわざとらしく遊ばせているが、いざとなれば取り囲むゴブリン族たちをひるませる隙も与えずに首を跳ね飛ばせるだろう。あだ名の由来は、廉潔さによるものだけではない。

「早く樽の中身を見せろ。おれは醜男の減らず口ほど嫌いなものはないんだ」

 グードはゴブリン族の荷車に目をやった。大小二種類の樽がぎっしりと積まれている。大きい樽が荷台の大部分を占めていて、小さい樽は後側に申しわけ程度に置かれていた。樽どうしの隙間を埋めるように、野菜や小麦が詰まった黄麻(おうま)袋が載せられている。

 新入りらしい手下の一人が、荷車から大きな樽下ろそうとした。しかし、きっちり詰められているので、なかなかうまくいかなかった。悪態をつきつつ、小さい樽を邪険にのけ、小麦の袋をいまいましげに蹴り落とした。

 ようやく樽を下ろして、ふてくされた顔を向けてきた。張り出した額としゃくれた顎とで、顔全体が縮んでいるような印象を与える。くりくりとした目は愛嬌にもなるが、荷役夫でのしていくには不向きだろう。

 白目が赤くなっているのは、小麦の袋詰めに酷使されたからだろう、とグードは察した。細かくなった籾殻が目に入ると、しばらくのあいだ痛みが治まらなくなる。皆が嫌がる仕事は、新入りに押し付けられるものだ。街道の優先通行権をとるためには、かさばるばかりで大して利益の出ない小麦でも、とりあえず積み込まねばなるまい。

 蓋が開けられた。中には、赤と緑の海藻がぎっしりと詰まっている。真水で洗っていないらしく、強い磯の香りが漂ってくる。

「ご覧のとおり、海藻ですよ。このあいだの洪水で、流木とともに浜辺に打ち寄せられたものです」

「フィルスは森の街だぞ。海藻など何に使うんだ。お前たちの顔にでもなすりつけるのか?」

「潤滑材ですよ。あっちで伐り出される巨木は、車軸が折れるほど重いものですから、荷車ではなく下に丸太を敷いて運びます。そのとき、海藻のぬめりを丸太に塗るわけでして。昔は海獣の脂を使っていましたが、匂いがひどうございましたからね。あと、水車小屋の歯車にも塗ったりもしますけど。海藻の利点は使い終わったら、焼けば塩まで採れるところにもありますんで。とにかく高く売れるんです」

 ゼニーロの顔色をうかがいつつ、手下は答えた。

「元手はただで、儲け放題か。世の中不景気なのに、向こうの連中はずいぶんと金払いがいいんだな」

「なにしろフィルスから街に伸びる道はここの一本だけで、こちら側からしか送れませんからねえ。人間、塩がなくては生きてはいけませんから、値段はつけ放題ですよ。なにしろ専売みたいなものですからね」

「それが、ゴブリン族のやり方かい。ずいぶんと麗しい行動じゃないか?」

「きれいごとを言っても、商売は略奪と同じです。あるところからしか取れません。それだけのことですよ」

 いきなり、ゼニーロが手下の頬を張り飛ばした。手下はよろめき、腰から落ちた。

「おめえ、余計な口数が多くねえか。そんなことじゃあ、長生きできねえぜ」

「すみません」

 グードは目を細めた。安っぽい喜劇であっても、ここまでわざとらしく演じはしない。見せつけるように殴るゼニーロもゼニーロだが、咎められながらも悪びれたようすがない手下も手下だった。

 説明には間違いはなさそうだが、多弁なのが気になった。何かから目を反らさせようとしている感じがした。盗んだ香木を、森に隠すような小賢しさがある。

「おれたちは貴様らの商道徳には興味がない。で、こっちのは何だ?」

 グードは荷車の隅に置かれていた小さめの樽を指し示した。何か白い粉状のものが表面にこびりついていて、黒葡萄酒と押された焼印を覆い隠そうとしていた。塩ではなさそうだった。虫が湧くのを防ぐためなら、もっと全体を覆うように塗る。

