第十章 赤銅がもたらすもの
第十章 赤銅がもたらすもの
恨まれることにも、蔑まされるのと同じぐらいに慣れていた。
過去は無に返せる。しかし、絶対に消すことはできない。だから、重罪を犯したベックラーに、同情してやる理由はなかった。
「おい、君。こいつは一体どういうつもりなんだ。わたしを重罪人扱いするつもりか!」
グードが部屋に入ると同時に、ベックラーの怒声が投げつけられた。
港町ポーミラの宿屋に着くなり、ベックラーは有無を言わさず重い手枷をはめられたのだ。怒らないほうがどうかしている。
しかし、どことなく芝居がかった気もする。顔は赤らめてはいるものの、声が変に上ずれしている。日頃から怒鳴りなれていない人間が、無理をして虚勢を張っているような感じがした。経験を積んだ軍人なら、そういったことはありえない。戦場や錬兵場では、どうしても声が大きくなるはずだ。
叩き上げてきた人間は、保守的で頑固な性格の持ち主と、上官の媚を売るのに専念した者がもつ世間ずれした食わせ者とに大別できる。レオンとのやり取りを聞けば、ベックラーは後者のたぐいの人間だと、レオンとのやり取りでわかった。
こういった手合いを取り調べるときは、柔らかい布でゆっくりと締め上げていくようにするのがいい。一気にいくと、するりとかわして逃げるか、逆襲してくるはずだ。どちらにしても手間がかかる。
「勘違いするな。重罪人扱いしているのではない。重罪人として貴様を扱っているのだ」
「なるほど。弁解の余地がないほどの罪を負ったというわけかね」
強く結んだ唇の端が、かすかに吊り上ったようだった。反抗的な心の中に、どことなく余裕を忍ばせている。嫌悪の感情を振り払おうとしているのか、心のうちを読まれまいとしてかは、よくわからない。
テーブルを挟んで、向かい側に腰を下ろした。目を細めて、睨みつける。
「物事には道理と同じぐらい順序が大切だ。これからおれが話すことをよく聞いて、決断しろ。貴様は、いま非常に難しい立場に置かれている」
ベックラーは天井に顔を向けた。白目でこちらを睨んでいるようでもある。
「レオンの言うとおり、用心深い男のようだな。狡猾といってもいい。罪状を他人に押し付けてきたわけだからな。減点がなければよしとする官僚制度は、さぞかし便利だったろうな」
「地道な努力の結果だよ」
「笑わせるな。フィルスに来るまでに、警備隊長である貴様の前歴を、おれが調べないとでも思っていたのか。幻惑草の密売が組織的な犯行なら、警備の責任者を徹底して洗うのが当然だ。貴様が、コロンブエ山脈近くの自治領主に仕える騎士だったのはわかっている。巡回の際にでも、あの山脈に銅の鉱脈があることを知ったのだろう」
ベックラーは鼻を鳴らしただけだった。視線はまだ天井を向いている。
「銅山は、宝の山だった。しかし、そこには住民が住み着き始めていた。そうなるといずれ、銅の鉱脈も発見されてしまう。だから貴様は周辺の領主を焚きつけて、住民たちを追い出した。そして、一番近いフィルスの警備隊長を志願した。辺境の都市などに好んで志願する軍人はいないから、騎士としての経験があれば、すぐに希望は入れられただろう」
「それで?」
「貴様はまず、商工組合に目をつけた。不景気で困窮していたヨルクは、実直であっても誘惑に勝てなかった。むしろ、みんなの生活を考えていたからこそ、誘いに乗ったとも言える。それほど、銅山は魅力的だった」
「なぜ実直だとわかる?」
「目が寄っていて、背中がこころもち丸まっているのは、長い間机仕事を続けてきたからだ。そのうえ、絵画や陶磁器などの贅沢品にも関心を払っていなかった。続けるぞ。内諾を得た貴様はゴブリン族に接触して、フィルスへと通じる道の荷役をドワーフ族から奪わせた。賃金は商工組合が決めるから、蹴落とすのは容易だ。次に職を失ったドワーフ族を呼び、採鉱を始めさせた。洞窟を掘り抜かせれば、こちら側で目立たずに精錬できるからな。仕事を奪われて困窮していたドワーフ族は、やむなく誘いに乗らざるを得なかった。むろん、相手にも誇りはある。だから、初めは質の悪い銀を含んだ贋金を、欲深な領主たちから身を守るためにも、自分たちの手で作らざるを得なかった。灯台に模した工房で、連邦政府が持つ贋金調査権の陰に隠れてな。余剰の贋金は粗銅になって、造船所に運ばれて売られるから、他所の都市には出回ることはない」
「なぜ銅を溶かしたとわかるのだね?」
「灯台に見せかけた煙突の内部に、大量の煤がついていた。掃除ぐらいはしないと、ドワーフ族に笑われるぞ」
「石炭を燃やして暖をとることもあるさ。痩せた体にはこたえるのでね」
とがった鼻を鳴らして笑うベックラーを無視して、グードは追及を続けた。
「粗銅は利益が薄い。そこで、貴様はドワーフ族が栽培していた幻惑草に着目した。警備責任者だから、当然幻惑草が巨額の富を生み出すのはわかっているはずだ。舎密開発局の人間を買収して精製方法を入手し、ゴブリン族を利用して製造した。売り渡す値段はいくらでも良かったはずだ。幻惑草はただの囮に過ぎず、狙いは別のところにあったのだからな。大々的に売りさばく必要はない。値崩れもするし、大事になりかねない。だから、隊商には持ち込んできただけのふくらし粉と引き換えに、精製した幻惑草を渡すだけにとどめた」
「わたしが幻惑草に関与している証拠でもあるのかね?」
グードは机の上に、銀貨を置いた。二度打刻された真正の銀貨だった。
「これは、灯台下の建物で見つかったものだ。何を意味するかわかるか?」
「銀貨など、わたしは知らんよ」
「そう言わざるを得ないだろう。さもなくば銀貨についた白い粉が、精製された幻惑草の正体だと知っていることになるからな」
ベックラーの目は、こちらを見据えたままだった。瞳の奥に、軽蔑の光が宿っているようだ。唇の端が、かすかに動いた。
「これはまた面白い冗談だ。もう少し経験を積めば、どっかの舞台に出られるだろう」
「なにしろ道化だからな。笑いを誘う失敗もするさ」
銀貨には、白い粉はついていない。動揺を誘ってみただけだった。しかし、態度には不遜とも取れる優越感がにじみ出ている。絶対的な自信があるに違いなかった。変化が無いのも、貴重な手がかりになる。ただ、そのもとがわからない。
