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第五十二話:前哨戦

 小鬼の軍勢およそ五万。


 物見からの報告は絶望的なものだった。


 黒い津波のように、つぎつぎと小鬼が峠を超えて向かってくる。傷ついたミッドランドの軍三千では話にならない。


「アクスライン少佐に伝令」

「はっ!」

「本作戦を担当する将軍の権限に基づき、現刻をもって迎撃地点を放棄。退却の指揮を取れ。伝令、至急!」

「了解!」

「首都ミッドランドの城壁を使う。首都の留守部隊へも伝令を」


 首都の城壁を迎撃に使う。できれば取りたくない方針だ。


 あの白亜の美しい城。女王陛下のお住まいにゴブリンめの血を浴びせるのが気に入らない。というだけではなく、城壁の外に住む民に甚大な被害が出る。万単位の小鬼の行軍、道中でどれだけの悲劇を残すか分かったものではない。


 それを当然理解しているのだろう。兵を率いるアクスラインらの表情は暗い。


 だが退かなければならない。ここで踏ん張っても全滅するだけ。俺たちには城外の遊軍として、城内と呼応して小鬼を挟撃する仕事が残っている。逐次投入しての敗北は最も忌避しなければならない。


 という塩梅に、らしくなく戦術的なことをいろいろ考えていたせいで、


「きしゅあ」


 という上空からの叫びに気付かなかった。気付いたのは”そいつ”が着地する寸前だった。


 緊急着陸する戦闘機みたいに、降り立ってから百メートルくらい滑って俺の眼前で停止する。土煙を盛大に起こし、降り立ったのは黒いドラゴンだった。


 巨大な翼、発達した前足、そして木星模様の鱗。すごく見覚えがある。彼女に奉仕すること、俺と熾烈な争いをするライバル。こいつらが居るせいで、俺は使い魔としてせいぜい四番手なのだ忌々しい。


「キシュアアアアアアアー―――――!」

「ガウス!? ……綾子さんか!」

「やー、三津谷くん。手伝いに来たよ。ガウス、背中に乗せてあげて」

「きしゅあ」


 渋々と言った様子で膝を曲げたガウスの背中から、案の定綾子が顔を覗かせている。あんまり危ない戦場に出たりしないでほしいんだけどな。まあ、この竜の上にいるなら大丈夫か。


 よじよじと登ったガウスの背中には、意外なことに綾子の他にも乗客が居た。


 一人は霧八佳苗。相変わらず長い前髪と分厚い眼鏡。可愛い。ぴーす、と茶目っ気を見せているの可愛い。


 もうひとりはユースティティア・アン・クローデル。相変わらず堅物そうなガキだ。ガウスの急降下着陸にビビって震えているのが可愛らしい。元気出せ。


「三人とも、どうしてここに?」

「言ったでしょう。苦戦しているみたいだから手伝ってあげるって。感謝してね」

「手伝うったって……相手は何万体もいるんだぞ。しかもあんな小柄な集団、いくら強いガウスでもそう簡単には捉えきれない」

「ガウスには飛んでもらうだけ。砲撃は私がやるから、任せて」


 砲撃? この世界に大砲はまだないぞ。


 自信満々に綾子は胸を張る。いつもどおり、下々の俺には口を挟めない威風堂々とした大器。そしてつい黙って拝見したくなる胸元のサイズ感。佳苗といい勝負だ。


(だが……)


 だが俺は知っている。彼女は決して完璧ではない。時に悩む、年相応の女性なのだ。


 そんな彼女の心の揺れが、本人を過度に危険な場所へ送ったりはしないだろうか。そういう心配もあって今回は置いてきたのに。


「危ないことはしちゃ駄目だよ、綾子さん」

「大丈夫。見てなさい」


 そういって綾子は口笛一つ、足元の黒竜ガウスに合図を出す。承知したガウスは脚力だけで大きく飛び上がり、悲鳴をあげるユースティティアをよそに天空へ。


 俺たちはぐんぐん地面から遠ざかり、視界には蟻みたいにうじゃうじゃいる小鬼が広がっている。


 綾子は竜の頭に立ち、ユースティティアは大翼の根本にしがみつき、佳苗は……佳苗は、さきほどから熱心に手元で魔術を操作している。魔法の応用が得意な彼女の手元で輝くのは、この鳥瞰図のミニチュアか。


 魔術で戦場の動きをリアルタイムに可視化している。しかも、よくみると数秒後の予測まで。


「佳苗、射角任せるね。ガウス、佳苗の言うとおりに」

「ん……ガウスさん、三十メートル降下、さらに西へ二百メートル」

「しゃるる」

「はい……これで七割の敵が射程内。味方には損害なし。薙ぎ払い方向は右。砲撃効果最大まで五秒、四……」

「よし、来なさい。山薙丸(やまなぎまる)


