第三章 作戦会議室にて
第三章 作戦会議室にて
作戦会議室は、本館裏口の近くに置かれている。こじんまりとした山小屋といった造りだが、魔法特機隊全員が会合を持てるぐらいの広さはあった。たった三人だと、閑散とした感じがする。
レオンは、手持ちぶさたなようすの二人に、任務のあらましを説明した。
「守銭奴と釜焚き屋と頭でっかちとを手玉にとっていこうとは、バルラムのとっつあんも苦労が絶えないよなあ。あれじゃあ剃ってごまかすほど頭髪も寂しくなるというもんだ。髪を切らされずにすむから、こっちは楽でいいけどさ」
椅子にそっくり返ったままで、副隊長兼地上偵察班長のマークが軽口を叩いた。口を動かすたびに、セルムの葉の清涼感あふれる香りが、レオンのところにまで漂ってくる。
生意気な態度でありながら、どことなく滑稽な印象を与えているのは、少年のような体格と顔立ちのせいだった。兵部省専属の床屋には見えないほど赤髪は収まりが悪く、白い肌でも浮き上がらないほどひげが薄い。さらに光の具合によって深紅にも見えるごく薄い枯葉色の瞳が、子供らしさをさらに強めている。二十歳のわりには若い、という皮肉にも似た評価に、無邪気に抗っているかのようだ。
もっとも元気がいいぐらいでないと、とても軽業師はつとまらないだろう。煙突掃除人から旅芸人まで、マークが変装する職業は多い。
「しかしまあ、楽しそうな任務じゃねえかよ、マーク。今度は山だと聞けば、生粋のドワーフ族であるこのジェーガンさまの血が騒ぐってものだ」
左隣に座っていた副隊長兼工作班長のジェーガンが、贋銅貨を弄びながら応じた。仮の名であるジェーガンという言葉にも慣れてきたらしく、ごく自然な響きになっている。
同期のマークと同じくらいの背丈だが、テーブルの前に並んで座っていると一回り大きく見える。盛り上がった肩を突き破って伸びている太い首と、洗いざらしでしわの寄った麻服の袖からのぞく日焼けしたきつい赤褐色の肌は、なめし革の前掛けをつけなくても、武器の修繕にやって来た熟練の鍛冶職人という身分に信憑性を与えている。
自ら鍛え上げた斧と槌とを合わせた斧槌で、器用に何でも作り出すことができるジェーガンは、冶金技術を要する贋金の調査に必要不可欠な存在といえた。
「まずこれを見てくれ」
レオンは大テーブルの上に、ゴンドランド大陸東南の地図を広げた。
土色の弓とでも例えるべきコロンブエ山脈が、地図のやや東側を走っている。西側は山脈に張り付く程度に森と沼地があるだけで、ほとんど平原と砂漠によって構成されていた。逆に東側はほとんど森林地帯であり、主な街は海岸に沿って点在していた。
隣接する街どうしを結ぶただ一本の街道は、戦乱が終結してから商業用として造られたものに違いなかった。
軍用道路であれば、都市と都市とを直接つなげない。太く舗装された幹線を引いたあとで、葉脈を連想させる砂利道の支線の先に各都市を結びつけていく。要衝となる都市を敵によって占領され、鈍重な輜重隊が通行不能に陥るのを防ぐためだ。軍団が進出しても、補給が続かなければどうにもならない。
山脈をまたいだ内陸側は、統一戦役時代に、最後まで抵抗していた場所だった。境界線が細かく入り乱れているのは、政略結婚や養子縁組などで領主どうしの結束を強化して連邦軍に対抗しようとした名残である。共有地だった森や山ではあいまいな破線となっているところもあり、飛び地も散見された。二本の横線で消された地名は、連邦軍に抵抗したために見せしめとして焼き払われた集落だった。多大な犠牲を払ったせいか、地図の端に近い砂漠近辺はともかく、草原にも地名はあまり書き込まれていなかった。
ここなら、手つかずの銅鉱山が残っている可能性がありそうだった。しかも、根強い反連邦感情が存在している。贋金はともかく、政府に揺さぶりをかけてくるぐらいはしかねない。
マークは椅子を戻して、地図を覗き込んだ。