グードは歯を強く噛みしめた。
銀貨の正体は一体なんなのか。官営造船所に運び込んだ粗銅の代金だとすると、金貨でなくてはおかしい。戦略物資は、金貨で決済するのが常識だ。
幻惑草の代金でもないとすると、残るは銅鉱石から抜き出した銀から贋銀貨を造り出すしかない。しかし、銀貨は真正のもので、きちんと二度打刻されている。
どうやら、こちらの知らない事情がまだ潜んでいそうだった。
「自ら道化と認めるか。レオンが言ったのを気にしているのかな?」
「道化と呼ばれているのは事実だから、反論をするつもりはない。続けるぞ。貴様はドワーフ族を幻惑草密売の共犯に仕立て上げて弱みを握り、銅鉱石から銀を抜き出す秘法を手に入れた。ゴブリン族を使って得た銀を、今度は政府要人にばら撒いた。共犯者を拡散させれば、罪を逃れられるとの思惑からだ」
「ほほう、集落にはゴブリン族がいたのかね。すると、君はレオンたちに嘘をついたようだね」
「嘘はお互いさまだろう?」
「いいや、わたしは真実しか語っていない。ただ、あの世間知らずで甘ちゃんの魔法使いには、針の先ほどの事実がラクダの頭ほどにも聞こえたかもしれないがね。尻尾があって、獰猛な性格で鋭い牙を持つ。しかし、翼があって空を飛べることがわからなければ、人は翼竜とは思わず、単なる肉食獣だと思うだろう。それだけのことだよ、君」
「たいした毒舌だな」
「わたしは信念を持って生きていこうとする人間が嫌いでね。頭が固くて融通が利かない。しかもそれをこちらに押し付けようとしてくる。そう信じ、行動することが己にとって快適だからそうしているに過ぎないくせにね」
「よくしゃべるな。まるで痛いところを突かれたみたいだぞ」
不機嫌そうに押し黙るのを見て、グードは再び追撃をしかけた。
「貴様がドワーフ族に内通者を置いたように、おれはゴブリン族に内通者を忍ばせておいた。内務省には、好んで老人になりすます人間もいる。それに比べればたいした労力ではない」
「そうかもしれんな。わたしにはよくわからないが」
じきにわかる、とグードはつぶやき、身を乗り出した。
「残りの銀塊で周辺領主を篭絡し、集落跡の土地をひそかに手に入れた。ここに、大々的に犯行が行われる素地が生まれたわけだ。あとは、古釘や屑鉄から武器を作らせ、脱走兵だったオーク族を集めて傭兵とした。着々と準備は進んだ。別に独立など考えなくてもいい。元老院議員にもなる必要もない。この土地を完全に支配下に治めることができれば、連邦議会に縛られる自治領主よりも気楽な立場でいられるからな。終身の警備隊長という職も、上がいなければ悪くはあるまい」
「冗談がますます面白くなってきたね。手枷があるので、拍手が出来ないのが残念だよ」
「気にしなくていい。手枷はすぐに外してやる」
ベックラーの眉根がかすかに動いた。視線の中に潜んでいた優越感が消え、代わって警戒感が浮かび上がってきたようだった。
グードは机に一枚の紙を置いた。コシの強い紙で、滑りも良かった。
商工組合の組合長、ヨルクの署名が黒々と書かれた自白供述書だった。レオンたちが鉱山で披露した推理そのままの内容が書かれている。
「このとおりヨルクは、貴様が首謀者だとすべて白状したぞ」
目を落としたベックラーの顔が、一瞬のあいだ強張った。細く枯れたのどが軽く上下に動いたようだった。
「どうせ、脅して書かせたのだろう。そのあとで、殺して火をつけた」
「だったらそれを丸めて飲み込んでみるか。望むのなら、口の中に入れてやろう。おれは少しも困らない。困るのは貴様と、書き直しをするヨルクだけだ」
何かを言おうと開いた唇が、そのまま止まった。ヨルクは生きている、と悟ったようだ。薄くなった眉が、血の気の引いた額の下でひくついている。
ベックラーは、体を強く揉まれたときのような、声にならない声を漏らした。
「どうやって捕らえたのだ?」
「もう少し考えて発言したほうがいい。ヨルクは捕らえられたのではない。捕らえてもらいたかったのだ。あの男は進んで樽の中に入ってくれた。あれだけ下で巨漢のオーク族がたむろしていれば、空き樽にはこと欠かない。フィルスの街ならばゴブリン族の荷役夫には不自由しない。ましてや貴様と意思が通じていれば、味方に扮して街の外に運び出すことなどわけはない」
「ほう、酒樽にね。安酒の匂いで、気分が悪くなってなければいいが」
ベックラーは、軽口で舌鋒をかわそうとしている。そう思えた。まとわりついてくるハエを鼻先で追い払うような態度だった。顔ごと天井に視線を反らせて、口をもぐもぐとさせている。
かまわず、追及を続けた。
「ヨルクは、自分の命が危ないと感じていた。計画が成功すれば、知りすぎた人間として消される。といって失敗しても、やはり共犯として処刑されるだろう。酒場の下にオーク族が集まってきたのを見て、決行の時期が近いと察して酒に逃避した。貴様が雇ったオーク族が用心棒としてはべるようになれば、嫌でもわかる」
「なぜ、おれがオーク族を雇ったとわかるんだ?」
いつの間にか、ベックラーの言葉がぞんざいなものに変わっていた。理性に隠されていた本性が出てきているようだった。
騎士として長い間、我を抑えつけて生きてきたせいだろう、とグードは読み取った。
「用心棒の態度だ。本物なら主人に恥をかかせないように、他人の前では丁重な物腰になるものだ。なのにおれが挑発すると、すぐ攻撃を仕掛けてきた。そうなると第三者の指示に従っていると考えるのが自然だ。あの地で立場が上なのは、貴様しかいない」
もういいだろう、とグードは銀貨と自白供述書を片付けた。
「とにかく、ヨルクは生きたままこちらの手に落ちている。あとは貴様が自白するだけだ。このように証拠も証言もある。おとなしく従ったほうが身のためだぞ」
ベックラーは鼻を鳴らし、不敵そうに唇をつりあげた。
「見事だな。しかし、自白書があったとしても、おれを処罰することはできないぞ」
「まだ、なにか言い足りないのか?」
「死人や幽霊は、証人にはならないからな。どうせ法廷には出られまい」
