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第14話 大和の光陰 後編 ~キトラ古墳古代天文図殺人事件~

作者: 目賀見勝利

     《大和太郎事件簿・第14話/大和の光陰》

      〜キトラ古墳・古代天文図殺人事件〜 

            =後編=


大和の光陰35;インタビュー

2016年2月23日(火) 午前11時 ころ 京都駅前の京都Tホテル・金閣の間  


京都Tホテルの金閣の間は結婚式場の控え室として利用されるのが一般であるが、仏滅の今日は会議室として一般貸出されていた。

 

「本日はインタビューに応じていただき有り難うございます。また、奈良から京都までご足労いただき恐縮です。お電話でお話ししましたように、我社の日曜版の『この人を訪ねて』と云う欄で飛鳥光院様をご紹介させていただきます。この欄はそれぞれの世界で特異な御活躍をされている無名の方を紹介するコーナーです。インタビューの内容はこのICレコーダーに録音させていただきますが、よろしいでしょうか?」と朝読新聞社・文芸部の清家和子が訊いた。

「はい、どうぞ。あなたの新聞社のその記事はよく承知しております。よろしくお願いします。しかし、何処で私の事をお知りになったのですか?」と飛鳥光院が訊いた。

「我社の事件記者の中山から福井県の土御門つちみかど本庁で修業中の尼僧を見かけたと云う話を聞きました。そこで、土御門本庁に問い合わせたところ、飛鳥師である事が判り、土御門本庁のF氏に飛鳥様との仲介をお願いした次第です。」と清家が言った。

「ああ、三重県の二見が浦での殺人事件を追いかけている事件記者の方ですね。そうですか、あの時の記者さんがね・・・。」と飛鳥師が思い出しながら言った。

「早速ですが、飛鳥光院と云うのは本名でしょうか?」と清家が訊いた。

「本名は沖永明子おきながめいこと云います。明子めいこめいひかりを表す太陰たいいんを意味するつきの文字を組み合わせてできています。そこから、光と陰の光陰こういんおんを考え、飛鳥にある光の寺院を意味する名前を僧名にしました。」と言いながら飛鳥師が『沖永明子』の漢字をテーブルの上に置いてあるメモ用紙に書いて清家に渡した。

「お生まれになった場所はどちらですか?」

「明日香村の隣町である桜井市安倍山にある安倍文殊院の近くです。子供のころは文殊院の境内でよく遊びました。安倍文殊院の創建は645年で飛鳥時代です。また、お正月には両親に連れられて明日香村にある飛鳥坐あすかにいます神社にお参りに行きました。そこから飛鳥を僧名の苗字といたしました。」

「安倍文殊院とのご関係はあるのでしょうか?」

「いえ、ありません。安倍家は親類ではありません。しかし、子供のころから文殊院のご住職様からかわいがられて育ちましたので、僧侶になる道を選びました。安倍文殊院のご紹介で土御門本庁での修行をさせていただいております。」

「宗派はどちらですか?」

「天台法華宗です。滋賀県坂本の比叡学院で修業を兼ねた勉強をし、卒業後は京都の鞍馬山で修業をいたしました。鞍馬寺の鞍馬弘教は天台法華宗の僧侶であった信楽香雲師が神智学の影響を受け、独立して立てた天台宗系の新興宗派です。」


「現在はどこの御寺でお努めされているのですか?」

「特定のお寺の住職をしている訳ではありません。通常は奈良県内にある天台宗系のいくつかの寺院の墓守はかもりをしています。お墓の管理だけでなく、お盆の時期やお葬式の時に雇われ僧侶として檀家さんのお宅を訪問して仏壇にお経を上げたりもしています。」と飛鳥師が言った。

「その合間を見て修行をされているのですか?」

「そうです。修験道、陰陽道の修行をおこなっています。土御門本庁で陰陽道の修行をしている時に事件記者さんに見られていたようですね。」

「陰陽道の修行とはどのような事をされるのですか?」

「悪霊退散を願う調伏祈祷術を身につける修行が主ですが、神託に従った祈祷、天文観測による占術・占星学の勉強や運勢を含んだ暦法を学んでいます。」

「神託に従った祈祷とは?」

「断食や回峰業などの修験修行中の極限状態にある時に、霊夢を見ることがあります。この霊夢が神託であると感じた時、その夢に沿った祈祷法を考え、それを実行いたします。」と飛鳥師が言った。

「霊夢を感じるとはどういうことでしょうか・・・?」と清家が訊いた。

「幻映のような霊夢と云うか、極限状態にある人間には本来持っている霊能力が蘇える場合があるようです。千日回峰行をした阿闍梨僧侶なども霊的な夢を見たそうです。」

「例えば、どのような極限状態での経験をされましたか?」と清家が訊いた。

「昨年の12月25日の満月の日、クリスマスの夕方から翌26日の明け方まで鞍馬寺本堂前から奥院魔王殿を越えて貴船神社奥宮まで片道が2.5kmの道程を10往復する鞍馬山回峰業を行いました。10往復目の帰途、疲れ切ってフラフラになった身体を奥院魔王殿で休めていた時です、突然『ゴボゴボゴボ』と湧水の中から空気が噴き出して来るような音が耳に入ってきました。私の記憶では、魔王殿の近くに湧水が発生している場所などありませんでした。しかし、音ははっきりと聞こえるのです。疲れによる幻覚かとも思いましたが、そうでもなさそうでした。しばらくすると、その『ゴボゴボ』音がある言葉であるように感じられました。誰かが私の耳にささやいているのです。『淡路の法王寺、北極星、十の祈り』と云う言葉が頭の中に浮かびました。その瞬間、声聞しょうもん縁覚えんがくの二乗の境涯界が体得できたのです。法王寺の名前を聞くのはその時が初めてでした。自宅に帰ってから私は法王寺の場所を確認し、10往復目での霊示であったと云う事で、今年の1月10日の新月で十日戎の日の午前0時に淡路島南あわじ市にある法華宗大乗山法王寺門前で救世主・北極星の加護を受け、寺門の開いている東南東の方に向かって封印呪法を実施しました。『十の祈り』、すなわち『魔除けの封印』を施しましたが、誰が、何のために救われるのかは判っていません。ただ、鞍馬山奥院魔王殿前で請けた霊示に従っただけです。」と飛鳥光院が言った。

「『魔除けの封印』の成就を北極星に祈った訳ですか・・・。ところで声聞とか縁覚とかの意味は何なのでしょか?」と清家和子が訊いた。


「法華宗のお題目である南無妙法蓮華経の南無は神仏に無条件に帰依することを意味します。また、妙法とは宇宙生命の真理・真実の教えです。そして、蓮華とは泥水の中に生えていながら汚れのない白い蓮のように、穢れた宇宙世界に生まれた穢れなき無垢の真理を意味しています。

天台法華宗の教義には、人間の精神状態や仏教におけるさとりの状態を顕す10個の界、すなわち十界があります。地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界を6つの界を六道りくどうと呼び、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界を4つの界を四聖ししょう、または悟界ごかいと云います。仏界とは悟りを開いた状態を謂います。

声聞しょうもん界とは仏法を学んでいる状態であり、縁覚えんがく界とは自己の内面において自意識的なさとりに至った状態をいいます。

私は法王寺門前で北極星に向かって南無妙法蓮華経を十回唱えました。これは宇宙根源の神霊界に呪法が響き渡り、穢れ無き真理が生まれることを祈願したのです。『魔除けの封印』と云うのは神霊十界において悪魔の活動を封印し、悪事を防ぐための呪法です。これが『十の祈り』の意味です。」と飛鳥師が言った。


そして、しばらくの沈黙の後、清家が質問を続けた。

土御門つちみかど本庁ではどのような修行をされているのですか?」

「神道秘符書にある『発露』の儀礼を学んでいます。発露の儀礼とは自分の体から神を呼び出す術です。陰陽道では、特に冥府を支配する神々に対する祭祀儀礼を重要視していますが、山の神、地の神、水の神、天神、荒神などの龍神を使役する『式王子』の呪法も修行によって体得します。この場合、様々な霊符・呪符を用います。土御門本庁には多くの霊符・呪符があり、それを自分で写し取って自分用の霊符・呪符を作成します。この作成作業が難しいのですが、それは秘伝です。また、霊符・呪符を前にして法文を唱えますが、それも秘伝です。また、運勢を含んだ暦法も学んでいます。」と飛鳥師が言った。


その後、墓守の苦労話などを聞いてインタビューが終わったあと、飛鳥師が訊いた。

「新聞に掲載される日は何日ですか?」

「3月6日の日曜版です。」と清家和子が答えた。



大和の光陰36;

2016年2月24日(水) 午後4時ころ  三重県警察本部・天文博士殺人事件捜査本部


「本日は警察庁刑事局長より指示があり、私立探偵の大和太郎氏が捜査会議オブザーバーとして本捜査会議に参加されている。そこの壁際に座っておられる人だ。」と秋山捜査一課長が太郎の居る方向を指差しながら言った。

太郎は椅子から立ちあがって会釈した。


「大和探偵は半田刑事局長補佐が橘建一郎の素姓解明を依頼された探偵さんだ。皆も知っているように、橘建一郎は中村博士が撮影した写真に写っていた石舞台古墳の上で舞を舞う女性に関係する人物で、1月14日早朝に中村博士が遺体で発見される以前の1月9日午後10時から1月10日午前2時までの間に石舞台で行う巫女舞を撮影するために飛鳥管理センターから石舞台古墳の占用許可を請けていたトォーレ財団の人物だ。大和探偵の調査では橘建一郎は富山県にあるオメガ教団高岡支部の教団所有の信者寮に住んでいたことがあるらしい。その時は高岡研二と名乗っていたらしい。なお、半田刑事局長補佐の話では、カナダにトォーレ財団本部があると銘打っているが、その所在地にトォーレ財団本部など見当たらないらしい。架空の団体である可能性が高い。富山県警察本部からの情報では高岡研二なる人物がオメガ教団の信者として存在した証拠書類はオメガ教団にはないらしい。まあ、教団が嘘をついている可能性もあるがな。何か質問があるか?」と秋山捜査一課長が言った。

「石舞台の上で踊っている女性の素性は判っているのですか?」と矢倉刑事が訊いた。

「大和探偵の話では、現在のところは不明らしい。」と秋山課長が言った。

石舞台の上で踊っているキャサリン・ヘイワードの事はCIAとの守秘義務のため、および中村博士殺害と直接の関係があるとは思えないため、太郎はその名前を警察関係には明かしていなかった。


「それでは、矢倉刑事。中村博士が東京都三鷹市の自宅を出発してから二見が浦の駐車場で遺体が発見されるまでの足取りの詳細を説明してくれるかな。」と秋山課長が言った。


「はい。お手元に配布してある資料1の中村博士の行動表を見ながら聞いてください。1月9日(土)、午前4時に東京都三鷹市の自宅を自家用車で出発。午前4時35分、三鷹インターから中央自動車道に入り、午後1時に三重県の東名阪自動車道・亀山インターを出て、国道25号線を走ったと思われます。午後4時4分には奈良県天理市を通過し、午後6時15分に橿原市内のホテル『神武』にチェックインしました。そして、1月9日、10日とそのホテルに宿泊しています。1月9日は移動日でしたが、1月10日(日)の午後12時から1時頃まで、JR奈良駅前の雑居ビル内にある割烹『月日亭』で食事をしながら倉橋保良氏と会合しています。倉橋氏は陰陽師の子孫で古代天文図についての質問を中村博士から受けたようです。食事の後、奈良市陰陽町にある倉橋氏の自宅に行き、古代賀茂家が作成したと思われる天文図を見せてもらったようです。何枚かに分けて天文図の写真などを博士はデジカメで撮ったようです。中村博士が倉橋家を辞したのが午後3時過ぎだったようです。その日の夜に甘樫丘で天体観測をしている時に石舞台古墳でトォーレ財団の橘建一郎が占用して巫女舞の映像撮影している現場を天体望遠鏡を通してデジタルカメラで写真撮影をしました。映像データの作成日時がなぜか記録されておらず撮影時刻は不明です。橘建一郎の占用許可申請書では1月10日午後10時から11日午前2時までの占有許可を申請していましたので、巫女舞写真データの前に撮影した天体写真データの撮影時刻記録から推理して1月11日午前0時から午前2時までの間が巫女舞の撮影時刻と思われます。

橘建一郎に関する情報は先ほど大和探偵が説明されたこと以外は不明です。


なお、中村博士に倉橋保良を紹介したのが福井県にある土御門本庁のF氏です。

F氏の話では、雑誌『アライ』の記事を見た中村博士から倉橋氏についての問い合わせが12月24日のクリスマス・イブの日にあり、倉橋氏に中村博士の連絡先住所と電話番号を教えたと云うことでした。


その後、中村博士は1月11日(月)午前9時10分にホテル神武をチェックアウトし、伊勢・二見が浦の旅館 『潮花ちょうか』 へ向かったようです。宿泊予定では12日朝にチェックアウトする予定でしたが、急遽キャンセルしたようです。近畿地方整備局飛鳥管理センターに提出されていた甘樫丘占用許可申請書でも1月9日午後9時から1月12日午前3時までとなっていました。何故、1月12日のホテル神武での宿泊をキャンセルし、伊勢に向かったのかは不明です。

1月11日(月)午前9時10分にホテル神武をチェックアウトした中村博士は奈良の橿原市から国道166号と国道369、368を通って東に走ったと思われます。午後3時55分に伊勢自動車道の勢和多気インターに入り、伊勢インターを午後4時14分に出ています。

そして、和風旅館『潮花ちょうか』には1月11日の夕方、午後6時10分にチェックインしています。1月12日の行動については、現在のところ確認できておりません。そして、1月13日(水)午前9時に『潮花ちょうか』をチェックアウトしました。1月11日の午後8時32分に中村博士の携帯に電話があったのを旅館の仲居が見ています。その電話発信地は奈良市下三条の三条通りに面した『ホテル・ワシントン』のロビーに設置された公衆電話でした。発信したと推定できる人物は3人いましたが、カナダ国籍の白人女性のキャサリン・ヘイワードとイタリア国籍の白人男性のビットリオ・ルッジェーロと云う名のホテル宿泊者二人は日本語が話せないと思われますので、発信者ではないと推定しました。なぜなら、旅館の仲居さんの話では、中村博士は日本語で電話の応対をしていたそうですから。中村博士の携帯電話への発信者と思われる日本人男性の素性は全く不明です。その日の7時過ぎから8時過ぎにかけて、その男はホテルにある和食レストラン『金座』で夕食を取っています。その時、男の隣の席では先ほどの白人の男女二人も食事をしていたそうです。

