第四十五話:五里霧中
ガストン・ルクセンフルトの加入はこちらの陣営の武力を向上させた。
古くから続く騎士の家系。そう聞くと、庶民の出としては既得権益にあぐらをかいた嫌な感じがするが、そうではない。
古くから民草の上に立つということは、それ相応の努力を求められる。人々の尊敬を集め、「この家なら偉そうにしていても、まあ認めてやる」と思わせるくらいの威厳を保つ必要がある。
世襲制、上流階級というのはそういうものだ。最低限、武芸は雑兵を蹴散らせるくらいには持っていないといけない。毎日の鍛錬は欠かさなかっただろう。
「頼りにしているよ、ルクセンフルト」
「おまかせを。……私も、魔族とやらが指揮系統に侵入・汚染しているという話には少し思うところがある。人類のためと言うなら、協力しよう」
「サンキュー」
偉そうにひげを引っ張っているが、実はこいつ息子を溺愛しているだけなんだけどね。まあ、頼れる戦場指揮官や騎馬隊は多いほうがいい。ルクセンフルトのおかげで率いる兵に厚みが増した。
そして、ルクセンフルトの加入にはもう一つ良いことがあった。セントロ内部の情報をようやく細かく知ることが出来たのだ。今までは地図上の塗り分けに過ぎなかった土地について、誰が誰に属しているとか、誰と誰が軍事的に緊密だとか、知り得なかった情報を把握できた。
特に重要なのは貴族階級と騎士階級の温度差。
貴族たちは不明のファクターで結束している。しかし、騎士たちはそれに戸惑いを覚えつつ、取り敢えずは長年仕えてきた者に従っているという状態。両階層には明らかに温度差がある。本音を言えば劣勢なセントロよりもトリバレイに寝返ってくれる騎士がいてもおかしくはない。
ベストなのは貴族たちの結束要因を明らかにすることだけれど、難しそうなので次善の策だ。騎士と貴族を切り離す。といっても言って簡単だがやると大変なわけで……。
敵の砦を見上げて俺はつぶやく。
「あれ、これやばくね。思ったより敵多くね? 少尉どう思う?」
比較的小規模な砦。こちらのクローバー砦やルクセンフルト砦からそこそこの近さ。
手っ取り早く切り取るには楽な要害が、濃霧の中で好戦的なかがり火を焚いている。降伏の様子はなし。
「……濃霧で索敵がうまくいきませんね……。かがり火の数から推察するに、砦にこもっているのは七百程度だと思います」
「精々二百って話じゃなかったっけ」
「数が合わない。妙ですね」
「三津谷ぃ、なんか後ろから嫌な気配がしちょるぞぉ」
「ユナダ、そのまま警戒。退路を確保しておけ」
「雑な指示をしよって。しゃーないのう、ウチの大将は」
渋々、といった表情を浮かべているユナダ。だが、何かを全任されるのが結構好きなのか、頼んだことはよくこなしてくれる。
俺は手勢を率い、ルクセンフルトからみて隣の領地へと攻め入っていた。一緒に来ているのはトーマス・ストーン少尉とユナダ・サンスイ准尉、合流したガストン・ルクセンフルト。黒羽四郎も普段は築城作業や守備が得意だが、後方の兵站部隊として参加している。
それにしても視界が怪しい。
「くっ、本当だ。どんどん霧が出てきたな……」
「危険です。一旦間合いをとりましょう」
「うむむ、せっかくここまで攻め寄せて……でも、ちょっとした戦果にこだわるほうが良くないよね」
「はい。後退を具申いたします。少し離れても砦包囲の維持は可能です」
「よし」
この戦、序盤は良かった。アクスラインの用兵を真似て、素早く砦を包囲して優位を築く。ここまでは我ながら上手くいった。速攻というのは、不慣れな指揮官(つまり俺)が抱える幾つかの拙さを隠すいい方針だ。
狙っている砦はセントロ国のとある騎士階級の者が詰めている。力攻めをしても損害が大きいので、策を講じた。貴族と騎士を分断する策。掻き立てるのは貴族たちへの不信感だ。
砦を多数の兵に包囲され、不安な騎士を宥めるために必ず救援が繰り出される。その救援を待ち構えて叩く。追い払う。敗走する姿を砦に籠もる奴らに見せつけるのだ。方針としては上等だと思う。
『貴族たちは騎士を助けない』
と、セントロ全体に喧伝できれば最高だ。今までは慣例的な忠誠心で固まっていたセントロを細切れに出来る。
だが天候が味方しないのなら仕方ない。一旦後退をしようとしたところで、四郎が慌てて駆けつけてきた。
「お、どうしたの四郎」
「葉兄! 斥候が敵部隊を捕捉した」