なるほど狡猾な男だ、とグードは思った。確かに匂わせたとおり、ヨルクを証人として協力させることはできない。
危地を救うために、殺害したことにして助け出したが、贋金の共犯者であることは動かしがたい事実だった。動機が善意であっても、重罪になることは避けられない。終生監獄暮らしでは、無に戻り、生まれ変わって人生をやり直す意味がない。
それに、本来の目的は、ベックラーを処断することではなかった。ここで時間がかかると、腐敗した上層部にヨルクの隠し場所をつきとめられるおそれもある。こちらの命を狙ってくるぐらいだ、相当な焦りを抱いているに違いなかった。
強気ではぐらかしてくる態度は、こちらの意図を読んでいるからに違いない。
「わかった。仕方がない。ならば新たな証人を呼ぶしかないな」
「バズラの老いぼれに、長旅は酷だろうに」
「そうだ。だから若いのにした」
出番だぞ、とグードがドアに声をかけると、一人の大柄な男が入ってきた。炭当てをしたしわ一つない亜麻布のシャツをはおり、首には黒い絹布を丁寧に巻いている。顔はいかめしいが、貫禄だけなら両替商の支配人といっても差しさわりはなさそうだ。
「待ちくたびれましたぜ、ダンナ」
ゼニーロだった。わざとらしく気だるそうに肩をゆすって、隣に座った。
「絞首台に乗るかどうかの境目じゃあ仕方ねえけど、それにしてもたいした悪あがきだ。まあ、小悪党らしいといえばそれまでだけどよ」
「人を誹謗できる立場かね。昔の仲間を捨ててこちらに入り、今度は内通者としてグードの味方をしているじゃないか。まさか裏切りと裏切りとを掛け合わせれば、誠実な行いになるとか思ってやせんか?」
ゼニーロは顎を引き、ゆっくりと黄ばんだ乱杭歯をむき出した。刺青の海獣を思わせる獰猛さがあった。
「ふざけるんじゃねえぞ、老いぼれ。裏切り者ってのは、道義に背を向けた人間のことを言うんだぜ。てめえみてえな下種がそんなことをぬかす資格はねえだろう」
気圧されたように頭を引くベックラーを横目に、グードは自白供述書を手渡した。
「間違いはないか?」
ふんふん、とゼニーロは目を通し、手の甲で軽く叩いた。
「だいたい合ってますぜ」
「だいたいとは? 他にヨルクが隠していることでもあるのか?」
「いやあ、知らねえだけでしょう。鋳潰して銅材に戻した贋金は、戦略物資として北の大陸に横流ししていたんです。ついでに精製した幻惑草もですぜ。なにしろ禁止薬物に指定されるぐらいだ。眠気覚ましと戦意高揚には持ってこいです。それから集落で作っていた鋼の武器も忘れちゃいけませんぜ。銅はともかく武器と幻惑草の値段なんて、あってないようなものですから、儲け放題でしたでしょうね。灯台下の銀貨は、利益の分け前のほんの一部ってわけです。議員どもの大邸宅には、金貨の山が眠っているでしょうよ。もちろんこの野郎の金庫にもね」
「金庫? しかし警備隊長室のはほとんど空だったが?」
「こいつは失礼。フィルスにある両替商のですよ。どこまでヨルクに責任をなすりつけるつもりなんだか。まったく清廉が聞いてあきれますぜ」
なるほどな、とグードは心の中でつぶやいた。ベックラーがあくまで強気な理由がわかった。
枢密院と元老院の連中に賄賂を贈っただけでなく、銅材と武器と幻惑草の密輸の共犯者に仕立て上げたわけだ。連邦司法院での裁判で事件が公になれば、一辺境の問題ではなくなる。
議員連中も愚かではない。一連の行為は、愛国的な衝動に駆られてのもの、と主張することすらやってのけるだろう。北方大陸からの脅威を取り除くためには、お互いを争わせていたほうがいい。だからあえて、国禁を犯して武器と幻惑草を輸出したと言えば、追求はそこで止まる。いや、止めざるを得ない。金貨は没収されるかもしれないが、地位を失うまでには至らないだろう。
ゴンドランド連邦政府の決定は常に正しいという意識が、多民族国家の求心力になっている。汚職事件を摘発するのは正しい行為だろうが、ここまで広がってしまうとうかつに手を出せない。ではなぜ放置したのだ、と逆に追及されるのは必至だった。
「密輸の手口は?」
「新造船は空船だから不安定でしょう。だから普通、重しとして安い塩樽を船底に積むんです。それをちょいとすり替えれば誰にも気づかれずに運べるってわけで。途中の港町で積み替えたのもおれたちの仲間だってことを忘れてやがるんですよ、この野郎は」
ベックラーの顔に赤みがさした。
「なにを偉そうなことを言っているんだ。小物ふぜいが」
「そうだ、おれたちは取るにたらねえ小物だよ。だから、人の血を吸って私腹を肥やすような真似ができるわけがねえわな。幻惑草で何人の人間が苦しんでいやがるか、てめえにはわからねえだろう。北の人間ならどうなってもかまわねえってか。まったく大した野郎だよ」
ゼニーロは、グードに向き直った。
「おれが見た限り、こいつが一番の悪ですぜ。さっさと首都まで運んで、一気にけりをつけてやりましょうよ。見ているだけでも胸がむかむかしてきやがる」
ベックラーはせせら笑った。
「なんのために金をばら撒いてきたと思っているんだ。首都の連中の弱みを握っているほど、強いものはないんだ。偽善もほどほどにしておけ、二人とも」
「ダンナ。ちょっとこいつを締め上げましょうか?」
待て、とグードは、立ち上がりかけたゼニーロを抑えた。諦めの悪さは、諸刃の剣のようなものだ。使い方によっては、こちらにとって強力な武器になりえる。
ベックラーは、辺境領主の騎士として人生の大半を過ごし、ほぼ孤立した街の警備隊長として余生を送ろうとした。性根は真っ直ぐではなかったようだが、ともかく武人として生き抜こうとしている。
だから、知らない。
役人や議員が貪欲かつ狡猾で、利を貪るためには手段を選ばない、怪物のような存在であることを。
官庁や議会が、国益のためなら手段を選ばぬ、魔宮のような存在であることを。
「どうやら世間知らずは一生直らなそうだな、ベックラーよ。おれは最初に言ったはずだぞ。貴様は、いま非常に難しい状況下に置かれていると」
「おれを殺すつもりか?」
グードは声を立てずに笑った。
