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赤い切符  作者: 渡辺正巳
19/27

5-2

 父のアパートに着いたのは昼前だった。小雨が降っていて、私はアパートの軒下に入ってから、ハローキティのプリントが入ったお気に入りの傘を閉じた。102号室の玄関戸の前に行き、高鳴る胸の鼓動を抑えつつノックする。


 戸の向こうで父の「はい」という返事がしてから、私は手早く髪を撫で、整えた。先ほど東部宇都宮駅のトイレの鏡で確認した限り、思ったより変ではない。髪は襟足の辺りでばっさり切られ、おかっぱになっていたが、私の丸顔に似合っていないこともなかった。


「はい。え? なんだ、また来たの?」


 父は私の顔を見て若干怒りかけた。しかし私が、


「お父さんに会いたかったから」


と媚を売ると、他愛も無く喜んだ。


「そうなの? うーん、まあ、仕方ないかな?」


 へらへら笑いながら言うのである。しかしすぐ私を見つめ直して、


「髪、どうしたの? ……もしかして、切符の代償にした?」


怒りがこもった声で言った。私は父に会えるうれしさばかりが先行して、とっさの言い訳を考えておらず、ぐっと黙った。


「だから、もう来ちゃだめだって言ったでしょ! せっかくの髪を、僕なんかのために」


 声を荒らげる父に対し、とりあえず私は顔をうつむけた。そうして手を眼にやり、涙を拭うふりをして見せた。


「せっかく来たのに……」


泣きそうな声で私が言うと、父は慌てて、


「ああ、ごめんごめん。分かったよ。もういいから、泣かないで。今日はもういいや、どこかに遊びにいこう! でも、もう二度とここには来ちゃだめだよ、分かった?」


ちょろいものだった。


 それから父は出かける準備をするため私を玄関先で待たせて部屋に戻った。私が待っていると、なにやら部屋から父が電話をする声が聞こえてきた。それも止み、しばらく経つと父はスウェットからまたあの青のスーツに着替えて出てきた。


 玄関戸の鍵をかけた父は、私に何も言わず隣の103号室に行き、玄関戸を叩いた。


「カクタさん! 滝井です」


 白い無精ひげを顔の下半分一面に生やした、総白髪のおじいさんが出てきた。


「なん……?」


おじいさんは黄色く濁った白眼をした目で、父を見、私を見た。


「あの! これで! これから車借りたいんですけど!」


 おじいさんの耳が遠いからだろう、父は大声でそう言い、財布から二千円を出しておじいさんに見せた。


「いいですか!?」


「なん?」


「だから、く・る・ま!」


「ああ! ええよええよ」


 用が分かってしまうとおじいさんはいかにも人良さそうにそう言って、二千円を受け取ると車の鍵を持ってきて父に渡した。


「ときたまあの人に車貸してもらうんだ」


 父はそう言いながらアパートの前の駐車場に行った。おじいさんの車は駐車場の端に停めてあるスズキの黒のワゴンRだった。


 私がワゴンRの後部座席に乗ると、父が、運転席に座ってエンジンをかけながら、こないだ行ったもつ焼き屋の大将シンさんも誘ったから、と言った。


「こないだのお礼に今日は元々昼ごはんをおごる約束をしてたんだ」


お金が無く、ケチな父には珍しいなと私は思った。

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