第四十話:バルトリンデの王
ロザリンデの出で立ちは漆黒一色の鎧であった。
悪魔のもののような双角の兜。自分の上司、白鳥王ともあだ名されるミッドランド女王アリシアとは正反対。アリシアの神聖なる気配は、天の使いか天上の主そのものにも思える。
それと対照的な黒色の気配。
ロザリンデの篭手や靴、そして全身に黒鉄が鈍く光る。腰元にはそれだけが色彩を帯びる濃紫の剣を携えている。先刻、魔王軍の艦隊を一撃で薙ぎ払ったのがあれだ。
これが強国バルトリンデ国を率いる長。ロザリンデ・バルトリンデか。
港でバルトリンデの旗艦からゆっくりと降り立つ際は、辺りに重厚な金属音を響かせていた。あのユナダが、好敵手を見つけると浮かれ喜ぶユナダ・サンスイが、苦々しい面持ちで睨むことしか出来ない。
「三津谷、葉介か」
「……!」
兜越しに籠もる声は、つい片膝をついて礼を尽くすほどに威厳に満ちていた。
凄まじい覇気。この存在に目線を向けられるだけで、様々な悪巧みや野望が吹き飛ぶのが自分でもわかった。格が違いすぎる。名前を確認されたのに、数拍は固まって呆けることしかできなかった。
「は……はっ、ミッドランド国少将、三津谷葉介。お目通りがかない恐悦至極にございます」
「ロザリンデ・バルトリンデだ。貴殿のことは良く婆様から聞いている。面白い男だそうだな」
「あ、あ、あり、が、とうごじゃます」
畏れ多くも近すぎではないだろうか。もう少し距離を取った方が失礼に当たらないと思う。頭の位置を下げたまま、膝だけで数十センチ後ろに引くのに苦労する。
かつての敵の総大将相手にそんな風に心配するほど、ロザリンデの気配は圧倒的なものがあった。
外交的な礼儀上当然のことである土産も、直接お渡しするのは憚られた。傍に控えるロザリンデの副官に目で合図し、こちらの贈り物を間接的に渡す。そんな外交相手の態度に慣れているのか、副官は如才なく俺の土産を主のものまで持っていく。
「ん? これは?」
「我がトリバレイの領内に広がるウォルケノ山脈、ここの西部で取れた砥石でございます」
「ほう。……ふむ。魔法の砥石か」
「火葬竜の炎・鉄とミシャクジの水の属性が噛み合った品。バルトリンデ産の名刀にならば、一研ぎで多大な魔力を刃に帯びさせるでしょう。どうかお納めを」
「いい品だ。感謝する。どれ」
幸い、ロザリンデは俺の贈り物を喜んでくれた。女性なので最初は香水を贈ろうかとも思ったが、ゲアリンデ含めた人々から伝え聞いていた人物像が武骨過ぎる。
いっそ華やかさの欠片もない武具用の砥石を選んだが、正解だったようだ。ロザリンデは副官に命じ、返礼の品を渡してくれた。
「バルトリンデ南部は刀鍛冶が盛んでな。ミッドランドのものとは少々趣が違うが……、一振り贈ろう」
震える両手で恭しく刀を受け取る。業物だ、とひと目見て分かった。震えの理由が緊張から感激に変わる。
こんな素晴らしいお方に素晴らしい品を下賜されるとは。もはや俺の人生は全てこの御方に――あ、危ない! 危ない危ない。俺の所有者は綾子様、シグネ様、アリシア様。いくらロザリンデとの間に桁違いの格差があろうとも、そこを間違えるわけにはいかない。
そんな俺の心底を、大いに大いに揺るがせるのにロザリンデの素顔は十分であった。
畏怖と威圧感しか覚えない兜をとり、ロザリンデはその美貌をあらわにする。美しい。非の打ち所がない、完成された美だ。黒の鎧に映える、青白いほどに白い肌。真っ白な髪。
髪は編み込んで後ろでまとめているが、兜を取るときに少しだけ乱れたのもまた絵になる。現場で下々を率いる大器を暗示している。大きく見開かれた琥珀色の瞳。高い鼻はこれ以上無いほどの威厳をさらに底上げしているけれど、細い顎は少女のような可愛らしさも印象づける。
若い。かなり若い。
(二十歳、いや、もっと……もしかしたら俺よりも年下……?)