「いいや。むしろ同情しているぐらいだ。中央の連中が弱みを握られているのは間違いない。しかし、操れると思うのは大きな間違いだ。ましてや、ここには貴様が引っ張ってきた従卒上がりの警備隊はいない。どうやって刺客から身を守るのだ?」
開きかけたままの唇から、赤みの薄い舌がのぞいた。どうやらこちらが言った意味を理解したらしい。
ベックラーもまた知りすぎた。しかも丸裸では、自分に降りかかってくる災難を逃れるすべはない。レオンに詭弁を弄してまでも、フィルスから単独で連れ出して甲斐があった。
贋金から攻めても、腐敗した上層部は困らない。すでに最高行政会議で、政府の不介入が決められている。相手はベックラーを尻尾に見立てて、切り捨てるだけでいい。
贋金では人は死なない、とのフリーデルの発言は、また違った意味を持っている。
「死人は証言者にはなれない、とはよく言ったものだな、ベックラー」
「ちょっと待て。おれが死ぬと、警護役のお前らの責任になるだろう」
「普通ならな。しかし、自然死なら別だ。おれのいっている意味がわかるか?」
「自殺に見せかけた事故は、自然死とは言わんぞ。真っ先にお前が疑われる」
むろんだ、とグードは鷹揚にうなずいた。
「ひとつ、いいことを教えてやろう。灯台に見せかけた煙突についていた煤は、なんだと思う?」
「知るものか」
「だろうな。知らないからこそ、放っておいたのだろうからな。あれこそが、貴様たちがあそこで、ドワーフ族の協力を得られずに銅を焼いていた証拠になるものだというのに。無知とは本当に恐ろしいものだ」
「なにが言いたい! はっきり言え!」
グードは、ベックラーの顔に近づいた。目が細くなるのが、自分でもわかった。ドアの外に聞こえないように、声を落として説明する。
「では、言ってやろう。あれはな、ヒ素だ。銅鉱石を焼くと出る毒だ。味がなく、匂いがない。おまけに水によく溶ける。だから、暗殺によく使われる。内務省では知らぬものはない有名な毒物だ。むろんドワーフ族も知っているから、念入りに煙突を掃除していたのだ。それを知らないとはこの先の航海が思いやられるな。その痩身では、飲まず食わずの生活はつらかろう」
ベックラーの唇から、小刻みに舌先が出入りしている。
「連邦政府の連中が毒殺するというのか?」
「陸ならともかく、海では水葬になる。検死もされない」
「かばって恩を売るつもりか?」
「貴様が彼らにとっては用済みの存在であり、おれたちにとって有用な人物だというのは事実だ。ここまで言えば、意味がわかるな。だから、初めに断った。貴様はまったく手を汚さずに、最大の利益をあげようとした。何ひとつ失わずに、全てを得ようとした。その結果、全てを失うことになったわけだ。実に寓話的な話だな」
ベックラーは天井を見上げた。懸命に涙をこらえているかのように、何度も瞬きを繰り返した。
長い息が漏れ、頭と肩とが、同時に落ちた。
「おれを笑うつもりか、グード。お前も、あの臆病なくせに頑迷で貪欲な領主に仕えていれば、同じ気持ちになったはずだ。わずかな失態でも従者は鞭打たれ、いくら精勤して手柄を立てても功績は、血縁親族に横取りされる現実があった。執政官から兵卒まで、血の貴賎ではなく、実力の有無によって地位を決める。これがゴンドランド連邦の正しい姿ではないのか?」
「確かにその通りだが、貴様には野心にふさわしい才能と人望に欠けていた。道義心と責任感もな。ただ、それだけのことだ」
グードは一枚の紙を取り出して、机の上に置いた。ペンも添えた。
「悪いようにはしない、ベックラー。おれの言うことを信じて、供述書に署名すれば助けてやろう。司令部で約束したとおり、証人として遇してやる」
「優しいダンナに感謝するんだな。ゴブリン族を嘲った報いを、嫌ってほど食らわせてやるところだったんだぜ」
手枷を外したが、ベックラーは放心したように身じろぎしなかった。
二呼吸ほどの沈黙ののち、ようやく口を開いた。
「供述書を手に入れて、何をしようとしているのだ?」
「ただの後片付けだ。貴様は人を利用し続けてきた。たまには利用される立場になるのも悪くなかろう。おれたちは外の空気を吸ってくる。戻ってくるまでに、文案を考えておけ」
ゼニーロを伴って宿屋の外に出ると、フリーデルが所在なさげに立っていた。部下たちはそれぞれの持ち場に散ったようだった。一部の人間は、フィルスの後始末に戻っているはずだった。
声をかけると、慌てて振り向いた。どうやらこれからのことを考えていたようだった。
「済んだ」
「そうか、よかったな」
暮れなずむ街に、喧騒が戻りつつあった。フィルスでの異変を知らないのだろう。市場から荷物を積んだ荷車が、次々と森へ続く街道に向かっていく。
「おい、ゼニーロ。まさかお前さんが内通者だとは思わなかったな。まったくたいした演技力だ。少年をいたぶる態度など、なかなかの悪役ぶりだったぞ」
「そりゃあ、坊やには悪いことをしたと思ってますけどね。街道の掟を破られたんじゃあ、止めに入るわけにもいきませんやね。少しでも疑われたんじゃあやべえ。それこそあの麦わら野郎に首を狩られちまう。ダンナたちが片付けてくれて、正直ほっとしましたぜ」
ゼニーロはすまなそうにこちらを見た。もののはずみでグール族だと言ったことに後悔しているようすだった。
気にする必要はない、とグードは右手で示した。
親方が内通者だとはふつうは思わないだろうが、後から加わったとなれば別だった。ドワーフ族は契約書で動くが、ゴブリン族は身内の掟で動く。見抜かれればただではすまない。だからこちらも、あしざまに言わざるを得なかった。ただ、それだけのことだ。
ゼニーロは首筋の傷跡を小気味よく叩いた。
「ちょっとした悪さをした後に、瀉血と思え、とグードのダンナに言われたのを覚えてますぜ。なあるほど、凝り固まった悪い血が抜けた気がしたものです。きっとヨルクの野郎も、新天地で人生をやり直す気になるでしょうよ」
「ところで、兄弟。これからどうするんだい?」
「首都で飛脚屋の差配をやってくれって話が来ているんで、そっちに行こうかと。あそこの足の速い野郎も一緒です。これから重宝しますぜ」
