第三十三話:一網打尽
湿った土の匂い。
焦点が合わない視界。ゆっくり、ゆっくりと輪郭を帯びてくるものは木の根っこ。
俺は……倒れた。そう、何かから殴りかかられて。
「おい、いい加減に起きたほうがよかろう、三津谷よ」
「う、ぐ……」
「連れが嬲られるぞ。剣を取れ。やれやれ……どれ、少しだけ力を貸してやるか」
「次郎、三郎か……」
ぺろりと頬を舐められる。
視界の下端にちろちろと踊るのは真っ赤な蛇舌。殴られた影響か、相棒の白蛇に耳元で話しかけられてもうまく聞こえない。三半規管がぐわんぐわんする。洞穴で声がこだましているみたいだ。
鼓膜に集中すると、聞こえてくるのは女の子の悲鳴だった。「ぎぃやあああ」という恥も外聞もない必死な叫び声が、俺の思考を一気に夢うつつから引き戻す。脳のシナプスが加速し、バチチッという記憶の呼び起こしと同時に俺は立ち上がった。
――
女生徒の一人が片眉を上げて嘲笑している。
名前は知らない。だって自己紹介したのに返されなかったから。ひどいよね。
染め上げた明るめの茶髪(潤沢な魔力の持ち主は、その影響で髪の色が変わることがある。例えばエルフたちは、森の魔力を得てわずかに緑がかった金髪だった。また、この子のように敢えて好みの色に変える者もいる)。
猫に似た、吊り上がった大きな目。顔の作りは実に均整が取れ、その美しさにふさわしい自信がみなぎっている。
四肢は野生の肉食獣のように贅肉が無く、またしなやかで、何となく俺はメスライオンを連想した。
「だいたい、なんで私達が君の手伝いをしないといけないの? 町づくりだっけ。えーっと……三津谷クン?」
「は、はいい、そろそろ転移して二ヶ月で、住むのに困っている人も多いはずなので……」
「えー、でも私ら別に困ってないし。ね」
「そ、綾子に誘われたから会いに来ただけ」
「ここに居ればミッドランド軍の食事分けてもらえますからね」
「兵隊でさ、あの金髪の騎士っぽい人カッコよくない?」
「わかる」
「なんて言ったっけ。アックス、なんとか」
「えー、ちょっと歳上すぎない?」
「全然ありでしょ。っていうか異世界人って歳分かりにくくね。なんか外人っぽい顔だし」
「歳上って言えばさー……」
あっという間に話題が変わってしまった……!
どういうことだ。今は町づくりの話をしていただろう。これが彼女らのノーマルなコミュニケーションだとしたら、戦慄せざるを得ない。どうやって打ち合わせとかするんだろう。ノリと気分だろうか。あげぽよ。
「と、とにかく。ここで暮らすなら事務作業とか手伝ってほしいんだ。そうすれば、わざわざ冒険者待遇で魔物を狩ったり危ないことをせずにすむ。それに町が発展すれば暮らしやすくなると思うよ」
「え、無理」
「私もパス」
「それにさー、別に魔物狩りなんて危なく無くね?」
茶髪の子が自慢げに胸を張る。その口ぶりは虚勢を張っているようには見えないが、魔物狩りが危なくない? そんな馬鹿な。
報酬が出るレベルの狩猟対象は、退治するには多かれ少なかれリスクが有る。というか、そうじゃなければ報酬を払う物好きなんて居ない。自分たちで手に負えないから、冒険者なりなんなりに依頼を出すのだ。スライム討伐なんて珍しいもんだ。危なくないなんてことないはず……。
「ま、男子には分かりにくいか」
「え……どういうこと?」
「転移の時に魔法覚えてわかったんだけどさ、男って魔法を使うのがホント下手」
「そうなの、か」
正直、俺は誰と比べても劣る最低ランクの実力だったから気づかなかった。彼女が言うには、男女間で明確な素質の差があるということ。
そういえば、エルフのシグネたちも首脳陣は女性ばかりだった。ミッドランド王国の頂点もアリシア・ミッドランド女王陛下。それにたまに見かける将軍たちも、華麗な女性の方が多い。ストライテン中将は少数派。それに才能一本でのし上がったタイプじゃない。