「領土がごちゃごちゃしてうるせえ土地だなあ。いっそのこと、山脈の真ん中に連邦政府の城でも造って、四方を睨み倒したほうが良くねえか。山が並んでいるから投石器も攻城塔も破城槌も使えねえ、難攻不落の大城塞がつくれるぜ。常時監視されているとわかれば、領主どもも不届きな考えをたくらむこともなくなるってわけだ」
ジェーガンは太く節くれだった指で山脈を叩いた。
「おとぎ話じゃあるまいし、こんな山に城なんか建てられるわけがないだろうがよ」
山岳地帯に住むドワーフ族は、工作兵として特に優秀な民族だと評価されている。薄い空気と大きな岩に囲まれた生活は、持久力に優れた肉体を作りあげ、石材および金属加工から派生した高度な工作技能を生み出した。
「いちいち言われなくてもわかってらあ。勾配がきついと飛び道具の死角ができるうえに、木が多いから火攻めに遭いやすいってんだろう。斜面だと火の回りも早いしな。だが木を伐り出したうえに、稜線を切って空掘を造ればいいだけの話じゃねえか。近くに木がなければ攻城兵器も作れないし、運び込むのも苦労するぜ」
「全然わかってねえ。一番大事なことは、ここが城の建築限界を超えるほど高い山だってことだ」
「なんで地図を見ただけで高いってわかるんだよ。訪ねたわけでもないくせに」
ふふん、とジェーガンは丸みのある小鼻をさらにふくらませた。
「いいか、マーク。東側に比べて西側に森が格段に少ないのは、くびれはあるものの、山脈が雨雲を通さないぐらい高い山の連なりだからだ。たしかに西へと流れ出る川がないのに、木があって沼が多いのは地下に水脈がある証拠だから、井戸を掘れば水を確保はできるだろう。だが、山頂付近に城を築く場合には、井戸は深く掘らねばならねえ。山肌を掘り崩されて水脈を切られたらおしまいだからな。まあ、おれたちドワーフ族の立場から言わせてもらえば、せいぜい千分の八百くらいの傾斜角で、底辺六千歩の高さが城砦建築の高度限界じゃねえかな。おめえも、直感だけに頼らずに、もう少し頭を使ったほうがいいぜ」
なにを、とマークは軽く口をとがらせた。
「お前が生粋のドワーフ族なら、こっちはアニキと同じく生粋の魔法使いの家柄なんだよ。おれなんかおまけに孤児だが、胸を張って生きてきたんだぜ。胸を張れば、心が頭より先に出るのが当たり前じゃないか。だいたい汚れ仕事なんてのは、真っ当な人間しかできないんだよ」
「おめえのは単純じゃなかったのかい?」
「うるせえぞ、ジェーガン。専門用語を並べて頭を押さえようとするんじゃねえ。そういったことは、バルラムのとっつあんにでも言えよ。なあ、アニキ。なにせしょっちゅう地面に丸や三角を細かく描いては、ぶつぶつとひとりごとを言っているんだろう?」
「へんな言い方をするな。初等幾何学の計算が親父の唯一の趣味なんだから仕方がないだろう。仕事であれほどしているのにまだ計算したりないのか、と訊いたことがあったんだがな。統計分析と違って答えが一つしか出ないから、いい気分転換になるそうだ。そう言われたら、おれとしては後ろ足で退散するしかない」
数学が苦手なわけではなかった。論理的な思考には、必要不可欠なものである。逃げ出したのは、遠まわしに説教をされている気がしたからだった。
魔法特機隊は少数精鋭主義をとっている。不足しがちな人員で同時に任務をこなし続けなければならないが、一人の工作員で複数の任務を受けない不文律がある。身分が露見する危険が高まるし、依頼者間の利害が対立する恐れもある。工作活動は必然的に、効率を重視せざるを得なくなるわけだった。
理にかなった行動が、常に正しいとは限らない。相手となる人間は完璧ではないから、過ちを含めた不測の行動を取られると、肩透かしを食らうおそれがある。また、問題解明に向かう動きが単調になりやすく、行動を読まれて裏をかかれるかもしれない。ある程度の柔軟性は必要なものだ。丸めた背中で、遠回しに諭されているような気がしていた。
レオンは軽く頭を振った。勘ぐりすぎだとは思うが、仕方がないことだとも思う。死線を潜ってきた人間の、一種の業病と言えるかもしれない。