1月13日午前9時に旅館をチェックアウトした中村博士は、その日の午前11時18分に宇治山田駅の改札で二人の男と出会い、どこかに立ち去りました。3人の足取りが先日ようやく判りました。野球帽にサングラスをかけた二人の男は宇治山田駅のホームに横付け出来る観光バス専用の停車場から徒歩で駅構内に入り、そのまま改札から出てきたようです。午前11時前に黒い軽乗用車から降りる二人の男の姿が駅から400m離れたコンビニの駐車場にある監視カメラの録画映像で確認できました。黒い軽自動車はそのまま何処かへ走り去りましたが、その後の動きはNシステムの記録映像にはありません。中村博士と二人の男は中村博士の乗用車で移動し、『伊勢市内の外宮前にある割烹料亭・豊受ほうじゅの個室で食事をしていた』との情報を三重サミットのテロ対策の事前巡回警備で活動していた大阪府警の機動隊員が料亭の女将おかみから得ました。不審なサングラスを掛けたままの二人ともう一人の三人の男たちが小声で話していたそうです。後日、女将に中村博士の写真を見せて三人の一人が中村博士であることを確認しました。そこで、三人がどのような話をしたのかは不明です。12時過ぎから14時ころまで料亭・豊受に居たとの女将の証言でした。その後の3人の足取りは不明です。中村博士の自家用車がどこを走ったのかは確認できていません。そして、1月14日午前6時前に二見が浦の観光客用駐車場で自家用車の横に倒れている博士の遺体が発見されました。発見された時、遺体からは酒の匂いがしていました。死亡する前に、どこで飲酒したのかは、現在のところ判明していません。以上が中村博士が自宅を出てから遺体で発見されるまでの行動です。」と矢倉刑事が説明した。


「何か質問はあるか?」と秋山課長が言った。

「中村博士が1月12日の奈良での予定をキャンセルして1月11日に伊勢に向かった理由ですが、1月10日の倉橋氏との会合でその理由となる話があったのではないでしょうか?」と太郎が訊いた。

「会合での話合いの内容を倉橋氏に聞きましたが、中村博士が急いで伊勢に向かわなければならないような事案はありませんでした。伊勢で誰かに会う必要が出たとすれば、二人のサングラス男が考えられますが、その二人と会ったのは1月13日でした。また、1月11日の午後8時32分に電話を掛けてきた人物は奈良市内に居ましたので、この人物と会うのであれば奈良で出来ました。」と矢倉刑事が言った。

「中村博士の最初の計画では伊勢を訪問することになっていたのでしょうか?」と太郎が訊いた。

「旅館『潮花』の主人の話では1月11日の午前8事ころに中村博士から電話があり、11日、12日の二日間の宿泊が決まったそうです。1月10日の倉橋氏との会合での話から伊勢行き決めたのであれば、1月10日の夕方頃にはキャンセルを決めていたと思われます。しかし、ホテル『神武』にキャンセルを申し出たのは1月11日のチェックアウト時点でした。ですから、甘樫丘での天体観測時点に何かあったと推定できます。それが、石舞台の一件なのか、他の誰かと出会った為なのか、それは不明です。」と矢倉刑事が言った。

「『潮花』に居る博士に『ホテル・ワシントン』から電話をかけてきた人物はどのようにして中村博士の電話番号を知ったのでしょう?」と太郎が訊いた。

「それは判っていません。現在、ホテルの監視カメラの記録映像に映っている男の顔から前科のある人物かどうかを調査していますが、その筋から男の素姓を割り出すのはちょっと難しいですね。その男が電話したという証拠はありあせんが・・・。」と秋山課長が言った。


電話してきたと推定される男が『ホテル・ワシントン』の和食レストラン『金座』でキャサリン・ヘイワードとビットリオ・ルッジェーロが食事をしている隣の席に居た男なのかどうかと大和太郎は気になっていた。


「中村博士の携帯電話の1月9日から1月13日までの通話記録はどのようなものがありましたか?」と太郎が訊いた。

「発信が4回、受信が3回でした。発信は1月10日の午前10時3分に倉橋氏の携帯へ掛けています。内容を倉橋氏に確認したところ、その日にJR奈良駅改札で落ち合う約束の確認電話だったそうです。また、1月10日の午後3時19分に土御門本庁のF氏に電話をかけていました。F氏に確認したところ、倉橋氏を紹介したことへの礼とその日に倉橋氏と面談し、古代天文図を見せて貰ったことの報告でした。中村博士は大変喜んで、興奮されていたそうです。それから、1月11日の午前8時7分に和風旅館『潮花』に11日も宿泊する旨の電話をしています。残りの1件ですが、1月13日の午後2時51分に宇治山田駅周辺から国立天文台の同僚である相良博士に電話しています。相良博士の話では、甘樫丘での天体撮影がうまく言ったことと、東京に帰ったら相談があるので1月15日の午前10時に三鷹市の国立天文台の会議室での打合わせ予約の電話だったそうです。何か聞きたい事があるとの話だったらしいのですが、内容は中村博士が帰って来てから話すと云うことだったそうです。

受信電話は1月11日の午後8時32分の和風旅館『潮花』の件のほかは、1月13日午前11時15分に奈良県の飛鳥管理センターからと1月13日午後4時22分に伊勢駅近くの公衆電話からのものです。飛鳥管理センターからは、1月12日で撮影許可期間が終了することを知らせる電話を入れたという事でした。伊勢駅近くの公衆からの発信人は不明です。近くにある監視カメラの記録映像にはその公衆電話は写りません。その時刻ころの通行人は多過ぎて調べようもありません。まあ、怪しいと云えばこの公衆を使った人物ですが、中村博士に近しい人物が映っているかどうかを調べてはいますが、どうでしょうか・・・。

なお、1月11日の午後8時32分に関する受信電話での中村博士の話を聞いていた旅館の仲居の証言にあった『翌日の宇治山田駅で会う約束』に関しては、宇治山田駅にある4台の監視カメラの記録映像を確認しましたが、中村博士は写っていませんでした。仲居が翌日と聞いたのは翌翌日の13日の聞き間違いだったと思われます。また、その電話中に中村博士が発した『鳥羽の真珠』の言葉の意味ですが、鳥羽湾の真珠島にある展示館のことではないかと思い展示館の監視カメラ映像記録を調べましたが、中村博士の姿はありませんでした。12日の中村博士の行動に関する良い確認方法が思いつきません。」と矢倉刑事が説明した。


「『潮花』に居る中村博士に電話してきた男がホテル・ワシントンの和食レストラン『金座』で食事していた男ではなく、オメガ教団の副教祖・伊周天明これちかてんめいであるとしたら・・・。伊周天明と中村博士の接点が何処であったのかだが・・・?」と太郎は考えを巡らせ始めていた。


その後、太郎はパトカーで宿泊旅館の二見が浦『潮花』まで送ってもらい、宿泊した。



大和の光陰37;

2016年2月25日(木) 午後3時ころ  福井県おおい町名田庄の土御門本庁前


大和太郎は三重県宇治山田駅から近鉄電車で京都駅に出て、駅前でナビが付いたレンタカーを借り、京都嵐山から周山街道と呼ばれる国道162号線を北に走り福井県名田庄にある土御門本庁前に到着した。

周山街道の道端には雪が残っていたが車の走行には支障がなかった。


「レンタカー屋の事務員は『スノータイヤを装着してありますが、路面が凍っている場合はトランクに入っているタイヤチェーンを利用してください。』と言っていたが、その心配はなかったな。」と思いながら、太郎は車から降りた。


大きな茅葺き屋根の和風建築の前で中年男性と一組の男女が話をしている。

男は望遠レンズの付いたカメラを手にぶら下げている。

「どうも、ありがとございました。」と30過ぎくらいの女性が会釈しながら言った。

「良い写真は撮れましたか?」と中年男性が訊いた。

「はい。御蔭さまで、良い記事が掲載出来そうです。」と女性が言った。

「それは良かったですね。飛鳥師にもよろしくお伝えください。」

「はい。それでは、これで失礼いたします。」


一組の男女は太郎とすれ違い、小さな駐車スペースに止めてあった乗用車に乗り込み、男の運転で走り去った。

太郎は中年男性に近づいて行った。


「Fさんでしょうか?」

「そうです。私立探偵の大和さんですね。」とF氏が言った。

「はい、そうです。本日はよろしくお願いいたします。」と太郎は言って、会釈した。

「まあ、中へお入りください。」とF氏は言って、茅葺の母屋へ向かい歩き始めた。



大和の光陰38;

2016年2月25日(木) 午後3時過ぎ  土御門本庁内の応接室


母屋の玄関を入った右手にある応接洋間に入り、F氏と太郎は向かい合ってソファーに座った。


「先ほど帰って行かれた男女はどの様な方なのですか?」と太郎が訊いた。

「ああ、帰り際にすれ違ったのでしたね。朝読新聞社文芸部の清家和子さんと撮影部カメラマンの堂上武文さんですね。」と上着のポケットから取り出した名刺を見ながらF氏が言った。

「新聞に陰陽師の記事でも掲載するのですかね?」と太郎が言った。

「いえ、違います。飛鳥光院と云う尼僧の記事を書くそうです。『この人を訪ねて』とか云う日曜版の月一回の特集記事だそうです。飛鳥師はここで陰陽道の修行を時々されています。飛鳥師の紹介でその記事に載せるここの写真を撮りに来られたのです。」とF氏が言った。

「そうですか。」

「ところで、本日の御用件は二見が浦での殺人事件に関することだと三重県警察本部の高城本部長から聞いていますが・・・。」とF氏が言った。

「はい。警察の手伝いを依頼されておりまして、その調査で参りました。この写真を見ていただけますでしょうか。」と太郎は言って、オメガ教団の副教祖・伊周天明これちかてんめいの映っている写真を見せた。

「この人ですか・・・?」とF氏が写真を考えるように眺めた。

「ご存じの方でしょうか?」と太郎が訊いた。

「この方は、高岡研二さんに似ていますね。」

「高岡研二さんと云いますと?」と太郎が突っ込んで訊いた。

「高岡研二さんは十数年まえの陰陽師ブームのころに初めてここにお見えになりました。それから3年間くらいはシバシバここにお見えになり、陰陽道の修業をされていました。主に暦の作り方と天文観測、占術を勉強されていました。一般の方が興味を示される呪法や呪術には興味はなかったようです。その後は全くお見えになっていません。」とF氏が言った。

「占術とはどのようなものなのですか?」と太郎が訊いた。

「星神と十干十二支が描かれた式盤を用いて国家レベルの運命や個人の運勢を占う占断・易断です。式盤と云うのは円形の中心に北斗七星を置き、その外側の円の周囲に十二神将、十干十二支、二十八宿を配した天盤が描かれています。また、その天盤の外側に地盤と呼ばれる八干十二支、二十八宿、三十六禽、八卦八門が書かれた四角形が描かれています。そこの壁に貼ってある絵に描かれている図が式盤です。」とF氏が説明し、壁を指差した。


※十干:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸

※十二支:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

※二十八宿:(玄武七宿;斗・牛・女・虚・危・室・壁)(青龍七宿;角・亢・?・房・心・尾・箕)

   (白虎七宿;奎・婁・胃・昴・畢・觜・参)(朱雀七宿;井・鬼・柳・星・張・翼・軫)


「なるほど。その高岡さんは天文観測と占術をマスターされたのですか?」

「完璧ではなかったようですが、それなりに理解されていたと指導員からは聞いています。」

「高岡研二さんの当時の住所は判りますか?」

「当時の修行者名簿を見ればわかると思いますが、個人情報ですのでお教えできません。」

「警察の捜査と云う事でお教え願えませんでしょうか?必要なら三重県警察本部に依頼しますが。」と太郎が言った。

「高城本部長さんからのご依頼でしたね。判りました。しばらくここでお待ちください。調べてきます。」と言って、F氏は応接室から出て行った。



大和の光陰39;

2016年2月26日(金) 午後2時ころ  京都府八幡市の石清水八幡宮の男山近辺


緑の樹木に囲まれた石清水八幡宮がある男山の西側斜面は丘陵を開発した住宅街になっている。

京都七条駅から京阪電車に乗り、大阪方面行の電車で八幡市駅に降車した大和太郎はケーブルカーで男山に上り、石清水八幡宮に参拝した後、京都のポケット地図帳を見ながら住宅街まで足を伸ばした。


「ここが八幡市男山指月○○−○か。石畳の隙間から湧き出る清水池せいすいいけ石底いわそこに霊的な社祠があると謂われている石清水八幡宮に比べると、この辺は全く別の世界だな・・・。土御門本庁で修業していた頃の高岡研二はここに住んでいたのか。富山で調べた時は本籍地となっていた住所だから実家だろう。いつころからオメガ教団に入信したのだろう。オメガ教団の副教祖としては伊周天明の名前を使っているが、本名は高岡研二と云う事だな。」と太郎は思いながら、高岡傳蔵と書かれている家の表札を眺めた。


「今日はこのまま戻ろう。変に動いて伊周天明こと高岡研二にこちらの動きを悟られては元も子もないからな。伊周天明の動きの追跡はCIAに任せよう。半田警視長には橘建一郎の正体はオメガ教団の伊周天明こと高岡研二であると報告すればいいだろう。あとは、CIAのハンコックからの依頼の問題だが・・・。『アレキサンダー大王のミイラとカノープスの壺の在り場所を見つけろ』と云う事だったな。明日もう一度、D大学の藤原研究室を訪問するか。吉備真備きびのまきびが見たスサノオの夢の場所が播磨灘のどの場所なのか、詳細な場所を特定する必要があるからな。その特定場所に相当する地中海の海中にカノープスの壺はあるはずだ。以前の鞍地研究員の推理では淡路島と小豆島の間の海域で明石海峡の緯度にある場所だったな。それはキプロス島とクレタ島の間の海域。その海域の何処なのか・・・。そこから壺は引き上げられている可能性もあると云うことであったが・・。そうだとすれば、どの時代の誰が壺を海中から引き上げたのか・・?そして、今、カノープスの壺は何処にあるのか・・・。最近の海洋考古学は調査機材が進んでいるらしいが・・・。」と考えながら、太郎は高岡研二の実家の前から立ち去った。



大和の光陰40;

2016年2月26日(金) 午後4時半ころ  D大学藤原研究室


京都に来たついでに、大和太郎は『アレキサンダー大王のミイラとカノープスの壺のある場所』について議論するためにD大学藤原研究室を訪れていた。


「大和君はカノープスの壺がある地中海の場所を特定したい訳ですか。」と藤原教授が言った。

「先月、大和さんが帰られた次の日から私も場所を特定するために、いろいろと調べてみました。」と鞍地大悟が言った。

「何か判りましたか?」と太郎が訊いた。

「はい。場所を特定しました。」と鞍地大悟が自信たっぷりに言った。

その瞬間、鞍地大悟の瞳の中が紅い色にピカッと光り輝いた様に太郎には見えた。

「判りましたか!」と太郎は大きな声を出しながら、「しかし、あの眼の紅い光は鞍馬山の光明心殿に奉られている護法魔王尊像の目の光にそっくりだな。」と思った。


「結論を先に申しますと、藤原教授の推理したゴルゴン三姉妹の末娘メドーサの首のあり場所と同じであると推理しました。そこはキプロス島の北部の海中で、北緯35度58分、東経32度48分の海底です。」と鞍地大悟が言った。

