第一話:革命スキル
夢であってくれ、異世界転移だなんて。
生来の楽天家の俺――三津谷葉介でも、この状況には焦っていた。とにかく渾身の力で棒切れを振り下ろす。
「てい、とぅあ! ちぇすとー↑!」
「ぴぎっ、ぴぎっ……ぴぎ?」
「くっ……なかなかやるな、君」
草原。膝くらいの高さで跳ねる軟体動物、スライム。最弱の魔物だ。
だというのに、こちらの全力の一撃が効かない。スライムは不思議そうに弾んで笑っている。
木の棒を構え直したところで、スライムのバウンドが変わる。ぷよぷよと左右に跳ねながらこちらに突進、俺のみぞおちに体当たりを叩き込んだ。
「うぼぁ!」
「ぴぎぎぎぎぎ……」
スライムは身を捩りながら威圧音を放っている。怖い。膝までしか高さが無い魔物でも、突進されると普通に痛い。
「ぐ、ひ、引き分けか……勝負は明日まで預ける!」
軟体動物に負け惜しみを吐きながら逃走開始。棒切れを投げ出し、俺は木の陰へと転がり込む。
幹から半身だけ出して様子を見ると、そもそも俺を大した外敵だとは思っていないスライムが、呑気そうに弾んで向こうへと行ってしまった。無念。それとも助かったのか。
「はぁ……討伐失敗か。報酬無しで今日の晩飯どうするかな……」
俺はこの異世界の根無し草。土地も財産も無ければ、元高校生なので大した技術もない。
だから飯代を稼ぐにもこうやって、町民の依頼をこなして体を張らなければいけないのだが……見ての通りスライムすら倒せない。
我ながら、前途が暗すぎる。
――
一カ月前、俺や同じ学園の奴らはこの世界に転移して来た。
『いやぁ、ごめんごめん。手違いで学園に隕石落っことしちゃってさあ~』
と悪びれずにへらへら笑うのは、転移の女神様。彼女は後光を放ちながら、俺達に職業とスキルを与えてくれた。
剣士や魔法使い、狩人。まるでゲームの主人公のような優遇、強くてニューゲーム感に、俺は心底嬉しかったものだ。元の世界では勉強も運動もぱっとしなかった俺が、別の世界で一発逆転のチャンスを貰えたのだから。元の世界で充実していた他の奴らよりも、喜びはずっとずっと大きかっただろう。
だから落胆も大きかった。
スライムから逃げ出した帰路、女神に渡された羊皮紙を読み返す。
「職業:奴隷。あなたは持たざる者である。魔力も剣技も装備も、何も持たない」
ため息が出る。
他の奴らが転移特典を使ってこの世界を切り拓いていく中、俺は最初の町でスライム一匹すら倒せずに行き詰っていた。
どうやら転移特典は、元の世界での人物像が色濃く反映されるらしい。剣道部で全国大会に出るような奴は剣士、テストでいつも点数が良かった奴は頭脳派の魔法使い。といった風に、それぞれ得意なことがそのまま特典になる。
特技など一つもない空っぽ人間の俺に、特典は与えられなかった。異世界転移は、一発逆転のチャンスでも何でもなかった。世知辛い。世が変わっても。
「どうしたもんかなあ……クラスメイトに金を借りられるといいんだが」
我ながら悪い癖だ。変な所で達観しているというか、自分が無価値なのが分かっているので客観的に結論を出しやすい。
俺友達も居ないんだよなあ。
無いことだらけで流石に泣きたくなってきた。
そんな帰路、街の外れの小高い丘にて声を掛けられた。軽やかで、耳元が自然と温かくなる声。その美声の主が天使なのか悪魔なのか、この時はまだよく分からなかった。
「三津谷くん」
「はいっ……ん? あ……城ヶ辻、さん? どうしたの、こんなところで」
「……少し、三津谷くんにお願いがあって来たの」
緊張。俺はつい姿勢を正した。お願い事がある、と言って来たのが同じクラスの城ヶ辻綾子だったからだ。
城ヶ辻綾子。
カラス羽みたいな艶やかな黒髪を、肩まで垂らした美しい女生徒。長身。俺よりも、そして平均的な男性よりも背が高い。加えて大きく真っ黒な瞳。濃い灰色でも、濃い茶色でもないピュアなブラックに見下ろされると威圧感が凄い。魅力的な口元には微笑みが浮かんでいるが、つい気を付けの姿勢を取りたくなる。
綾子は元の世界で極めて優秀な女性だった。文武両道。乗馬、華道、弓道、書道。彼女が壇上で表彰されたのを見たのは、二回や三回ではない。社交的で、はっきり言って俺が人生で一度でも関われたら幸運な、そんな女性だ。そんな綾子にお願いをされるだなんて、今日はいい日だ。あとでもう一回スライムに挑戦しよう。
