第八話:綾子の家
綾子の住む街へと到着する。
綾子が住んでいるだけで、俺は住んでいない。家賃払えないからね。
そして驚くべき幸運なことに、なんと綾子の家に招待された。
女の子の部屋の入るのは初めてだ。深呼吸とかしたらマナー違反だろうか。
街の大通りからそう遠くない建屋。石積みと漆喰で出来た、割と頑丈そうな作りの家だ。この様子なら、戸締りさえしっかりしていれば女の子一人で住んでも安心か。
それにしても……
「こんな大きな家、綾子さん一人で住んでいるの?」
「ええ。建築技術は未発達だから、見た目の割に意外と狭いんだよ」
「……一体どうやって一月かそこらで手に入れたの……?」
「え? 普通に魔物を狩って、その報酬で?」
そう……。
改めて綾子の才能と実力に驚かされる。
たった一月で家まで手に入れるだなんて。俺はその日の食事すらままならなかったのに……。
「どうぞ、適当に座って」
「お邪魔しまーす……」
「ちょうど夕飯時だし、何か作っちゃうから少し待ってて」
「えっ、十日も明けていたのに食材とかあるの? そんなにたくさん食材買ってたっけ?」
この異世界の文明レベルは、俺達が居た世界よりも大分低い。冷蔵技術なんてあるとは思えないが。
「……三津谷くんって本当にひもじい思いをしていたんだね」
「?」
「さっき買ったのは野菜とかだけ。冷蔵庫くらいあるよ。電力じゃなく、魔力で動く。水回りを除けば、割と快適なんだけど……もしかしてこういうのも知らないの?」
「知らない」
だって家が無いから。
ほとんど野宿だったし。
「ま、最初は慣れがいるよ。でもそこまで不便じゃない。確かに最初は中世の文明レベルに飛ばされたかと思ったけどね」
「……火もそんな風に使えるんだ……」
「ああ、備え付けのコンロ代わりのね」
俺と会話をしながら、綾子は軽く鍋を操って薫製肉に火を通している。
全然知らない。
俺はやっぱりスタートダッシュに躓いていたようだ。綾子や、ほかのクラスメイトたちはこんな風にすっかりこの世界に溶け込みつつあるのか。
きっと級友同士でパーティを組んだりもしたのだろう。羨ましい。綾子と仲良くできるのが羨ましい。他の男子とどんな会話をしたのだろうか。
しくしくと摘ままれるように痛い胸元に苦戦していると、綾子が完成した手料理を運んできた。
「どうぞ。お口に合うかな」
「おぉー……」
ベーコンと卵と芋を混ぜた何か。根菜や玉ねぎ、ソーセージのスープ。あと、この世界では高級品な白いパン。
料理に詳しくないので分からないが、とっても美味そうだ。
「頂きます」
「はい、召し上がれ」
「ん!」
ベーコンの旨味と卵、チーズの濃厚さがガツンと来る。長く歩いて塩気が抜けた体には嬉しい。パンをちぎる手が進む。
食べているのはヨーロッパ風の食事だが、主菜で炭水化物を食べ進めるのが日本を思い出して良い。こういう味付けの妙は、やはり同郷だからか。
夢中で食べていると、視線を寄越された。感想を促されているような気がしたので、忖度ない評価を下す。
「……超美味い!」
「ま、当然ね。私料理得意だし」
「よく自分で作るの?」
「ええ、クラスでは一番上手いかなー。今時の子ってあまり料理しないでしょ」
「確かに……俺も全然自分で作らない」
「ちなみに、この世界の料理はまだまだ未発達だから、はっきりいって私には及ばないね。つまり世界で一番料理が上手いといっても過言じゃない」
過言でわ?
