第四十一話:ウルド・クィトラ
ウルド・クィトラ新族長は父に似て冷徹な男だが、父に似ず打算的な男でもあった。
父の突然死に怒りと悲しみはあった。とはいえ、誇りを優先しクィトラを族滅させるほど金勘定が苦手ではない。忖度が不得意でもなく、また政治力学が分からん阿呆でもない。
「族長、ヤァマタの奴らの斥候がうろついています。陣張りも概ね完了した模様」
「会戦は近いか」
「はい。おそらく一刻もせず仕掛けてきます」
「こちらの斥候はなんと言っている」
「前代未聞の大群と。五万はいるそうです」
「五万……!」
「さらに『巨獣』部隊も多数。ヤァマタ帝国の全軍と予想される数です」
「……分かった。トリバレイ殿の連絡通り、このバリ平原を決戦の地とする」
「ははっ」
バリ平原は東西の交通の便がいい平地。
馬を自在に操り、道を選ばない騎馬民族でも、山や氾濫原によって阻まれることもある。その交通の要だ。部下に命じて戦闘態勢を取らせる。
異世界人め。これだけでも相当の離れ技だ。地図を見て軽く唸っただけで、ヤァマタ帝国の侵攻ルートをピタリと予測した。
やつの街道敷設とやらもその予測精度に拍車をかけている。経済対策の皮を被った、軍事準備だったというのか。我々と比べて読みが深すぎる。
(通常の人間ではあるまい。半魔か妖術使いの類いか)
ミッドランドの三津谷葉介少将。この大陸を大いにかき回し変革をもたらした男。
自分の父親フルル・クィトラを手に掛けた人物は不明だが、三津谷がもっとも得をしたのも事実だ。その陣営の新参であるエドヴァルド・ベスコウなる者が怪しいことも、ウルドは理解していた。
それでも敢えて口にはしなかった。
化け物なら化け物同士、宿敵ヤァマタを食い殺させればいい。
その意味でも、ウルドは軍事よりも折衝・交渉・情報収集が重要な治世の人物であると言える。彼の陣営選択の決断は正しかった。後の世では少々の独立心軽視への批判と、絶妙な政治感覚への称賛がされることになる。
ただ、開戦直前の今を生きるウルドには、後の評価など悠長な話であった。
後方を一望して悲嘆する。
「しかし、これでクィトラ勢は全軍か」
「こちらは若いのも老人もかき集めて三千。三千対五万です……」
「くっ、偉大なるクィトラ派も散々だな」
「ガキも女どもも若い順に逃げ出しちまった。こいつは軍備を全盛期に戻すには、そうとう年数がいりますね」
右腕である副官がぼやいた。その通り。我らが立ち直るには、おそらく女性を不遇にしていては不可能だろう。文化・慣習的にもクィトラは変わらざるを得ない。変革の時代が来ている。
副官は後方の丘陵にて構える、大男たちを見て言う。丘は木に覆われている。それに随分離れているのに、大男たちの顔はよく見えた。
「四万七千の兵差数。例の巨人どもがいるとはいえ、巨人もヴァルマーもビスワースも結局は外様。相当不利ですな」
「巨人はアレで三万人分は働くとのことだ」
「本当でしょうか。トリバレイ殿の陣営はまばらにすぎる。参戦数が少ないですよ」
見放されたのでは、と副官は口に出さなかったが目で言った。
表面上を見るとそうかもしれない。だがそうではないとウルドは察していた。三津谷が我々を見捨てたなら、こうまで援軍と装備の協力をするのはおかしい。
巨人族はかなりの投石準備を事前にしている。ビスワース国軍は元帥が右翼を固め、ヴァルマー国はイーシャン・ヴァルマーなる王子がみずから参戦。
この王子がなかなかの器量だ。生ぬるいミシュラ地方の王族の割に、指揮・カリスマに優れる。それに戦前の準備もいい。左翼から前線予定地まで、簡易の堀をこしらえてしまった。熟練坑夫を連れてきているらしい。ヴァルマー製の上質な矢、槍は全軍に十分提供された。
ミッドランド常備軍や他の国々は不在だが、どこかに決戦戦力として控えているだろう。
「今回はトリバレイ殿に賭ける」
「了解しました。救世の英雄に、また望みを託しましょう」
「……ふっ」
つい苦笑が漏れた。これはいかなることか。
我が氏族は奇妙なことに、兵数をじりじり減らしてもトリバレイの三津谷を信頼している。確かに、彼らは氏族の危機に駆けつけた。だがそれもまた、現状をみるに彼が最も得をしているのだ。信頼どころか心酔しきった物も居る。
いかなることか。これは……
「これは何としても生き残らねばならんな。戦後の氏族のために」
「はっ!」
副官はきっと氏族の立て直しを期待したのだろう。
が、そうではない。もっと消極的な理由だ。
おそらく三津谷に辛うじて応対できるのは自分くらいであろう。他の者ではクィトラ氏族は散々にいじくり回される。彼との初会談は脂汗をしたたらせることしか出来なかったが、次は経験を活かしてみせよう。そのためには武勲を立てつつも生き残る。
……と、これもまた三津谷の望み通りか、それとも考えすぎか。
この天高くから見下される感覚。駒の一つとしてつまみ上げられ、地図上に望むように配される感覚。すでに何回か経験がある、この感覚――。