 別の手下が、面倒くさげに樽の中身を見せた。牡蠣の殻が、ぎっしりと詰められている。

「見ての通り石灰の原料です。焼いて砕いた貝殻を、さっきの海藻と混ぜて外壁を塗ったり、石の隙間を埋めたりするのに使います。洪水で石垣が崩れましてね。復旧作業のせいで、いくらでも需要があるのです」

 見え透いた嘘だ、とグードは思った。いくらでも需要があるのであれば、こちらを多く積むはずだった。工事用の建材ならば潤滑財としての海藻より、はるかに高く売れる。塩が必要不可欠で値段をつけ放題だというなら、海藻を焼いて塩だけを運んだほうが利潤は大きいはずだ。

 自らの強欲さを主張しておきながら、みすみす儲け話を見逃すのは論理の整合性に欠ける。推察すると、貝殻の量はそれほど必要とはしないものの、どうしても運ばなければならない理由があることになる。

 それは、狙い定めた獲物につながっていた。

「そうか。おれはてっきり、幻惑草と一緒に噛むために使うのかと思ったがな」

 石灰を幻惑草で包んで噛むと、効果が倍増する。最近流行し始めた方法だった。安上がりながら、それなりの多幸感が得られる。

 それに石灰そのものが、幻惑草の精製に用いられているはずだった。

 ゼニーロの目つきが変わった。反抗的だった頃の鋭さが戻っている。

「ダンナ、ご冗談がすぎるんじゃありませんかい?」

 フリーデルが、肉食獣のしなやかな動きで間に入った。

「それならもっと愉快そうに笑ったらどうだ、赤の他人の兄弟。こっちの強そうな兄弟はな、首都ではなぜか、道化のグードと呼ばれているんだ。おかしいだろう。別に面白いことをしているわけでもないのにな」

 かつて上層部の命令で、領主の護衛をしていたことがある。無駄口を利かず、常に傍らに寄り添っていたのを見た同僚が、意図的に広めたのだろう。

「笑いにも色々ありますからねえ。冷笑、憫笑、嘲笑とね。ただ、道化ってのは言えてますぜ。権力者を笑いものにしようとするところなんかとくに。だからいまだに出世もできないんでしょうがね。どうやらダンナもその口でしょうねえ」

 ゆがんだ唇から、黄色い乱杭歯がのぞいていた。

 幻惑草を噛んでいると、石灰の何かが影響するのか、やがてだんだんと歯が朽ちていく。快楽の代償にしては、あまりにも大きい。だから、荷役夫のような仕事をする人間しか多用しない。

 これ以上訊ねても効果はなさそうだった。それに末端の連中を捕まえてもまったく意味がない。泳ぎ疲れるまで、泳がせたほうがいい。

 釣り針を刺しておくか、とグードは思った。荷役をつかさどる人間は、商人に対抗するために独自の情報網を持つ。餌の活きがよければ、大魚がかかるはずだ。

「よく聞け、ゼニーロ。あのときおれの前から逃れられたのは、口が堅かったからではないぞ。泳がしたほうがいいぐらいの小物だったからこそ、釈放したのだ」

 憤怒の表情に変わったゼニーロに、顔を近づけた。口元から、かすかに生魚の匂いがした。香味料の匂いも混ざっている。幻惑草の青臭い匂いをごまかすのによく使われる手段の一つだった。ニンニクよりも安い。

 グードはまわりを見回して、念を押した。

「幻惑草を追っているのが、おれ一人だと思うなよ。こちら側のやり方は熟知しているだろう。敵を囲い込むように味方を作るのもいれば、敵の中に味方を作るのもいる。だから、お前の手下の中にも潜り込んでいるかも知れんぞ。それからもう一つ。心にやましさを感じたら、首筋の傷を思い出せ。そうすれば、笑って死んでいけるはずだ」

