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第二十五話:ミシャクジ様

 錬金術師佳苗の分析結果が表示される。


 スライムから採取した液体を試験管に注ぎ、佳苗が二本を振って見せてくれた。ここへ出発する前、テント周辺で採集した結果と比較すると一目瞭然だ。


「明らかに魔力量がおかしいですね。異常に多い」

「上総介が居なくなって、この山は主不在のはずだ。魔力が増えるのは妙だね」

「属性も分析してみましょう」


 俺や綾子が興味深く見守るなか、佳苗は瓶に数滴の薬品を垂らしていく。


 なんだかわからんが、出来る女って感じでかっこいい。佳苗は基本的に読書好きの文系だけれど、化学含めたどの科目も得意という優秀な女性だ。文理どちらも苦手な俺としては羨ましい限りだな。


 フェノールフタレイン、という理科の語句を思い出した。垂らした先から試験管の色が鮮やかに染まったのだ。前髪の隙間からくりくりとした両目で反応を睨み、佳苗が結果を教えてくれる。


「水系の反応が大きい。それと、石や木に分類される系統の魔力ですね」

「……あ! アクスラインの部下が言っていた通りだ」

「あら、すでに一回目の調査はしていたん'ですね。他にはなんと……?」

「いや、詳しいことは王都から専門部隊を呼ばないと分からないって。ごめん」

「ふむ……それではこちらで一通り済ませてしまいましょうか」

「できるの?」

「はい。もしかしたら、急を要するかもしれませんし」


 佳苗は手持ちの瓶と、もう一つ懐から出した瓶を並べて見せてくれた。なんとなく、中身の色がよく似ている気がする。なんとなくと表現したのは、完全に均一な色ではないから。まだら模様で混ざり合わない水色、緑色、灰色がゆらゆらと彩りに変化を与えている。


「これが今採取したもの。こっちは先日、北の森近くの山でたまたま手に入れたものです」

「超似ているな」

「うん似ている。今日採ったのよりもこっちのほうが、緑が濃い気がするけれど」

「はい。元々このウォルケノ山脈は活火山でした。属性は火、現状の豊富な水要素と矛盾しています。……結論から言うと、山をまるごと”別の森”に塗り替えるような、化け物――山の主というべき存在が近くに来ています」


 佳苗は一呼吸置く。そして今までのほんわかした雰囲気を収め、極めて真剣な表情で非常事態を告げた。


「ただ森が移って来ただけならまだマシです。今回は木に比べて、水の属性が多すぎる。岩肌の多い山に無理やり連れてきたのでしょう。これでは水量をしっかり蓄えられません。洪水が起きます」

「洪水って。い、いつ?」

「今すぐにでも。……この瞬間に起きてもおかしくありません」


 なんてこった。今俺達がいるのは山の麓。それもつい最近、天変地異のような竜がブレスで大いに抉った場所だ。標高が低い。水没するならまずこのあたりからだろう。


「まずいな……」

「はい。とにかく離れたほうがいいです。私達がいま乾いていられるのは、たまたまです」

「……ここから更に海側に、アクスラインたち国境警備兵がいるんだ」

「伝えに行くつもり?」

「もちろん見捨てられないよ」


 佳苗の警告に、綾子もまたいつもの余裕がない。気持ちはわかるぜ。佳苗に理論立てて説明されるまでもなく、


 ”ここはなんだかおかしい”。


 魔力が充填しているというのは言われてみればそのとおりだ。さっきから湿度は高いわ、足元は湿っているわ。これでは草原どころか沼地だ。加速度的に変化している。不穏な気配を感じているのは俺だけではないようだ。


「仕方ない。急いで伝えて逃げよう」

「良いこと言うね綾子さん。とにかくアクスラインたちのところへ」


 慌てて馬にまたがり駆け出す。ぬかるんだ地面に足を取られ、なかなか早駆けは捗らなかった。


――


 三十分ほど駆けたところに、配下の青年大尉が布陣していた。


 率いる総勢二百人の警備兵が、普段は各警戒地点に広がっているはずなのに今はひとかたまりになっている。彼らもまた、この地の不穏な状況を感じ取っているのだろう。規律正しいことが信条のアクスラインの配下が、装備を泥に塗れてさせても放っているのがその証拠だ。