(慣れてたまるものか。味方陣営だろうと、取るに足らない存在だと見なされてたまるか)
決意を込めてウルドは弓を握りしめた。その覇気は、部下の悲痛な叫びを聞いても衰えることはなかった。
「敵軍、接近! 数……数およそ五万!」
氏族の将来のことを悩んでたウルドの視線は、現在に引き戻された。
開明的な思考の持ち主だろうと、ウルドの西兀の血が騒いだ。視線がまず敵を射抜き、続いて豪腕で引いた開戦の嚆矢が飛ぶ。
「いくぞ! クィトラ勢は続け!」
張り上げた声に部下たちが呼応する。戦後のことも将来のことも、まずはヤァマタを打ち倒してからだ。
――
やはり不利は大きい。
人数差がいかんともしがたい。支えるので精一杯だ。
「副官、最前列の兵を入れ替えろ。長期戦になるぞ、疲労を溜めすぎるな」
「了解しました!」
「ビスワースとヴァルマー軍は」
「両翼、見事に支えています」
「くっ、はは! ミシュラ地方の軟弱もやればできるではないか」
「はっ、あれほどの人物がいるとは」
勇猛果敢なビスワース元帥が右翼。
それに冶金術にすぐれるヴァルマーは皇太子みずから率いて士気も高く、左翼を押さえている。
兵数劣るのも関わらず、戦場はこちらが鶴翼を維持していた。両翼は支えているが、しかし各々自分の担当で精一杯。言い換えれば、鶴翼なのに中央は援護を受けられない。
我々の負荷がじわじわと高まっている。
「ここ中央が厳しいな。巨人族へ、投石をもっと回すように言ってくれ」
「伝えてあります! が、ヤァマタの奴ら射程を熟知しているようで」
「敵の陣形の弱点には届かんと」
「山を降りる必要があり。時間を要し、一方でそれほど射程は伸びません」
「ちっ。元々は向こうの兵。軍事機密はバレていて当然か」
流石にヤァマタも戦が上手い。器用に投石をいなしながら、こちらに出血を強いてくる。
両翼の手強さに比べ、自分たちクィトラ勢が相対的に脆いと見たか。
だが中央を突破されてはまずい。ここは巨人族の投石の死角に入り、さらに両翼が側面や後方に回り込まれる。中央を抜かれたら各個撃破されて必敗だ。
どうする。
これは自問ではない。
(どうするつもりだ、三津谷)
お前の自慢の手勢が全滅するぞ。
常備軍や他の国々の残り。決戦用の打撃戦力として残しているはずだ。早く敵の側面なり、後方から仕掛けろ。
そうすればまだ戦は分からん。遺憾ながら敵も強く、一撃必殺とはならないだろうが……まだ戦えるぞ。
その期待は大いに裏切られた。
斥候からの報告を繰り返し聞いても、東西南北どこにもミッドランドの姿なし。どこかに控えていたとしても、敵の中央突破=我々の壊滅に間に合わない……。
どうするつもりだ。
「どうするつもりだッ! 三津――」
思わず叫んで天を仰いだ。
そこには奇妙な光景があった。
はじめは布切れが飛んでいるように見えた。それは人間がまとったローブであり、箒にまたがり、杖を携えていた。
多数の“魔法使い”。おそらく北の魔法立国フォルクング王国の軍勢が、箒にまたがって飛び込んでくる姿だった。
「族長! 魔法使いだ! 奴ら一体どこから――?」
部下たちの疑問はもっともだ。魔法に疎いウルドや他の西兀たちも、これくらいはわかる。
『焦がし』の境界からここバリ平原まで箒で飛ぶ? 魔力が持つはずがない。長距離のマラソンで大陸の半分を走り切ることは出来ないのと同じだ。
その魔法使いたちは、力は十分残しているかのように一斉に光弾を打ち下ろした。敵が視界を眩ませているなか、もう一つの衝撃がウルドの視界に広がった。
「あれは竜か、クジラか」
「……」
「副官、副官。あれは何だ」
「わ、わかりません! 見たことがありません、あんな大きいものが空に浮いて……ま、魔法でもありえない!」
「そう思う。魔法のことは分からんが、持ち上げるのに相応の力が要るはず」
つまり魔法ではない。自分たちが全く知らないもの。
きっと異世界のものだとウルドは直感した。
そしてもう一つ分かったことがある。勝ちだ。この戦は勝った。ウルドの理屈抜きの読みはすべて正しかった。
白い、筒のような形状。全長は五十メートルをやや下回るか。そんな巨大なものが、浮かぶはずがない。だが現に浮かんでいる。空を悠々と泳ぐ様はまさにクジラのようだった。
どうやって飛んでいるのかは分からない。が、勝ったことは分かった。戦は高所を取れば勝つ。もっと正しく言い換えよう。
戦は、敵が反撃できない占位を取ったら勝つ。
当然知る由もない『飛行船』という名称の浮遊城から、大砲や、炸裂弾、矢が一斉に降り注いだ。煙が晴れた後、立ち向かってくるヤァマタ兵は一人もおらず。
「はは……はははは! 化け物め! やはりそうだ! 思った通りだ、この妖術使いめ! ……――突撃!」
ウルドは一通り笑った後に全軍へ号令。
逃げ出す背中への追撃を開始した。