「魔力がそもそも少ないし、それなのに使い方の効率悪すぎ」
「で、でも、腕力とか脚力とか持久力とか、男子にも役立つところはあるだろ?」
「ふ、三津谷クンって魔法下手でしょ」
「う」
ドキリ、と図星を突かれた。
下手どころの話ではない。なんで綾子や佳苗があんなふうに、自在に不可思議な現象を呼び起こせるのかほとんど理解できていないのが正直なところだ。
「そんな筋肉とか、はっきり言って魔法の前には無力でしょ。……ま、試しに見せてあげてもいいかな」
「あ、ありがとう。町づくりに協力……!?」
「まさか、そろそろお金も少なくなってきたし、討伐クエストこなしてくるってこと。君も着いてきてもいいよ」
たてがみのような茶髪をばさりとかきあげて堂々と、メスライオンはテントから出ていく。あくまで協力するつもりはないらしい。
うーむ、彼女の言うことを信じるとして、そもそも魔物をノーリスクで狩れるとしたらたしかに根拠地なんて要らない。宿代は十分に確保できるし、ずっと遊んで暮らせるだろう。
ただ、この時の俺はなんとなく嫌な予感がして、彼女たちへ同行を申し出た。
――
風を帯びて剣が舞う。
一閃、
二閃、三閃、切っ先がひらりと日の光を反射するたびに、獣の首が跳ね飛ばされる。
先程話した茶髪の女の子、確か他の子との会話ではユカと呼ばれていたっけ。その子がくるりと一回転するたびに、獣が一匹切って落とされる。尋常の腕ではない。
ここはウォルケノ山脈の北側麓。一月足らずで二度も地殻変動が起きたこのあたりは、魔物やそれに準ずる獣の生息分布を一変させた。特にこのあたりで発生している、ハイエナに似たこの獣。こいつらマジで何とかしてくれ家畜が全滅する! という悲痛な酪農家からのクエストだが……、
ユカは血を拭い、すらりと剣を鞘に戻した。
「はい、おしまい」
「す、すごい……!」
「ね、これで生活費一月分かな。そっちはどぉー?」
「六匹ー!」
「こっちは七匹!」
「おっけー! 私のと合わせて二十匹。依頼数の倍狩っちゃった。ボーナス貰えるかなー」
しかも、このユカ以外の子も半端な実力じゃない。魔法使いが二人、弓使いが一人、剣士がユカ含めて二人。
どうも転移特典での優遇もかなりされているようだ。全員手間取ること無くハイエナを倒してしまった。いや、これは素直に凄い。と、惚れ惚れ見惚れていた俺だったが、向こうは「それ見たか」という様子だった。
見下すような色を視線に含めて、ユカがこちらに目を向ける。他の子も集まってきて、ハイエナ一匹に苦戦した上に逃げるしかなかった俺に呆れている。
うう、役立たずでゴメンナサイ。あとカースト上位者が下位にそんな鋭い目線を投げないでください。塵になって消えてしまいます。どうかいつも通り眼中にない感じで。
「どう? 筋力とかなんとかって、結局魔力での身体強化に敵うわけないし」
「た、確かに、そうかも……」
「男子にはまず無理だろうね。魔力放出の瞬発力が違うから」
「でも……でも、危ないよ」
「は?」
「どんなに凄い腕でも、何か躓いたりうっかりしたり、不覚を取ることはあるよ」
「……」
「それなのにずっと魔物狩りをするのは危ないんじゃ……?」
「うっさいなあ。もう良いって。じゃ、戻ろっか」
賛成、と他の子達も声を揃える。汗一つかいていないし、一仕事終えたという感じはまったくない。放課後だし、タピオカドリンクでも買いに行こう、みたいな華やかさだ。
残念ながら人手確保のための説得という任務は失敗。綾子に怒られてしまうな。ため息を吐いて、極力存在感を消しながら彼女たちのあとに続く。
林が濃くなり、わずかに地面が窪んだ獣道。影になって薄暗い枝の間から、
どごん
と、突如棍棒が振り下ろされる。次々と倒れるユカたちの上で、枝にぶら下がりながら小鬼がニタニタと笑っていた。