二人の笑いが収まるのを見届けて、自分なりの見解を述べた。
「まあ、大局的に見れば、辺境に城砦など建てないほうがいいだろうな。防衛予算もかさむし、領主たちの団結心を再度刺激しかねない。ならば政治力を駆使してお互い睨み合う状態を作り出したほうが望ましいだろう。枢密院が分裂すれば、相対的に政府の力が増すことになるわけだからな」
二人が納得したようなので、レオンは、地図をジェーガンに押しやった。
「いつものを頼む」
「わかりやした。ではさっそく」
すかさずジェーガンは地図を凝視し始めた。指で鼻の下を掻いているのは、地図を頭に入れたうえで、新たな地図を頭に描き入れるお決まりの儀式だった。高い山から地表を見下ろし続けてきた経験からか、どこにどういったものがあるのかがわかるようだ。
複数の道が見えていれば、作戦の自由度が増す。細いつる草が生えている崖、木がせり出している急流、割れやすい岩が点在している沢など、普通の人間が移動できない地点でも、地形を知りつくしたドワーフ族にとっては立派な通り道となる。
世の中に不要なものなどない、とはジェーガンの口癖だった。山で不足しがちな物資を創意と工夫で間に合わせてきた経験が言わせるのか、あるいは歴史から疎外され続けてきたドワーフ族の総意なのかは、わからない。
邪魔にならないように、レオンはマークにささやいた。
「今のうちに、おおまかに敵の正体を考えてみるとしよう」
「そういえば領主がらみで思い出したぜ。たしか大陸統一を達成したときに、銅貨の私鋳権が各領主に対して与えられたよな」
「歴史嫌いのお前にしては、よく知ってるな。過去を振り返るのは性分じゃねえ、といつも偉そうに言っているくせに」
あのねえアニキ、とマークはすねたような視線を向け、わざとらしく首飾りを見せつけた。
「これでも副隊長なんだぜ。学校で習ったことぐらいは覚えているさ。武装解除と商業振興を同時に図った偉大なる市民ヴェルデーの政策だって、そこいらの子供でも知っているぜ。ましてやおれは武器商人にもなるんだぜ。知らなきゃそれだけで怪しまれる」
マークの言うことはたしかに真実だった。だから、学校でも習う。しかしそれは、光の部分のみをとらえているに過ぎない。
枕元では、違う一面を聞いた。親父は、謀略だと言った。鍵は、銅貨のみの私鋳を認めた点にある。
不要になった青銅製の武器がそのまま通貨に変わるのだから、領主たちは喜んで銅貨に鋳直す。そこにヴェルデーの真の狙いがあった。
銅貨が良質なうえに、保有する全国の金銀鉱山で価値を担保できる連邦政府とは違って、領主たちは粗悪で薄い銅貨を大量に鋳造して、巨額になっていた戦債の支払いに充てた。
結果として物価高騰を招き、領主への不満がつのっていった。相対的に連邦政府の威信を向上させ、中央集権化につながった。
封建君主制を高利息の柱で支えていた特権商人たちは一気に凋落した。領主たちに対抗するために結成された商工連盟は、民主共和政体である連邦政府の公正な通商政策を熱烈に支持した。すなわち武装解除と商業振興は、副次的に達成されたわけだ。
悪貨を鋳ろ、とは言っていないので、連邦政府に責任はない。しかし、結果的にそうなることを見越したうえで各地に通達したのだ。領主たちも謀略と知りながら、提案に乗らざるを得なかった。借金さえ完済できれば、定期的な税収が見込める領土と枢密院の議席を手放す理由はない。
ゴンドランドが連邦制をとっているのも、領地を死守したい領主たちと、辺境地域を主権の内部に取り込むことでの余分な支出を抑えたい連邦政府の思惑が完全に一致していたからでもある。
真の謀略には、ある種の誠実さが必要だ、とバルラム以前の親父は言った。相互の利益を図ったうえで策を仕掛けなければ、決して成功するものではない、と。
謀略は必ず気づかれる。賢愚の差は、時間の問題にすぎない。損を取り戻すための時間のぶんだけ怨恨がつのり、決して消えることのない溝をつくる。多くの策略家が凋落への道を歩んだのは知恵に溺れたためだけではない、と諭された。
