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曜日はもうすっかり忘れてしまったけれど、父と会った日の次の週の、学校のある日のことだった。
屋上にまで生徒たちの遊び声が聞こえてきていたから、多分昼休みだったのだろう。私は担任の長田という教師と二人きりで、小学校の屋上にいた。眠たくなるような、陽射しの暖かい、良く晴れた午後だった。私は屋上を囲っている柵の一部に長田と並んで背を預け、屋上の内側を眺めていた。ねずみ色のコンクリートの床が、鈍く春の陽射しを反射しながら、熱を蓄えていた。その真っ平らな床の中央付近に、屋上への出入り口のついた長方体の塔屋が、にょきっと突き出している。
なぜ教師と二人きりでそんなところにいたのか、十年以上経った今ではそれさえよく思い出せない。ただ、この長田という教師は、私を三年生の時から担任していて、見た目はよく太って顔にいつも脂を光らせて、薄い中分けの髪もなぜかてらてら黒光りして気持ち悪い三十男だったが、中身は優しく誠実で、私の信頼を得ていた。屋上に行こうと誘ったのが私であれ長田であれ、いずれにせよ信頼関係があってそうなったわけだった。
私は長田に、父と東部宇都宮で会った話を、「夢で見た出来事なんだけど」と前置きして、ひたすら饒舌に話していた。
「……そうしたらお父さん、私に会えてうれしい、待っててよかった、なんて真剣な話しながら、その途中で吐いたんだよ。ありえないでしょ? しかもそのあと、逃げようって言い出して私の手を掴んで、走って逃げたの。ふふふ」
信頼している長田が相手だと、他の大人相手と違い、いくらでも話せた。
「椎宮」
長田がいつもの柔和な彼に似合わない、低い声で私の話を止めた。
「なに?」
「お父さんがいなくて、寂しい気持ちはよく分かる。でもな、椎宮はこれからもずっと生きていかなきゃならないんだよ。そうしたら、亡くなった人じゃなくて一緒に生きて行く人――つまりお母さんや学校の友達だな――と関係を築いていかないといけないんじゃないか」
私はこの説教に若干興ざめして、
「それができてたら、こんな昼休みに担任の先生とじゃなく友達としゃべってると思う」
「永井や川島とは? 仲いいだろ」
「だめなの」
「なにがだめ?」
「いちおう、仲良さそうにしてるけど、なんていうか、本当は話とか全然合ってないんだ。麗美も杏奈も、お父さんお母さん普通にいて、毎日学校が終わったら、今日の晩御飯のおかず何かな、ハンバーグだったらいいなとか、クリスマスや誕生日が近づいてきたら、プレゼント何もらおうかなとか、そんなこと考えてるんだと思う。なんで私にはお父さんがいないんだろうとか、日曜日なのになんでお母さん一人で出かけちゃうんだろうとか、……お母さん、なんで私のこと好きじゃないんだろうとか、そんなことばっかり考えてる私とは、合わないと思う」
「……」
「それに、私、本当は分かってるんだ。お父さん、私がお母さんのお腹の中にいる時に電車に飛び込んで死んで、きっと私には会いたくなかったんだと思う。でも、だから、夢の中でくらいお父さんに会えたらいいなって思って」
「椎宮っ」
隣で私の話を聞いていた長田が、突然体をこちらに向けて、覆いかぶさるようにがばっと私を抱きしめてきた。彼の胸部が目の前いっぱいに広がって視界が真っ暗になり、男くさい臭いが鼻をついた。
私はびっくりしたのと気持ち悪いのとで全身がぞぞぞぞと総毛立つのを感じ、
「いやっ!」
と言いながら両腕を突っ張って長田の体を押し返した。長田が離れた瞬間、
(なに? キモいキモいキモい)
と思いながら、塔屋へ向かって走り出した。塔屋にたどり着いて、金属性の片側開き戸を引いて開けるのに手間取っていたら、背後から長田が叫んだ。
「待て、違うんだ、椎宮! これはそういうんじゃなく、待て! ……誰にも言うなよ!」
私は振り返らずに戸を開けて塔屋に入り、そのまま全力で階段を駆け下りた。