「どういう推理ですか?」と太郎が訊いた。

「霊能者である吉備真備はスサノオ命の白昼夢を播磨灘で霊視しました。スサノオ命、それはペルシアの街・スーサに君臨した王、すなわちスーサの王であったアレキサンダー大王のことです。言葉を変えれば、吉備真備はアレキサンダー大王を瀬戸内海の播磨灘で霊視した訳です。そして、当時の播磨国、現在の姫路市にある広峰神社の奥宮がある白弊山にスサノオ命の神威を感じ、天皇に奏上して神籬ひもろぎを創建させました。淡路島南あわじ市にある法王寺というお寺は白弊山のほぼ真南にある法華宗の寺ですが、この法王寺と白弊山を結ぶ霊ライン上の播磨灘海上で吉備真備はスサノオ命を霊視したのだと推理出来ます。法王寺から白弊山を結ぶ霊ラインの延長線上には救世主の象徴である北極星が輝いています。だから、寺名が法王なのです。」と鞍地大悟が言った。

「日本の神であるスサノオ命はアレキサンダー大王ですか・・・。そして、法王ね。ローマ法王も関係があるのかも知れないですかね・・・。」と太郎が冗談を言った。


「スサノオ命は巨旦こたん大王を殺し、その支配地を蘇民将来に与えた牛頭天王ごずてんのうです。巨旦こたん大王とはペルシアの王・ダレイオス3世であり、蘇民将来とはアレキサンダー大王を支えた部下の将軍たちのことです。この将軍たちはエジプトのプトレマイオス王朝、ペルシアのセレウコス王朝、トルコのアンティゴノス王朝、マケドニアのリュシマコス王朝・カッサンドロス王朝を起こしました。ちなみに、スーサ、ペルセポリスなどアレキサンダー大王が支配したアケメネス朝ペルシアの宮殿には牡牛像がシンボルとして残されています。アレキサンダー大王は中央アジアの国々では二本角(ズル・カルナイン)と呼ばれていました。二本角にほんずのとは牡牛のつののことです。そして、陰陽師が著作した『三国相伝・金烏玉兎きんうきょくと集』の中で牛頭天王は、将来、厄神となって蘇えると宣言しています。」と鞍地大悟が言った。

「蘇える二本角ですか・・・。」と太郎が呟いた。


「さて、アレキサンダー大王はバビロンで死亡した後、マケドニアに埋葬するためにダマスカスに運ばれていました。そこで、友人であり部下でもあったプトレマイオス将軍がアレキサンダー大王のミイラと心臓や目玉などの内臓が入ったカノープスの壺を、マケドニアに運ぶと嘘をついて、実はダマスカスからシドンに運び、シドンの港からエジプトの地中海沿岸にあるアレキサンドリアに向けてキプロス島北部の地中海を船で進みました。カモフラージュのため、同時期にダマスカスからシドンを経て、陸路でアレキサンダー大王の遺体ミイラが載せられていた空の葬送馬車をエジプトのメンフィスにあるアモン神殿にも向かわせました。嘘をついた理由は、アレキサンダー大王のミイラを所有することを狙っている他の将軍たちが追ってくることを防ぐためでした。しかし、キプロス島北部の海上で大嵐にあったため、沈没を恐れた船員たちが海神ポセイドンの怒りを鎮めるためにカノープスの壺を海中に沈めたと思われます。カノープスの壺は二つあり、一つが内臓の入ったもの。もう一つはアレキサンダー大王が戦場で防護布イージスに縫い込んで着けていたゴルゴン三姉妹の末娘メドーサの霊魂が鎮められている首のレプリカ大理石彫像と黄金で出来ている『有翼の日輪』彫像です。ギリシアのアテナ神像からメドーサの首を手に入れた際、大理石で彫ったメドーサの首のレプリカにはメドーサの霊魂、アテナ神像に宿る勝利の女神・ニケの霊魂を黄金で作った『有翼の日輪』彫像に鎮めるための呪法を呪術師が行ったはずです。『有翼の日輪』は古代エジプトでは王家を守護する女神・ネクベトを表すハゲワシ(ハゲ鷹)が太陽神アテン表す日輪を抱く王権の象徴です。羽はハゲワシの翼、日輪は太陽とされています。ラムセス6世(BC1100年頃)の墓の通路天上には女神ネクベトのハゲワシの下に2匹のコブラが日輪にぶら下がっている有翼の日輪の図が黄金色で描かれています。ペルシアのペルセポリスの三門宮の入口門柱やダレイオス1世の記念碑にも有翼の日輪の図柄が玉座に座る王の頭上に浮彫り絵として残されています。ただ、ゾロアスター教(拝火教)のアフラ・マズダ神の姿と合体した図柄になっていますが、ペルシア人の心を支配するためにアレキサンダー大王が彫らせたのかもしれません。」と鞍地大悟が言った。


「英語読みでゾロアスター、ドイツ語読みではツアラツストラですね。大和君が学生のころは拝火教の講義はありませんでしたが、現在は半年1単位の選択科目として拝火教の授業を神学部3年生に行っています。鞍地君には資料集めなどで手伝ってもらっています。ツアラツストラはBC630年ころに現在のイラン北東部に生まれたと伝承されています。悪魔による殺害計画を逃れ、光に包まれて誕生したとされています。誕生直後に聖句を唱えて悪魔を撃退したとも謂われています。大人になってアフラ・マズダ神からの啓示・予言を受け、世人に教えました。それがゾロアスター教です。」 と教授が言った。

「そうですか。ゾロアスター教ですか・・・。」と太郎が言った。


「霊魂が宿るそれらの二つの彫像をアレキサンダー大王は戦闘用防護布イージスに縫い込んでいたのです。だから、アレキサンダー大王がペルシア王やインド王に勝利できたのです。アレキサンダー大王が戦う時、彼の頭上には鷲の羽を背中に持つ勝利の女神・ニケが飛んでいたのです。それは、古代エジプトの国王・ファラオのシンボルである『有翼の日輪』です。それらが沈められた地中海の場所に相当する日本の場所が瀬戸内海の播磨灘であり、吉備真備がスサノオを霊視した場所です。」と鞍地大悟が言った。

「吉備真備が霊能者であると断言する理由は何ですか?」と太郎が訊いた。

「遣唐史として中国で陰陽道の修業している時、唐で死んだ安倍仲麻呂が霊として吉備真備の前に現われ、優秀な吉備真備に嫉妬した中国人僧侶たちに殺されかけた危機を乗り越えるための助言を安倍仲麻呂が吉備真備にした話は有名です。後に中国(唐)に渡り密教を会得した空海も霊能者であったようです。」と鞍地大悟が言った。

「スサノオの霊が現れた播磨灘の場所は緯度と経度で表せばどうなりますか?」と太郎が訊いた。

「その壁に貼ってある日本地図と世界地図を見てください。」と言いながら鞍地大悟はA1サイズの地図2枚が貼ってある壁の前に立って説明を始めた。

「ここ、淡路島の南あわじ市に大乗山法王寺と云う法華宗の寺があります。そして、この日本地図の法王寺に相当する世界地図の場所が、ここ、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ市のキリスト像があるコルコバードの丘です。」と言いながら鞍地大悟は世界地図の上を指差した。

「なるほど。淡路島を180度回転させて南北を反転させると南米大陸と似た形になり、リオ・デ・ジャネイロは南あわじ市に相当しますね。」と太郎が言った。

「法王寺の門前にある公道は北北東に真直ぐ伸びています。この公道の延長線と明石海峡の北緯34度40分が交わる点は東経134度50分です。」と鞍地が言った。

「北緯34度40分、東経134度50分がスサノオの霊が現れた場所ですか・・・。」と太郎が呟いた。

「重要な事はそのポイントではありません。法王寺の前の公道に面し西北西に向いて開かれている寺門は、公道と90度を成す直線、すなわち東南東方向に走る方位線を延長していくとリオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に到達すると云うことです。」と鞍地が言った。

「その意味は?」と太郎が訊いた。

「救世主です。コルコバードのキリスト像は両腕を水平に伸ばした十字架像になっています。法華経の南無妙法蓮華経は人々を救うために唱えるのです。法華経は救世主の代わりです。」と鞍地が言った。


その他、世界地図を見ながら、明日香村の地球緯度である北緯34度26分ライン近辺のアレキサンダー大王の遠征地や秦の始皇帝稜墓、兵馬俑に関する議論を行った後、太郎は藤原研究室を辞した。


※著者注記;同じ緯度の夜空には同じ星座が見えることになるのが3人の議論の背景にある。



大和の光陰41;

2016年2月27日(土) 午前10時半ころ  アメリカ大使館の会議室


大和太郎はCIAのジョージ・ハンコックから依頼を受けた『アレキサンダー大王のミイラとカノープスの壺の在り処?』と『オメガ教団の副教祖・伊周天明これちかてんめいとビットリオ・ルッジェーロが何を話したのか?』に対する報告をするために東京溜池のアメリカ大使館に来ていた。

大和太郎とジョージ・ハンコックが会議テーブル前に並んで話している。


「なるほど、キプロス島の北の海底にアレキサンダー大王のカノープスの壺が眠っていると云うのですか・・・。」とハンコックが言った。

「プトレマイオス将軍が運んでいた船からカノープスの壺が捨てられた訳ですが、すでに誰かの手によって海底から引き揚げられた可能性も考えに入れておく必要もあるでしょう。吉備真備と云う古代霊能者の霊視証言から推理した結果がキプロス島北部の海底です。」

「なぜに、カノープスの壺は引き上げられたかも知れないと思うのですか?」とハンコックが訊いた。

「2015年4月21日午後10時ころ、エジプットにあるクフ王ピラミッドの北面の龍座に向いた通気孔と思しき場所から赤い火の玉が3個、地中海方面に飛び出して行ったようです。そして、同じ時刻ころに、地中海沿岸の三つの都市でその火の玉が目撃されています。一つの火玉はギリシアのアテネのパルテノン神殿近くのアクロポリスの丘に。一つはギリシア北部にある古代マケドニアのペラ遺跡近く。ここにはアレクサンドロスの先祖の墓があります。あと一つはギリシアのトルコ国境近くにあるアレクサンドロポリの港近くの海上に落ちたそうです。先ほども話したように、アレキサンダー大王のミイラ遺体はプトレマイオス十世によってクフ王ピラミッドの地下室に運び込まれたと仮定しますと、この3個の赤い火の玉はアレキサンダー大王の霊魂バーがカノープスの壺にある内臓を探していると考えられます。キプロス島北部の海底には火の玉は落ちていません。」と太郎が言った。

霊魂バーとは?」とハンコックが訊いた。

「古代エジプト人は人間の肉体には『カー』と『バー』が宿っていると考えていました。たぶん古代の霊能者には二つの霊が見えていたのでしょう。現代風にいえば、守護霊あるいは指導霊、または憑依霊にあたるのがカー、本人の霊魂に相当するのがバーです。バーは死者の頭を持った鳥の姿で表現されましたが、どんな姿にも変えられるとされています。赤い火の玉は霊魂の変化した姿です。バーは死者の肉体や墓の上に停まっている絵がエジプト壁画で見られます。一方、カーは生命力や精神の象徴とされ、死後も家と食物、すなわち墓とお供え物が必要と考えられていました。死んだ肉体とは別の肉体を自分の家にする訳です。」と太郎が言った。

「アレキサンダー大王のバーが心臓や目玉を求めて飛んでいた訳ですか。現在、その心臓や目玉のあるカノープスの壺がアテネ、ぺラ、アレクサンドロポリの何処かにあると云うことですか?キプロス島北部の海底ではなく。」とハンコックが訊いた。

「その可能性があると云うことです。」と太郎が答えた。

「なぜ、今になってアレキサンダー大王の霊魂が飛び出したのですかね・・・?」とハンコックが言った。

「ブラッククロスが動いているからでしょう。」と太郎が答えた。

「ブラッククロスがカノープスの壺を海底から引き揚げたということですか・・・?」

「たぶん・・・。彼らはアレキサンダー大王の黄泉帰よみかえり・復活を画策しているのでしょう。ノストラダムスの予言にあるアンゴルモアの大王とはアレキサンダー大王のことでしょう。」と太郎が言った。

「『泰山府君祭たいざんふくんさい』の文字が彫られた白い石板を持って殺されたリオ・デ・ジャネイロの中国情報部員、デルフィで『プトレマイオス、カノープス、トコトノカジリ』のメモを残して殺された自衛隊情報部員の事件が関係していますかね・・・。」とハンコックが呟いた。

「そして、石舞台での巫女舞ですね。」と太郎が言った。

「石舞台の巫女舞がどのように関係してくるのですか?」とハンコックが訊いた。

「石舞台やキトラ古墳がある明日香村の緯度は北緯34度26分です。その緯度を西に辿って行くとパキスタンのタキシラ遺跡に行き当たります。」


「タキシラ遺跡とは?」とハンコックが訊いた。

「BC518年にペルシア・アケメネス朝のダレイオス1世に支配され、BC326年にアケメネス朝ダレイオス1世を破りペルシアを征服したアレキサンダー大王がインダス川流域を越えて攻め込んだ土地のひとつがタキシラです。タキシラで『裸の哲学者たち』と呼ばれるバラモン教の僧侶たちに出会ったアレキサンダー大王は、その影響を受けます。その中のカラノスと云う僧侶の意見を受け入れてアレキサンダー大王はインド征服を諦めます。通説ではマケドニア兵やギリシア兵の反対で遠征を中止したとされていますが、『裸の哲学者たち』の教えである『中心で支配する』方法を実践するためにペルシアの王都スーサへ引き返したのです。アレキサンダー大王はバビロンで死にますが、大王の遠征が中断した地がタキシラなのです。」と太郎が言った。

「タキシラでアレキサンダー大王が復活すると云うことか?」とハンコックが訊いた。

「現在タキシラはパキスタンにありますが、大王の復活場所ではないと思います。タキシラを制圧した後、もう少しインド内部に攻め行っています。しかし、タキシラから南下しインド洋沿岸に沿ってペルシアのスーサにもどりました。当時、タキシラはバラモン教の中心地でした。一方、日本の十一面観音はバラモン教によって改心して悪神から善神になった観音様です。『十言とこと神咒かじり』は『アマテラスオオミカミ』を十一回唱えます。十の次は十一です。

ブラッククロスが11人目の情報部員を殺害した狙いは11という数字にこだわったからです。

十字架の救世主の次に来る十一面観音様の慈悲の時代を支配するために。もちろん、アレキサンダー大王の世界征服を継続して始める土地としての意味合いもありますが・・・。」と太郎が言った。

「十と一ですか。シナイ山でモーゼが神ヤハウェから授かったカバラ数秘術の宇宙階層で10番目の光は、王国、神、救世主、正しき人間の魂、そして不浄を意味します。そして、1番目の光は、王冠、在りて在る者、面前の天使、聖獣、そして神の分身を意味します。さらに、タロット魔術研究家によると数字の10は隠者で手、数字の1は愚者で牡牛を意味します。アレキサンダー大王は中央アジアでは二本角の牡牛とよばれていました。『愚者と呼ばれている隠遁者がアンゴルモアの大王となって復活』すると云うことですかね・・・。」とハンコックが言った。