価値観の異なる多種多様の民族が混在するゴンドランド連邦を一つにまとめ上げていくには、巧緻な政略が求められる。多様な偽善は絶対の正義に勝る。この世界に、完全なる正義など存在しないのだから、とどこか冷めた口調で親父は締めくくり、ドアから出て行った。木のきしむ音と、流れ込んできた冷たい空気の感触は、今でも覚えている。
「過去の話はひとまず置いて、他の角度から見てみよう。人手が必要になるはずだから、大規模な組織によるものには違いないだろう。一番考えられるのは犯罪組織だが」
マークは、天井を見上げた。椅子のきしむ音が、しばらくのあいだ続いた。
「いやあ、それはないだろうぜ、アニキ。ああいった寄生虫ってのは、自分たちの縄張りを守ることを優先するだろうからなあ。協定を結んで連邦政府に刃向かうほどの信頼関係を築き上げているとも思えないぜ。それならまだ傭兵組合の可能性のほうが高いだろう。私兵なら行動の自由があるし」
統一国家であるが連邦制をとっているので、傭兵の需要はある。ただ、今現在は必要とされていないだけだった。
正規軍の兵士と違って、情報工作員とは利害が一致することもある。外地では、情報と嗜好品の交換をしたりもする。
「傭兵の可能性も低いな。余計な騒乱を起こして、連邦政府の不興をかうのは得策ではあるまい。それに北方大陸で緊張が高まっているそうだから、貧乏領主の格式を維持するためだけに雇われるよりも、そちらに稼ぎに行ったほうが実入りは多いだろう。耕作を嫌った退役兵士たちならなおさらだ」
作戦会議では、わかりきった、どんなつまらない意見でも言い合うことになっている。どこに発想のもとが潜んでいるかわからないからだった。
ジェーガンは、まだ地図を見つめていた。毛深い手の甲からのぞく唇が、かすかに動いている。
「各都市にある商工組合はどうだろう。市場を押さえてさえいれば、贋金を流通させるのは容易だが」
「その線はないんじゃないかな。腕のいい職人がいるのに、すぐに見抜かれるような贋金を造る理由がわからない。とても利に聡いヤツらのやることじゃないぜ」
「そうだな。品物の代金を信用のない贋金で払おうとすれば、必ず闇市ができるはずだ。しかし、色々な街を探索してみたが、その痕跡はなかったからな」
「あとは農村の連中ぐらいかな。村の鍛冶屋なら、その程度の贋金ぐらいさっと造れるだろうぜ。高温になる鉄と違って、銅の鋳物はそれほど大きな工房を必要とはしないらしいからさ。なあ、ジェーガン。そう言ってたよな」
「うるせえ、黙ってろ」
ジェーガンにすげなく相づちを拒絶され、マークは軽く頭をかいた。
「山脈周辺には、農村らしきものはなさそうだ。それに、畑を捨ててまで鉱山に関わろうとするだろうか。農産物の下落で生活が苦しいといっても、豊作の影響であって、べつに飢饉がおきているわけではない。農地さえあれば、とりあえず食うに困ることはないだろう」
都市を渡り歩く職人や旅芸人と違い、定住する農民は議会に対して圧力を行使しやすい。生活できないとなれば団結して議員に詰め寄ればいい。わざわざ贋金を鋳る利が見当たらない。
ううん、とマークは唸った。椅子をきしませながら、再び天井を見上げる。
ジェーガンがようやく頭を上げた。髪と同じ黒褐色の瞳には、自信に満ちた光があった。どうやらそれなりの地図が描けたらしい。
「いいぜ、隊長。なんでも聞いてくだせえよ」
「まずは採鉱しているはずの銅山の特定だ。ひとまず気になる場所を言ってみてくれ。贋金が出回り始めた地域がわからない以上、そこからまず手がかりを求めていこう。政府の造幣廠と違って、贋金造りの工房は銅山の近くにあるはずだから、それが一番早い方策だろう」
「そもそも有望な銅鉱脈は、乾燥している土地か、あるいは険しい山のあたりに見つかるんでさあ」
「ともに水気のなさそうなところだな。排水に手間がかかっては採算が取れないからだろう。盗掘ならなおさらだ」