莫大な魔力に包まれていて気づきにくかったけれど、背丈はあまり高くない。こんな小柄な体のどこに、大海原を薙ぎ払う魔力が詰まっているのだろうか。鎧の隙間から見える腕や脚も華奢だ。信じられん。
本当に天に愛されたイレギュラー、理外の存在なのだ。美貌に見とれていると、ロザリンデは返礼の刀について話を続ける。
「我が王家に由来の品だ。貴殿は既になかなかの業物を持っているようだが――」
ロザリンデが言及したのは俺の背中の二本。うち一本は姫野佑香に貰った逸品の長剣。もう一本は吸血鬼ミモザを討ったときの悪魔ころし。
「気に入ってくれたら嬉しい」
「ありがとうございます!」
「うむ。ところで三津谷よ」
「はっ!」
「バルトリンデでは武器を贈ることに二つの意味がある」
「え……?」
「敵に贈るなら挑発。そして、味方に贈るならば主従の契りの象徴。私は後者の意味を込めたつもりだ」
「……!」
「貴殿が我がバルトリンデに加わり、私の片腕となって働くというのなら、良い席の用意がある」
「そ、それは」
この人の祖母ならば策略の匂いを嗅いだだろう。しかし、ロザリンデの眼差しには裏表が全く無い。本当に俺を迎え入れようとしているのだ。恐れ多いことに。
血生臭さを感じるほどに荒々しい鎧と対照的に、ロザリンデの口元には比類なき大器を感じさせる優しさがあった。
「大変畏れ多いことです」
「ん」
「もし半年早く陛下にお会いできていたら、身命をとしてお仕え申し上げたでしょう。しかし既に主人を持つ身です。光栄なお言葉ですが……」
「そうか」
「必ずや来世では陛下のお膝元に馳せ参じます」
「では力づくで従えよう」
「んっ……? ……んえ!?」
あれっ、今いい感じにお断りの言葉を言ったつもりだったんですけど。
爽やかな別れの決め顔を作っていた俺だったが、意表を突かれて変な声を出してしまった。というか、先程まで優しげだったロザリンデの表情が、冷酷無比な国主のそれに変わっている。
あれ!? なんか思っていた第一印象と違うんですけど。
「欲しいものは力づくで奪い取る。バルトリンデの作法である」
「ええぇ……」
優しくて民に慕われる女王様だと思っていたのに。俺は痛恨の思い違いを、そして頭の回らなさを自戒せずには居られなかった。
バルトリンデって国はこうだった!
粗野で野蛮で、自分の思い通りにするためにはまず武力。そうでした、そうでした。下っ端からナンバーツーの『黄色艦隊』提督までがそういう属性なのに、トップの女王ロザリンデが違うと考えるのは甚だ理屈に合わないではないか。
すらり、とロザリンデは紫黒の剣を抜き放った。
「ちょ、ちょ、ちょっとお待ち下さい!」
「聞かぬなら、殺してしまえ、転移人」
「殺すの?!」
登用するって話はどこいった。
爆発的な魔力の乱流が立ち上がる。ロザリンデが抜いた剣を中心に、一つの巨塔が突然出現したかのように。濃い、粘り気とエネルギーが籠もった紫の怒涛。
地獄の奥底にある深淵とはきっとこんな色をしているのだろう。命が不吉さを感じる前に吹き飛ぶほどの死地である。
ボディーガードのユナダ・サンスイ准尉が、決意と忠義を込めて腰の刀を抜き放った。
見事。よく実家の道場で鍛えられたのだろう。これほどの絶望に逃げ出さず、立ち向かうとは。でも死んじゃうからNG。
「ユナダ、下がっていろ!」
「下がるのはお前じゃ、三津谷! こっ、こんなところで死なせては――」
ストーン少尉に合わせる顔が、とか聞こえたがその叫び声もかき消えた。
「大丈夫だ、俺がやる! 下がれ!」
「ほう」
紫が濃くなった。
魔力の主の、微かな苛立ちと不快感を反映するように。
「面白いことを言う。三津谷よ、貴殿がこの状況で何を『やる』というのか……見せてもらおう」
「くっ……!」
『対象:ワイルドハントの王 ロザリンデ・バルトリンデ』
『強者上位:0.0001% 高貴上位:0.001% 権力上位:0.0001% 対象判定:OK』
『革命スキルを発動可能 ……てかげん掌底』
ぱきょん
と掌底がロザリンデの顎に直撃した。
「んっ?! んひっ!? な、な……っ」
「はぁ……またやっちゃった。あー……仕掛けてきたのは陛下なんですからね」
「ま、魔力が! 王家の絶対防御魔力がほつれる!? これは、まっ、魔縛りの光!?」
テイムの魔力がロザリンデの全身を駆け巡る。魔力と魔力のぶつかり合いで、支えを失ったロザリンデは仰向けにすっ転んだ。
桁違いにぶっ飛んだ出力でテイムの浸透に抵抗しているが、全身浸りきるまでに三秒もかからなかった。
「ひっ、ま、待て! おい、下郎がそこに軽々しく魔力を注ぐな――かひ!」
「はぁ……どないしよ」
びくびく、と震える同盟国の女王の側で、俺は今後のことを考えて頭を重くした。