第二十五話:砂嵐
カーン国の長壁に引き上げて数日、俺は全軍の訓練と整備だけで過ごした。
ミッドランド常備軍千人は、少しずつこの地の気候に慣れ始めている。西兀特有の騎馬戦術へも対応を始めた。
……と言っても、決定的な良い作戦はないんだけど……。弓騎馬部隊はこの地で最強だわ。有利な場所を馬脚で占め、遠距離から一方的に矢を射掛ける。こんなの強すぎて困る。戦の本道は速く走って、遠距離で、囲う。全部できるじゃないか。
魔法なしの前提だと本当に強い。だから潰し合わせるのに限る。
「ルクセンフルト少尉、タルボット准尉。調練の様子はどう?」
「常備軍千、およびミシュラ地方連合軍七千は全く問題ありません!」
「ありがとう、准尉」
「追加でかき集めた傭兵二千の方は……まあ、いないよりマシといったところかな」
「了解」
「これからどうするつもりか。街道の敷設は進めるのかね?」
「そうもいかないでしょ。こんな砂嵐では」
長壁の一角。執務室と使っている部屋の窓から、俺達は西側を覗き込んだ。
全軍引き上げた直後、長壁西側の砂漠地帯では強烈な砂嵐が吹き荒れている。
遠目で見ると灰とクリーム色の蒸気。雲が地べたを這いずり回っているみたいで、正直慣れない景色だ。
ただの砂と侮るべからず。あの中に入れば皮膚に無数の砂が食い込み、目なんて開けようものなら失明する。吸い込めば肺が壊れ、駐屯・行軍どころか立っていることすら不可能。これでは軍勢を動かすことは出来ない。滞在して力仕事をする街道敷設などもっても他だ。
「どこまで読んでいる」
「ん?」
「この間合は貴殿の得意とするところ。長距離の戦略だ」
「いえーい」
最近俺の評価が高くて嬉しい。道路作っているときはもう、そのへんの一兵士にパシられるレベルだったからさ。
「いいから言え。私では、ここで軍を引き上げる利点が全く分からん。なぜせっかく進めていた占領を捨てる。それともいつも通りアホなのか?」
「より多くの占領のためさ」
「ほう! ……妙手があるのか」
俺の執務机に置かれた地図を、ルクセンフルトとタルボットは唸って見る。青い駒。少しずつ進めていたミッドランド軍を、スタート地点の長壁まで引き上げ。
セントロは重装騎兵が得意。ミッドランドも騎馬突撃をよく使う。そんな土地柄出身軍人の彼らには、奇妙に見える動きだ。
「ヤァマタが近々攻めてくる」
「予言のように言う」
「間違いない。離間計は時間が立てば効果は薄れる。話し合いの結果、我らとクィトラ派が再集結することを――」
ヤァマタは良しとしないだろう。速攻で来る。
ミッドランドが彼らの思惑通り、正確には彼らの思惑に俺が乗って、すごすご引き上げたのも速攻を助長させる。
「ヤァマタは強烈に拳を振り下ろす。だがミッドランドはいない。喧嘩別れして帰ったばかり……に見える」
「ふむ」
「ヤァマタ帝国の矢はクィトラ派にのみ降り注ぐ」
「……! そうか、虎を共食いさせる」
「その通り。しかもクィトラ派は強力な勢力とは言え、”あくまで上から二番目”。敗色濃厚になる。そんな彼らの脳裏によぎるだろう」
『ミッドランドが味方にいれば』
「俺たちを追い返したことを心底後悔する。先日のわだかまり・異大陸の新参者へのプライド、すべて投げ捨てて助力を乞うだろう」
「そこを高値で売りつける」
「その通り」
「だが、待たせすぎるとそれはそれで反感を買う。乞われて向かってはただの戦力逐次投入ではないか?」
「まさか。しばらくは食い合わせる。なにせ、こんなに――……砂嵐が吹き荒れては」
「!」
そう言って地図の上にインクを撒き散らす。
俺たちが下がる前は退却を阻む障害。しかし先手をとって引き上げれば、引きこもる絶好の理由。俺たちが軍勢を動かすのは早くても一週間かかる。漁夫の利を取るに完璧な言い訳だ。
「現地人の西兀ですら行軍できまい。ましてや、異大陸のミッドランド軍では」
「貴公、砂嵐のことまで考慮に入れて」
「軍勢は動かせないが、使者はすぐに来るだろう。這ってでもくる」
「何日待たせる」
「ユナダの『染み猫』部隊が戦況をつぶさに伝えてくれる。クィトラが潰れる直前。絶好のタイミングを使うさ」
