第二十八話:フォルクング王国
手枷を外したらひっぱたかれた。
足枷を外したら蹴り飛ばされ、猿ぐつわを外したら噛み殺されそうだったので抑えるのが大変だった。
「この、クズが! 西兀のクズども……! 傲慢で破廉恥なっ、獣混じり! 殺してくれる!」
「枷の痕が残ります。軟膏をぬりましょう」
「触れるな下郎! このっ、私の、私の国を……滅ぼしておいて!」
「失礼しますね」
「フー……っ、フー……っ! 殺す!」
亡国の姫、カレン・フォルクング第一王女の激高はテントに響いた。
跪いて足首にエルフ製の薬を塗る。随分抵抗したようで、せっかくのきれいな足首が赤くなっているではないか。
カレン王女は西方大陸にしては大変珍しく色白。北の外れの国と言っていたから、日差しが穏やかな地なのかな。銀髪と相まって全身が真っ白で新雪みたいだ。
すらりと長い脚につい目を奪われながら軟膏を塗っていると、背中に容赦ない肘打ちが降り注ぐ。
痛い。痛いって。ちょっ、ちょっと。
「痛ァい!」
「な、なんだこやつ……西兀の癖に弱い。弱いぞ。魔力無しで勝てる。こんな弱い男が居るのか」
「ぐひん、ひんひん……」
「……泣いておる……キモ」
王女ってもっとお淑やかなんじゃないの。
マヤ・ミシュラ王女という可愛らしい少女を懐かしんで俺は泣いた。まあ、あの子も最近はすっごい尻に敷いてきて辛いんだけどね。こういうのが成長すればロザリンデ・バルトリンデみたいな女傑になるのだ。
異世界に来て綺麗な女性とお話できる機会が出来たのは嬉しい。が、女性に対して恐怖感を抱きつつある。出会って五秒で襟吊りしたり、大外刈したり、肘打ち連打したり。これが麗しい女性の本性なのか。怖すぎ。
「カレン王女」
「なんだ」
「申し遅れました。私は東のミッドランド大陸からきた軍人。ミッドランド国少将・第七軍団所属、トリバレイ自治領主の三津谷葉介です」
「ミッドランド? ああ。アリシア・ミッドランドとは文通がある。出来人だ。あの大国の、少将?」
じろり、とカレンは眉を潜めた。
王族特有の強烈な眼光が突き刺さる。国の頂点に立つ者にとって必須の技能。人を見て量る目。なお、カレンの天秤はピクリとも動かなかった様子。
「信じぬ。馬鹿にするな。そんな小さな器では四十年かけて少尉がせいぜいであろう」
「うう……ひどい。本当のことでも言っていいことと悪いことが……」
「おい、なんとか谷」
「はいっ!」
「私を逃がせ。直々に命ずる。百度の人生に一度の幸運だ。感涙にむせぶがよい」
カレンは腕を組み、顎を上げて命じた。
命令に従うのが幸運、と本気でいっている。俺が愕然として固まっていると、なぜそうしないのか本気で首をかしげやがった。
「どうした? 矮小な上に愚鈍か? はようせい」
「……はぁ……お一人で逃げてどうするのです」
「フォルクングの地へ向かう。蛮族共から我が国を取り戻す」
「フォルクングは魔法に優れた国と聞きます。軍勢をかき集めても、例の魔力焦がしが到達してしまった以上困難では」
「ム……だ、だが、やらねばならん。軍と首都は壊滅したが、相当数の民草は逃散に成功した。国王亡き今、私は旗印になる責務がある」
王族ってのはこれだから。
これを芝居じゃなくて本心から言うのだから堪らない。庶民としては、誠心誠意お助け申し上げるとしよう。人差し指を立てて俺は提案した。
「一つ」
「ム」
「ご提案が」
「雑魚に構う時がない。端的に」
「ミッドランド軍をお使いください」
「なに」
「ミッドランド第七軍団およびミシュラ地方多国籍軍。率いるは名将ガストン・ルクセンフルト。総勢一万。これを貴国に入れれば、我らに恩があるクィトラ氏族は引き上げるしか無い。兵のあまりはそのまま国境警備につけるといいでしょう」
「……フン」
カレン王女は腕を組んで思案した。
先程の威厳を見せつけるためとは違う。考え込むために腕を組み、肘をはたいている。
「はっきり申し上げる。クィトラ派の兵に貴国の軍では百戦して百敗」
「……なぜ」
「それはもちろん、奴らの機動性と射程に起因する軍事的優位――」
「そうではない。なぜ、助ける」
今すぐにでも逃げ出そうとしていたカレン・フォルクングは考えを改め、ぎしりと椅子に腰掛けた。話を聞いてくれるか。ようやく蟻ではなく猿もしくは人間と認識してくれたらしい。
なんでもいいけど、偉そうに座っているその椅子俺のなんだけど。と指摘したら「質が悪い椅子だ」と評価を賜った。
ため息を吐いて、立てていた指を二本に変える。
「二つ」