「カバラ数秘術ですか・・・。」と太郎が呟いた。

「カバラとはヘブライ語で伝承を意味します。カバラによると、神はセフィロトと呼ばれる10本の光を放った。そのそれぞれの光の中に4層で出来ている世界宇宙を創ったとされている。最上層は神性界とよばれ、神の属性である完全な世界。その下に創造界と云う大天使がいる世界。その次が天使の居る形成界。そして最後が我々人間の住む物質界です。この10本の光それぞれのことを『生命の樹』と呼ぶのです。そして、我々人間の魂は肉体と謂う衣に束縛されて生きているが、この個々の魂も10個のどれかひとつの神性界にもどれば同じ大きな魂体の一部にすぎないのです。」とハンコックが説明した。

「モーゼの神ヤハウェからの伝承カバラの事をよく知っているハンコックはやはり秘密結社ビッグストーンクラブの会員か・・・?」と太郎は思った。


「それで、伊周天明とビットリオ・ルッジェーロの会話の件はどうなりましたか?」とハンコックが訊いた。

「奈良のホテルでの会話を聞いた者は見つかりませんでした。しかし、調査して浮かび上がってきた内容を報告します。」と太郎が言った。

「それで・・・。」とハンコックが先を促した。

「伊周天明は本名を高岡研二と云います。2009年6月、イタリアとスイス国境の町キアッソで13兆円相当のアメリカ国債を運搬していてイタリア政府に拘束された二人の日本人と同行していた第3人目の男が高岡研二でした。この3人はキリストが誕生した時に贈り物をした占星学者・東方の三博士の遺体があるドイツのケルン大聖堂に13兆円を届けようとしていたのです。数字の13はその数字が関係する物事が有効であることを示す数です。そのねらいは東方の三博士の復活です。3人の日本人の背後で指示を出していたのがブラッククロスでした。伊周天明こと高岡研二は今回、橘建一郎を名乗って石舞台の占用許可を受けて1月10日の夜に巫女舞を実行しています。そして翌日の1月11日にJR奈良駅前に近いホテル・ワシントンでビットリオ・ルッジェーロと会って、巫女舞の事後の行動計画を相談していたのでしょう。それが、アレキサンダー大王の復活に関係する何かの行動計画であったと推理しました。」

「なぜ、そのような推理になるのですか?そして、その何かの内容は?」とハンコックが訊いた。

「ビットリオ・ルッジェーロたちが西洋の巫女舞を行った石舞台は古墳ではなく、高天原と直結している場所であると云う説を唱える人がいます。もし、それが事実とすれば、どのような巫女舞だったのかです。もし、ビットリオ・ルッジェーロがブラッククロスのカール・クリューガーであるとするなら、『泰山府君祭』の行い方を事前に知ったカール・クリューガーが巫女舞の間に何か呪文を唱えたと思われます。そして、これがその巫女舞の写真です。」と言って太郎はハンコックに三重県警から貰った写真を見せた。

「これは?」

「三重県の二見が浦で殺害されていた天文博士の中村建一郎と云う人物が撮影した写真です。」

「この白いキトンを着た女性は金髪のように見えるが、西洋人か・・・。」とハンコックが言った。

「カール・クリューガーが連れて来た巫女でしょう。もしかしたらこの巫女は霊能者のキャサリン・ヘイワードかもしれません。石舞台の周辺に立っている人物たちはカール・クリューガー、橘建一郎こと高岡研二、そして、ビデオ撮影をしているオメガ教団の関係者ではないかと思われます。」と太郎が言った。

「この写真からはどのような巫女舞を舞っていたのかは判らないな・・・。」とハンコックが言った。


「『飛鳥ひちょうの舞』だ。」と太郎が言った。

「なぜ判るのだ?」とハンコックが訊いた。

「ルル・アラブと云う霊視能力がある占星術師が居ます。アレキサンダー大王の復活地の調査で事前にアラブ師に相談したした時、1月10日の午前0時ころ、水盤に映る西洋人巫女が石舞台で踊っている姿を霊視していました。アラブ師いわく、『飛鳥の舞』だそうです。」と太郎が言った。

「アレキサンダー大王の復活地はどこだ?」とハンコックが訊いた。

「アラブ師いわく、トンキン湾に近い中国南部の南寧なんにんということです。ただ、私はこの説には賛同していない。」

「太郎の推理では別に在るのか?」

南寧なんにんは北緯22度50分にある。私は北緯34度26分にある中国大陸の地と推理しています。石舞台のある明日香村の緯度が北緯34度26分です。

アラブ師の推理は2008年9月13日の大地震で破壊された南寧なんにんから日本の愛知県岡崎市に向かって衝撃が走るというブラジル人夢予言者の霊夢にっています。2008年の日時は予言者の計算で、間違っていましたが、日本列島は世界の縮図説に従うと岡崎市は古代ペルシアのペルセポリスに相当します。疫神となったスサノオが復活する場合、スサノオことアレキサンダー大王がペルセポリスを炎上させたという悪事を行った場所が関係すると云う神の啓示としての霊夢であるとする考え方です。

しかし、ブラッククロスが今年の1月10日の新月の日に実行した石舞台での『飛鳥ひちょうの舞』と『泰山府君祭』の祭祀が冥界の神に届いた場合、アレキサンダー大王は北緯34度26分で復活するはずです。『中央で支配する』ことをタキシラで決意してスーサに帰還したアレキサンダー大王は秦の始皇帝の軍隊『兵馬俑』の兵士霊たちを従えて、中国大陸の漢の主都長安ちょうあんこと現在の西安しーあんに蘇るのです。石舞台、タキシラ、兵馬俑坑、西安は北緯34度26分にあるのですからです。なお、アレキサンダー大王はBC356年の正月の新月の日の太陽が昇ろうとする時に生まれ、BC323年4月の新月の日の太陽が沈もうとする時に死んだと謂われています。33年の生涯でした。別の説には6月3日に熱を出して倒れ、6月13日に死んだとも謂われていますが・・・。」と藤原教授、鞍地研究員たちと推理したことを太郎が述べた。

西安しーあんでアレキサンダー大王とその兵士たちが蘇えるのですか・・・。」とハンコックが呟いた。

「『飛鳥ひちょうの舞』とは勝利の女神であり、ファラオしるしでもある『有翼の日輪』の復活を願ってブラッククロスが行った『泰山府君祭』の祭祀を伴った呪術舞だったのです。」と太郎が言った。


「アンゴルモアの大王の蘇生は阻止しなければならない。」とハンコックが強い口調で言った。



大和の光陰42;

2016年2月29日(月) 午前11時ころ  国会前庭


司法・立法・行政の三権分立の象徴を現わした高さ31.5mの三面塔星型時計塔の前に広がる噴水プールの周辺に置かれているプラスチックベンチに座りながら、大和太郎が刑事局長補佐の半田警視長に天文博士殺人事件に関する調査状況を報告している。


「まだ、容疑者と思しき人物は浮かび上がってきませんか・・・。」と半田警視長が言った。

「はい。申し訳ありません。」と太郎が言った。

「いや、大和探偵の責任ではありません。それで、中村博士と伊勢外宮前の料亭で話していたサングラスを掛けた二人組の男たちの素性は判ったのですか?」と半田が訊いた。

「その件ですが、1月13日の午前11時に宇治山田駅近くの駐車場にその二人と思われる男たちを降ろした軽自動車のその後の映像が警察の道路通過車両チェックのNシステムのカメラ映像記録には映っていないようです。一方、午後2時に伊勢の料亭から出て行った中村博士の自家用車も、1月14日に二見が浦の駐車場で発見されるまで、その動向が判っていません。Nシステムの撮影地点を通過しなかったと言ってしまえばそれまでですか、何か腑に落ちません。」

「何か思う事があるのですか?」と半田が訊いた。

「はい。トレーラーです。」

「トレーラー?」

「軽自動車や自家用車が入る電磁波遮蔽コンテナボックスを載せたトレーラー・トラックです。」

「なるほど。盗んだ高級車を運ぶために特注で造られたコンテナ・トラックですね。」

「はい。1月13日午前11時ころの宇治山田駅近辺道路と伊勢外宮近辺の午後二時ころにNシステムの監視カメラ映像に映っているコンテナ・トラックがあったかどうかを調べてほしいのです。」と太郎が言った。

「調べておきましょう。」と半田が言った。

「あと、橘建一郎はオメガ教団の副教祖である伊周天明でした。本名は高岡研二と云い京都府八幡市の出身でした。」と太郎が言った。

「石清水八幡宮がある町ですね。」と半田が言った。

「高岡研二は福井県にある土御門本庁と云う陰陽道の道場で修業をしていたようです。」

「江戸時代以前にあった陰陽師の土御門家の歴史を引き継ぐ組織団体ですね。」と半田が言った。

「以前、陰陽師に関する本を読んで勉強したことがありました。その時、土御門本庁という団体があることを知りました。伊周天明は何を修行していたのですか?」

「天文観測技術と暦断・占術の知識を学んだようです。」と太郎が言った。

「天文観測ですか・・・。天文博士の中村建一郎氏に繋がりますかね・・・。」

「さあ、それはこれからの調査になります。」と太郎が言った。

「被害者・中村博士の1月9日の夕方以降はホテル滞在中なのでまあ良いとして、中村博士の1月10日の奈良での行動ですが、倉橋氏と別れた後、午後10時からの甘樫丘での天体写真撮影を始めるまでの博士の動きがはっきりしていませんね。ホテルで仮眠していたのでしょうかね?そして、1月12日の博士の伊勢での行動についても三重県警からの報告にありません。大和探偵、この件を調査願えますか? 最近の刑事は大学を出ているから英語を話せたりするけれど、サラリーマン的で捜査活動が表面調査で終わることが多くてね。昔の刑事のような事件解決への執念が弱いのですよ。」と半田が言った。

「1月10日と1月12日の博士の行動ですね。承知しました。」と太郎が言った。

「三重県警と奈良県警には捜査協力の連絡をしておきます。」と半田が言った。

「奈良に在住の倉橋氏と会えるようにアポイントをお願いします。」と太郎が言った。

「中村博士が会っていた陰陽師家の子孫の方ですね。三重県警に取らせます。」と半田が言った。


高岡研二が岡上正一と大崎隆弘と共に13兆円相当のアメリカ国債を運搬していたキアッソ事件の第三の日本人であったことを太郎は半田には話さなかった。キアッソ事件は中村博士の殺人事件とは関係がないと太郎は判断していたからである。



大和の光陰43;

2016年2月29日(月) 午後2時ころ  二見が浦海岸にある時間貸し有料駐車場 


毎朝新聞の名古屋支社の応援で『天文博士殺人事件』の調査活動をしている事件記者・鮫島姫子が事件現場の駐車場に来ていた。


「ここが中村博士の遺体が発見された現場か・・・。刑事じゃないけれど、『現場百回』、行き詰った時は現場に立ち戻ると云うのがこの世界の鉄則だわね。ここに中村博士の自家用車が止まっていたのか。その横に後頭部を殴られ、うつぶせ状体で倒れた博士の遺体があった。死因は凍死だった。車内には天体望遠鏡と古代天文図と地図、それに飛鳥王国パスポートと云う手帳のスタンプ欄には『陰陽師の神道秘符・発露』の文字が残されていた。陰陽師か・・・。」と考えを巡らせながら、姫子は名古屋支社の事件記者から貰った現場のメモ図を手に持って駐車場をうろついていた。


「あれ、姫子じゃない?」と言いながら、姫子の前方から一人の30歳くらいの女性が近づいて来た。

「あなた、だれ?」と姫子が言った。

「山田高等学校で同級生だった赤城美弥子よ。忘れたの、もう。」と女性が言った。

「あれ、美弥子。化粧で美人になっているから判らなかったわ。何年ぶりかしら?」と姫子が言った。

「山高を卒業して以来だから10年以上会っていなかった訳ね。」と美弥子が言った。

「美弥子は東京の大学を出てそのまま東京にある銀行に就職したと聞いていたけれど、違った?」と姫子が訊いた。

「そうよ。MS銀行に就職して、今もその銀行で働いているは。でも、2年前にMS銀行松阪支店に転勤になって実家に帰って来たのよ。今は、実家から松阪市にある会社に通勤しているわ。」と美弥子が言った。

「仕事の内容は何?」

「銀行が運転資金を貸付している企業の業績監査をする部署で働いているの。」

「ふーん、業績監査ね・・・。それで、まだ独身ひとり?」と姫子が訊いた。

「そう、まだね・・・。ところで、姫子。ここで何をしているの?」と美弥子が訊いた。

「ここは、中村建一郎と云う天文博士が死んでいた現場なのよ。」

「ああ、一月にあった『天文博士殺人事件』ね。その事件がどうかしたの?」と美弥子が訊いた。

「私、毎朝新聞の事件記者をしているの。」

「あなた、事件記者なの。なるほど。それで現場の確認に来た訳ね。それにしても、どこから来たの。名古屋から?」

「東京からよ。」

「ええっ。東京の記者が三重県まで取材に来るの・・・。驚いた。」

「名古屋支社の連中がだらしないので、応援で東京の本社から私が派遣されたって訳よ。」

「へえ。姫子がね。でも、あんた、昔から頭良かったからね。たしか、京都のK大学を卒業していたわね。新聞社から期待されている訳だ。」

「そうよ、えへへへへ。」と姫子が自慢げに右手の人差指で鼻をさすった。

「何か手伝ってあげようか?」

「あなた、銀行の仕事は?」

「今日は休暇なのよ。うるう年の2月29日はね、銀行には暇な日なのよ。えへへへへへ。」と美弥子が笑った。

「そうね、最近、伊勢近辺で何か見なかった?」と姫子が訊いた。

「不思議に思ったことがあったかどうかね。」

「そう。」

「伊勢じゃないけど、変な男連れに出会ったわね。いつ頃だったかな・・・。」

「伊勢じゃないって、どこで?」

「津市にある香良洲神社の参道でね。事件には関係ないかな・・・。」

「あの香良洲神社で・・・。」と姫子が驚いたように言った。

「そうよ、あの香良洲神社でね。」と美弥子も言った。


二人は高等学校時代に香良洲神社で不思議な経験をしていた。

7月15日の夜に行われる神事『夜がらす祭』に行った時のことであった。

『夜がらす祭』とは神社の境内や参道に提灯が灯される中、地元の婦人会の人々が手踊りを舞う行事である。

その日、祭り見物に来た姫子たち級友4人で不思議な現象を見たのであった。

まだ祭りが始まる前の夕刻の事であった。

黄昏の中、神社近くの海岸を4人で歩いていた時に一羽のカラスが現れ、4人の横を一緒に歩いたのであった。逃げようともせず、何かを楽しむように砂浜の上をヨチヨチと30mくらい姫子たちと並んで歩いていたのである。そして、『カア』と一度だけ鳴いて飛び去ったのであるが、飛び去ったその場所には抜けた羽根が1本残されていた。しかし、その羽根は黒色ではなく白色をしていたのであった。