マメ跡だらけの手の先に、愛想のいい小男がいた。つい先日、口数が多いとゼニーロに張り飛ばされた男だった。たしかに伐採所近くの小屋から、フィルスの宿屋まで一気に駆け抜ける健脚を持っている。
「そいつはちょっとした出世だな」
「なあに、口の堅さと我慢強さがあれば、地位が放っておきませんやね。あっちの商売なら、ここらへんのドワーフ族とかち合うこともないでしょうし。他の部族との協調路線は、上の総意でもあるんで」
「なるほどね」
フリーデルは皮肉そうに唇をゆがめた。どうやら内務省ではなく、ゴブリン族の長老たちから派遣されて潜入した、と理解したようだった。
「お前さんにとっては、あまり愉快な仕事じゃなかったろうからな。同族がやられるのを見たらなおさらだろう」
「冗談じゃありませんぜ。いずれ掟にしたがって、処断してやろうと思っていたところだったんですぜ。逆にあのでかぶつ野郎を片付けてくれてありがたいぐらいでしたね。お礼というわけじゃありませんが、いつか飛脚屋を使うときは声をかけてください。はぐれ者のお二方には、法律などクソ喰らえのおれたちが役に立つときもあるでしょうから」
そろそろ船の時間なんで、とゼニーロは、手下ともども自信に満ちた足どりで港に向かって行った。
誘われるままに、向かいにある喫湯店に腰を下ろした。湯で割った葡萄酒が、錫引きの杯に注がれて出てきた。フリーデルの注文で、蜂蜜と花びらが入れられている。
「切り札が二枚手に入ったが、ここからが難しくなるな」
いつの間にか、国家保衛局の任務からはかけ離れてしまった。内務省全体の範疇でもなくなった。
レオンたちを追い払った以上、反乱準備罪としては告発できない。といって直接関与している内務省には渡せない。さらに工芸省と商工組合を絡めた贈収賄として扱うには、いささか効果が薄いと思われた。賄賂などの破廉恥罪は政争の材料として、日常的に使われている。
「まあ、まかせておけよ。きれい好きには心当たりがある。もっとも、心の中まではわかったものじゃないがな」
「相手は誰だ?」
「おいおい、無粋なことを訊くものじゃない。それよりお前は休暇中なんだから、忙しくなる前にゆっくりと休んでくれよ。おれのぶんまで」
杯を勧められ、グードは葡萄酒のお湯割りをすすった。まだ、仕事が終わったわけでもないのに、ほどよい温かさと甘みのある葡萄酒が心地よく感じられた。
足された蜂蜜のせいだと気がついたのは、鼻に抜ける葡萄の香りをかいでからだった。底に沈んでいた花が、ほんのりと赤く染まっている。
フリーデルの意味ありげな発言からして、会うのは女性だとわかった。杯の底の、淡い葡萄酒色に染まった花びらが、これからの行動を暗示しているかのように見えた。
「麗しい女性は首都に多いみたいだからな。たしかに大変な仕事のようだな」
「全員を相手にしていたらさすがのおれも体が持たない。だから一番おれ好みの美人に絞るつもりだ。間男というのはおれの流儀じゃないんだが、場合が場合だからな。人に陰で笑われながらも、媚を買い続けてきた甲斐があるってものさ」
フリーデルは、ごく自然な振る舞いで片目をつむってみせた。
どうやら政府高官の一人に有力な伝があるらしい。
肉体関係を結ばない限り、連中は愛人と付き合ってくれる口の堅い人間を好む。家庭を壊されて名誉を失うぐらいなら、代わりに無聊を慰めてやって欲しいと思うからだ。
とくに聖職者や司法官といった謹厳実直を旨とする役職は、女性がらみの醜聞を嫌う。おそらく後者だろう、とグードは見当をつけた。
ならばレオンたちの行動は、それほど咎められまい。木の洞の前で情報を交換し合ったとき、それとなく司法省からの依頼を匂わせていた。
騒動を起こしても結果的に手柄となれば、レオンたちの功績を無視するわけにはいかない。表立った賞賛はされなくとも、それなりの評価はするはずだ。
「貴様なら間違いは犯すまい」
「どっちの? 仕事かい、それとも」
小憎らしく笑うフリーデルに、グードは舌打ちで返した。
「両方だ」
「おうおう、嬉しいねえ。掃除役とは優雅じゃないが、そう言われたなら張り切って口説かないとな。しかし、お前は損な性格だな。いくら汚職役人を根絶やしにしたいからといって、すき好んで魔法使いさんたちの恨みを買うこともないだろうに」
「おれには善も悪もない。だから、人から何を言われようとも、一向に構わない。たとえ死ぬまで食屍鬼と蔑まれようともな」
言ってから、グードは顔をしかめた。失言だった。ただ黙って、死ぬまで腐りきった人間を喰らい尽くしていけばいいはずだった。
飲み物はまだ冷めていないはずなのに、フリーデルはそ知らぬ顔で、杯に手に取ろうとした。熱い、とあわてて耳たぶをつまむ。
「しかしまあ、なんとなくわかったぞ。道化のグードと呼ばれる理由が。今回は観客として舞台の隅々から裏まで見たから、なおさらかもしれないが」
「貴様までおれをからかうのか?」
「いやいや。褒めているのさ。人には媚びない。権力者にも怯えない。ただ、自分の身を削って、人を喜ばせる。それでいて見返りはあまりにも少ない報酬のみ。これが道化でなくてなんなんだ、ええ?」
「利いたふうなことを言うな」
「おや、反応するとはおかしいな。お前は人の評判など、気にする男じゃないだろうに」
「こいつめ」
フリーデルは杯を一口すすったあと、厨房に向かって軽い料理を注文した。もうこれ以上仕事の話をする気はないらしい。
「まあ、いいさ。用事が済んだら、たまには二人で飲みにいこう。首都でいい店を見つけたんだ。料理も酒もうまくて、接客もいい。なによりも、かわいい女の子がいるのがたまらない。おれの口説き方をよく見て参考にしろよ。いい女は、人生を変えてくれるぞ」
グードは苦笑した。良くなる、と断言しないところが、この男の誠実さかもしれない。
「いや、酒の匂いは嫌というほど嗅いだ。しばらくは遠慮したい」
「では、魚釣りはどうだ。フィルスほどではないが、首都近くの支流に静かな場所があるんだ。水はきれいだし、花も緑も一杯だ。物思いにふけりながら、釣り糸をたらすのも悪くないぞ」
