第二十話:タコ、改めクラーケン
大海原をあてもなく漂って二日目、クラーケンの姿は一向に見えない。
「見つからないなあ」
「見つかりませんな……」
二人で額の汗をぬぐう。ムラクモと一緒に、マストの上に立ってあたりを見回して今日も五時間。
収穫といえば休憩中の兵士たちが釣った魚程度だ。この辺の魚は美味い。刺し身と焼きを麦酒でいただきながら監視を続けていたが、クラーケンどころか普通のタコすらいない始末である。
風も波もないベタ凪の海上をふらふらと、ここまで音を上げなかったのを褒めて欲しい。
「ねえムラクモ、これはあくまで俺の予想なんだが構わんかな」
「はい、もちろん」
「クラーケンは今までおとぎ話上の存在だった。実際居るには居るが、めったに遭遇しない化け物なんだろうね。普段は深海にいるとか」
「自分も生まれてこの方、かなり海で暮らしております。が、初めて出遭いました」
「うむ、そいつが我々の艦隊の攻勢に合わせて出たってことは……偶然じゃないのかも」
「例の魔物を操る魔王軍とやら?」
「かもね。ペドロリーノ以外にも魔物使いがいるのか、よく分かんないけど。それにしても暑い……」
汗ばむ額を拭う。
季節は冬を抜けて春の始まり。転移してから半年近く立つことになる。俺もそろそろ高校三年生だな。(正確には元の世界と季節のズレがあるのでまだ二年生)そして春ということは日差しも徐々に強くなる。
海に出るのは慣れていないので知らなかった。海上は水面からの照り返しのせいで日差しが二倍きつい。ミッドランドから南下したバルトリンデの海域は結構温暖な地域。
昼過ぎには蒸し暑さを感じるほどで、俺はギブアップを宣言した。
「駄目だ。一旦休憩~!」
「承知いたしました。兵たちも監視を残して休ませましょう」
「そうだね。ビビって戦闘態勢にしてたけど、適宜休憩のこと。お、丁度いいところに小島がある」
「む、確かに。南方に……おかしいですな。ずっと監視していたつもりでしたが」
「な? 無理して働いても監視がぼんやりしちゃうだけだって。あそこに停泊して一息入れよう。降りたいやつは降りてもいいぞ~っ」
トリバレイはシーパワーに力を入れている。それはすなわち近隣の島はどんなに小さかろうと重要だということ。ついでなので制圧しておこう。
火竜・上総介の噴火の余波で、観測されていない島がぽつぽつできているのだ。将来的には海域を守るための重要な哨戒網になるだろう。島国の日本出身のため、小島を制圧していることの大切さはよく分かっている。
それに小島一つでもいいから新領土を確保しておかないと、女性陣にまた叱られてしまう。釣果なしは晩飯抜き。今日の飯担当の佑香はそれくらいやる。
「測量班は測量用意、それ以外のやつは休憩へ」
「了解!」
「お~い、みんな休憩休憩!」
マストの上から兵士たちに宣言。待ちわびていたとばかりに歓声が湧き、俺達が乗る旗艦・黒蓮を先頭に小島へと進路をとる。
風がなかったのに船は滑るように進み、おかげで汗が乾いて心地良い。指揮官として先頭に立つのは当然だけれど、自然と先頭になったのは黒蓮の速足もあるだろう。黒蓮にはとっておきの魔力放出推進装置が左右合計四個もついている。
「便利だね。この船の推進装置」
「ええ、クジョウ様の傑作です。これほど大規模な推進装置は、従来艦とは一線を画します」
「ただ、随伴艦を引っ張るわけに行かないから結局待つけどね。おぉぉい、もうちょっとゆっくり進んでもいいぞ~!」
まるで黒蓮の船速を見せつけるかのように、ぐいぐい他の船を離していく。凄いぞ~速いぞ~カッコいいぞ~。
でもいくらなんでも先行し過ぎなので、船乗りたちに注意すると、戸惑いの返事が返ってきた。よく見れば海面がずいぶん騒がしい。
「いえ、提督、こっちではもう推力を出していません!」
「おいおいバカな、さっきからベタ凪だったぞ。マストだけでこんな速く――」
「……! そうか……後方の船を引かせろ、信号弾撃て! 黒蓮、防壁全開!」
「む、ムラクモさん……? どしたの突然」
「でましたぞ、三津谷殿。両舷、撃ち方用意速やかに! 対海洋魔物弾装填、次弾も同じ!」
「……? わ、何だあれ!」
