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第2話


 正直私も、こんないかにも面倒事に巻き込まれそうな結婚はお断りであった。


 だが、私の両親は、特に父親はこの結婚に乗り気のようで、さらにアルベルトの両親も、私を逃したらもう後がないという覚悟のせいか、かなりの好条件をこの結婚に示してくれた。


 そのほとんどがお金に関することで、妻が個人的な財産として自由に使える金額であったり、夫よりも私が先に死んだ場合の持参金は実家に戻すとか、相続で基本的には不利な立場に置かれる女性にとってはまたとない話であった。


 それほどまでに、アルベルトは私との結婚に乗り気ではなかったということの現れでもあったが。


 彼のご両親からくどくど長い説教があったにもかかわらず、彼がリーゼロッテ嬢を想う心はもはや誰にも抑えきれなかった。人間反発されるとよけいに燃え上がるように設計されているものだ。


 親や婚約者の目を掻い潜ってはリーゼロッテ嬢に会いに行き、囚われのお姫様に思う存分、ありったけの愛の言葉を送ったそうである。なんとも涙ぐましい努力ではないか。恋愛小説よりも熱い展開だ。


 だがこれがいけなかった。


 息子の身勝手な行動に、彼のご両親はついに我慢ならぬと、半ば強引に私と結婚させる方向へ舵を切った。


 結婚しないなら、もう二度とリーゼロッテ嬢とは会わせない。と彼女の両親も娘の身の危険を感じたのか、敵であったアルベルトの両親と一時休戦を結んだ。


 立ち塞がった強敵を前にアルベルトは、それでもなんとか活路を見出そうと必死にもがいて見せたが、なすすべなく、今度こそ諦めるしかなかった。


 こうして私とアルベルトはお互いをろくに知らぬまま、結婚して夫婦となった。あの顔合わせでまさか結婚することになるとは、彼はとても信じられない気分だろう。覚悟していたとはいえ、私もである。


 果たしてこんな結婚が上手くいくのか? 答えはもちろん否である。


 たとえ他の者と一緒になっても姿さえ見ることができたら──そんな彼の哀れな心情を、一緒に暮らし始めるようになって嫌というほど伝えられた。今もまた。


「はあ、」


 事あるごとに吐かれるため息。悩まし気な表情。遠くを見つめる目線。


 誰がどうみても、彼の心はリーゼロッテ嬢のもとへ飛んでいた。


「あの、アルベルト様。今日の午後からの訪問の件ですが」

「ああ、きみに任せる」


「新しい使用人についてですが」

「ああ、きみに任せる」


 いい加減になさいませ! と大声をあげる気力もなかった。呆れ果てて、声も出なかったのだ。


「そうですか。それでは勝手にさせて頂きますわ」


 こんな人に怒って、体力を消耗させるくらいなら、庭を散歩した方がましである。


 私は腑抜けた夫の顔を冷たく一瞥し、その場を後にした。使用人たちのオロオロした姿には気の毒な気もしたが、今はそれどころではなかった。


 庭師がせっせと手入れした薔薇やライラックの花が咲き誇る庭園をずんずん歩きながら、私は我慢の限界だった。


 うじうじと愛する人のことを考える暇があるくらいなら、不作に苦しむ農民たちのことを考えてやった方がよほど有意義な時間だと思った。


 そう考える私は、おそらく一般的なご婦人方の感性とはずれている。


 恋の駆け引きよりも、いかに財産を蓄え、有意義に消費するか、また未来ある政治家の話や貧しい子どもたちを支援する慈善事業の勧誘を聞く方がよほど価値あるものだと考えていた。