 鉄の統制力を誇る団体ほど、忠実な手下と、制裁を恐れる内通者との区別はつきにくい。疑心を植えつけるのには格好の条件が揃っている。揺さぶれば、どこかで必ず隙を見せるに違いない。

「ようくわかりましたぜ。ダンナもお気をつけて。森の夜道は暗いですからね」

 ゼニーロは吐き捨てるように言った。

「よし、さっさと行け。儲けの機会を逃すのは、まっとうな荷役夫のやることじゃないだろう」

 グードは、去り行く背中を眺めながら考えをめぐらせた。

 やはり、フィルスに何かがある。金回りの良さといい、積荷を運ぶ連中の行動といい、怪しすぎる。商品が集まるのは市場だが、金が集まるのは商工組合だ。ならば、まずそこから攻めるべきだろう。ちょうど組合長が経営する酒場があった。潜りこめば、なにか手がかりがつかめるかもしれない。

 不意に、フリーデルに肩を叩かれた。見上げる顔には、困惑の表情があった。

「おい、グード。どうするよ?」

 指し示す方向に目をやると、まだ立っている少年の姿があった。膝の笑いは消えていた。いつの間にか、こちらに怒りの視線を向けてきていた。

 こういった展開は、苦手だった。悪人や同僚たちに対しては、いくらでも言葉が出てくる。しかし、純真無垢そうな少年が相手では、なんと言っていいかわからない。

 気持ちを汲んでくれたのか、そばにいたフリーデルが少年の肩に手を伸ばした。

「少年、大丈夫か?」

「うるせえ、子ども扱いするな」

 手が、邪険に払いのけられた。驚く姉を後ろに回し、今度は、こちらを交互に睨みつけてきた。殴られて腫れている頬よりも、顔全体の赤みが勝っている。

 目の輝きは失せていなかった。むしろ逆に強い光がこもっていた。まっすぐな男に育つに違いない、とグードは思った。未来をつかもうとする目とは、こういったものかもしれない。

「お前ら、役人だな。おれは、ゴブリンどもより、お前たちが大嫌いだ」

「理由を、聞かせろ」

 突き出された指の前に、グードは進み出た。一人前の男として、聞いてやる気になった。

「おれの出身地は、はるかフィルスの先の山を越えたところだった。おれの爺さんと親父たちが、懸命に毒虫と戦い、沼を埋め立ててこしらえた土地だ。家も畑も作った。水っぽいけど、石の炭も出た。実り豊かな土地になるはずだったんだ」

 振り返るような話し方が、気になった。

「だった、とは?」

「ある日突然、何ヶ所かの領主の騎士たちが揃ってやってきて、ここは緩衝地域となったからさっさと出て行け、と言った。こちらの言い分は完全に無視されて、そのまま追い出された。たったの一言でだ。家は壊され、畑は焼かれた。謝罪の言葉も、一枚の銅貨もよこさなかった」

 領主たちの言いぶんは理解できた。不毛の土地だからこそ、領有権があいまいとなり、結果として均衡が保たれているわけだった。土地に価値ができれば、争いが生まれ、お互いに傷つくことになる。生存圏に軍事的空白は存在しえないと、法科大学でならったことを思い出した。

 ならば初めから、問題は存在しなかったことにする。内務省のやり方と同じだった。

 フリーデルが、三角帽のつばを上げた。細めた目が、少年に向けられた。

「連邦政府に訴えなかったのか。居住権の認定は、元老院の護民委員会が持っているはずだが?」

「もちろん、訴えたさ」

 声が、潤んできていた。無力さからくる悔しさのせいだと、痛いほどわかった。

「なけなしの金を集めて、おれの親父と爺さんが代表として、フォルトファーガまで陳情に行った。けど、けど、元老院は審議してみるの一言で、そのまま放置された。旅費が尽きれば、あきらめるだろうと思ったに違いないんだ」