「だが……だが、砂嵐が収まらなければ?」
「そこは考えてあるよ。ま、あと一週間ほどは訓練の日々だな」
「……了解した。クッ、この予言者め」
「ん?」
「窓の外を。どうやらクィトラ派からの救援の使者だ」
「ふ。タルボット准尉」
「はっ!」
がちんと新任准尉は敬礼をした。
立場と火急の状況は人間を成長させる。異国の地で乱れ放題だった赤銅の長髪は切りそろえられ、軍服にもシワは見られない。眼光は鋭い。
すでに尉官が板について来たタルボットは、こちらの命令を神妙に待った。
「聞いてのとおりだ。使者に応対せよ。ただし」
「はっ」
「時間稼ぎをしている風には決して見せてはいけない。時間稼ぎは状況がしてくれる。あくまで早急の対応を心がけよ」
「了解しました、閣下」
「三津谷もすぐに行くと伝えてくれ」
「ははっ!」
つかの間の休息。もう一週間程度はじっくりと鍛え、英気を養って過ごせる。
が、激戦の日はすぐに訪れるだろう。ルクセンフルトと目を合わせて認識を共有した。
――
クィトラ氏族からの使者が、平伏して感謝の意を示した。
最初訪ねてきたときは、上司が部下に命ずるかのごとく救援を要請した彼ら。しかし砂嵐の威力がますます強まり、行軍不可を察したことで態度を変えざるを得なかった。
矢継ぎ早にくる要請の更新。砂嵐の規模の確認。砂嵐を抜ける技術の提供。次々に悪くなる戦況。それを使者団は受け止め続けることしか出来ない。
彼らの味方がヤァマタ帝国にすり潰され、損耗が軍を維持できるギリギリのところまで達したところで――
「おや。嵐が止みそうだな」
「……! おお! おお! トリバレイ殿!」
「クィトラ使者殿。不案内な地にて、どうかご教授を。あの薄さならば砂嵐も抜けられるのでは」
「間違いありません! 我らの本営との定時連絡が、ここ数回確実に届いている! 行軍可能と判断いたします!」
「よろしい」
遅参を詫び、そしてミッドランド国軍少将として宣言した。
「盟友フルル・クィトラをお助け申し上げる! ミッドランド全軍、西へ! 壁を越え、我に続け!」
力を蓄えきった味方が放たれた。
中核を常備軍が固め、両翼はミシュラ地方連合軍で補う。さらに外郭は傭兵で予備戦力とした。ヴァルマー国製の武具も、ミッドランド製の大砲も間に合った。
特に先鋒にはユナダが選抜した傭兵精鋭が百。金に目がくらみ、命を惜しむ傭兵だが、ユナダの剣気には不思議と従う。荒くれ者同士で重視する価値観があるのかもしれない。
その充実した軍勢一万で砂嵐を抜けた。
「三津谷、損耗はまったくない」
「おお、ルクセン。いやあ神風だね。ナイス砂嵐。我らの収まって欲しいタイミングで収まった」
「馬鹿を言うな。どういう風にやったのかは全く見当がつかん。が、貴様がやったのだろう」
「さぁ。どうだろうね」
「ク、転移人。時折わけの分からんことをやる」
談笑する俺達のところへ一瞬だけ影が落ちる。見上げると巨竜が飛び立っていくのが見えた。
火葬竜・上総介。
人間のちっぽけな地政学をごちゃごちゃにかき乱す災厄の巨竜にして我が相棒。
彼がここ数週間、砂漠地帯の風上にいたのは偶然ではない。「上総介の好みそうなフルーツがあのへんのオアシスにあるよ」と友達として教えたのだ。本当に本心として、友情のために善意で教えただけ。
ただ、うーん、クィトラ派の方々には申し訳ないことに……常時熱風を放つ上総介が地上に居ると、結果強風が起きる。強風は砂を巻き上げ、強烈な砂嵐と化してここら一帯を通行不能にした。次から気をつけます。
砂漠地帯を抜け、乾燥、そして高原地帯へと軍を進める。そこにはクィトラ氏族が誇る強固な城塞があった。
「おや、まだ落ちておらんようだ」
「ギリギリ間に合ったねぇ」
「フ、フフ。間に合ってよかったな」
「ああ、本当に間に合ってよかった。では始めるか、ルクセンフルト」
「応とも。全軍、攻撃開始! 敵の攻城部隊を叩き潰せ!」
ルクセンフルトの号令に全軍が呼応する。
ヤァマタ帝国の軍勢の脇腹に、ミッドランド勢が食らいついた。