「それで、変な男連れの話は?」と姫子が訊いた。

「MS銀行の融資先にエステサロン『シバの女王』と云う会社があるのよ。そこの女社長さんで田川順子と云う方いらっしゃるの。その人が香良洲神社に月参りで行くと云うからご一緒した時のことなのよ。確か、1月13日か14日だったかしら。ノー残業デーだったから水曜日ね。銀行員にとって、お付き合いも仕事のうちなのよ。」と美弥子が言った。

「それは何時頃の話?」

「3時に田川社長の会社を訪問して、すぐに社長の車で香良洲神社に向かったから、夕方の3時半か、半すぎかしら。『シバの女王』から香良洲神社までは20分くらいで行けるから。」

「エステサロンの女社長さんとね。それも情報収集の一環なのね・・。大変ね。」と姫子が呟いた。

「この方がまた不思議な人なのよ。」

「何が?」

「『十字架を感じる』ことができる人なの。」

「『十字架を感じる』とは?」

「人や物でそれが十字架に関係があると、その人や物に十字架のイメージを感じるらしいのよ。」

「ふーん、人や物に十字架を感じるの・・・。」と姫子が不思議そうに言った。

「その田川社長がサングラスをかけた二人の男と歩いているもう一人の男性に十字架を感じたのよ。」

「私なんか、野球帽を被ってサングラスをかけている男に気がいっていたのに、田川社長はカジュアルな洋服を着ている50〜60歳くらいの紳士に目が行ったのよね。」と美弥子が言った。

「50、60歳くらいの紳士か。そして、サングラスの男たち・・・。」と姫子が思った時、ある考えが閃いた。

「その紳士って、この人じゃなかった?」と姫子が中村博士の写真を手提げ鞄から出して見せた。

「あら、そうよ、たぶんこの人だったと思うわ。姫子の知り合い?」と美弥子が驚いたように言った。

「違うわ。これは、ここで死んでいた天文博士の中村建一郎さんの写真よ。」

「ええっ、ここで殺された人・・・。」

「そのエステサロンの社長さんは何で十字架を感じたのかしら?」と姫子が訊いた。

「さあ、社長さんにも十字架を感じる理由は判らないそうよ。でも、調べればその理由は必ずあるはずだって。田川社長はそう仰っていたわ。」

「理由は必ずあるのか・・・・。ふーん。」と姫子は考えを巡らせた。

「中村博士は東京三鷹にあるキリスト教系のK大学で講義をしていたのだったわね・・・。キリスト教に関係する十字架と云うことかな・・・。1月に名古屋支社のためにK大学と国立天文台で取材した内容の中には十字架に関する事は何も無かったわね・・。もう一度、K大学に取材に行ってみるか・・・。それにしても、何故に香良洲神社なのかしら・・・。サングラスの二人ずれは何ものなのか・・・。」と姫子は考え込んだ。

「三人は神社に参拝しての帰えりだったようだけどね。」と美弥子が姫子の思いを察して言った。

「参拝帰えりね・・・。」と姫子が呟いた。


「ところで、姫子が拾ったあの時のカラスの白い羽根、どうした?」と美弥子が改めるように訊いた。

「あの日、家に持って帰ってお父さんにカラスの羽根を見せたら、蘇民の森の中にある松下社に奉納しなさいと言われたわ。それで、次の日曜日に二見町松下にある松下社に奉納したわ。」

「なぜ、松下社なの?」

「それがね、話せば長い話なのよ、これが・・・。」

「長い話を聞かせてよ。」

「美弥子も、暇ね・・・。」と姫子が言った。

「今どき健康のためとはいえ、こんな駐車場まで散歩で来ているのだから、暇と云えば暇だけどね・・・。ハハハハッ。」

「立ち話も何だから、私の実家で話しましょうよ。家はこのすぐ先だから。」と姫子が言った。

「姫子の実家は旅館だったわね。」

「そうよ。温かいお茶でも飲みながら長い話をしてあげるわ。」


二人は和風旅館『潮花』の応接室で話をしている。


「蘇民の森にある二見松下社の祭神は須佐乃男すさのお命と菅原道真と不詳一座の3柱の神様なのよ。でも、二見町地域に残る『蘇民将来子孫家門』の風習から考えて、須佐乃男命が主祭神と思われるらしいのよね。そして、香良洲神社の祭神は稚日女わかひるめ命。稚日女命は天照大御神の妹神だけど、須佐乃男命のいたずらによって死んでしまったと古事記や日本書紀は書かれている女神なのよ。しかし、『ホツマツタエ(秀真伝)』と云う『古事記』や『日本書紀』より以前に神代文字で書かれた文献では、アマテル神(天照大御神)の妹神はワカヒメギミ(稚姫岐美)命です。稚姫岐美命は須佐乃男命と神々が住むサゴクシロ(精奇城)・高天原で愛しあったことをアマテル神に咎められて、天津罪を犯したとして高麗の国へ追いやられたそうよ。稚姫岐美命は恋しく思う須佐乃男命に宛てた恋文をカラスの羽根の裏に墨で書いて、そのカラスを放ちました。しかし、高麗の国から伊勢の国まで飛んで来たカラスは疲れのため、須佐乃男命に恋文を届けられずに死んでしまいます。そのカラスの死んだ地が香良洲神社となったのです。だから、香良洲神社の御身体はカラスの羽根だと云われているのよ。一方、須佐乃男命も稚姫岐美命を追いかけて高麗の国のある朝鮮半島に天下りましたが、須佐乃男命からの返事が待ちきれずいた稚姫岐美命はオノコロ島(自転倒島)に旅立った後でした。そして、須佐乃男命に会えないまま稚姫岐美命は紀州・和歌の浦で神去られます。玉津島明神がその地です。しかし、室町時代に火の玉となって香良洲島の三角州の海岸に現れた稚日女命を神戸三宮の生田から勧請して祀ったのが現在の香良洲神社なのよ。」と姫子が話した。

「なるほど、それで、稚姫岐美命が託したカラスの羽根を須佐乃男命が祀られている二見松下社に届けてあげなさい、と云うのが姫子のお父さんの考えだった訳ね。」

「そういうことらしいのよね。」

「あなたのお父さんってロマンチストね。」

「あっははっは、ロマンチストかどうか・・・。」

「でも、何故にカラスの羽根は白い色だったのかしらね?」と美弥子が言った。

「父いわく、もともとカラスは白い羽根だったそうよ。」

「どういう事なの?」

「ギリシア神話に出てくるアポロンと謂う男の神がコロニスと云う女性と恋をしたのよね。しかし、仕事が忙しいアポロンはコロニスになかなか会う時間がなかったそうなのよ。そこでアポロンは白いカラスにコロニスを見張らせて、その状況を報告させていたらしいのよ。あるとき、男と親しそうに話しているコロニスを見たカラスは、そのことをアポロンに報告します。それを聞いたアポロンはコロニスが浮気をしていると思い、怒って思わず弓は放ちます。アポロンは弓の名手でもあったので、その放った矢がコロニスに命中し、コロニスは死んでしまいます。しかし、後になって浮気ではなかったことを知ったアポロンは、コロニスが身ごもっていた自分子を拾い出します。それが医療の神様アスクレピオスです。アポロンは自分に告げ口した白いカラスの羽根をコロニスの喪に服させる為に永遠に黒色に染めてしまったそうなのよ。だから、カラスは黒い羽根になったそうよ。もともとは白い羽根だったのよね、カラスは・・・。那須どうぶつ王国と云う公園の2009年特別展で白いカラスを見せていたと父が言っていたわ。」と姫子が父から聞いた話をした。

「ふーん。それが、あの時の白い羽根って訳ね・・。何か不思議ね・・・。」と美弥子が切なそうに言った。

「あの羽根のおかげで、高天原で須佐乃男命と稚姫岐美命は会えていたら良いのにね・・・。」と姫子が呟いた。



大和の光陰44;

2016年3月2日(水) 午後2時ころ 奈良県橿原市内のホテル『神武』フロント   


半田警視長の依頼による1月10日と1月12日の中村博士の行動を調査するため、大和太郎は奈良県警の太田刑事の同行のもと、ホテル『神武』のフロント係員から話を聞いていた。


「中村様は1月9日土曜日の午後6時15分にチェックインされました。その後は外出された記録はありませんね。そして、1月10日の午前9時29分に中村様はお出かけになり、午後5時31分にお戻りですね。

そして、午後8時35分に再度お出かけになり、お戻りが翌11日の午前3時4分です。そして、11日午前9時10分にチェックアウトされました。」とフロント係員がパソコンの画面に表示された部屋キー貸出返却記録簿を見ながら言った。

「その時に中村博士に対応した方は今ここにいらっしゃいますか。」と太郎が訊いた。

「1月9日の午前6時から午後1時までのフロント担当は高井ですが、今は帰宅しています。午後1時から午後8時までの担当は私・今宮でした。そして午後8時から翌日の午前6時までの担当者は若月で、夕方に出社してまいります。1月10日日曜日も担当者及び担当時間は同様ですね。」とフロント係りの今宮謙二が言った。

「1月10日の午後5時31分に中村博士に部屋のキーを渡した後の中村博士の行動で何か覚えていますか?」と太郎が訊いた。

「中村様のご様子ですか・・・。確か、三重県の二見が浦で殺されていた方ですよね。三重県から刑事さんが捜査に来られたと聞いています。ああ、そうそう。ボールペンとメモ用紙を中村様にお貸ししましたね。あそこにあるテレビで『あなたに売ります。』と云うTV番組が始まったのですが、それに目が行った様です。他のお客様が視ておられました。」とロビーに置いてある50インチテレビを指差しながらフロント係りの今宮が言った。

「何をメモしたのでしょうかね?」と太郎が訊いた。

「電話番号と商品名をメモされて、それから、フロントの電話をお貸ししました。ご自分の携帯の電池が切れているとの事で、ここの電話を使われました。『あなたに売ります。』と云う番組は毎週日曜日の午後5時30分から5分間放送される関西地方限定の番組です。大阪のテレビ局に電話するのですが、5時33分から34分までの1分間に限られ、その間に電話で購入金額を伝えた人の中から最高金額を提示した人に商品は売られます。まあ、1種の品物売買のオークション番組です。」とフロント係りが言った。

「中村博士は何を購入しようとされたのですか?」と太郎が訊いた。

「確か・・・、徳川家家紋入りの刀剣鞘さやと仰っていたと記憶しています。」

「刀の鞘ですか?」と太郎が言った。

「ええ、そうです。私もここからテレビを見ましたが、刀剣鞘に三つ葉葵の御紋が描かれ、小さな水晶玉が五つ、ほぼ等間隔に刀剣鞘の両側に5個づつ合計10個埋め込まれている代物が画面いっぱいに、アップで映し出されていました。電話を終えられた後、中村様がポツリとつぶやかれた言葉が印象に残っています。最近はキトラ古墳の古代天文図が評判で、明日香村への観光目的で宿泊されるお客様が多いですから。」とフロント係りが言った。

「何と言ったのですか?」と太田刑事が訊いた。

「『あの水晶玉は、北極五星だ。間違いがない。キトラは6つぼしだが、高松塚は5つぼしだ。』と呟かれていました。」

「中村博士の提示した金額はいくらでした?」と太田刑事が訊いた。

「45万円でした。番組が提示した最低金額は20万円でした。中村様が落札出来たかどうかは判りません。落札者には出品者の売買承諾を得てから午後8時過ぎに返信電話が掛かってくることになっています。」とフロント係りが言った。

「刀の鞘に45万も出すのか・・・。それほどの代物なのか・・・?」と太田刑事が呟いた。

「掛けた電話に掛かってくるのですか?」と太郎が訊いた。

「はい、そうです。この電話に掛って来たかどうかは、この後にその時のフロント担当者であった若月が出社すれば判ります。若月には電話があれば中村様に知らせるように私から伝えました。ところで、大和様は本日、当ホテルにご宿泊予定でしたね。」とフロント係りの今宮が言った。

「ええ。よろしくお願いします。」と太郎が言った。

「それでそのTV局はどこですか?」と太田刑事が訊いた。

「大阪毎朝放送です。」とフロント係りが言った。


「葵の御紋に5個の水晶玉が並んだ刀剣鞘さや・・・。双子の『妖刀・村正』の鞘と同じデザインだな・・・。一本は南部高行氏に警察から返却されたはずだな。鞘の無いもう一本の刀剣刃かたなはまだ証拠品として静岡県警察本部にあるはずだか・・・。更に別の1本、3本目があると云うのか・・・? あの殺人事件は、お宮入になりそうな事件だったな。今回出品された鞘は静岡市内の津島神社横の駐車場で笠井為治を刺し殺した『妖刀・村正』の鞘と同じと仮定して、行方不明だった刀剣鞘が、こんなところに今頃、何故出てきたのか・・・? 竹下統合幕僚長に話を聞く必要があるかもな・・・。中村博士が1月11日夜の宿泊をキャンセルして伊勢に向かった理由はこの鞘を手に入れる為だったのか・・・?」と太郎は考えを巡らせた。

(※著者注記;笠井為治の殺害事件は『第7話・志摩の女王』の中で発生)



大和の光陰45;

2016年3月2日(水) 午後4時ころ 東京三鷹市のキリスト教系K大学の教務課  


毎朝新聞の事件記者・鮫島姫子は中村博士と十字架の関係を調べる為に、K大学教務課を訪問していた。教務課フロアーにある応接ソファーに座って待っている姫子の前に事務職員が現れた。


「鮫島様ですね、おまたせしました。教務主任の大木正と申します。中村先生と十字架に関する事柄についてのご質問があるということですが、どういった事でしょうか。」と大木が姫子の名刺を手にしながら訊いた。

「ええ。1月にお亡くなりになった中村教授の事件について記事を書いております毎朝新聞社会部の鮫島姫子と申します。」と言いながら姫子は大木に名刺を渡した。

「中村先生に関する記録を調べましたが、ご質問のような中村先生が十字架と関係するような事柄は何も見つかりませんでした。」

「チャペルでの礼拝に参加されていた記録はありませんか?」

「はい。先生はクリスチャンではありませんので、礼拝に出席された記録はありませんね。どこからそのような話が出たのですか?」

「いや、それは・・。情報源ニュースソースはお教えできません。」

「そうですか。それではこれにてお相手を失礼させていただきます。お引き取りください。」

「いや、ちょっと待って下さい。」

「まだ、何か?」

「中村博士は三重県津市にある香良洲神社と何か関係がある方でしょうか?」

「中村博士は東京都のご出身ですから、三重県と関係はないと思います。」

「そうですか・・・。」

「十字架とは関係ないと思いますが、チャペルでの礼拝で思い出したことがあります。中村先生は礼拝後に行われるお茶会にはたびたび参加されていました。」

「礼拝後のお茶会ですか・・・。そのお茶会が行われる部屋に十字架があるとかはありませんか・・・?」

「それはありません。だだ、先生はお茶会が行われる建物がお好きだったようです。時々、天文学の考え事をするのにその建物にある書斎をご利用になられていました。」

「天文学の研究でお茶会の建物を利用する・・?何か意味があったのだろうか・・・?」と姫子は思った。

「大学の敷地内に有形文化財として国に登録されている泰山荘という名の別荘地があります。その別荘地に高風居こうふうきょと云う入母屋造りの和風建築物に茶室があるのですが、その他に高風居の中にはたたみ一畳敷きの書斎(草の舎)もあります。この書斎は幕末から明治にかけて活躍した冒険家の松浦武四郎と云う人物が作ったものですが、白鳳時代から江戸時代に渡る寺社の古材を譲り受けて組み合わせた建築物です。そういえば、松浦武四郎の出身地は三重県の津市でした。」