「ほう」
「理由があります」
「許す。述べよ、雑魚谷」
「貴国フォルクング王国は北方の港を持つ」
「ああ」
「我々はミッドランド・ミシュラ間の交易に力を入れている。とは言え、軍需品に限ればいちいちミシュラ地方を通さず貴国で積み下ろししたほうが早い。この大陸は東西に長いので」
「なるほど。補給基地として使う」
「然り。前線が伸び切っている」
カリカリと地べたに木の切れ端で地図を書いて説明した。
補給ルートに冗長性をもたせることができれば、我々は飢えずに済むし無駄死にせずに済む。兵の交代も容易。フォルクング国軍は壊滅状態にあるとは言え、残党を組み込めばこちらの連合軍の勢力は更に増す。
さらにさらに、フォルクングと黒羽四郎が外交担当しているノースリッジ諸島は近い。地球儀(――正確にはこの世界の星の儀)を見れば明らかな通り、北方同士は意外と距離が近いのだ。両者の連携も効く。
「貴国復興のために、軍需の流通は大きな助けになります。我々は共助の関係にある」
「条件がある」
「はっ」
「強力な駐屯軍の存在は、ときに横暴を許すことになる」
「ご安心を。ガストン・ルクセンフルトは恰好を付けたがる騎士の男。貴国の民に狼藉を働けば、その部下を苛烈に処断するでしょう」
「……よろしい。で」
「はい」
「もう一つの理由は」
俺は指を一本折り曲げながら周囲にくまなく目を配る。
そして、テントの幕にユナダ・サンスイ以外誰の影も映っていないことを確認した。
「ユナダ」
「安心せえ。誰もおらん」
「ありがとう。……姫様。私は、西兀が女子供を売り買いするのが我慢ならないのです。西兀、根絶やしにすべし……!」
「……ふむ」
しまった。一国の主へ礼儀を欠いたか。
最後の最後に、遊説に熱が入ってしまった。一呼吸おき、握りしめた拳をもみほぐしながら問う。
「いかがです」
「ふむ、ふむ。……まぁ、少尉は過小であった。雑魚谷よ、フォルクング国の少佐にでもならぬか? 働きによっては給金を弾んでもやぶさかではない」
「それはまた後ほどご相談を」
雑魚谷のくせに年俸を交渉する気か、と苛立たしげにカレン王女はふんぞり返って黙り込んだ。王族語で今のは、「合意する。助けてください」の意味だと異世界遍歴も長くなってきた俺にはなんとか分かった。
――
フォルクング国に馬を走らせながら、ルクセンフルトに指示を出す。
「ルクセンフルト! ここから真西に。フォルクング国の潜伏場所の候補だ。一部隊向かわせてくれ」
「はっ!」
「おい、雑魚谷。なぜ我が軍残党の潜伏場所が分かる」
「当てずっぽうですよ」
俺の馬の後ろに乗っていたが、「庶民はこうも馬が下手か」と手綱を乗っ取ったカレン・フォルクング第一王女。言うだけあって乗馬が上手いじゃないか。
カレンの腰にしがみつき、振り落とされないので精一杯になりながら俺は答える。
「首都に入れるルクセンフルトの部隊は少数でいい。『恩あるミッドランド軍が来た』ならば、クィトラ氏族どもは引き上げます。下手な鉄砲を数打つ余裕があります」
「てつぽー?」
「石弓のことです」
放浪しがちな奴らのことだ。もしかしたら首都からは引き上げているかも。
肝心なのは、各地に散らばる残存兵や民をクィトラに見つかる前に保護することだ。しっかり保護できれば、フォルクング王国は立て直せる。だから急ぎ、細切れに部隊を送り出している。
「だが! 当て推量にしては、先程から発見の報告が相次ぐ。なぜ。どうやった」
「簡単な読みです。例えばあの西の部分は草の背が高く外から見えにくいですが、”窪地”になっている。伏せるには絶好の場所です。しかも少し歩けば水手を得られ、さらにあちらの小高い丘には物見を付けられる。衛生と安全がある」
「我が国の地図をもう読み切ったのか」
「無論。王女に頂きましたから」
「………………ふん。……三津谷、どうしてもと言うならばフォルクングの少将にしてやってもいい。軍の立て直しはすぐにやる。いつから来る?」
「えーっと」
「愚鈍な。いつから来るか。はよう答えんか」
「あの、何度も申し上ている通りすでにミッドランド軍人なので――わぎゃ! ひえええええええー……ユナダ助けえあああああー……!」
カレンに足首を捕まれ逆さ吊りにされた。
地面が近い近い近い! 我が愛馬も何故止まらん! もうカレンに主人を鞍替えしたのか。はやい!
「フォルクングにも忠誠を誓わせていただきます」
と泣きながら宣言するまで、カレンの宙吊りは首都につこうが何部隊残党を見つけようが続いた。