第三十四話:生き別れ
族長が急死したことで、クィトラ氏族は恐慌状態に陥っていた。
若い新族長がなんとか頑張ってまとめているらしいが、ベスコウとかいう性格の悪ーい奴が流言ばっかり流すもんで難儀している様子だ。
こういうの得意そうだね、君。しかも出身国フォルクング人として西兀に復讐できるから楽しそうだ。
「やりすぎじゃないの? 放火乱闘でも始まったら面倒だぞ」
「あわよくば嫡男ではなく、討ち死にした次男を飛ばして三男を傀儡にしたいのですが……。なかなかうまく行きませんな。よく氏族をまとめている。嫡男も一角の人物のようです」
「三男って何歳?」
「ゼロ歳と十一ヶ月です」
赤ん坊じゃん。
「はぁ……。流言はほどほどに。ガキを弄するのは趣味に合わん」
「ですが閣下、物心つかない赤子の方が廃嫡は容易です」
「うーん」
「今後は間接統治、直接統治の両方に含みをもたせられる。執政官を現地の中の下程度の実力者にすれば、嫉妬と足の引っ張りあいで瓦解させられるのも妙手。君主たるもの――」
「ダメです」
「……承知いたしました」
「嫡男の……なんっていったっけ? 一角の人物とやらは」
「ウルド・クィトラ。父親譲りの戦術眼を誇ります。手駒とすれば強力でしょう」
「そいつの頭を押さえつけて軍門に下らせればそれでいい」
「承知しました。格付けの方針は考えておきましょう」
にやりと笑ってベスコウ参謀は退出した。やれやれ。頭はいいが、情緒よりも効率を優先する男だ。
さて、クィトラ氏族の混乱はいくつかの副作用ももたらした。同氏族が抱えていた宝物、文化物が混乱に乗じて流出。トリバレイで古美術業を営む妻を持つ身としては、一つ残らず買い漁ることを選んだ。
貴金属細工や宝石など、明らかに価値のあるものはトリバレイに輸送済み。国庫におさめている。
だが、イマイチ価値のわからんもんは俺の手で鑑定している。全部国元に送るわけにはいかないからな。藤堂みなみに鍛えられた審美眼を活かすときだ。
「う、うーむ……」
わからん。
上品な茶器にも見えるし、ただの子供の粘土細工にも見える。宝石なら慣れているんだがなあ。
「でも古そうだし、いいもの……だな! いいね!」
「百年ほど前の品ですね。形は良くないですし、焼きムラも多いですから、どこか無名の工房の習作では?」
「マリーナさん! え、こういう品の鑑定できるんですか?」
俺は思わず近くに居た女性を見た。
マリーナ・トルステンソン。三十代半ばの妙齢の女性だ。
淡い桃色がかった銀髪。十以上年上とは思えない少女的で可愛らしい笑み。年相応の落ち着いた化粧は、マリーナ本来の美貌をよく引き立てている。
そして、ついつい引き寄せられる大きな大きな胸元。デカすぎて目線を引き剥がすので精一杯だ。せっかく剥がしたのに、同じくらいの存在感がある腰元に引き寄せられる。俺の視線は強力な電磁石に挟まれた鉄球よろしく震えた。
フォルクング王国出身の魅力的な女性だ。しかも教養も深い。
「ええ。実家に居たときは、いくつかこういう品を鑑賞したことがあるので」
「へえー。じゃあこっちのは? どこか奥ゆかしい気品がありますよね。いい水差しです?」
「んー……」
クィトラ派の大混乱で流出したのは美術品だけではない。
捕らえられていた女性も、ひとり残らず解き放った。全員丁寧に身を清め、十分な食事と休息をとってもらい、そして希望者はミッドランドなどへの移住を勧めた。
マリーナは他の幾人かと一緒に捕らえられ、引き摺られてクィトラ集落に連れられてきた。嬲られる寸前だったところを、俺が助け出した。……残念ながら伴侶は目の前で殺され、一人娘はどこかに生き別れてしまったとのこと。
何日もふさぎ込んで食事にもてをつけなかったが、なんとか介抱を続けて少しは笑顔をみせてくれるようになった。
そのマリーナが、俺が後生大事に抱える水差しを一瞥だけして告げる。
「悪くはありませんね」
「お!」
「普段使いには。欠けた花瓶です」
「おお……もう……」
水差しじゃないんかい。さんま弁護士か俺は。
それにしても意外な特技だな。鑑定は、定石はあれど百パーセントの解法はない。広い知識が必要とされるはずだ。
「マリーナさん、よければこれらの鑑定選別を手伝ってもらえませんか?」
「ふふ、いいですよ」
大人っぽい、母性的で包容感のある笑みを浮かべてマリーナは俺の隣に座った。一緒に鑑定作業をするのだから隣に座るのは当然だが、近い。
「んー、これは……東方から我が国にしばしば輸入されるの茶器ですね。西兀に略奪されていたのでしょうか」
「なるほど」
「ん、もうちょっと良く見せてください」
「は、い」
ぎゆむと肩も腰も触れるくらいに身を寄せられる。
近い。器をもった両手がマリーナの両手に包まれる。ふくよかな部分が俺の脇あたりに押し付けられた。
思わず全身が硬直し、マリーナのきれいな横顔に視線が釘付けにされる。そりゃ、貴女を西兀から助け出したのは俺だ。好意的になるのは当然のことだろう。