「津市の何処かは判りますか。」と姫子が訊いた。

「しばらくお待ちください。調べてきます。」と云って大木は書棚の方に行った。

「中村博士は泰山荘にある高風居がお気に入りだった訳か・・・。」と思いながら姫子は大木が戻ってくるのを待った。

大木はしばらくして戻ってきた。

「すいません、私の記憶違いでした。津市ではなく、伊勢国一志郡須川村、現在は松阪市小野江町でした。しかし、そこにある松浦武四郎記念館の2km真東のところに、津市の香良洲神社がありますね。」と言って大木は姫子に松浦武四郎記念館周辺の地図を見せた。

「子供のころは香良洲神社で遊んだりしたのでしょうね。」と自分の子供のころを思い出しながら姫子が言った。

「たぶんそうでしょう。しかし、十字架とは関係がなさそうですね。むしろ泰山荘の『泰山』の方が十字架に関係するのかも知れませんね。」と大木が言った。

「泰山とは?」と姫子が訊いた。

「泰山は中国大陸にある山ですが、冥界の神様たちが住む山と云われています。泰山荘を作ったのは戦前の鮎川義介が創設した日本産業財閥の重役であった山田敬亮という人物ですが、陰陽道に傾倒されていた方だったと聞いています。陰陽道には『泰山府君祭』と云う死者を甦らせる呪法があると聞いています。そこから名前を付けたと謂われています。」


「死者を甦らせる術が十字架に関係する訳か・・・。まあ、どうかな・・?それより、サングラスの男たちと中村博士の関係と出会いは何で何処だったのかを調べる必要がありそうね。サングラスの男たちをどうやって調べるか・・・。朝読新聞の中山が書いた記事では中村博士は陰陽師・土御門家の子孫K氏に奈良の明日香村で会っていたのだった。K氏を見つけ出す必要があるかな。中村博士は某神宮の副主管であるTK氏にも会っていたのだったな。TK氏とK氏は知り合いだったな。某神宮とは何処のことだろうか・・・?陰陽師に興味を示すような神宮か・・・。社に戻ってインターネットで調べてみるか・・・。でも、そこからサングラスの男たちに繋がるかどうかは不明だわね・・・。『泰山府君祭』がキー・ワードかな・・・。」と姫子は推理を巡らせた。



大和の光陰46;

2016年3月3日(木) 午前11時過ぎ 奈良市陰陽町の倉橋保良邸    


奈良県警の太田刑事が大阪のTV局に行き刀剣鞘出品者に関して得た情報を電話で太郎に知らせた。そして、三重県警察本部には奈良県警から直接連絡を入れることになった。

その時、太郎は奈良市陰陽町の土御門家の子孫である倉橋保良邸で話を聞いていた。


「中村博士にお話しした内容ですか?」と倉橋保良が言った。

「ええ。私にもお話しいただけますか?」と太郎が言った。

「中村博士とJR奈良駅前の料亭で食事をしながら話したのは古代天文図の作り方です。古代から江戸期に使われていた天体観測用器具の話や土御門家が賀茂家から貰った古代の天文図の写真などをお見せしました。実物が見たいと云うことで、その後、この自宅にお見えになりました。そこにあるのが、江戸時代の星座の位置関係を表した天球儀と天体の動きを現わす渾天儀こんてんぎです。祇園祭の長刀鉾なぎなたほこの天上に描かれている28宿の中国星座の話などで盛り上がりました。その時、刀を作る時に陰陽師が行う『五帝祭』の呪法のことも話しましたね。」と倉橋が言った。

「『五帝祭』の呪法とは何ですか?」と太郎が訊いた。

「『五帝祭』は神器や重宝を造る時に行う祭祀です。960年、平安京の内裏が焼失した時、『太刀契だいとけい』という霊剣も失われました。それを再現するために陰陽師であった賀茂保憲や安倍晴明などが嵐山の神護寺で『五帝祭』を行っています。これが、その記録文の写真です。」と言いながら倉橋が京都府立総合資料館に保管されている『太刀契事 五帝 三公 七星 南斗 ・・・・ 』と書かれている《反閇并作法はんぱいならびにさほう》文書の写真を太郎に見せた。

「霊剣を造ったのですか・・・。」と太郎が言った。

「霊剣には天皇を守護する力を発揮する護身釼ごしんつるぎには日形・月形・南斗形・北斗形の四星座の形と玄武・青龍・朱雀・白虎の四霊獣神の形を彫刻し、軍を束ねる力を発揮する将軍釼しょうぐんつるぎには三公五帝を象徴する南斗・北極・北斗・白虎・青龍を彫刻し、それらの神霊を刀剣に憑依させる呪法を行ったとされています。五帝とは北方黒帝・東方青帝・南方赤帝・西方白帝・中央黄帝の五龍神です。南斗は射て座にある上半身と弓の一部からなる柄杓ひしゃくの形をした南斗六星、北極は北極星を含むこぐま座の尻尾から背骨にあたる北極五星、北斗はおおくま座の柄杓ひしゃくの形をした北斗七星です。これが、その星座の形です。」と倉橋が言って星座の図柄を見せた。

「刀剣に神霊を憑依させることができるのですか・・・。」と太郎が唸った。

「賀茂保憲や安倍晴明は生まれながらの霊能者で、陰陽師として様々な呪法修行を行っていましたからね。たぶん、出来たのでしょうね・・・。」と自信なさそうに倉橋が言った。

「中村博士は北極五星について何か話されていましたか?」と太郎が訊いた。

「そうですね・・・。ああ、そうです。古代には北極星を含む4つの星は一直線上にあったようですが、現在は5つの星は少し湾曲した並びになっているそうです。理由は地球の歳差運動のために星は少しずつその位置関係がずれるように見える為だそうです。確かに高松塚古墳の古代天文図に描かれている北極五星の4つは直線を描いています。キトラ古墳の場合は6星で描かれているようですし、湾曲の度合いが高松塚より少し大きいようです。」と倉橋は言いながら、二つの古墳の古代天文図の写し図を太郎に見せた。

「確かに、高松塚古墳の北極五星は直線的ですが、キトラ古墳の北極6星は少し湾曲していますね・・・。」と太郎は中村博士がTVオークションで落札した徳川家の三つ葉葵の家紋が描かれている刀剣鞘の反り具合を思い浮かべながら言った。


倉橋邸を辞した太郎は商店街にある食堂で昼食を取ったあと、近鉄奈良駅から伊勢市へ向かった。



大和の光陰47;

2016年3月3日(木) 午後4時過ぎ  三重県警察本部・天文博士殺人事件捜査本部


捜査会議が行われている。

「刑事局長補佐の半田警視長からのご意見でNシステムの記録写真で大型トレーラーを調査しました。中村博士が死亡した1月14日とその前後の13日と15日に伊勢市、松阪市、津市内の監視カメラに写っていたコンテナ・トラックは全部59台でした。しかし、不審な車輌はありませんでした。トラックの所有者は名古屋市、四日市市の運送会社で、名古屋市の飛鳥コンテナ埠頭と四日市市の霞が浦埠頭からのコンテナ荷物を伊勢市、志摩半島、尾鷲市の顧客に荷物を運搬していました。」と寺島刑事が報告した。


「そうか、判った。次に伊勢志摩サミット・テロ対策警備本部からの最新情報を矢倉刑事から報告してもらう。」と秋山課長が言った。

「それでは報告いたします。テロ対策本部の情報収集要員が昨日に聴き込んだ情報です。1月13日か14日ころ、月読宮近くの県道37号線に面した料亭『朝日庵』の駐車場に不審な黒塗り自家用車が止まっていたとの証言を、料亭の送迎マイクロバスの運転手から得たようです。料亭の営業前の午前10時ころ運転手が駐車場にある黒塗り自家乗用車が止まっていたそうです。そして、午後3時ころにはその自動車は居なくなっていたそうです。立ち去った正確な時刻は不明です。その代りに、その場所の隣の駐車枠に別の白い自家用車が停まっていたそうです。その車は夕方の午後4時半ころはまだ停まっていたようですが、午後5時には居なくなっていたそうです。たぶん、中村博士の車と思われます。その料亭は3時から5時までは客は取らないそうで、食事客の車ではなかったようです。」

「その白い車が中村博士のものとして、黒塗り自家用車は誰のものだったかだな。そして、中村博士たちは黒塗り自家用車で何処に向かったかだ。その時刻ころにそれらしき車がNシステムに映っていなかったか調べたのか?」と秋山課長が訊いた。

「はい、撮影画像を調べました。13日の午後運転席と助手席にサングラスの男たちが座っている黒塗り車を見つけました。たぶん、中村博士は後部座席に居たのでしょう。車のナンバーから所有者は津市の右翼団体『極龍愛神会』の幹部で遠山昇と判明しました。まだ、遠山へのアプローチはしていません。捜査本部の方針を決めていただきたいと思います。」と矢倉刑事が言った。

「そうか、右翼団体か。さて、どうするかな・・・?」と言いながら、秋山課長は高城本部長の顔を見た。

「泳がせてよう。極龍愛神会の本部への出入りしている人物に関しては組織犯罪対策課が知っているはずだ。情報を貰うように。私から組対課長の為末君に連絡しておきます。確か2、3年前、極龍愛神会の若手が横浜でC国大使館員を殺害した事件があったな。秋山君、知っているか?」と高城本部長が言った。

「申し訳ありません。覚えておりません。」と秋山が言った。

「まあ良い。サングラスの男が。極龍愛神会の構成員かどうかを見極めることが先決だな。」と本部長が言った。


「極龍愛神会ですが、つい先ほど奈良県警から入った情報によりますと、中村博士が極龍愛神会の幹部である横溝研吾から刀剣鞘を1月10日にあったTVオークション番組を通じて購入しているとのことです。」と秋山課長が言った。

「1月10日と云えば奈良のホテルに宿泊している時だな。その事が事件と関係しているのかどうかだが・・。」と高城本部長が言った。

「そうです。中村博士の遺品に刀剣鞘はありませんでした。矢倉君と寺山君ふたりで、明日にでも極龍愛神会へ行って事情聴取して来てくれ。」

「はい。判りました。」と寺山刑事が言った。

「別の幹部の遠山昇からも話を聴きますか?」と矢倉刑事が訊いた。

「遠山昇は泳がせておく方針だから、会うな。黒塗り自家乗用車の件も黙っておけ。」と秋山課長が言った。



大和の光陰48;

2016年3月3日(木) 午後6時過ぎ  二見が浦の旅館『潮花』 


近鉄電車伊勢市駅で降りた太郎はタクシーで旅館『潮花』に着いた。

そして、旅館の玄関に入った。

フロント前のロビーには5段仕様のお雛様が飾られている。


「お邪魔します。」

「いらっしゃいませ。大和様、お待ちしておりました。」と鮫島姫子がフロントから声を掛けた。

「あれれっ、鮫島さん。今日も新聞社をお休みですか?」と太郎が驚いたように言った。

「いいえ。大和探偵が宿泊すると云うから、接待役をすることになりました。」

「旅館の接待役ですか・・・。事件記者の方はお休みですね。」

「いいえ。旅館と新聞社を兼務しています。お上がりになって宿帳にお名前とご住所をご記入ください。」と姫子は言いながら、太郎のバッグをフロントまで運んだ。


「そうですか・・。兼務ですか。ところで御主人は?」と太郎は宿帳に記入しながら訊いた。

「奥におりますが、呼んでまいりましょうか?」と姫子が言った。

「呼ぶ必要はないよ。姫子は奥へ行っていなさい。」と姫子の父親である旅館の主人がフロントに姿を現した。

「ああ、姫子さんもご一緒でお願いします。姫子さんに参考になるご意見があれば、聞きたいと思いますので。」と太郎が言った。


そして、3人はロビーにある応接用のソファーに座って話し始めた。

「殺された中村様のお話でしたね。どういったことでしょうか?」と主人が言った。

「1月11日(月)の夜に外出はされましたか?」と太郎が訊いた。

「いいえ。お風呂に入った後、お部屋で食事をされた後はそのままお部屋に居られました。外出はされなかったですね。」と主人が言った


「12日は何時ころ外出されましたか。」

「お待ちください。記録を見てみます。」と言って、主人はフロントに行った。


フロントから取ってきた日誌簿を見ながら主人が言った。

「午前9時35分に外出、午後5時30分帰館となっています。夕食はお部屋ではなく食堂で7時ころに取られていました。出先については何も聞いておりませんので不明です。」

「伊勢神宮へ参拝に行ったとか、何か話されていませんでしたか?」と太郎が訊いた。

「刑事の矢倉君にも聞かれたけれどね・・・。さあ、記憶にありませんね。」と主人が言った。

「宿泊予約の電話で何か聞かなかったの、お父さん。」と姫子が言った。

「予約の時にね・・・。何かあったかな・・・・。」と主人が考え込んだ。

「予約を受けた時、旅行目的を訊かなかったの?」と姫子が迫った。

「ああ、そうそう。旅行目的は場所を確認するためとか仰っていました。」

「どこの場所?」と姫子が訊いた。

「どこだったかな・・・?」

「うん、もう。歳は取りたくないわね。」と姫子がガッカリするように言った。

「中村博士は奈良の明日香村に行ってから伊勢に来る計画を立てていたようですが、奈良・明日香村と伊勢との関係に何かご存じの事はありませんか?」と太郎が訊いた。

「奈良と伊勢の関係ってたくさんあるわよね、お父さん。」と姫子が言った。

「ああ、そうだね。伊勢神宮の天照大御神は奈良から安住の地を求めてさすらい、伊勢に留まる事を決めたのです。また、松阪市には神からの託宣を受ける皇女を住まわせる斎宮制度の施設がありました。その他に・・・・。」