 元老院にも、複雑な利害関係がある。領土問題を下手にいじると、元王族や領主で構成されている枢密院の機嫌を損ねて、政治が混乱するおそれがある。あるいは、面倒を嫌う領主たちが出した多額の贈賄に揺さぶられたのかもしれない。

 あるいは、騙し取られたのかもしれない。誰でも入ることができる元老院議員会館の大広間は、詐欺師の巣窟(そうくつ)でもある。議員を紹介するといって、大広間で待たせ、金が尽きるまで面会を引き伸ばす。よくある手口だった。市民に開かれた議会政治を利用して、利益を貪る輩は少なくない。

 フリーデルはうつむいた。帽子の陰が、顔を覆った。続きを聞きたいようでもあり、聞きたくなさそうでもあった。意を決して少年に訊ねるまで、少し時間がかかった。

「それで、爺さんと親父さんはどうしたんだ?」

「いねえよ。とっくの昔に死んじまった。酒場でヤケ酒あおって、ケンカに巻き込まれちまってな。けっ、ざまあねえよな。酒などに逃げやがって。おかげで、おれたちは皆から白い目で見られてこのざまさ」

 少年は、破れた服の袖で目を何度もこすった。

 違う、とグードは悟った。なんとか生きようとした意志があるのに、つまらぬいさかいで死ぬ理由がない。もしかすると、内務省が密かに処断したのかもしれない。あの四人組のように、金目当てで動く連中は他にもいるはずだ。

 それとも、自分か。覚えはないとは言えない。伝達者から命令を受けるままに、処断したこともある。

 不意に、何かがこみ上げてきた。しかし、すぐに消えた。一瞬だったので、嫌悪感か、それとも怒りなのか、まったくわからなかった。

 何かの感情があったとしたら、対象は、少年に向けられたものなのか、領主たちに対するものなのか。あるいは内務省、それとも元老院なのか。もしくは、自分自身へのものか。それも、まったくわからない。

 借りを返すために、自分を殺してきた。そのツケが回ってきている。

 心が、魂を喰らっているような気がした。

「こいつらに言っても仕方がない。行こう、姉ちゃん」

 気がつくと、少年はさっさと荷車を引いて、海沿いの街道へ出ようとしていた。

 グードは、何度も何度も頭を下げる少女の前に、フリーデルを押しやった。

「ちょうどいい、こいつの帰り道だ。送らせよう。腕前は、そこいらのゴブリン族が束になっても負けないぐらいはあるから、安心してくれていい」

「負けないぐらいじゃないが、まあよしとするか。か弱き乙女を守るのは、騎士の役目でもあり、おれの生きがいでもあるからな」

 少女は、嬉しそうな顔になっていた。よほど、心細かったに違いなかった。

「道すがら、詳しい事情を聞いてやれ、フリーデル。柔軟性のある貴様なら、なんか手段を講じてやれるだろう。ああ、それから」

 グードは、懐から銅貨が入った革袋を取り出した。押し付けるように、フリーデルに渡す。

「これを渡しておいてくれ。商売の元手には足りないが、少しは楽になるだろう」

「怒鳴ってつき返すほうに、金貨百二十枚賭けるね」

「誰が恵んでやると言った。手がかりを教えてくれた報酬だ。ゴブリン族が幻惑草に絡んでいるとすれば、商工組合にだけ注目すればよくなった。手間を考えれば、安い買い物だ」

「お前はどうするんだよ。世の中、金がないのは首がないのと同じだぞ」

「フィルスまでは一日しかない。あとは、歌がある。歌っている限り、日銭が入る」

 じゃあな、とグードは身を翻した。

 やれやれ、といった声を聞き流しながら、フィルスへと続く西の街道に向かう。革袋がなくなったぶんだけ、足どりが軽くなった気がした。それでもまだ、借りは残っている。

 時はずれの海風が、外套を煽るように吹き付けてきた。

 任務を全うしろ、と背中を押されているようでもあり、さっさと出て行け、と言っているようでもあった。

 どのみち似合いの風だ、とグードは思った。


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