第八話:バーナード・フェルトン
上司に呼ばれて別塔上階の執務室へと向かう。
いつものことだ。新任地だろうが任務を与えられた以上、その実務内容はしっかりと把握している。必然的に、いまいち何も理解していない上司に頼られて手助けを請われる。
どの職場でも同じこと。毎度作業の手を止められるのは億劫だが、これも肩書あるものの定めと観念してため息一つ。
このトリバレイの財務面は自分が支えるという自負を胸に、バーナード・フェルトン上級財務官は執務室の扉を叩いた。お偉方にしては珍しいことに、両開きの扉は片方開いている。
「フェルトンです。お呼びですか、少将」
「どうも、フェルトンさん。座ってください」
直属の上司、三津谷葉介少将に椅子を勧められる。十五ほど年下の青年。自分よりも若い貴族のボンボンに仕えるのは珍しくないが、それを考慮してもかなり若い。
転移人。ミッドランド軍に加入して半年程度だと言うのに戦績凄まじく、敵国バルトリンデの兜首を次々と挙げる猛将。
見た目は全くそんな風に見えない。なぜなら威厳がないのだ、威厳が。転移人は男性も女性も歳より童顔に見える。せめて髭でも生やせばいいのに。
フェルトンは上司におべっかを使うほど世渡り上手ではなく、また自覚しているように口が悪いので率直に提案した。
「少将、もう少し広い部屋を執務室にしたらどうです。装飾もまともにして。これだと尉官と変わりませんよ」
「本当はそうしたかったんだけど、広い部屋は全部女の子たちにとられちゃいまして……とほほ……」
「はぁ……」
しょんぼりと両肩を狭める様子は、この世で威厳とはもっとも離れた位置にあるものだ。
このトリバレイ城はストライテン中将の指揮のもと今も増築中。その中でもこの第一塔は首脳部のために建てたもの。だが、例の転移人の女性陣に大部屋は奪われ、この男は一番隅っこのちっちゃい部屋で作業している。なにしてんだこいつ。
噂では女性陣に主導権を握られ尽くしているとか。歯に衣着せぬたちのフェルトンも、流石に不憫に思ってそれ以上の追求を避けた。
「ま、まぁ、部屋のことはともかく……ええと、ご用件は」
「あ、うむ。そうそう。いくつかわからない書類があってさ、教えてほしいんです。手間かけてすみません」
見ると三津谷の執務机には書類がうず高く積まれている。少将という立場の決済量は尋常ではない。城ヶ辻のお嬢ちゃんが居ないと半日でこうなる。
彼女は今、トリバレイ西の港で工事の監督をしているらしい。この書類の山をどうにか一人で処理しようとして、断念したようだ。
「もちろん構いません。そのために私がいます。分からない書類はどれでしょう」
「えーっとまずは、これ。この兵站の民・官分担計画。内容がよく……」
「ああ。通常だと王都からの供給と現地調達で済ませますがね。トリバレイは姫野殿の手配が優秀なので民間からの徴用扱いとして加えています。それの統合運用計画書ですな」
「ふむ、ふむ」
「ここが王都、ここがトリバレイ城、ここがミシャクジ川両砦、ここがアオタニ町、ここが前線、それぞれの流入・流出量」
「ふ、ふむ」
「で、別紙の各地消費量を参照して」
「……あー……その」
「ん?」
「どこにサインすればいい?」
「ここです」
「フェルトンさんは内容妥当だと思います?」
「ええ、私の優秀な部下が作った計画です。姫野殿の承認もあります」
「はい」
最初の方は熱心にふむふむ言っていたが、三津谷は途中で諦めてサインをした。意思決定フローが循環参照している気がするが、不備はないので問題あるまい。
「んで、こっちは……そう、アオタニ町の軍需産業計画。これもわかんない」
「はっ、こちらの数値がミッドランド流軍備への依存度の予測。二十ほど前提条件を変えて試算していまして」
「……い、一番ありそうなのは」
「これ」
「最悪値は」
「こちら」
「ふーむ、まあ順調と。……うわ。この上申書、作成したのアクスラインだ。あいつ事務方でも上手くやりそうだなあ」
「それで具体的な内容ですが――」
「サインの場所は?」
「ここです」
「はい」
御大層な筆跡で名前だけ書く将校もいるなか、どうにかさわりだけでも理解しようとした努力は買おう。だが残念ながらあまり適正は無いようだ。
最後あたりは頭脳の処理能力を超えた様子。虚ろな目付きでペンだけ動かしている。
「……さて、これでだいたい決済しましたか」
「ええ、ありがとう。あ、そうそう。もう一つ書類あった」
これで最後か。