「蘇民の森にある二見松下社はどうなの?」と姫子が訊いた。

「二見松下社は『蘇民将来子孫家門』の風習を二見地方にもたらした陰陽師の安倍晴明が建立したとの伝承がある社祠です。神紋は五亡星を中心にして周辺に3つの松を配置した『三つ松に晴明判』と呼ばれるものです。祭神は須佐乃男命と菅原道真と不詳一座の3柱の神。不詳一座は天照大御神の妹神である稚日女わかひめ命ではないかと云われていますが確かではありません。実は、二見松下社から南東に5Kmくらいの場所に加布良古崎かぶらこざきと云う小さな岬があります。その岬の小高い丘の上に稚日女わかひめ命と伊射波登美いさわとみ命、玉柱屋姫命、狭依姫命(市杵島姫)を祀る伊射波神社があります。稚日女わかひめ命は兵庫県神戸市三宮にある生田神社に鎮座される以前には加布良古崎に坐ました神様です。伊射波登美命は倭姫が大和国から天照大御神の霊魂を奉じて志摩国伊勢に来た時にお迎えした志摩国の神様です。ある神道霊能者に謂わせると、『白い真名鶴』の姿をして稲穂をもたらした大歳神おおとしがみ、あるいは大稲神おおとうかみと倭姫は呼んだそうです。奈良と関係がある場所と云えばそんなところですかね。」と主人が言った。

「そうですか。ありがとうございます。御主人はいろいろと土地の事をご存じなのですね。」

「お泊りのお客様に観光案内をするために伊勢志摩地方の事は若い時からいろいろと勉強しました。この地方のことなら大概の事は知っています。」と主人が言った。


「ところで、近畿地方の地図はありますか?」と太郎が訊いた。

「姫子、フロントにある道路地図帳を持ってきなさい。」と主人が言った。


紀伊半島全体が描かれた地図帳のページを開いていた太郎が言った。

「中村博士は1月11日、奈良の橿原市から国道166号を通って東に走り、飯南いいなん町で国道368号に入り、勢和多気インターから伊勢自動車道に乗り伊勢インターを午後4時14分に出ているとの三重県警の話です。橿原市のホテル『神武』を出発したのが9時15分頃として、伊勢まで7時間。そんなに時間が掛りますかね?」と太郎が訊いた。

「私も奈良によく行きますが、道路が比較的空いているなら、5時間くらいで着けると思いますが・・・。遅い車には追い越しを駆ける必要がありますがね。」と主人が言った。


「奈良で何処かに寄っていたとすれば、何処だろう・・・。中村博士は飛鳥王国のパスポート持っていた。それは近鉄飛鳥駅前の観光案内所や石舞台などの観光の施設の受付などに置いてあるのだったな。安倍文殊院の拝観券の半券とパンフレットも鞄の中に残されていた。そして、伊勢に着いてから二見松下社か伊射波神社に参拝していると仮定すれば・・。この地図からすると、明日香村近くの安倍文殊院がある緯度と蘇民の森にある二見松下社の緯度は同じだな。そして、石舞台の緯度と加布良古崎・伊射波神社の緯度が同じだな。同じ緯度では同じ星座配置になる訳だが・・・。この場所を中村博士は確認したかったと仮定して、何故なのだろうか・・・。」と太郎が推理を巡らせた。


「中村博士は予定より一日早く奈良を離れ、伊勢に来た理由は何なのかしら?」と姫子が訊いた。

「ああ、それは判っているけれど、事件記者の姫子さんには教えられないな・・・。」

「どうせ、調べればわかるのだから、話してしまってよ。ケチ。」と姫子が太郎に言った。

「うーん。まあ、いか。容疑者の情報ではなく、被害者の情報だからな。姫子さんのお父さんにいろいろと教えて頂いたお礼として、話すか・・・。」と太郎が呟いた。

「そう来なくっちゃね。へへへへっ。」と姫子がニヤッと笑った。

「中村博士は奈良のホテルでTVオークッションに応募して落札したのだよ。」

「落札した品物ものは何?」

「日本刀の刀剣鞘さやです。」

「鞘だけ?つるぎは?」

刀剣鞘さやだけです。でも、その刀剣鞘にはある特徴があるのです。」

「どんな?」

「徳川家の葵の家紋が描かれ、更には小さな水晶玉が刀剣鞘の両面に5個づつ合計10個が埋め込まれているのです。」

「それを中村博士は何故に欲しかったのでしょうね?」と姫子が言った。

「キトラ古墳や高松塚古墳の天井に描かれている古代天文図にある中国漢時代の星座である北極五星を表わしていると考えたのではないかと、私は推理しました。」と太郎が言った。

「北極五星とはね・・・。天文博士としては、自分で所有したい代物って訳か・・・。」と姫子が考えるように呟いた。


「そう云えば、姫子。」と主人が言った。

「何?」

「友人の赤城美弥子さんが、ほれ、松下社と関係する香良洲神社で1月に出会った人たちのことを大和探偵に話したらどうかね・・・。」と姫子の父親が言った。

「津市にある香良洲神社ですね。そこで、何か事件でも?」と太郎が訊いた。

「私の高校時代の友達が香良洲神社で妙な人物に出会ったというお話なんだけれど。」

「それで・・?」

「その友達の知り合いが十字架を感じる人で、香良洲神社の参道で十字架を感じる男性とすれ違ったと云うだけのお話。香良洲神社に参拝した帰りと思われるサングラスを掛けた二人の男と歩いていたカジュアルな服装をした一人の紳士とすれ違ったらしいのよ。その紳士に十字架を感じたらしいのよ。不思議な人ね、ほんと・・・、あっはっはっは。」

「それは何日いつのこと?」

「確か、美弥子は1月13日の水曜日って言っていたわね。」

「十字架を感じる人って田川順子という人ではないですか?」

「あれ、太郎。田川さんを知っているの?」と姫子が驚いたように言った。

「あっ、以前にちょっとね。」と、太郎はシマッタと思った。

「それは、どん事件で?」と姫子が突っ込んだ。

「また。姫子さん、勘弁して下さいよ。探偵には守秘義務があるんですから。」

「あら。十字架を感じた話を教えたのは誰でしたっけ。」

「判りましたよ。お話しますよ。実は、『妖刀・村正』による殺人事件が8年くらい前に松阪市で在ったんですよ。その時に田川順子さんとお会いしただけです。」

「妖刀村正と云う事は、中村博士の刀剣鞘さやはその『妖刀・村正』の鞘と同じって訳ね。うふっふっふっ。いただきまーす、スクープ。」と嬉しそうに姫子が言った。

「まだ確証がないから、間違っていたら赤っ恥もんだよ・・・。」と太郎が後悔するように言った。

「御馳走さま。そういう時の太郎って、実は自信ありなのよね・・・。長い付き合いじゃないのさ・・・。私を騙せないわよ。へっヘっへ。」と姫子が鼻をさすりながら言った。

「まだ、その紳士が中村博士と決まった訳ではないよ。」と太郎が言った。

「二見が浦の観光者向けの駐車場で死んでいたカジュアルな服装の50歳代の紳士だったわね。美弥子にその人の写真を見せれば決まりよ。」と姫子は言った。

刀剣鞘さやで人は殺せないよ。」

「何かで頭部を殴られ、寒い夜に倒れたままで居た為の凍死だったわよね。」

「『妖刀・村正』の刀剣鞘さやをめぐる殺人事件ということで決まりかな・・・。」

「それは、これからの情報によってどうなるか判らないよ・・・。」と太郎が言った。

「まあ、そうかもね。でも、捜査の的は絞れてきたのは確かね・・・。」と姫子も冷静さを取り戻して言った。



大和の光陰49;

2016年3月4日(金) 午前9時30分ころ  二見が浦の和風旅館『潮花』フロント


「お世話になりました。チェクアウトをお願いします。」と太郎が言った。

「はい。しばらくお待ち下さい。」と旅館の主人が言った。

「姫子さんはまだお休みですか?」

「いいえ。今朝早く、名古屋の毎朝新聞名古屋支社へ行くと言って出かけました。」と主人がパソコンを操作しながら言った。

「昨日の話を記事にするつもりかな・・・。」と太郎は思った。

「夕方の食事でワインをお召しになっていますので、消費税を含めて1万5千円2百円になります。」と主人が太郎に言った。


太郎がポケットから札入れを取り出し、現金で支払おうとした時、札入れに挟んであった写真が2枚、はらりとフロントテーブルの上に落ちた。

「ああ、写真が落ちましたよ、大和様。」と言って、主人が写真を拾い上げた。

その写真を見た主人が言った。

「この女性はお知り合いですか?」とニヤッとしながら主人が言った。

「いえ、違います。」と太郎が言った。

「そうですか、失礼しました。先月、当旅館にご宿泊になられた方と似ていますので、大和様のご紹介で当旅館にいらっしゃったのかと早合点しました。」と主人が言った。

「この女性が先月ここに宿泊していたのですか?」と驚いたように太郎が言った。

「はい。1月の中旬でしたかね・・。」

「1月の何日か判りますか?」と太郎が訊いた。


宿帳をめくりながら主人が言った。

「1月15日の金曜日の夕方から16日朝まで、1泊ですね。飛び込みのお客様でした。タクシーでお越になりましたね。男性の方が日本語の通訳として同行されていました。お部屋は別々でしたがね。女性はカナダ国籍のキャサリン・ヘイワード様。男性は富山県の伊周天明これちかてんめい様です。」

「どこに行くとか、行ったとかの話はしていましたか?」と太郎が訊いた。

「はい。電話でタクシーをお呼びしました。ここから安楽島町の加布良古崎・伊射波いさわ神社まで行ってもらうとの事でした。」

「加布良古崎の伊射波神社ですか・・・。」と太郎が呟いた。

「しかし、タクシーで行けるのは安楽島町の満留山まるやま神社前にある伊射波いさは神社の駐車場までです。そこから伊射波神社の鳥居がある海岸まで1.3Kmくらいですから、歩いて30分くらいですかね。その鳥居から社殿まで10分たらずで到着出来ます。満留山神社は江戸時代にあった嘉永7年の大津波で流失する前は八王子社と呼ばれていました。志摩国に関する文献には牛頭天王祠、八幡祠、弁財天祠、恵比寿宮など7末社があったと書かれているようです。伊射波神社と満留山神社は同じ氏子によって祀られています。正月7日には弓立ゆみうち神事が行われます。弓立神事は漁村部では大漁を祈り、農村部では悪霊退散を祈った伊勢志摩地方の昔からの八幡神社の行事です。7月16日は天王祭があります。」と主人が観光案内を兼ねて言った。

「キャサリンたちは満留山まるやま神社前から歩いて伊射波神社まで行ったのだろうか?」と太郎は思った。

「昨日は伊射波神社の祭神に関する詳しい話をお話しませんでしたが、ある神道霊能者によると志摩半島・磯部町の伊雑宮いぞほのみや近くにある佐美長神社の祭神である大歳神おおとしかみの本宮が伊射波神社であるらしいのです。佐美長神社は神の恵みに感謝するための斎場で大歳神が坐する本宮が伊射波神社なのだそうです。正体不明とされる加夫良古大明神のご神躰はいわです。その霊能者が伊雑宮で感じた神霊も小さな石に囲まれた岩に宿っていたようです。古墳時代の第11代・垂仁天皇の皇女である倭姫命が天照皇太神を奉じて伊雑いぞほの地に来た時、大歳神が真名鶴の姿になって稲穂を口に加えて飛んでいるのを視たそうです。たぶん、倭姫命は真名鶴を霊視したと云う事でしょう。倭姫命たち一行が稲穂の生えている場所を見つけ、伊射波登美いさはとみ命がその稲穂を抜き、お米を造り、海の神様である大幡主命の娘の乙姫様がお米から清酒を造り、天照皇太神の神前に供えたそうです。乙姫様とは龍宮城に住む姫様です。龍宮城の主人が大幡主命と云うことでしょう。」と主人が言った。

「大歳神の本宮が伊射波いさは神社で、真名鶴の姿に変身する神様ですか・・・。」と太郎が呟いた。



大和の光陰50;

2016年3月4日(金) 午前11時30分ころ  三重県津市の極龍愛神会本部応接室


矢倉刑事と寺山刑事が極龍愛神会幹部の横溝研吾と話している。


「昨年の12月に亡くなった会長の遺産相続で税務署から税金支払いの催促が来てるでよ。税務署の査定では遺産は3億2千万だそうだがや。そやから、ちょーっとでも金を造らなあかんでよ。そんで、あの刀身の無い刀剣鞘さやをTVオークションに掛けたたんだわ。」と横溝研吾が言った。

「あの刀剣鞘は何処に在ったんだ?」と寺山刑事が訊いた。

「会長の邸宅の和室の床の間に飾ってあったがや。鞘立てに立て掛けてな。」

「それで、中村博士にはいつ渡したのだ?」

「確か、1月10日のオークションのあった1月10日の二日後か三日後だったかな。おい、高倉を呼べ。」と横溝が応摂の出入り口の立っている男に言った。


そして、男が入ってきた。

「高倉、あの刀剣鞘は何日いつに引き渡した?」と横溝が訊いた。

「はい。1月13日です。1月13日の午前11時半に宇治山田駅の改札で待ち合わせする約束という遠山さんの指示で動きました。中村様が宇治山田駅近くの郵便局から45万円を引き出して来て、そのあと我々の車でこの事務所まで移動してきて、この事務所で遠山さんがお金と刀剣鞘を交換しました。」と高倉が言った。

「そのあと、遠山さんのご指示で、中村様を香良洲神社にご案内して、刀剣鞘の引き渡しのお祓いを実行しました。」

「なぜ、お祓いを?」と矢倉刑事が訊いた。

「会長は毎年正月に、あの刀剣鞘を香良洲神社に持って行き、何かのお祓いをしてもらっていたので、同じことをしてから中村様に引き渡すようにと遠山さんからご指示を受けていたのでね。」と高倉が言った。

「中村博士とあなたと、他に香良洲神社へ一緒に行った人間は居たのか?」と寺山刑事が訊いた。

「宇治山田駅からずっと、そこに立っている大室も一緒でした。3人でした。」

「会長は何処でその刀剣鞘を手に入れたのだ?」と寺山刑事が訊いた。

「さあ、それは誰も知っとろまい。」と横溝が言った。

「いつごろから床の間に飾ってあったのだ?」と寺山刑事が訊いた。

「さあ、かなり以前から飾ってあったでよ。誰も知っとろまい。」と横溝が言った。



大和の光陰51;

2016年3月4日(金) 午後3時前  松阪市のエステサロン『シバの女王』社長室


大和太郎と田川社長が応接ソファに対座して話している。


「久しぶりですね。何年ぶりかしら?」と田川順子が言った。

「そう、8年くらい前ですよね、南部高行さんの刀剣が盗まれた事件は。」と大和太郎が言った。

「もう8年になるのか。3、4年前くらいの感覚があるのにね・・・。高行、まだあの刀を持っているのかしらね・・。何とか云う刀だったわね・・・。」

「『妖刀・村正』です。現在、南部さんは東京の本店で融資部の部長をされているみたいですね。」

「今の支店長さんの話では、そうみたいね。あの事件の次の年に本社に戻って行ったきり、何の連絡もないわね。まあ、そんな人だったわね、学生時代から我ままな人だったわ。」と納得するように田川順子が言った。