「ええ。ひとまず地図には砂漠も山脈もありますから、それなりに有望じゃねえかと思いますぜ。それで隠れて贋金を造っているってえと、国境が複雑に入り乱れている地が適しているはずでさあ。領有権も司法権もあいまいで監視が届かないから、いざというときに素早く逃げ出せる」
「具体的な場所はどうだ?」
そうですねえ、とジェーガンは節くれだった指を山脈西側に置いた。
「山脈の西側は全滅でさあ。ありえねえ」
「根拠の説明をしてくれ、ジェーガン」
「ここいら辺にはろくな道も街もねえですから、商いは隊商が取り仕切っているでしょう。隊商ってのは、動き回らにゃあいけねえから、かさばるものは嫌うんでさあ。銅貨だって嫌がるのに、贋金を受取るはずがねえ。槌で丹念に潰した砂金をちらつかせつつ商品を値切るのが、ドワーフ流の交渉術でさあね」
たしかに、隊商が動き回る大陸中東部から西へは、贋金が出回っているようすはなかった。
道を作るにしても維持するにしても、多くの費用がかかる。小領主たちがひしめきあっている土地では、迷わないだけまし、といった程度の悪路で、大量の贋金を運び出せる経路があるとはとても思えなかった。
反抗的な土地柄からして、中央政府からの通達を無視するため、予算不足を理由にわざと郵便馬車が難渋するような道にしているのかもしれない。
「お前らにしては、ずいぶんとしょっぱい真似をするじゃねえか。岩塩の舐めすぎじゃないのか」
「なにを言ってやがんだ、マーク。だいたい隊商のヤツらほどひでえ連中はいねえんだぜ。砂漠に逃げ込めるのをいいことに、税金は払わねえ。借金は踏み倒す。油断をすると贋物をつかませたり、砂金の形を手がかりに採掘現場を荒そうとまでしやがる。おれたちはいわば気の優しい徴税官のようなものさ」
ジェーガンは皮肉そうな笑いをおさめて続けた。
「それからもうひとつ、気になる点がありますぜ。こっちには沼があちこちに散らばってるでしょう。こういった湿りっ気の多いところの石炭は、泥状になっちまうんでさあ」
「銅鉱石を焼くほどの火力は得られないのか」
「さあて、おれたちはそんなので焼かないですからねえ。いつまでたっても泡が抜けねえ、とガラス工房にいってる連中が言ってましたんで。腕が悪いせいだろうよ、とそんときは笑い話になっちまいましたが」
「森の木で炭を焼くわけにもいかんか。派手にやると、周囲の領主が黙ってはいないだろうし」
「そういうこって。候補は東側の森に絞り込めまさあ。採鉱するには大量の樹木がいります。炭はともかく、坑木を組むのに必要ですんでね。だから広い森が近くになければならねえ。おれたちも石炭を使う前までは、木を伐採しまくって、それで森に住むエルフ族と戦争になったりしたこともあるぐれえでさあ」
レオンは軽い空咳をした。動揺を悟られたくなかった。
エルフ族とドワーフ族との戦争には、魔法使いが関与していたからだった。
森の民であるエルフ族のところに、レオンたちの先祖が鉄器を持って入っていった。石斧では難しかった処女林の伐採が容易になり、部族どうしが焼畑をしやすい二次林をめぐって争うことがなくなった。焼畑の欠点である除草の手間も、処女林ならばそれほど困難な仕事ではない。
跡地には成長の早い樹木を植えさせ、休耕期間を縮めることもした。林業も教えた。朽ち果てるだけだった間伐材を売却することで、交易の手段を拓いた。狩猟で得た獣皮や獣骨、窯から出した炭などがいい収入となった。
豊かになったエルフ族は、魔法使いに感謝をしてくれた。娘を差し出す親もいて、血の交わりが進んだ。
しばらくして、今度は宣教師たちがドワーフ族の集落を訪れた。布教は失敗したが、信頼は得た。説教を終えた後の雑談で、エルフ族が森を独占しようとしている、とほのめかした。木を切って森を焼いているのは事実だから、あっさりと信じ込ませることができたわけだ。
族長たちは搬出していた岩塩を止めた。いくら豊かになっても森では塩は採れない。湿気の多い土地では、保存のための塩は必要不可欠だった。人口が増えればなおさら食糧を貯蔵する必要にかられる。芋などの根菜は、とくに腐りやすい。