多分宮廷料理人とか居ると思うが。
でもまあ、一般的なレベルでは飛び抜けているのは間違いない。綾子の将来の伴侶はこれを毎日食べられるのか……いいなあ。
綾子の自慢げな話を聞きながら、食事は進む。
「ちなみに、栄養学をある程度収めているから、食事のバランスにも気を使えるの。料理を提供する者の基本ね」
「おぉー……!」
「ちなみに、裁縫や手芸をたしなむから服を直したりも結構得意。最近だと縫い方を一つも知らない子も多いでしょ?」
「あー……家庭科……俺、針に糸通すのから無理なんだよなあ」
「ちなみに、綺麗好きだから掃除が趣味みたいなところもあるのよね。ほら、帰って来たときも散らかっていなかったでしょう」
「へぇえー……」
今日の綾子はなんだか『ちなみに』が多い。なんでかな。
このフレーズを口にするたびに、こちらを見てくるので合いの手が忙しい。
ずっと続く綾子の自慢話を聞きながら、最高の食事を楽しんだ。
――
夜も遅くなってきた。
綾子も長く歩いたし、久しぶりの自宅だ。邪魔したら悪い。お暇する頃だろう。
「それじゃあ、そろそろ俺帰るよ」
「はぁ”?」
「……えっ」
立ち上がって帰る、と言った途端に綾子のトーンが冷たくなった。
思わずその場に正座。座り直す。膝の上で指先を揃える。
おかしいな。さっきまで結構上機嫌に話してくれていたんだが。
綾子は苛立たし気に、肩まである微かに青みがかった髪をかき上げる。機嫌が良い時も、悪い時もする彼女の癖だ。機嫌が悪い時は形の整った顎をつい、と上げることに最近気づいた。
「帰る? 帰るってどこに?」
「あ、いや、行き先はないから帰るってのは言葉の綾で……そろそろ夜も遅いし、お暇するよ」
「行き先はないのにどこに行くの」
「……うーん……まぁ、雨をしのげる木はあたりを付けているから、取りあえずそこに……」
「は? じゃあ三津谷くんは私の家よりも野宿の方が良いんだね」
「そ、そういうわけでは……」
あれ、綾子の気分がますます悪くなっていく。
「そう、じゃあ好きにすれば。どうしてもっていうなら泊めてあげようかと思っていたのに、屋根のないところで夜を明かせば」
「えー……っと、泊めてくれるの?」
「どうしてもっていうなら」
マジかよ……。綾子の家に泊まり? それも二人っきりで? こんな幸運があっていいのだろうか。いかん。意識しないようにしていたのに。泊まりと聞いて、部屋着姿の綾子につい目が吸い寄せられる。落ち着け、吊り合う相手ではないだろう。
多分引け目があって優しくしてくれているんだろうけれど、あまり頼り過ぎると悪い気がしてくるが。それでも俺はこの幸運な提案に逆らえなかった。男の子だからね。
「どうしても泊めていただきたいです」
「んー、そっか。じゃあ家が見つかるまでひと月位ならいいよ」
「ひと月?! いや、それは流石に――」
「じゃ、決まり。私もう寝るね。三津谷はそっちの椅子使って」
「は、はい」
「あと、私が無防備で寝ているからって変なことはしないように。ちなみに私寝つきが物凄く良い方で、軽く声かけたり叩いたりしても絶対起きないから、何かあったら強めに起こして頂戴。今日はかなり歩いたし、三津谷くんもぐっすり寝られるでしょうね起きるのは八時くらいにしましょうおやすみなさい」
「おやすみなさい……」
眠すぎて不機嫌だったのかな。
急速な睡魔に襲われたらしい綾香は、突然気持ち悪いくらいに早口になって寝てしまった。もう「すうすう」と寝息を立てている。
寝るのはいいが、同室に男がいるんだからせめて少しくらい気を使えよ。毛布のかけ方が雑すぎて下着が丸見えだ。多分オスとして認識されていない。渾身の理性を振り絞って目を逸らしながら、毛布の端を整えてやる。……寝息が収まったのは気のせいだろうか。
何でもいいが俺も寝よう。
生まれて初めての女子とのお泊り。長く歩いていなければ緊張で一睡もできなかっただろう。




