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十歳の誕生日に、私は、茶封筒に入った一万円札一枚と、小林カツ代の料理本を母からもらった。当時住んでいた家のリビングのテーブルの、私の席の上に置かれていたそのプレゼントには、メモ用紙が一枚、素っ気なく添えられていた。
「誕生日おめでとう。十さいと言えば、もうじゅうぶん家事を手伝える年れいです。これからは、この本を読んであなたがごはんを作ってください」
学校から帰ってきてプレゼントを見、そのメモを読んだ私は、心の底からうんざりした。精神科の医師をしている母は、――君(筆者のこと)にも何度か言ったかも知れないけど――頭は良いのだけど自分にも他人にも厳しすぎて、人の気持ちを理解できないところがあった。彼女は、当時私の家は経済的にはある程度裕福だったにも関わらず、そのケチさから、この年の冬に、それまでずっと私の家に通ってくれていた家政婦さんとの契約をも解除していた。
私は茶封筒から一万円札を取り出すと、それを大切にしているポール・スミスの小銭入れに入れ、家を出た。
母からのプレゼントで被った嫌な気持ちを振り払うように田舎町を走り、当時通っていた小学校の前にある小さな駄菓子屋に入った。こぢんまりとした大きさのその店には、四方の壁一面駄菓子が並んでおり、店の中央に立っている棚にも、ぎゅうぎゅうに駄菓子が積まれている。私はその駄菓子たちに見向きせずに店の右奥に行き、駄菓子に囲まれた小さなレジカウンターの奥で店番をしているおばあさんに声を掛けた。
「あの」
「ん?」
小さなおばあさんは椅子に座ったまま、顔を上げた。顔はこちらを向いたがおばあさんは斜視なので、どこを見ているのか、正確には良く分からない。総白髪の髪を後ろに束ねて、おびただしい皺に覆われたふくよかな顔。その目尻と口元の笑い皺がぎゅっと寄って、口角が上がり、唇が開かれてぼろぼろの歯が露わになって、笑った。
「どしたん? いつもののしイカけ? それならあそこにあるんで、自分で取ってくれっけ? ばあちゃん腰悪くって」
この店の常連だった私はよく知っていた。このおばあさんは斜視でちょっと気味が悪いけど、親切で子供に優しい。
「そうじゃなくって――、あの、これで」
私はおばあさんの優しい声に安心しながら、小銭入れから四つ折にした一万円札を取り出し、レジカウンターの上に置かれたカルトンに載せて、
「買えるありったけのお菓子、売ってくれませんか」
と言った。おばあさんの大きな斜視の両眼が、くわっと開かれた。