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赤い切符  作者: 渡辺正巳
25/27

7-1

 それからしばらく父の電話をする声がドア越しに聞こえ、やがて父が玄関に戻ってきた。父はまた隣の住人にワゴンRを借りて、私を助手席に乗せ、カーナビに私の家を目的地として設定した。


「心配だから、家まで送ってくよ。ちょっとその前に、役所――県庁に寄らなくちゃいけないけど」


「なんで?」


「東部宇都宮から現世に移動しなきゃならないから、手続きが必要なんだ。そういう手続きは、みんな県庁でやるんだよ。浮遊霊になるのを希望する時なんかも、県庁で手続きするんだ」


そう言いながら、父は車を発車させた。


 県庁に着き、敷地の西側にある駐車場に車を停め、庁舎に入った。相変わらず、大谷石の壁が目立つ一階ロビー。そのロビーの正面にあるエスカレーターを上り、二階へ行った。


 エスカレーターを上ると、そこは小さな広間になっていた。その左右に応接間や会議室、資料室などへつながる出入り口が並んでいて、一階から一転、無機質でいかにも役所らしい雰囲気だった。


 父は広間の真ん中にある案内板を見て、えーっと浮遊霊応接室、浮遊霊応接室……と呟いていたが、やがて目的の場所が見つかったらしく、「こっちだ」と言って左に向かった。


 目的の部屋へ向かう間、私は通りかかる部屋を覗いていったが、どの会議室や資料室にも人が居ない。静かだなと思っていると、「浮遊霊応接室 ○○課」とプレートに書かれた、素っ気ないグレーの開き戸の部屋が四、五室並んでいて、父はそのうちの「浮遊霊応接室 時間外窓口」と書かれた部屋の扉をノックした。


 扉が音もなく開き、中から若い女性が現れた。女性は、黒のタイトなパンツにベージュのブラウスを合わせていた。痩せていて、顔が小さい。ウェーブのかかった髪を、サイドアップにして左の鎖骨の辺りまで垂らしている。日本人的な、彫の浅い平凡な顔立ちをしていたが、スタイルの良さと、顔の小ささ、肌の白さ、小綺麗な服装が、洗練された雰囲気を醸しだしていた。


「滝井さんですね? お入りください」


 女性は穏やかな笑顔を浮かべながら私と父を部屋の中へ招いた。部屋は六畳ほど、真ん中にスチール机があり、奥の壁際にやはりスチールの戸棚が置いてある。机の手前に椅子が二つ、向こうに一つ。それから隅に大きな観葉植物。あるのはそれだけの、簡素な部屋だった。


 女性は私と父を机の手前の椅子に座らせると、自分は向かいの椅子に座った。父が、


「電話でお話した通り、この子を現世まで車で送りたいと思いまして」


と言った。女性は、机の上に置いてあった書類を取り上げ、眺めながら、


「椎宮朱里さんですね? うかがっております。鉄道の往復切符をお渡ししているはずですので、電車で帰ることも可能ですが」


「いえ、実は昨日もこっちにきて、もう来るなとその時言ったんですけど、寂しいようでまた来てしまったんです。帰りに何かしないか不安ですので、送りたいんです。それに、私としても少しでも長く一緒に居たいものですから」


「そうですか、承知しました」


 女性は好意的な笑みを浮かべた。


 それから父は二、三枚の書類に署名・捺印して、女性から、現世へ行くにあたっての注意事項をいくつか説明された。現世へ行っても極力生きている人とは接触しないでください、娘さんを送った後、遅くとも本日十七時までにはこちらにお戻りになってください、などなど。


「以上です。よろしいですね? それでは手続きはこれで終わりです。……朱里ちゃんは何歳なの?」


 女性は父が署名・捺印した書類をまとめながら、唐突に私の方に視線を向けて言った。突然だったので、私は少しどぎまぎしながら、


「十歳です」


 女性はちょっと驚いたような顔をした。


「あの、年齢が何か?」


父が割りこんだ。女性は微笑みを顔に戻して、


「いえ、手続きとは関係ない、私の個人的なことです。私が死んだのも、十歳だったものですから。ちょっと家族のことを思い出しまして。――朱里ちゃん、お父さんに会えてよかったね」


 女性は心からそう思っているように、しみじみと言った。きっとこの人も、辛い事情があって浮遊霊になり、この県庁で働き、東部宇都宮で暮らしているのだろう。私はそう思いながら、


「はい」


と答えた。女性は口角を更に上げた。

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