「ああ、そのうちな」
「楽しみにしてるぞ。魔法使いさんたちとの話を聞く限り、お前は約束を守る男らしいからな」
約束か、とグードは心の中でつぶやいた。別に守るために動いたわけではない。結果としてそうなっただけだ。まだ、革袋の借りが残っていた。返さないと、動きが鈍くなる。
杯を手に取ろうとした。何かに反射したのか、錫引きの杯に夕陽が当たった。
思わず目をつぶった。一瞬だけ、まぶたに少年の姿が浮かび、すぐに消えた。残光だけが視界に焼きついていた。だから、どういう表情をしていたのかまではわからない。わかっても仕方がない、とも思えた。すでに変えられない過去のものになりつつある。
ひとつ借りを返すだけだ、と考えることにした。これなら、一言で片付けられる。相手は少年か、レオンたち魔法使いか、それともゴンドランド連邦か、よくわからなかった。
しかしそれでいい、とグードは思った。
三〇日の謹慎期間を、レオンは官舎で過ごした。
官舎といっても、うらぶれた料理屋の二階である。とくにやることもなかったので、覚えたい料理のいくつかを調理場で習得した。酢漬けの野菜を細かく切って冷たいスープに混ぜたものは、自信作のひとつになりそうだった。
謹慎とはいえ、外出ができないぐらいのもので、実際は休暇と変わらなかった。体が少しなまってしまったのが罰といえるぐらいで、訓練をし直せば、すぐに活力は戻る程度のものだ。
謹慎が解かれたので、さっそく兵部省に出頭した。
兵部省は落ち着いていた。首飾りを渡す衛視の態度も、錬兵場の掛け声も、いつもとなんら変わらない。
不安はなかった。懲罰を知らせる公文書は届いていない。親父の政治力の賜物だろう、とレオンは解釈している。
ただ、焦りはあった。フィルスや集落がどうなったのか、誰も教えてくれない。知らされていないのか、知らせるほどのことではなかったのか。あるいは、誰かが握りつぶしたのか。とにかく結果を早く知りたかった。
「よくやったな、レオン。たぶん上出来の成果だ」
扉を開けるとすぐ、バルラムの声がかけられた。以前の意趣返しのつもりだろうが、心に引っ掛かる言い回しだった。
「開口一番ねぎらいの言葉とはありがたいね。さっそく出た賽の目を聞かせてくれ」
「そう焦るな。さきほど依頼主の司法省職員が訪ねてきて、口頭で結果を教えてくれたよ。後日、正式な文書を届けるそうだ。そう、きちんとした公式文書だ」
司法省の仕事は贋金や幻惑草の密売事件を裁くだけではない。居住権の認定などの、新しい法律の制定もある。まだ、どちらを伝えに来たのかはわからない。
「いい目だったとは言い切れないが、まあこんなところだろう」
言葉とは裏腹に、バルラムの顔は沈んでいた。組んだ指に向かって吐き出す息が太い。レオンは、生殺しにされているような気持ちになった。
「早く内容を聞かせてくれよ、親父」
「コロンブエ鉱山は、正式に連邦政府の直営鉱山となる。もともとベックラーが周辺の領主たちから購入した土地だったから、交渉はすんなりとまとまった。無用な混乱を回避できたのは、ベックラーの功績ともいえるな」
「銅山の採掘権は?」
「あの銅山については、ドワーフ族に委託することになった。一定量の銅地金を納めれば、自治権が認められる。採鉱の専門家だから、独立採算制にしたほうが結局収入が増えるだろうとの見解だった。鉱山の私有化は認められていたことだしな。ジェーガンが見立てたように、鉱脈は卵形ではなく枝のように走っているから、山の寿命は長そうだ。政府としても末永く繁栄してもらえればありがたい」
「しかしそれじゃあ、公正を国是とする連邦政府の意向に反するだろう? ドワーフ族は犯罪に手を染めていないとはいえ、見過ごしたとも解釈できるぞ。領主たちへの見せしめを兼ねて、集落を焼き払って更地にし、新たな入植者を入れることぐらいのしてもおかしくはないが」
バルラムは、肉厚の手を目の前にかざしてきた。
「最後まで聞け、レオン。鉱山まで食糧を運び込むのも大変だから、開拓民を入植させることになった。つまり、ドワーフ族と開拓民との共同統治になるわけだ。連邦政府から行政官が派遣されてくるが、あくまでも監督であって、政治の全ては彼らに委ねられるわけだ。前例のないことだが、成功すれば模範都市として広がっていくかもしれんな」
「あのあたりは湿地帯だから、開拓するにはまず水を抜くことから始めないと。大工事になりそうだぞ」
「それについては連邦政府が予算を出す。近日中に工芸省の水利開発局から技師が派遣されることになっている。もっとも連中は図面を引くだけで、実際の工事はドワーフ族が請け負うだろうがな。ともかく金が落ちれば、彼らの生活も少しは楽になるだろう。それにフィルス・コロンブエ間を結ぶ街道工事も近いうちに始まるらしい。完成すれば、広大な後背地ができるポーミラも活気づくはずだ。むろん、中継地としてフィルスも発展するだろう」
「銅鉱石から抜いた銀をあてがうにしても、ずいぶんと派手にばらまくものだな。財政難だというのに」
「連邦政府はそれほど甘くないぞ、レオン。新しくできる開拓地は、畑としてだけでなく牧草地としても利用していくそうだ。土があまり良くないそうだからな」
「放牧をするのか。背後は山だし、いい考えかもしれないな。鉱石を運ぶ去勢牛の供出も可能になる。肉や乳製品が生産できれば、港町で売れそうだ」
「それは表向きの話だ。もっと視野を広めろ。実際は隊商を新しい街に引き込むための計画だ。どうだ、妙案だろう?」
レオンは黙ってうなずいた。意味ありげに光る黒い瞳が、政略の存在を匂わせている。
隊商は定住しないので、いままで税金を徴収できず、財務省の頭を痛める原因になっていた。しかし、駄獣を連れて街に立ち寄れば、いくらかでも金を落としていく。税収につながれば、長期的には有効な先行投資といえるだろう。
しかも連中が集まってくるだけで、領主たちは脅威に感じるはずだ。今まで築いてきた交易路が廃れるおそれがある。
さらに、隊商から話を聞きだすことにより、諜報活動の一助にもなる。べつに実施しなくても、それとなく匂わせるだけで、牽制の効果は十分にある。