「アクスライン大尉!」

「三津谷殿、ご無事でしたか!」


 普段は人懐っこい笑みを絶やさないアクスラインが、今は緊迫した表情で出迎えてくれる。


「大尉、少し陣を引いたほうがよろしいでしょう。この地はおかしい。大規模な測量と調査が要ります」

「はっ! 恐れながら独断で、現在退却体勢を整え終えたところです。それに、やっかいなのは土地だけではありません」

「え?」


 アクスラインは国境の向こう側を指し示し、鋭く指摘をした。すっかり背が高くなった草原に紛れ、少なくない人数がうぞうぞとこちらに近づいている。


「ご覧あれ。バルトリンデの先発部隊が浸透してきております。総勢は不明ですが、少なくとも二千」

「二千!? こんな辺境に、二千。我が方の十倍ではないか」

「広大な領地のミッドランド王国には辺境でも、バルトリンデにとっては重要度が大きいのです。しかもこの異常な湿りが奴らの策略だとしたら、嵩にかかって攻めてくるでしょう」


 うむむ。自分の任地が前線になるとは思ったが、こうも早速仕掛けられるとは。この世界の人々は結構血の気が多いなあ。


「しかも、沼地では彼らの歩兵のほうが優位。我々の騎兵の足は死にます」

「う……」

「さらに、これ以上水かさが増せば船が機能します。バルトリンデの水軍は大陸随一」

「むむ、ここは……」

「はっ」

「撤退~!」

「了解!」


 いい材料が一個もない。


 軍事のことはよくわからないが、そんな状況で踏ん張ってもいいことはないだろう。アクスラインの表情も「逃げよう逃げよう」と言っているし、異世界人伯爵にプライドなんて一欠片もない。


 逃げよう。俺はわたわたと手を振って、後背地を指し示した。


「綾子、佳苗を乗せてあげて。部隊に構わず先行して」

「ん、了解」

「佳苗は落ち着き次第王都に調査結果を連絡。俺の名前を使ってくれ」

「三津谷くんも早く……!」

「あぁ! 大尉、指揮は全部任せます! よきに図らいたまえ!」

「承知しました。全体、二列縦隊!」


 さすが、用兵巧者のアクスラインの指揮は退却時も抜群だった。


 時に先頭に立ち、時に後ろから指示をだして、川と沼の区別がつかなくなった地を一人も脱落させずに駆けていく。その間にも地面のうねりは増し、ひび割れた地表の裏からは水が吹き出す。


「こんなぐちゃぐちゃにしたら歩兵でも行軍無理だろ! バルトリンデの奴ら何を狙っているんだ!」

「いえ、どうやらあちらも想定外のようです。後ろをご覧ください」

「……な、流されちゃってるじゃん、あいつらも……」


 つい先程まで俺たちが居た場所には、強大な大河が流れ込んでいた。あれでは足を取られるどころのはなしではない。二千人から居たはずのバルトリンデ兵が次々に溺れ流されていく。


「……アホやん」

「二千人を迎撃する算段を付けずに済みましたな」

「この状況を作った責任も、取ってもらいたいもんだがね!」

「人間が自然を操ろうとしたら、手痛いしっぺ返しを食らうものなのでしょうか……」


 アクスラインが環境保護団体みたいなことを言い出した。


 のは、彼が主義主張を切り替えたからではない。視界に広がる、絶望的な光景に達観せざるを得なかったからだ。


 背後の大河はうねりを増し、そしてゆっくりと”持ち上がった”。尻尾だ。海岸に流れ込む、あそこが尻尾なのだ。


 川の流れは透明でなく、ひどい空模様を反射した灰や黒でもなく、激流が巻き起こる白だった。泡立ちの一つ一つがそいつの鱗であり、ぞろりと山全体にとぐろを巻くその姿。それはまさに巨大な白蛇だった。


「ミシャクジ」


 こいつが。


 アクスラインが言っていた化け物か。


 山頂に乗る首がこちらを向く。白地に浮かぶ真っ赤な二つの瞳。


バルトリンデの奴らを流し終えたのを確認したその瞳が、矮小な俺たちを捉えていた。

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