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赤い切符  作者: 渡辺正巳
21/27

5-4

 駐車場奥にある、平屋根の四角い建物に三人で行った。「地下坑内入口」窓看板にそう書かれている。建物に入り、入場窓口で料金を支払った。一階は資料展示室になっていて、私はそこに入ろうとしたが、


「朱里ちゃん、そんなところはいいから」


と父が言う。


「ええ? せっかく料金払ったんだからさあ」


 同じように入ろうとしていたシンさんが不満げに言った。


「そこはつまんない、つまんない。こっち来なよ」


父はいつになく自信満々だ。


 資料室の右手に、石造りの小さな出入り口があって、入り口の枠に「坑内入口」と書かれている。父はその中に入っていき、シンさん、私と続いた。


 中は薄暗かった。石造りの下り階段になっていて、天井も壁もみんなクリーム色をした大谷石だった。四角くまっすぐに切り取られた大きな石が積み重ねられて、壁や天井を成しているのである。そこを暖色系の照明が照らしている。階段を降りるにつれ、ぐっと気温が下がって底冷えし、私は肌寒さを覚えた。


 ずいぶん続く階段を降りていくと、突然視界が開けた。地下にできた、数十、いや百数十メートル四方はあるかと思える巨大な空間。その空間の周りに、やはり四角く切り取られた巨大な大谷石が、あるところでは柱、あるところでは壁となってそびえ立ち、高い天井を支えている。階段を降りきった地面には、人ふたりがすれ違えるくらいの幅の石畳の道が巡らされていた。


「こりゃまたすげえべ」


 目の前に広がった光景に、シンさんが栃木弁丸出しで感嘆した。


 坑内はひんやり寒く、霧がうずまいていた。その霧が坑内のあちこちにつけられた照明の光で、白っぽく輝いている。私はその幻想的な雰囲気に圧倒された。


「どうだ、朱里ちゃん、入場料八百円の価値があるだろ、八百円の価値が……」


前を行く父が振り返り振り返り、しつこく言うので、私はシンさんのいる手前、恥ずかしかった。


 それから三人で坑内を歩き回った。階段から降りたとき見えた景色は、広い坑内のほんの一部で、坑はまだまだ続いており、あらかた歩き回るとたっぷり三十分かかった。


 三人とも満足してまた元の階段を上り、地上に戻った。外に出ると雨は止んでいた。


 駐車場に停めた車の前に来ると、シンさんが「悪いけど一服させて」と言って煙草と携帯灰皿を出して吸いはじめた。駐車場脇にある大谷石の岩を眺めながら静かに煙草を吸うので、父も私もシンさんの両隣に立って一緒に岩を見た。


「それにしても、本当に良かったなあ、滝ちゃん。朱里ちゃんに会えて」


シンさんが煙を吐きながらしみじみ言った。


「ああ、良かったよ。シンさんも、いつかアキコさんに会えるといいね」


「そうだな、本当にそうだと思うよ。……アキコに会ったのはさあ」


 シンさんはそれから煙草を吸い終わるまで、簡潔に語った。


 シンさんがアキコさんという女性に会ったのは、シンさんが三十歳で和食の居酒屋で働いていたころ、職場の近くのコンビ二でだった。シンさんが夜遅く仕事を終えてそのコンビ二に寄ると、よくレジを打っていたのがアキコさんだったらしい。


 シンさんはアキコさんの折れてしまいそうなほど華奢な手足と、どこか幸薄そうな細面の顔に惹き込まれ、その幸薄そうな顔が見せる会計時の笑顔に仕事の疲れを癒されるようになった。不器用なシンさんはある夜肉まんと煙草を買った時に「あんまり夜遅くまで働くのは美容の敵ですよ。『紅の豚』の主人公がそう言ってました」と、内心必死の思いで、冗談めかしてやっと話しかけた。アキコさんは笑顔を浮かべて、「お客様も、お仕事帰りでしょう? 遅くまでお疲れ様です」と如才なく返してくれて――、


「それから彼女に会計してもらうたび、ちょっとずつ話すようになってね。なんとか話ができるように、職場からコンビ二までの道中、必死で話題を考えるんだ。それで彼女が休みでレジに居ないと、すんげえがっかりしたりしてね。自分でも中高生レベルの恋愛話だと思う。でもあの頃が、今思えば生前一番楽しかったかも知れない」


シンさんは煙を吐きながら言う。私は子供ながらに彼の話に興味を持って、


「それで、どうやって付き合ったんですか?」


「なんてことないよ。電話番号書いた紙を渡してね。後で彼女から連絡が来て、それから。渡した時は緊張と恥ずかしさで死にそうになったよ」


 煙草は吸い終わってしまったが、シンさんはもう少し話した。


 二人は三年ほど付き合って、婚約までしたが、アキコさんの元カレがストーカー化して関係がこじれ、シンさんはその元カレにゴルフクラブで頭を殴られて結婚前に死んだ。死んでもアキコさんが忘れられず、浮遊霊になって東部宇都宮に住みはじめ、あのもつ焼き屋で働きながら、いつかアキコさんが店に来てくれるのを待ち続けているのだという。


「いや」


シンさんは悲しげに微笑んで言った。


「こんな話、するつもりじゃなかったんだけどな。二人を見てるとついうらやましくなってね。一回でいいから俺もアキコに会えれば、成仏するんだけどな」


「会えるよ、きっと」


 父はそう言ってシンさんの背をぽんぽん叩いた。

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