「ああ、まったくだ。えぐいぐらいに妙案だな、親父。背筋が寒くなるぐらいだ」
ドワーフ族と民間人との共同統治の発想が秀逸だった。民族の融和の美名もさることながら、執政官府が自由に都市を建設できる前例を作ったことにもなる。領主の地位に固執する枢密院議員たちにとっては脅威だろう。
情理だけで連邦政府が動くわけがないと思っていたが、利で動いているだけにかえって信用できる。
「とにかくよかった。これで、彼らも無事に暮らしていける」
満足げにうなずこうとしたまま、レオンは固まった。
ドワーフ族に有利な裁定となると、警備隊司令部でのグードの発言がわからなくなる。確か幻惑草の密売は、ゴブリン族になりすましたドワーフ族の犯行だと断言していたはずだ。
「ということは、やっぱりドワーフ族は無実だったのか?」
「聞いてみたが、相手は黙って肩をすくめただけだった。起訴されないのであれば結果的に無罪と同じ、ということだろうな。問題が初めから無かったことにしたい、と双方が思ったなら、わざわざ公にする理由はなかろう」
バルラムはわざとらしくゆっくりと葉巻に火をつけ、こちらの反応を楽しむかのように甘ったるい煙を細長く吐き出した。あるいは、考えさせる時間を与えようとしているのかもしれない。
長老のバズラの頑なな姿を思い返した。ドワーフ族の連中は、ただ静かに暮らしていきたいだけだろう。他の人間たちが入り込んでくるのは迷惑だろうが、もともと他人の土地だから嫌だとは言えない。山麓の集落に住む権利はベックラーと交わしたものであり、犯罪者として検挙された以上、契約は無効だとこちらが宣告すれば、あっさりと消し飛ぶたぐいのものだ。
司法省は、わざと見逃したのかもしれない。ドワーフ族に契約無効という負い目を負わせることで、自治に制約を加えられる。彼らが自分たちの土地を購入し、なおかつ自活できるようになるまでは少し時間がかかるだろう。陰ながら発言権を手に入れた司法省にしてみれば、損な取引ではない。人道的な理由さえあれば、解釈権の拡大につなげられる前例ができたからだ。
レオンは、気になってきた点を訊ねた。
「証人であるはずのベックラーは双方にとって邪魔になるが、結局どうなったんだ?」
「首都に向かう途中で、消息不明になったとのことだった。もっとも闇を知りすぎた人間の生存確率は、単純な方程式で求められる。彼を匿おうとする人間と、消そうとする人間の差に人徳という変数を掛けるだけだ。とにかく、彼とともに問題そのものが解消された」
煙とともに吐き出された言葉は、歯切れが悪かった。手柄を立て損ねた、といったような苦々しい表情になっている。
闇という言葉が、一つの省庁を暗示している気がした。
「今回の任務は内務省の功績になるのかい?」
「いや、誰の功績でもない。ドワーフ族への対応も、開拓民の移住計画も、政府要人と枢密院と元老院の有志が協議した上で連邦議会に提出されたことになっている。特定の誰かが言い出したことではない。利もないのに動くとすれば、彼らはただ弱みを握られて利用されただけだろうな」
ああ、そうそう、とバルラムは言葉を足した。
「コロンブエに建設資材を納入する件だが、連邦政府の指名で、ゴブリン族が一手に引き受けることになった。今回の事件で得をした彼らが、陰でなんらかの働きをしたのかもしれないな」
レオンは両手で机を強く叩いた。
「ちょっと待ってくれよ、親父。ゴブリン族は首謀者とまではいえないが、今回の事件の当事者だぞ。どうして処罰もされずに利権にありつけるんだ」
「連邦政府がお前の言う怪物だとすれば、我々とは違う考え方をしていても不思議ではあるまい。それにしても政府に注文をつけさせるとは、ゴブリン族の政治力もそれに劣らずしたたかなものだ」
レオンは発言の裏に、グードの影を感じた。表立って動く男ではない。おそらく何らかの証拠を突きつけて、要人たちを動かしたのかもしれない。彼らも弱みがある以上、要請を聞かないわけにはいかないだろう。
バルラムは一枚の書類を手に取った。
「それよりも、時期外れの省庁人事があった。市民にはさほど感心のない出来事で、話題にものぼらないものだがな」
レオンはすぐに意味を察した。時期外れなら、懲罰人事に決まっている。
「もちろん、事件と関係があるんだな?」
「そうなる。内務省と司法省、それに財務省の課長級の人事異動があって、それぞれが退官していった。もっとも、連中は関連する組合にそれなりの役職で移籍していっただけなのだが」
「見事なまでの責任逃れだな」
「それから工芸省の舎密開発局の技官が退任したそうだ。おそらく、捜査の手が迫ってくると思ったのだろう。噂によると、染料に使われていた漿果の果汁とふくらし粉などで、幻惑草の精製ができるのだそうだ」
レオンは鉱山の中にあった倉庫を思い出した。
「幻惑草なら、内務省の管轄だろう。四人組の処断を依頼してきたのも内務省の人間だった。そいつはどうなった?」
「急病で死んだそうだ。もっとも内務省が発表する死因ほど、あてにならない資料はないが」
消されたか、自決したか。それとも逃亡したか。どうやら追及をかわしきれなかったらしい。とにかくもうひとつの問題も解消した。グードも少しは楽になれるだろう。
バルラムはしばらく葉巻をふかしたあと、灰皿に押し付けた。
「兵部省の人事もあった。人事局の連中が一度に退任した」
「ベックラーを任命した責任をとったな」
「そうだ。彼らも反抗的な辺境領主の元部下だったと知っていたはずなのに、賄賂に目がくらんで任命した罪は重いというわけだ。上に広い空き部屋ができたからどうだと、新しい上層部の連中が気味の悪いことを言っているが、ここを動く必要はないだろう」
「まあな。一階なら資料室にも近いし、上はなんとなく空気が悪そうだし」
レオンは、天井にたゆたう煙を見ながらつぶやいた。
「そういうことだ。とにかく嫌がらせをする人間が減ったぶんだけ、我々の仕事もやりやすくなるだろうな。謹慎はあったが、あながち失敗とはいえない。だから、たぶんとつけたのだ。わかったか、レオン」