人としての格が圧倒的に違う綾子からのお願い。その内容を聞く前から、俺は二つ返事でOKした。
「お願い? 構わないよ。元とはいえ同じクラスだし、な、なんでも言ってよ」
「ありがとう。あのね、言いにくいんだけれど、三津谷君――」
「ん?」
「私の奴隷になって欲しいの」
「…………はい?」
髪をかき上げながら愉快そうに笑う綾子と対照的に、俺は全身をこわばらせた。
奴隷。
そのフレーズに、つい手元の羊皮紙を握りしめる。
なぜそれを。
「な、何を言って……」
「私のクラスはテイマー、スキルはテイム。動物や魔物を倒せば、死ぬまで意のままに操れるんだ。何体か手駒にしたけれど、やっぱり人間の駒が居ると便利かなって思って」
「……? ……? こ、こ、断る! なんでそんな、クラスメイトの奴隷だなんて。そもそも動物で十分だろう」
「あら、人間の方が使い勝手が良い場面もあるでしょう。毒見とか、荷物運びとか」
「……!」
詳しい為人を知らなかったとはいえ、城ヶ辻綾子はこんな女だったのか……。ドン引きだ。
元の世界では普通に暮らしていたのだろうが、法律や倫理が薄いこの世界では少々タガが外れている。優秀な奴が性格も良いとは限らない。令嬢然とした綾子の振る舞いに、俺はつい性格も良い人物だと思ってしまった。性格最悪じゃないか。完全に見込み違いだ。こんな奴にへらへらと近づいてしまっただなんて。
綾子にテイムを止める気配はない。拳を構えて、転移特典の莫大な魔力を貯めている。
一目で分かる。あれは俺では止められない。必死に頭を回転させた俺は、一つのハッタリを思い付いた。
「待った。そっちがその気なら、相手になるよ。戦闘だ」
「……ふーん」
「ちなみに俺のスキルは超巨大な火球魔法。一日一回しか使えないから温存していたけれど、直撃すれば一撃で消し炭に――」
「ふ、ふふふ」
「消し炭に――」
「ふ、なにそれ。三津谷くん、割り当てられたの奴隷でしょう? スキル無し。ステータスの向上も無し。可哀想なやられ脇役」
「……なんで、それを」
「転移の時に配られた羊皮紙、ちらっと見えちゃった。あれから目を付けていたの。手っ取り早く支配下に置ける人間一人目」
ハッタリ、失敗!(笑)
なんてことだ。このままだとこの性悪女に支配されて、死ぬまで使い潰される異世界での第二の人生だ。
綾子のどす黒い魔力を帯びた拳が疾走する。完全に俺の顎を捉えている。
明日からは綾子に朝早く呼び出されて、倒れるまで町で小銭稼ぎ、夜遅くまで掃除・洗濯・雑用。意地悪く笑う綾子の側で、無償で労働力を搾取され続ける日々。辛いぞ。
……まあでも、美人にコキ使われるのなら悪くないな。
どうせお先真っ暗な異世界生活だし。奴隷として食事だけでも貰えるなら――
そう観念したその時、視界の端が不自然に灯った。
『対象:城ヶ辻綾子』
『強者上位:0.1% 対象判定:OK』
『革命スキルを発動可能 ……テイム返し』
「革命、スキル……?」
「ふッ! テイム!」
「ええっ、と……テイム、返し? えい」
「んぎっ?!」
ばちゅん!
と綾子の魔力が裏返った。逆流した魔力の塊は綾子の全身を覆い、つま先から脳天まで浸透していく。
テイム発動の余波が収まり、彼女を包んでいた霧のようなものが晴れる。
そこには草原の上に仰向けになり、犬の降伏ポーズをした綾子が居た。
「な、何よこれ!」
「革命スキル……? 一体どういう、効果なんだ?」
今まで何度も読み返してはため息を吐いた紙を、もう一度だけ取り出す。
そこには一度も読んだことが無い文字が。発動条件を満たしたから表示されたのだろうか。
『対象が強者・権力者・高貴者などの上位レベル1%以上の場合、発動可能』
『あなたの両手は空であり、あなたの立ち位置は地底のように低い。それ故に持ちすぎる者の足首を掬い、絶対勝利することができる』
その文章は炙り出しのように羊皮紙に一瞬だけ浮かび、そして読み終えたところで見えなくなった。
読んで頂きありがとうございます
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