 そういうわけで、いつまでも未練がましく一人の女性を恋い焦がれる夫のアルベルトにうんざりしていた。我慢の限界であった。


 たしかに彼は幼なじみであるリーゼロッテ嬢を深く愛しており、その恋が叶わぬと知ったとき、目の前が絶望に染まったことだろう。


 だからといってそれをいつまでも引きずってもらわれるのは大変迷惑である。


 彼が詩人や小説家だというならば、心ゆくまでその悲しみを味わい、素晴らしい作品を生み出すことが使命だと言えるだろう。


 だが彼は領主の息子である。あの屋敷の主人なのである。


 彼の裁量によって、領民の明日の生活、屋敷の繁栄がかかっている。非常に重要な立場なのである。


 そんな人間が一人の小娘にうつつを抜かしているなど、私が村人や使用人の立場だったら、しっかりしてくれと胸ぐらをひっ掴んで頬をひっぱたいてやるというのに。


 結婚など、ただの通過儀礼だ。


 いかに自分の懐に利益があるか、治めている領地に繁栄をもたらすか、その部分をよくよく考えるべきであって、相手の容姿や性格など二の次でいいのだ。


「それはきみが恋などしたことがないから、そんなこと言えるのさ」

「そんなこと、後から存分にすればいいだけです」


 フランツの言葉にも、私は鼻で笑ってやった。彼は私の内面を知る数少ない友人である。


 あのアルベルトと結婚したということで心配になったのか、わざわざ訪ねてきてくれたらしい。


 ちなみにフランツの実家はたいそうな大金持ちで、しっかりした長男、抜け目ない次男に家のことは任せ、三男坊である彼は遊び放題。


 性格も自由奔放で、貴族が大切にしてきた慣習も、ただの古く堅苦しい考えだと好まない、今時の若者である。私の風変わりな考えも彼は面白いといつも真剣に聞いてくれた。


 そんな彼にとっても、今の私の持論は尖りすぎていたらしい。


「きみはアルベルトが愛人を作ってもいいと、そう思っているのかい?」


 驚きを通りこして、呆れた表情でフランツは私を見た。


「ええ。羽目をはずさない程度ならば、許すつもりですよ」


 むしろ愛人の数こそ、男の魅力であると私は思っている。


「きみは……本当にお父上によく似ている」

「本当に。つくづく私もそう思いますわ」


 父は家庭を持つ父親としては欠点多き人だったけれど、領地を治める領主としてはこの上なく素晴らしい人だと私は誇りに思っている。


 愛人もこっそりといることは知っているけれど、きちんと線引きはしているから、別に何とも思わない。父だけではない。私の母親も大変恋多き人であった。そんな二人の血を引いて育てられた私。


「きみがなぜそうなったのか、あの二人を見ているとわかる気がするよ」

「あら、変かしら?」

「まあ、夫婦のかたちは人それぞれだからね……」


 まさしくその通り。

 互いに愛し合う人が別にいても、それでもお二人とも信頼し合った関係を保っており、互いに支え合っている。とっても良いパートナーだ。


 アルベルトが私を肉体的に愛せないというならそれで構わない。子どもを作りたくないというなら、養子をもらうなど他に道を探せばよい。


 それなのに彼はそういうことをちっとも考えようとせず、いつまでも同じ場所でうずくまってしくしくと悲しんでいる。


「互いに信頼を築こうともしない彼の態度が気に食わないのです。いつまでも同じことをうだうだ考えていて、あなたはそれでも大人ですかと頬を叩いて、目を覚ましてやりたい気分です」


「まあまあ。アルベルト様とリーゼロッテ嬢は幼なじみだったというし、初恋だったんだろう」


 それがなんだと言うのだ。初恋は特別だというのか。


 だとしたら、世の中の人間のほとんどは、アルベルトたちのようにいつまでも嘆き悲しんだというのか。本当に、大変迷惑な話である。


 彼の悩みが、私にはひどくちっぽけなものに見えて仕方がない。


「私も、生まれてくるなら男に生まれたかったです」


 そうしたら、お父様の後を誰にも咎められることなく、立派に継いでみせたのに。役に立たない夫と結婚なんかしなくて済んだのに。


「土地や財産も、私が手に入れることができました」

「いやあ、やつらのことだ。どうせ男だろうが、気に食わないなら色々難癖をつけてふんぞり返ったままさ」


 フランツはそうだろうと茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。


「それは確かに。でも、いくらかいくぶん、ましになるのではなくて?」

「ふむ。それをきっぱりと否定できないのが悲しいね」


 その事実を認めてくれるだけでも、彼は世の男性陣よりたいへん立派だと思う。


「あなたみたいな人が世の中にもっといてくれたらいいのにとつくづく思います」


「僕みたいな人が大勢いたら、誰も働こうとしなくなって、世の中が回らなくなってしまう」


「……それもそうですね。やはり今のままでいいです」


 私の結論にフランツは大真面目に頷き、やがて堪えきれないように私たちは吹き出した。散々笑ったおかげで、私の覚悟も決まった。こうなったら腹をくくるしかない。


「とりあえずなんとか頑張ってみます。ありがとう、フランツ」

「どういたしまして」


 彼はふと真面目な顔で私に言った。


「僕はきみが女性でよかったと心から思っているよ」

「それはどうも」

「本当に、そう思っているよ」


 私の投げやりな答えを冗談だと思ったのか、フランツは再度そう言った。そのどこか熱のこもった目を見て、私は彼らしくないと窘めた。


「あなたとはずっと友人でいたいと、そう思っていますわ」


 愛は一度壊れてしまえば修復するのが難しいが、友情ならばいくらか簡単だ。私はそういう尊いものをフランツに求めた。


「まったく、きみっていうやつは。こんな美男子を捕まえてそんな非道なことをお願いするなんて」


 彼は何かを企む悪党のような、意地の悪い、私が気に入っている笑みで承知してくれた。


「ま、とにかく、あまり旦那さんをいじめてはだめだよ」

「善処します」


 だがこの言葉をすぐに撤回することになるのは、ここまで私の話を聞いて下さった読者のみなさんならすぐにご理解できたでしょう。


 なにせ私の夫となるアルベルトは、たいへん一途な人なのですから。




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