バルラムの言葉を、レオンはうわの空で聞いていた。グードたちは、フィルスやドワーフ族だけではなく、国全体の掃除をしてくれたのだ。自分よりはるかに先のことを考えている。
未来を見透かして動くには、まだまだ経験が足りないらしい。
完敗だ、とレオンはつぶやいて天井を見た。斬りあったとき以上に、歴然とした差が存在している。読みが当たっていたとしても、こちらは父親の政治力を使おうとした。
感謝はすまい。グードも迷惑がるだろう。借りが一つできた、そう思うことにした。
ふと、頭をかすめるものがあった。今回の任務の、本当の依頼者がわかった気がした。
今回の事件でなにひとつ損をせず、それどころか格段に影響力を増している官庁があった。
国全体の掃除にかこつけて、元老院と枢密院の弱みを握り、人事権を行使して官庁への発言力を浸透させ、なおかつ新しい鉱山からの収入さえも確保した存在があった。
――真の依頼者は、執政官府ではないのか。
司法省はただの飾りで、執政官府から指令が出されたのかもしれない。内務省もそうかもしれない。贋金と幻惑草の事件を知っていながら、わざと不介入を決め込むことで黒幕たちを油断させつつ、こちらとグードたちを操ったのではないのか。
事件を隠密に処理することで、各省庁と議員たちの弱みを確実に握ったのではないのか。
三十日間の謹慎も、かたちを変えた慰労休暇ではないのか。
あるいは証拠を完全に消すための、時間稼ぎではないのか。
「なあ、親父。今回の真の依頼者は、もしかすると」
言うな、とレオンの視線をさえぎるように、バルラムの手がかざされた。肉厚の手に覆われる前の顔に、一瞬だけ影が差したように見えた。あるいは、この部屋に入ってきたときからの表情からして、とっくに見抜いていたのかもしれない。
「成功した謀略は、決して表には出てこない。それに、世の中には知らないほうがいいこともある。あちらが利用したと思っているのであれば、こちらに借りを作ったことになるだろう。いざというときに、最大限活用してやるさ」
「世界は星空のように、きれいごとばかりでは回っていかないってわけか」
バルラムは重々しくうなずいた。
「人間の視界にも知性にも限度がある。真っすぐよりも多少ゆがめて見たほうが、かえって世界全体をとらえることができるかもしれんぞ。ちょうど、水晶の中をのぞきこむように」
「数学好きの親父のことだ、理性こそ絶対かと思っていたがな」
「それはない。もしそうであるなら、逆説など存在できるわけがない。思考が完全なものだとすれば、流れる川の水はよどんで腐るし、走り回る鶏は絶対に捕まえられない。だが、実際には水車小屋では今も小麦が挽かれ、お前の鶏料理は年々上達してきている」
たしかに、とレオンはうなずいた。
今回の事件は、執政官府の一人勝ちだろう。とはいえ、まだまだ元老院も枢密院も支配をされるほどには弱っていない。いびつにねじれていた政府機構が、少しだけ元に戻したようなものだ。
「今回は知力に頼りすぎたな、レオン。武力で勝てなかった引け目が、奇策という手段をとらせたのだろう。だから詭弁で返された。グードがこちら側の人間だったからよかったようなものの、決して誉められたものではないぞ。これからは心して活動しろ」
「とにかく今回の件で、誠実さのある謀略という意味が嫌というほどわかったよ、親父」
「わかればいい。さてと、それじゃあ行こうかレオン」
バルラムは立ち上がって、ゆるめのローブをはおった。連絡は済んだはずなのに、表情はまだ苦いままだった。というよりも、酸味まで加わっているようにも見える。
「ああ、そういえば母さんと一緒に食事に行く約束だったな。ひさびさの豪勢な夕食だろうに、なんでさっきから苦い顔をしているんだ、親父?」
「外での食事会は中止だ。お前は一度官舎に戻って、私服で我が家に来い」
「どうして? 約束が違うじゃないか」
「それはこっちが言いたいことだ。お前が頑張りすぎたのがいけないのだ。予想外の行動をしおってからに」
「ちゃんと説明してくれよ。褒めたと思えばけなしたりして」
バルラムの太い指が、顔の前に振り出された。
「言い渡した任務は、贋金の調査をするだけだったはずだ。それなのに、銅山まで手に入れおって。おかげで相場は大混乱になって、結局外食する金を儲けそこなってしまっただろうが。だからお前は、実家に帰って母さんの手料理を食べ尽くす義務がある」
レオンの頭の中に、一抱えもある大鍋が浮かんだ。
「無理を言うなよ。だいたい相場を張ったのはそっちの勝手だろう。それに敵地での行動を決めるのは隊長の権限だし、前もって勝手に動くって言ったあったはず」
負けじと言い返そうとするレオンの肩に、分厚い手のひらが置かれた。甘い葉巻の残り香が鼻をくすぐる。
「愛する息子が久しぶりに帰ってくるというので、母さんは朝から大張り切りでな。大鍋一杯の煮込み料理を作っている。とても、わたし一人で食べきれるものではない」
そう言うと、バルラムは初めてしてやったりといった感じの笑顔を見せた。しわがなく、血色のいい丸顔が、まるで子供のように輝いている。
「長い謹慎のあとに、これまた長い食休みをさせる気かい?」
「お前は今回、なにを学んだのだ。人が状況を読み間違えるのは、ものごとを表面でしかとらえていないからだ。母さんの手料理の場合、分子だけではなく分母まで考慮すれば、おのずと違った結論が導き出される」
レオンは抗弁を止めた。
黒く柔らかく光る瞳は、謹慎しているみんなを呼べ、と語っていた。いまだ結果を知らされずに、所在なさげに部屋にいるみんなを。とくにジェーガンは、少年との約束を果たせずに、悶々としたときを過ごしているに違いない。
さっそく呼びに行こう、とレオンは思った。マークもジェーガンもセラも、みんな暇を持て余していることだろう。大鍋を囲んで、いきさつを話してやるとしよう。
それなら料理も全て食べきれるに違いない。もし、余ったのなら、マークに持たせればいい。ピグという居候が増えて、食費が増えたとこぼしていたことだ。
そうだ、そうしよう。
肩にバルラムの手のぬくもりを感じつつ、レオンはひとりごちた。
(完)