だが、助けたのを盾に取って身体的・精神的利益を得ては……それでは女性の尊厳を踏みにじった西兀となんら変わらんではないか。だから助け出した子たちがなんと言おうと、指一本触れずに荘園などの職場を紹介したのだ。
その信念は、隣に座って四秒で陥落しそうになった。
「これは良いですね」
「おお」
「南方のバルトリンデ風の意匠を受け継いでいます」
「へえ、あの野蛮人たちが」
「彼の地は確かに戦に明け暮れますが、国主を筆頭に文化人でもありますから。その流れをくんだとてもいい作品です。無作為で、気取っていなくて、それでいて手にとってみるとしっくりと収まるでしょう」
「ふーむ」
最後のはイマイチ同感できなかった。なにせマリーナの手が優しく俺の手の甲を包み込んで離さないから、緊張で手のひらの方の感覚が薄い。
「言語化するなら、機能美かな。ううん、それもデザインの狙いがあるようで気取っていますね。本当は無垢の白にしたかったんでしょうけれど、それでは気位が高すぎるので薄い土色にしたのもお見事」
「ほ、ほほぉ」
やっぱりマリーナは才覚や教養があるな。フォルクングの女性はこの大陸にしては珍しく、手厚い教育を受けられることが多い。
言語化は難しいといいながら、器の素晴らしさを次々に挙げていく。そう言われてみれば貴重なもんに見えてきた。
「これほどの品で無銘ですか。正式な鑑定に出して、大切に保管するのが良いでしょう」
「うん」
「お力になれました?」
「はい、完璧に」
「♥」
最後あたりは聞いていなかった。マリーナが甘えるように俺の胸板に頬ずりし、呼気を熱くしている。かわいい。守ってあげたい。
俺の興奮を目ざとく察したのか、マリーナはくいくいと挑発するように両膝を開閉する。ああ、信念とやらがあっさり崩れていくのが分かる。開いてから閉じそうになる瞬間。チャンスを逃すのが嫌すぎて思わず、両膝の間に入り込んだ。
無機物の鑑定は未熟だが、こっちの方なら俺でも出来る。
フォルクング生まれ。三十四年もの。思慮深く、娘思いの優れた人柄。色艶は非常によく、形も均整が取れていてかつ大きく素晴らしい。うむ。茶器なんぞよりもこっちの方が良いな。
――
教養も経験も、母性も豊かな女性はやはり良い。
長い間沙汰のなかったマリーナの隅々まで、しっかりと昔を思い出してもらった。
「っひ、ふ……っ♥あ♥」
「ふー、あー極楽でした。滞陣が長引いて溜まりに溜まっていましたから」
「ぜ、ぜんぶ吐き出してくれてうれしい♥葉介くん」
「ねえマリーナさん」
「ん?」
「ミッドランドに移住しましょう。一生お守りし、二度とマリーナさんが怖い思いはしないように全力を尽くします」
「……ん」
あれ。すべて通じ合ったと思っていたのに、マリーナは名残惜しい様子で即答を拒んだ。
「……嫌ですか? 俺では不足でしょうか」
「ごめんなさい。娘が……離れ離れになってどこかにいるはずなの。この大陸のどこかに。きっと不安でしょう。まだ十五になったばかりなのよ」
「あ」
そうか。マリーナは女性であると同時に母親でもあるのだ。
俺はこの女性がますます魅力的に見えた。俺のことは好いてくれても、マリーナは悲痛な表情で決意表明をした。
「どうしても、諦められないんです」
「分かりました。では、娘さんを見つけたら一緒に暮らしましょうね。ミッドランド国軍少将の俺が捜索にご協力します」
「あ、ありがとう……! 本当に、ありが――」
「あれ?」
「……?」
「マリーナさんの娘さんって十五歳?」
「はい」
「とっても顔似ています? 髪の色はもうちょっと濃い桃色で、ここにほくろあります?」
「は、はい。よく姉妹と間違えられたり……なんて、ふふ。ごめんなさい。それが若く見られてちょっと自慢なの。あの、なんでそれをご存知?」
俺はたまたま周囲の索敵に来ていた同僚、大鷲フーリエの視界を通して見つけた。
マリーナと瓜二つの可愛らしくも大きな瞳。母親譲りの健康そうな気や体は、逃亡生活で少々やつれていたが、十分に休養と食事を取ればきっと元通りになるだろう。
その少女が話している衛兵の肩に視界が着地する。
『はい。カタリーナ・トルステンソンと言います。ママ……じゃなかった。母のマリーナを探しているのですが――……』
口調はしっかりしている。母親に似て聡明な子だ。
この位置なら、半日もせずに再会できるだろう。だがそっちにいけば反対方向だ。
鷲に協力してもらって、正解の方向を教えてあげよう。
「使い魔が娘さんカタリーナを見つけました」
「え……!?」
「元気そうです。夕方にはお会いできますよ。こちらに道案内しておきますね」
「……!?♥ ?!よ、葉介くん、す、すき♥ だ、だいすきです!」
「はーい、ミッドランドで一緒に暮らしましょうね」
「はいっ♥ あ、わ、わかる! 私……十五年ぶりにっ、どうしましょう! こんな、一回ではしたな――あ! あ! ♥お“!♥」
多幸感で油断していたマリーナに、俺はたっぷりと愛情を注ぎ込んだ。
隙だらけだったマリーナは、奥の奥まで全部素通りで受け入れてくれた。