ようやく自分の仕事に戻れる。と、安堵混じりに三津谷が持つ紙の束をみる。見覚えがある書類だった。いや、それは事務書類ではなく”論文”だった。
「……これは」
「『ミッドランド周辺経済圏の流通における魔術移動補助効果の定量的分離』」
「!」
「写しを王都から送ってもらいました。財務官がどんな人か知りたくて。そういう時ってその人の文章を読むのがいいですよね」
「こ、こいつはお恥ずかしい」
「参考に送って貰った他の論文と比べても、凄く完成度が高い……ように思います。門外漢ですが」
「は、ありがとうございます」
見覚えがあって当然だ。これは自分が、経済分野の学科を卒業する時に取り組んだ論文なのだから。
フェルトンの胸に湧くのは少しの羞恥。これを書き上げた時の自分は若かった。現実的ではない前提条件で立てた理屈ばかり。この世界に『黒歴史』というフレーズは存在しないが、彼が感じた恥ずかしさはそれを目の当たりにした時によく似ている。
そしてほんの少しの期待。いや、よそう。今までの上司だって、誰一人これを正しく読み解くことが――
「ただ、これって経済の論文じゃないですよね。タイトルとはちぐはぐだけど」
「……は……?」
「この緒言に織り込んである地図を見て思ったんですけど。これ、戦略の提言書でしょ?」
「……!」
思わず握りこぶしに力が入る。
まさか。まさか、この若い異邦人が。
この時のフェルトンは、目の前の人物がいずれ『地図読みの』というあだ名を付けられることをまだ知らない。
ただ片鱗はあった。ミッドランド王国とエルフの森、占領地アオタニとその先のバルトリンデ、そして外海へ繋がる半島西端。この交わる箇所に根拠地を置き、それぞれと交易の準備を整えつつある地政学のセンス。この男の本質は戦場の最前線ではなく、もっと俯瞰的で広大な所にある。
「このバルトリンデ国の経済圏についての記述。文言は平和的です」
「……えぇ……」
「けど読み替えると要は……ええと、ミッドランド所有の港から所定日数で往復できる距離、または船速を確保すれば、バルトリンデの経済圏の過半数を破壊できる。バルトリンデの本質は海洋国家である、って意味だよね」
「……お見事」
彼の指摘は正しい。経済学の論文の顔をしているが、その実はバルトリンデ攻略の提言書。さっさと操船関連の魔法を強化すれば、一々陸から攻める必要もないだろう、気づけよお偉方ども、というもの。しかし当時の一学生のフェルトンに、そんな大それたことをぶち上げる権限も立場もなく。また、実際の操船技術は想定よりもハードルが高く。
仕方がないので穏当な経済分析の化粧をさせたのだ。残念ながら、目に止めてくれる上司は居なかった。たった今までは。
「これに従えば、机上計算ではバルトリンデの経済活動を大打撃することが出来ます。間違いなく」
「ふ、ふふ、結構。私の新造船も役に立つというもの。忙しくなりそうだ」
「今回は速力に優れるクジョウ家の術式を主に採用したとか」
「詳しいね。君の試算を達成するために船速を確保したのだ。聞きたかったのは……なんでこんなの書いたの?」
「ふ、若い話です。学生の頃は付き合い始めたばかりだった妻が、父親を戦争で亡くしまして……」
「なるほど。復讐ですか。いいね」
まあ、今となっては過去の話だ。過去の話だった。彼が掘り起こすまでは。
普段は飄々としているフェルトン。彼の胸を確かに熱くさせるのは、泣き崩れる最愛の女性を慰めた記憶。十年越しの応報がここに。
「意外と野心家なのかと思いましたが、違いましたね。意外と熱血家でした」
「本当にお恥ずかしい。いや、若気の至りです」
「あなたの人物像を知れたので良かった。これからも頼りにしています。……確認しておきましょう。これ、今でも通じる?」
「ええ。十年ほど前のものですが、ほとんどの情報は陳腐化していません。大半はそのまま利用できます」
「よし。では財務官。情報が古い部分を修正したまえ。他の仕事を止めて最優先で」
「……そうすると、少将閣下の作業量が約十七倍になりますが」
「へっ?! ……あー……じゃ、全部止めはしないで、適宜よろしくしてください。作業配分任せるので。あー……できるだけ俺の処理増やさないで、何日くらいでできる?」
「三日ですな」
「マジ?! すっご……」
残念ながら最後までは締まらない男だ。が、
(威厳は俺の過小評価だったか)
自身の論文を受け取って席を立つ。
生涯仕える上司に巡り会えたかもしれない、という確度の高い期待を抱え、バーナード・フェルトン財務官は頭を下げて退室した。