 ずあっ


 と綾子が引き抜いたのは一本の剣。


 どくどくと真っ赤な溶岩が脈打つような刀身には見覚えがある。上総介を手駒に加えた時に手に入れた、いわゆるボスドロップ品。魔力のすべてを込めて火線を放つ業物をここで使う気か。


 確かに、あれほどの射程と威力を誇るこの武器なら、うじゃうじゃいる小鬼を一網打尽にするのにぴったりだ。佳苗のカウントダウンが減っていく。


「三、二、一、……発射」

「はぁッ!」


 綾子が剣を頭上から振り下ろす。


 と、火線が雲を割り、地表まで炙り尽くし、そばにいる俺たちの頬が熱され、そして一拍置いて持ち主の腕の動きに合わせるように小鬼の群れを薙ぎ払った。


 凄い! 大規模噴火もかくやという圧倒的な威力。半数の敵が瞬時に炭化する。急激な熱の変化で膨張した空気が、爆発に似た強風をあたりに巻き起こす。綾子の誇る莫大な魔力のすべてが叩きつけられたのだから当然だ。横顔がかっこよすぎて惚れる。惚れてた。


「だが……だが、どうする? 全部の魔力を使ってしまって……まだあんなにいるんだぞう」

「ふう……まあ、見ていなさい三津谷くん」


 力を出し尽くして顔が青くなった綾子。その隣で、かろん、と少女が天秤を鳴らした。


「どうやら、あちらの方の魔力が多いようで」


 ユースティティア・アン・クローデル法務官。ありとあらゆる物事を”つり合わせる”ことができる能力の持ち主。


 彼女が天秤を掲げ、その何も載せていないはずの皿がつり合ったとたん、小鬼の群れから大量の魔力が吸い上げられる。そりゃそうか。こっちの綾子はたった今、全魔力を放ったばかりなのだから。


 ……ん? これ、あれ、この組み合わせって……。


「も一発、山薙丸!」

「天秤」

「とりゃ!」

「天秤」

「たー!」

「天秤」

「うわぁ……」


 このコンボ強すぎね。綾子が剣を振るたびに、小鬼の数が半数になる。ユースティティアが天秤を掲げるたびに、小鬼の魔力が半分になる。


『全魔力を放出する』と『敵味方の魔力を同量にする』の能力の組み合わせはちょっとズルすぎる。こわあ。


 そしてその綾子の側で、集まってくる魔力に次々に何らかの術式を施しているのはもうひとりの少女、アルケミストの佳苗だ。


「……お嬢さんはなにやってるの」

「ふ、ふふっ……ご存知ですか三津谷くん……小鬼のもつ魔力属性は土なのです」

「いえ、知りません」

「ふふ……土の魔力をそのまま火線に使えば、その効率はせいぜい三割……しかし、私が開発したこの触媒と、ウォルケノ山脈で採れた炎の魔法石を使うことで効率を八割まで……」


 早口で謎のフレーズをつぶやきながら、目玉がぐるんぐるん回っているけれど大丈夫かな? 最近幸福にも佳苗と仲良くなって気付いたのだが、やっぱりこの子、マッドサイエンティストの素質がある。


 元々の世界では本の中でとどまっていたことを、こっちの世界で思う存分実現させているのだ。加減知らず。


 おや、もしや今ガウスの背に相乗りしているのは、やベー女しか居ないのではないかと見回してみたがやベー女しか居なかった。


 その中でも筆頭の綾子が、ふわりと満足そうに髪をかきあげたので下を見ると、小鬼が一匹残らず全滅していた。全滅。戦術的な意味合いではなく文字通り、全部滅したので全滅である。


「か、勝っちゃった……」


 矮小な一般人である俺は、竜の背の上で呟くことしかできなかった。


――


 めでたしめでたし。


 バルトリンデ兵、オーガ兵、小鬼兵という怒涛の三連攻勢を受けきった。


 こうして最終決戦に勝利した俺達は、仲良く王都へ凱旋しましたとさ。おしまい。


 と終わってくれればよかったのだが。この戦の最終局面はもう少しだけ先だった。地表に降り立つ。小鬼の焦げた匂いに顔をしかめながら、綾子たちを褒め称えるために駆け寄った次の瞬間、


 足元が紅色に光った。


「転送魔法、小鬼の血で――」


 と、驚いた綾子の手をとっさに掴む。


 体が地表から引き剥がされる感覚は、懐かしい元の世界での飛行機の離陸に似ていた。

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