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赤い切符  作者: 渡辺正巳
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2-2

 歩きはじめてすぐ、百メートルも経たないうちに父が「ここなんだけど」と言い出して、店に着いた。T字路の角にある二階建ての店で、二階の看板に大きく「もつ焼き」と書かれている。その看板の下に、ずらりと横一列に赤提灯。入り口の白い暖簾を父がくぐった。


 父の後について中に入ると、むっともつ焼きの匂いが鼻をついた。煙っぽい、照明が控えめの薄暗い店内。入って左手がL字型のカウンターになっていて、その中に立っていた背の高い男性店員が、


「おー滝ちゃん、いらっしゃい」


と声をあげた。


 カウンターの左端の席に案内された。父は早速生ビールを頼み、何か頼みなさいと言うので私はオレンジジュースを頼んだ。今になって思うけど、十歳の女の子をよくあんなオヤジくさいもつ焼き屋へ連れていったものだ。ただ、当時の私は大人の世界に一歩踏み込んだようなドキドキ感があって、決して嫌では無かった。


 飲み物をもらって乾杯すると、父はメニュー表と睨みあって三、四本もつ焼きを頼んだ。カウンターの中では背の高い店員がきびきび客の注文に対応している。私たちの他にカウンターに一人客が二組、テーブル席に二人客が一組居て、つぎつぎ注文する。注文を受けると、背の高い店員は「あいよ、シロにチレ!」などと元気に答え、焼き場でもつ焼きを焼き、焼きあがるとカウンターの客にはカウンター越しにさっともつ焼きを出し、テーブル席の客には、若い女の店員にもつ焼きの載った皿を渡して、持っていってもらう。


 背の高い店員は、齢は四十前半といったところ、紺色の作務衣を着て、やはり紺色の手ぬぐいを被っている。どこか猛禽類を思わせる彫りが深い顔、ぎょろりとした大きな眼。ちょっと強面なその風貌が、なんとも職人ぽかった。


「朱里ちゃんは何がいい?」


 背の高い店員の動きに見とれていた私に、父が声をかけた。


「私、ぼんじり」


 私は以前母が何回かイオンで買ってきてくれて、好きだったぼんじりを頼んだ。店には焼き鳥も少し置いてあったのだ。


「ぼんじり!? 渋いね、ははは。シンさん、あとぼんじり三本」


「あいよ、ぼんじり!」


シンさんと呼ばれた、背の高い店員が景気良く答える。父は機嫌よくビールをあおり、


「ここのもつはさ」


とどうでもよさそうな話をはじめようとしたので、私は、


「さっきの話ですけど、なんで生きてるんですか? お店で話してくれるって、言いましたよね」


早口で返した。


「ああ、そうだった。ごめんごめん! いや、そういうことでいうと、僕は、間違いなく死んでるんだ。君が生まれる前にね」


「……」


「ここ、霊が集まる、現世とは違う世界なんだよね。うーんと、本当にどこから説明すれば……、そうだ、さっき、駅にある駅名の看板、見なかった? 東部宇都宮駅ってなってたでしょ? 東部の部、部屋の『へ』って漢字に。現世だと、武田信玄の『武』って字で、東武宇都宮じゃん。あれ、まだ十歳じゃそんな漢字習わないか?」


 私はハッとしてジーンズのポケットをまさぐり、おばあさんから貰った赤い切符を出した。「東部宇都宮→藤岡」確かにそう書かれている。父はその切符を見て、


「そう、それそれ、そういうことだよ! ここは武田信玄の東武宇都宮じゃない、部屋のへの東部宇都宮なんだ。いわゆるパラレルワールド。お父さんは、十年前に死んで、本当なら成仏して来世に行くところを、成仏できなくて、現世と来世の狭間にあるこの東部宇都宮っていう街で暮らしてるわけ。簡単にいうと、浮遊霊みたいなものかな」


「嘘」


「嘘? 嘘じゃないよ」


「だって、その、死んだはずの時から齢とってるじゃないですか。家にある写真で見たのと全然違う。齢をとるってことは、生きてるっていう証拠でしょ?」


「ああ」


 そこで父はビールを飲み干し、「シンさん、生」と言って追加注文をした。


「浮遊霊はみんな、生きてる時と同じく齢をとっていくんだよ。死んだ時点の年恰好からね。なんでそうなのかは僕にもよく分からないけど」


「じゃあまたいつか死ぬんですか?」


「いや、その前に大抵みんな成仏しちゃうからな。現世への未練が無くなると成仏できるんだ。ただ、どうしても成仏できないと、どんどん齢をとっていって、ついには肉体が滅びて、霊魂だけの存在になり、『アラヤマ』っていうところに連れていかれて、そこで永遠にさまようことになるらしい」


「アラヤマ」


「うん。そういうの考えると、やってらんないなあと思うけど。ああ、どうも(と、この時ビールのお代わりがきた)。……そうそう、この東部宇都宮にいる人は、皆浮遊霊なんだよ。もちろん、ここのお客さんも、あの女の店員さんも、それからそこでもつ焼き焼いてる大将も。ねえ、シンさん」


父は上機嫌でシンさんという店員を呼んだ。「はい?」


 忙しそうなシンさんが少し引きつった笑みを浮べてこっちを向いた。

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