エルフ族は、ドワーフ族がこちらの弱みにつけこんで値をつり上げようとしていると思った。獣皮などを買い取りにきた隊商たちが、ドワーフ族の汚いやり口をこぼしたのも影響したらしい。
互いが不信感を持ってしまったので、和解は不可能だった。威嚇が小競り合いにつながり、戦闘から長い戦争になった。両部族が衰えたところを見計らって、連邦になる前の軍隊が広大な地を占拠したというわけだった。
レオンは、昔の魔法使いたちが撤退命令を無視してともに戦ったりしたのもいた、と寝物語で聞いたことがあった。宣教師たちの暗躍を知らなかったせいもあるだろう。しかし、個人個人が誠実さを追求したからだとも思えた。
確かに先祖たちがやったことは、部分的には卑劣極まりない行為だったろう。しかし、ゴンドランド連邦成立のきっかけとなったのは事実だった。ヴェルデーの悲願とされる民族の融和も、夢幻世界の話ではなくなりつつある。いずれ国と民族が完全に一体化するときがくれば、少数民族の象徴である「族」の呼称もなくなるだろう。
歴史を学んでいると、なにが善でなにが悪なのかわからなくなることがある。
そのときは、誇りを行動の基準に選ぶことにした。昔の魔法使いが、なにを名誉にして生きていたかはわからない。しかし同じ心を持つ人間なら、いつの時代でも価値観は変わらないはずだ。
できる限り、見苦しい真似はしない。人に迷惑をかけない。傷つけない。これなら親父の言う誠実さにつながるはずだった。
それにこちらの活躍が周囲に認知されていけば、魔法を得ようとするときに、邪魔が入る可能性も少なくなるはずだった。
レオンは気を取りなおして地図を見返した。
「ならばここはどうだ。森もあるし、川も流れているから、大量に贋金を輸送できる。中流から下流にかけて街道が沿うように敷かれているのは、流れが緩やかな証拠だろう。ここからなら平底船を使わなくても、筏で大量に運べるぞ」
レオンは、コロンブエ山脈の南端近くの山脈を指差した。麓から東に向かって川が流れている。途中に都市があり、出ている街道が川に沿って河口の港町ポーミラまで伸びていた。
「それはありえねえですぜ。鉱山を掘ると、悪い水が出るんでさあ。足が黄色くなって、皺になっちまうぐれえです。ここには地形的に遊水池を造る余裕がねえから、そのまま川に流れ込むでしょう。中流に大きな街があるのに、騒ぎが起こってねえのはちいとばかりおかしい」
川の中流には、自治都市フィルスがあった。製紙と紡績とで知られた街で、どちらの産業もきれいな水を必要とするはずだった。水が汚れれば真っ先に騒ぎ出すだろう。しかし、連邦政府にそのような情報はもたらされていなかった。
「では、どこだと思う?」
「銅鉱石が埋まっていそうなところは、たいがいおれたちが掘り返しちまったんで。となると、鉱脈が地中深くに隠れていて目をつけなかったからか、あるいは、戦乱で立ち入ることができなかったところじゃねえかと。今は銅材が高騰してますから、手間がかかっても元はとれるでしょうがね」
ジェーガンの指が、山脈中央辺りで上下に動いている。たしかに銅の鉱脈は山脈にある可能性は高い。しかし、輸送には不便な場所だった。海沿いの街からはかなり離れていて、通じる間道も見当たらない。
レオンは腕を組んだ。ついでにもう一つの懸念も訊ねる。
「目をつけなかった、か。すると、ドワーフ族はここに住んでいないわけだな」
突然、机が強く叩かれた。ジェーガンの顔が険しくなっていた。
「隊長。それは少しばかりひどいんじゃねえですかい。おれたちがこんなちゃちな贋金を造っているなんて、ひでえ侮辱ですぜ」
おいおい、とマークが椅子を戻して割り込んできた。
「なにをとんがっているんだ、ジェーガン。アニキはただ、ドワーフ族の協力を得られないのかと聞いただけだろうが」