「!」
「藍色の旗印に白の騎兵。部隊の数はおよそ百人。この位置だ」
「やはり真後ろか。ストーン少尉どう思う? 少ないよね」
「合点がいきました。砦内の敵数が思ったより多かったのは、予め隣の貴族家から増援があった。最後に振り絞ったのがこの百人でしょう」
「ふむ」
敵は砦に七百。後方に百。
味方は二千も居る。優勢だ。
「これ正面からやっても勝てるんじゃない?」
「ってか葉兄。もっと楽に勝てるぜ」
「ほほう。そのこころは」
「こっちの数を活かして敵百人の退路を断とう。砦に入れてしまってもいい。あとは包囲すれば、向こうの兵站が持たねえよ。だって本来二百しか入らない砦だぜ」
「!……四郎いいこと言った」
最近明らかになった四郎の長所。こいつは俺と同じで地図をよく読めるが、俺よりももっと近・中距離でとっさの判断をするのに長ける。
例えば、今寄せてきている敵の貴族部隊の本拠地との連絡も、四郎ならば読み切れるだろう。兵糧を運び込むルートを分断すれば飢えと乾きで殺せる。
「四郎の作戦でいきますかね。ここで味方の千で敵の百を迎撃しつつ、半分は敵の退路を断つ。四郎は分断部隊の指揮」
「よしきた! へっ。セントロの奴ら、劣勢かどうかも構わず突っ込んでくるなんてな」
「……! いや待て。四郎」
「な、なんだよ」
「俺はそういう軍略のことは分かんないんだけどさ、この敵兵百が向かってくるのってそんな変なの?」
俺の質問にストーン少尉と四郎が顔を見合わせる。ルクセンフルトに至っては、「つく陣営を間違えた」と呆れ顔に書いてある。
しまったな。一番軍略センスがなく、俺の至らなさを誤魔化せるユナダが不在だ。アホだとバレる。
「そ、そりゃあ葉兄。百で二千に突っ込んでくるんだぜ」
「万全の迎撃をすれば、何回やってもこちらが勝ちましょう」
「敵の旗印。なんだったかな」
「藍色に白一文字。例のあいつらさ。クローバー砦周辺を散々荒らし回ってくれていた奴ら」
「確か指揮官は……ラインハートとかいう者です。セントロの慣習で貴族階級ですね」
「あいつら滅茶苦茶で強いから。ここで息の根を止めたほうがいいぜ」
「……つまり手練。そんな奴らが、勝算もなしに不合理な動きするだろうか」
「そ、そりゃあ。たしかに変だけどよ」
俺の考えていることは指揮官としては二流未満だ。ラインハートとかいう敵指揮官を信用し、敵の遠謀は自分たちよりも上だと考えているのだから。
俺だから。軍略に自信のない俺だから思いつく方針である。
「全軍撤退準備。速やかに」
「マジかよ。退路断っだけでだいたい勝つんだぜ?」
「お、お待ち下さい。よろしいのですか。百相手に二千が逃げ帰ったとなると、敵の士気は上がりこちらは下がります。士気は目に見えませんが、戦場では相当効いてくる要素ですよ」
「うん。ストーン少尉の言うことはいちいち尤も。だから少し時間を貰います」
三人の指揮官に退却準備を命じ、俺は砦と反対方向。つまり後方の最前線のユナダを見つけて問うた。問う前から自分の方針が正解だということは分かった。
微かに盛り上がった丘のこちら側で、開戦の体勢をユナダは整えている。その彼の横顔は厳しい。ユナダ流の天才剣士が強敵の気配を感じている。
「ユナダ」
「おう」
「目の前の敵兵百人。蹴散らせと言ったら勝てるか」
「かなり手強い。精兵だ。やれと言うならやるが、壮絶になる。覚悟せぇ三津谷」
「君の目を信じよう。敵が破れかぶれだと思うか。それとも自信アリだと見るか」
「ん? 変なことを聞きよる。……んー……敗北を覚悟しての戦闘態勢ではない、な。心身がいい頃合いで落ち着いている。まァ、任せておけ。首取ってきてやる」
「よろしい。それはまた今度に」
決心した。勘の鋭いユナダが言うにはそうなのだろう。
敵に勝算あり。
すなわち、俺達の知らない策略がめぐらされている。撤退だ。遠巻きに矢を交えることすらせず、撤退。奴らの追撃の手が及ぶよりも速く。
「退却! トリバレイ勢は速やかにクローバーへ帰還せよ!」
ストーンと四郎が困惑している。ルクセンフルトは呆れ、ユナダはそれもまたよしという様子。
そんな四人を急かせて撤退準備完了。縦隊で速やかに敵砦から離れる。こちらの最後尾が離れるその瞬間。
砦に向かって右、全く警戒していなかった方向の森。そこに、微かに揺れ動く敵の伏兵の影を見たのは恐らく見間違いではないだろう。