素早く察して矢継ぎ早に指示を出すムラクモに続き、俺も数拍遅れて状況に気づく。
風が船を押し出しているのではない。波が、いや、水流が俺たちを引き込んでいる。なぜ海のど真ん中で滝みたいな流れができるのかというと、つい先程まであった島がすっぽりと無くなっているから。その分必然的に水流は島の跡地へ向かう。
島は無くなったのではなく凄まじい勢いで沈んだのだと、この時の俺は気づかなかった。ムラクモの手早い指示も虚しく、先手は向こうだった。
海底噴火みたいな勢いで海水が持ち上がり、水しぶきのヴェールが解けて現れたのはおびただしい数の触腕。八本でも十本でもない。数え切れないが、それよりもずっと多い。
両舷を埋め尽くしている。そして成人男性を四、五人束ねたくらいに太い。人間の頭部よりも二周りは大きな吸盤をこれまたびっしりと備え、墨を薄く溶かしたように青ざめており、今にも俺たちを船ごと水底へ招待しようとしている。
「でっかい触手……!」
「防壁全開、持たせろ! 撃ち方まだか!?」
「こいつ、やはり吸盤が魔法防壁を溶かします! ……あ、あと二十秒は持たせます!」
「右舷、射撃準備よし!」
「よォし……まだ引きつける。じらせば本体が登ってくるはずだ……」
黒蓮の周囲を堅く守る金色の光の壁が「ビシビシ」と音を立てて崩れていく。
が、ムラクモに統率された魔力砲部隊は浮き足立つことなく、指示を待った。やっぱこいつ良い軍人だな。素晴らしい指揮だ素晴らしい。不安な時に部下が言うことを聞くのは優れた指揮官の証である。
俺もいつかこういうの出来るようになりたいものだ。
ムラクモは距離を保った僚艦にも一斉射の指示を飛ばし、そしていよいよクラーケンの頭部が水面から顔を出す。あたりの水面がせり上がっていく様はあまりにも不自然で、地震か、それともいっそ物理法則がおかしくなったのかと思った。
「でかい! こいつがクラーケンか!」
「三津谷殿、お下がりを!」
こいつはでかいぞ。
首を左右に目一杯動かさないと全貌が見えない。頭部だけで野球場くらいある。
黒蓮を丸ごと飲み込めそうな馬鹿げたサイズだ。せり上がりの余波ですら、乗艦が四十五度ほど傾く。必死に柵につかまって振り落とされないように、で精一杯だ。
確かにタコをでっかくしたらこういう風貌になるだろうが、ただ大きくしただけではないようだ。
その頭部の背の部分には甲羅のようなものを背負っている。口はギザギザと昆虫みたいな牙を生やしているし、口元には主の触腕とは別に髭のような細い腕(といっても一本一本が人間くらいの太さはある)をおびただしい数備え、俺はタコというかはアンモナイトの再現図を思い出した。
その不気味に光る瞳が片方、黒蓮の右舷に迫ったところでムラクモが号令した。海面が渦巻く騒がしさの中でも、海の男の声はよく響く。
「撃て!」
「撃てー!」
下士官からも復唱の声が届き、そして右舷が一斉に火を噴いた。
ムラクモに勧められて塞いだ両耳に、遠巻きに発射と着弾音が届く。ジュウベ・ルリ特製の最新魔力砲は、これまた最新技術で調合された対海洋魔獣特殊弾を吐き出す。
完璧な間のとり方だ。
片目付近に直撃。哀れのけぞったクラーケンの顔面に、僚艦から援護射撃が降り注いだ。勝負あった。思わず握りしめた拳を柵に叩きつける。
「うおおお、勝ったべこれ! 凄いぞムラクモ少佐!」
「……いや……」
「へ?」
「どうやらまだです。こやつ、今のが殆ど効いておらぬ! 次弾、続けて撃て――ぐおっ」
ついに堪えきれなくなった黒蓮の魔法防壁は弾け、そして奴の触腕の一本が船体をしたたかに揺るがす。
マジでピンピンしてやがる。こちらはと言えばピンチだ。船体の揺れでマストが一本へし折れ、その上のかごに居たムラクモ・ジルや俺が放り出される。
「む、ぐッ」
「まずは見事な手並みだ、ムラクモ。やはり貴官の指揮能力に問題なし。これからもよろしくね」
「閣下……!」
しゅば
と、回答丸アンサラーが甲板の上空を奔り、その柄を掴んだ俺、そして俺が差し出した手を掴んだムラクモを宙で支える。揺れる船上に降り立った俺は、肩に担いだ長剣を抜き放った。
「少し助太刀しよう」
次々に繰り出される触腕の、まず一本目を叩き切った。