短慮を恥じて詫びようとするジェーガンを、レオンは手で制した。訊ねかたが悪かったようだ。ドワーフ族の気位の高さは、いまだ他族と交わらずに純血を保っていることからでもわかる。己の技量を信じる職人気質とでもいうべきだろうか、自分と同じく、誇りを傷つけられることには耐えられないのだろう。
マークが、地図をのぞき込んだ。赤みをおびてきた瞳が、好奇心に満ちた光を放っている。しかし、指摘したあたりを見るとすぐ、再び椅子を傾けた。
「なんだよ、ここにだってまったく道がないじゃないか。どうやって贋金を街まで運び出すんだ」
「知るもんか。だから可能性が高そうなところだってあらかじめ言っておいたじゃねえか。もっともここらは暑くも寒くもない地方だから、森を抜けるのにはそれほど苦労はしねえだろうがな」
新しいセルムの生葉を口に放り込みながら、マークが訊ねた。
「暑いと密林になるし、寒いと倒木が腐らずに増えまくるってわけか。しかしジェーガン、運ぶのはともかく、どうやって採鉱場所のありかを探るんだ?」
「それは地上偵察の仕事だろう。地図の大きさからして、おめえの健脚なら二十日もあれば山脈を一周できるだろうさ。そのときは食料を減らせ。腹は減るが、距離は稼げる」
「淡々と言うなよ。斜面を走り回るなんて、大変な強行軍じゃねえか」
「情けねえなあ。おめえ、それでも魔法使いか? おれたちドワーフ族の言い伝えでは、大昔の魔法使いは杖一本だけで、水脈や鉱脈を探り当てたというぜ」
「知るかい、そんなこと。ほじくるのは、鼻と鉱脈だけにしとけよ」
「わからないのなら、やはり足で稼ぐこった。大丈夫だ、そのぐらいじゃあ死なねえ。おれたちの成人の儀式に比べれば、散歩みたいなものだ。生き抜いてきた人間が言うんだから、間違いはないぜ」
ジェーガンがおおげさに肩をすくめると、分厚い手のひらが目に入った。
皮が厚くなっているのは、ドワーフ族に代々伝わる成人の儀式のひとつだった。赤く焼けた炭をわらでくるんで強く握ると、わらに含まれる脂と炭の熱とで皮が鍛えられ、手にマメができないようになる。職人としても戦士としても活躍した、先人の叡智らしい。
場の空気がほぐれたのを見計らって、レオンはまとめに入った。
「よしわかった。手始めに、フィルスに拠点を置いて調査を行うとしよう。ここなら山脈にも近いし、物品の流れから贋金への手がかりをつかめるかもしれない。ちょうどセラが戻ってくるところだし、翼竜を使っていこう。あれなら大陸東側まで三日で移動できる」
マークはむせて、セルムの葉を吹き出しそうになった。大きな咳が何度か続き、レオンにしかめた顔を向けた。
「それこそ冗談じゃねえよ、アニキ。おれが凶悪な翼竜と相性が悪いのを知っててそんな提案をするなんてさあ。だいたい翼竜使いどもが甘やかすからあいつらはつけあがるんだよ。あんな鋭い歯を持っているくせに、柔らかく煮た肉しか食べないなんてよ」
ジェーガンがマークの肩を二、三度つついた。
「おめえは思いっきり嫌われていやがるからな。火を吐くのは神話の世界だけだというのに、気つけ用の強い酒なんか飲ませるからだ。それにしても酒癖が悪いよなあ、翼竜はよ」
「やかましい。元はといえば、お前が敵に囲まれたからだろうが。そこいらの子供より走るのが遅いじゃねえか。その太い足は飾り物かよ」
「空気が薄い岩だらけの山で走りまわるほど、おれたちは野蛮じゃねえんだよ」
そのぐらいにしておけ、とレオンは不毛な会話をさえぎった。
極秘任務だけに、できる限り人目に触れたくなかった。空高く上がれば、発見されずにすむ。鉱山を特定するためにも、上空からの偵察も必要だった。翼竜は絶対に外せない。
どのみちフォルトファーガからの移動手段は限られていた。大河を北に下って、中央海からの東回り航路を使っていたら、それこそ何十日かかるかわかったものではない。大砂漠を迂回する陸路はさらに遅い。
「いいな、二人とも。セラが戻ってくる前に出撃の準備をしておけ」
レオンは地図を丸めながら二人に宣言した。
紙のこすれる音に混ざって、愉快そうに笑う声と、鋭い舌打ちの音が聞こえた。