「ところで、何のご用事でしたっけ?」と順子が訊いた。

「今年の1月13日の水曜日、MS銀行の赤城美弥子さんと香良洲神社へ行かれた時のことをお話ししていただきたいのですが。」と太郎が言った。

「そうでしたわね。香良洲神社で見た十字架を感じた人のことね。」

「そうです。」

「サングラスを掛けた二人の男性からは何も感じなかったけれど、50歳くらいの中年の紳士から感じたわね。」

「その男性はこの写真のひとでしたか?」と太郎が順子に中村博士の顔写真を見せた。

「そうね。この人みたいね。誰ですかこの方。」

「1月に殺された天文学者の中村建一郎と云う大学教授の博士です。ところで、田川さんは人の体から十字架を感じるのですか?」

「あら、いやだ。私、人からは何も感じないのよ。感じるのは物からだけなのよね。」

「と云うことは、この中村博士は何か物を持っていたのですね。」

「たぶんね。何か、細長い棒状の物が入ったひも付きの布袋を肩に掛けていたのよね。その袋の中身から十字架を感じたのよね。」

「田川さんは南部高行さんの『妖刀・村正』を見たことはありますか?」

「いいえ。ありません。」

「そうですか。ところで田川さんは岩手県船越半島の霞露かろヶ岳で十字架を感じたのでしたよね。」と太郎が言った。

「そうよ。あの時、大和探偵も霞露かろヶ岳の麓の旅館にお泊りでしたわね。」

「その時に感じた十字架と1月に香良洲神社で出会った中村博士の持ち物から感じた十字架は同じでしたか?」

「難しい質問ね。どうかしら、思い出してみるわ・・・。」と言って順子は目を閉じて瞑想した。


しばらくして目を開けた順子が言った。

「同じだったわ。学生時代に霞露かろヶ岳に感じた十字架。そして、霞露かろヶ岳の村雨社に残っていた十字架の感じ。それと、その中村博士の背中に会った布袋の中身から出てくる十字架のイメージはほとんど同じだったわね。」

「そうですか。それが聞ければ今日の目的は終了です。」

「その十字架がまた殺人事件に関係しているのですか?」

「いいえ。中村博士が肩に掛けていた布袋の中身は刀身のない鞘だけです。」

「鞘だけなの・・。」

「しかし、徳川家の家紋が入った水晶珠をちりばめた刀剣鞘です。南部高行さんの『妖刀・村正』の双子の刀剣の鞘です。」

「確か、高行の持っている刀剣には五個の小さな水晶珠が並んでいるものでしたよね。」

「そうです。その五個は古代天文図に描かれている北極五星を表現したもののようです。」

「北極五星って?」

「北極星を含む小熊座の背骨から尻尾に相当する五つの星のことです。」

「なるほどね。私、北極星から十字架を感じるのよね。何故かしらね・・。」

「北極星は救世主イエス・キリストを意味すると云う人もいますね。」と太郎が言った。

「北極星から感じる十字架は救世主のものなのね。」と田川順子が呟いた。


そして、思い出したように田川順子が言った。

「午前中に毎朝新聞の鮫島とか云う女性記者が来て、同じ様な話を聞いてきましたよ。MS銀行の赤城美弥子さんから事前に電話で紹介されていた記者さんだったのでお会いして香良洲神社で出会った人の話をしましたわ。」



大和の光陰52;

2016年3月5日(土)  午前11時ころ  三重県警察本部・捜査一課会議室


大和太郎と秋山捜査一課課長、矢倉刑事、寺山刑事の4人が今までのお互いの捜査を話しあっている。


「奈良県警からの情報で極龍愛神会幹部の横溝研吾から事情を聴いてきました。刀剣鞘は12月に死んだ極龍愛神会会長の所持品だったようです。会長の遺言に従い、遺品はすべて法人格のある極龍愛神会が相続するそうです。そして、刀剣鞘は1月13日に中村博士に45万円と引き換えに渡したそうです。中村博士は宇治山田駅近くの郵便局で45万円を引き出して極龍愛神会の組織構成員である高倉と大室云うふたりの男に渡したそうです。」と寺山刑事が言った。

「確か、中村博士の遺品には刀剣鞘もゆうちょ銀行の預金通帳もなかったですよね。」と太郎が言った。

「その通りです。中村博士を殴った犯人が持ち去ったのではないかと思われます。」と秋山課長が言った。

「犯人の目的は刀剣鞘と預金通帳でしたか・・。」と矢倉刑事が言った。

「いえ。目的は刀剣鞘でしょう。預金通帳には1月13日に45万円以上の高額の払戻し金が記入されているはずであり、財布さいふに残っていた所持金が確か、12万円くらいありましたよね。犯人は45万円がなくなっていることを知った警察が他の盗難品もあるだろうと調査を始めるのを嫌ったのでしょう。刀剣鞘の存在を知られたくなかったと思われます。」と太郎が言った。

「と云うことは、犯人は刀剣鞘に45万円が支払われたことを知っている人物ですかね。」と秋山課長が訊いた。

「もちろん知っていた人物ですが、それ以上に刀剣に興味がある人物ではないでしょうか。徳川家の家紋入りの鞘が欲しかったか、いや、古代の星座に興味がある人物かも・・・。」と太郎が考えるように言った。

「刀剣に興味がある人物ですか・・。現在のところ捜査線上にはそう云った人物はいませんな・・・。」と秋山課長が言った。

「課長、奈良県警からFAXで送られて来た資料はどうしました?」と矢倉刑事が訊いた。

「ああ、そうか。実はオークションに応募した人物が55人いました。TV局が作成した応募者の氏名と電話番号、入札価格、そして金額順位を書いた表が奈良県警からFAXで来ていました。これがそれです。」と言いながら上着の内ポケットから折りたたんだA4サイズ紙きれを取り出し、太郎に見せた。

その表を上から順に見ていった太郎が言った。

「この若月研次郎という人物ですが、橿原市にあるホテル『神武』のフロント掛と同じなまえです。電話番号は携帯の番号なので市外局番は判りませんが、確認する必要がありますね。」

「若月研次郎ですね。入札金額は36万円で入札順位は16位ですか・・・。」と秋山課長が言った。

「フロント掛の若月氏は中村博士が刀剣鞘を落札したこと知っています。1月10日の午後8時20分頃にフロントに掛って来た出品者からの電話を中村博士に取り次いでいます。その時、待ち合わせ日時や場所を傍で聞いていたと思われます。」と太郎が言った。

「若月研次郎に刀剣蒐集しゅしゅうの趣味があるかどうかだな・・・。若月の周辺から聞き込みをしてみましょう。それからだな、若月から話を聞くのは。寺山、よろしく頼む。」

「はい。かしこまりました。」と寺山刑事が言った。


「あと、中村博士が『鳥羽の真珠』と話していたと云う旅館の仲居さんの証言が気になるのですが。」と太郎が言った。

「以前の捜査会議でも申しましたが、『鳥羽の真珠』とは真珠島のことではないかと思い、真珠島の『真珠博物館』の監視カメラの記録映像を調べましたが中村博士に姿は写っていませんでした。」

「仲居さんが聞いた『鳥羽の真珠』のあとにつづく言葉ですが、『鳥羽の真珠店』の『店』が抜けていたのではないでしょうか?」と太郎が言った。

「真珠の販売店ですか?」と矢倉刑事が言った。

「ええ。奥様にお土産として真珠のネックレスか指輪とかを買おうと思っていたとか。財布には12万円も残されていたのでしたよね。」と太郎が言った。

「鳥羽市内の真珠店をあたりますかね。」と秋山課長が言った。

「判りました。調べてみます。」と矢倉刑事が言った。


「ところで、このあと大和探偵はどうされますか?」と秋山課長が訊いた。

「今日は、香良洲神社に参拝した後、ここの川向うにあるビジネスホテルに一泊します。あすは二見町の蘇民の森にある松下社と安楽島町にある伊射波神社に参拝しようかと思っています。」

「神社にご興味があるですか?」と秋山課長が訊いた。

「ええ。こう見えても、大学では神学部で勉強をしましたのでね。」と太郎が言った。

「それでは、明日はこの矢倉刑事に車で安楽島町まで送らさせましょう。矢倉、頼んだぞ。」

「はい。ついでに鳥羽市内の真珠店を当たってみます。大和探偵、何時ころにホテルへお迎えに行けばよろしいですか?」と矢倉が訊いた。

「これは有難うございます。朝の9時30分過ぎ頃にお願いします。」と太郎が言った。



大和の光陰53; 毎朝新聞のスクープと朝読新聞日曜版

2016年3月6日(日) 午前9時30分前  ビジネスホテルのロビー


大和太郎は 毎朝新聞朝刊の社会面記事を読みながら矢倉刑事が来るのをロビーの椅子に座って待っていた。

「やはり、鮫島さん記事にしてしまったな。犯人が証拠隠滅に動かなければ良いのだが・・・。早く、証拠を掴んで犯人を逮捕しないといけないな。しかし、8年前に斎宮歴史博物館近くの斎宮跡地公園内であった南部高行氏の所持している『妖刀・村正』による殺人事件の事まで書いてあるとはな・・・。静岡の村正による殺人事件まで載せているな。まったく、念の入ったことだな・・・。犯人がこの新聞を読んでいないことを祈るのみだな・・・、全く、鮫島さんには参ったな。」と太郎は思った。


そして、別の新聞社、すなわち朝読新聞の社会面に目を通した後、太郎はその日曜版を手に取った。

「『この人を訪ねて』か・・・。雇われ尼僧の飛鳥師ね・・・・。ふーん、墓守の他にも陰陽道の修行もされているのか・・・。淡路島南あわじ市の法王寺で『十の祈り』、すなわち『魔除けの封印』を北極星に捧げたのか・・。『魔除け』か・・・。何の魔除けなのだろう・・・?」と太郎は思った。


その時、矢倉刑事がロビーに現れた。

そして、太郎は迎えに来た矢倉刑事の覆面パトロール車に同乗して鳥羽に向かった。



大和の光陰54; 

2016年3月6日(日) 午前11時ころ  鳥羽駅前付近の国道


矢倉刑事の運転する覆面パトロール車が鳥羽駅前の赤信号で停車した。


「この建物は何ですか?」と助主席に座っている太郎が左側にある3階建のビルを指差して言った。

「鳥羽特番街という土産物店や食堂がある名店街ビルです。真珠専門の販売店が6,7軒入っています。」と矢倉刑事が言った。

「ビルに掛っている垂れ幕に『真珠の宝剣特別展示、3階イベント会場』と書いてありますね。」

「そうですね。展示期間は1月12日から3月6日までとなっていますね。寄りますか?」と矢倉刑事が車の窓越しに覗きもむようにビルを見ながら訊いた。

「ちょっと、寄って見ましょう。」と太郎が言った。


そして、車をビルの裏側にある駐車場に入れ、二人はイベント会場に向かった。



大和の光陰55; 真珠の宝剣

2016年3月6日(日) 午前11時過ぎ  鳥羽駅前の名店街ビル3Fイベント会場


大きい自然真珠のネックレスや指輪などが展示されているこじんまりした展示会場の真ん中に、強固な透明アクリル板で作られたショーケースが置かれている。

その中に『真珠の宝剣』が横たわっている。

そして、そのショーケースの前には説明盤が置かれている。


『真珠の宝剣は素環刀と呼ばれる握りの端が環になっている古代の直刀です。真珠が剣の中心線である鎬筋しのぎすじを中心にして左右に5個づつ、合計10個埋め込まれています。刀の長さは全長110センチで金メッキが施されています。装飾目的で製作されたと考えられます。

刀身に埋め込まれている真珠のうちの5個は、自然真珠としては世界でも10本の指に入る大きさのものです。この宝剣は伊勢志摩地方で発見された古墳から出土したものではないかと言われていますが確証はありません。金メッキが刀全体に施されていますので錆びが出ていません。たぶん、この宝剣を所有していた人物たちが、家宝として丁寧に保管し、時には磨きの手入れしたのだと思われます。奈良の大仏が創建された時と同じ塗りメッキ技術ではないかと云われていますが、メッキ技術から推定して中国大陸で製作された可能性もあります。詳細は不明です。発見されるまでは、石棺に入っていたので金メッキが風化せず残り、錆びが出ていないのだろうと推測されています。世界の真珠業界の人で、この宝剣の事を知らない人間はモグリと云われるほど、その筋では有名なお宝です。南北朝時代の志摩地方の豪族が代々家宝として所持していたものを江戸時代に伊勢地方の松阪に本拠がある商家が金銭と交換で手に入れたもので、明治時代に入ってからは持ち主が次々に変わり、古美術商を転転としたようです。それを、戦後、田代真珠の起業時に田代幸造氏が手に入ったものです。製作年代やどの古墳で発見されたかの記録がありませんが、その豪族の家宝緒言の中に、志摩地方の古墳で真珠が埋め込まれた宝剣が発見された旨の記述が残されています。

なお、本展示品は銀座の田代真珠ショールームに展示されている『真珠宝剣』のレプリカです。』と宝剣の由来が説明されている。


ひとりの尼僧がその宝剣を熱心に眺めながら考え事をしている。

「剣の霊が働き、真空の世界を創造する。その真空の世界の中で神光と神光が結ばれて新しい世界が誕生する。しかし、剣気の持つ吉凶によって真空世界にも吉凶ふたつの流れが発生する。左の五への剣光の流れと右の五への剣光の流れ。どちらを先に剣気が流れるかで、たぶん新世界の運命は分かれる。剣気・剣心を満月の神に祈る。剣先の動きで切り裂かれて生まれる虚空の蔵。その蔵にある虚空蔵菩薩の所有物、それは『宝剣』と『如意宝珠』。南無虚空蔵菩薩。」


そこに、太郎と矢倉刑事が現れた。

「あれ、あの女の坊さん。今朝の日曜版の人に似ているな」と太郎は思った。

そして、尼僧に近づいて、太郎が言った。

「失礼ですが、飛鳥光院さんですか?」

「はい? あなた、どなたですか?」と飛鳥師が訊いた。

「あっ、失礼しました。私立探偵の大和太郎と申します。今朝の朝読新聞の日曜版を読みました。その内容で一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?」と言いながら、太郎は名刺を差し出した。

「埼玉県の私立探偵さんが、ここで何をなさっているのですか?」と名刺を見ながら飛鳥師が訊き返した。

「はあ。こちらに居る男性は三重県警察本部の殺人課の刑事さんです。今、二見が浦での殺人事件の捜査をされています。私もその捜査協力のため三重県に来ております。」

太郎の言葉に応じて、矢倉刑事がポケットから警察バッジの付いた身分証明証を提示した。

「そうですか。それで、私への質問とは何ですか?」

「南あわじ市で飛鳥師が北極星に祈りを捧げられた『魔除けの封印』とは、どのような魔除けなのでしょう?」と太郎が訊いた。

「なるほど。『十の祈り・魔除けの封印』の意味ですか・・・。」と飛鳥師がうなずいた。

「それが、殺人事件と何の関係があるのだろう・・?」と思いながら、矢倉刑事は二人の会話を聞いていた。

「『十の祈り』は十字架への祈りです。十種類の神霊界である地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の神霊十界において悪魔の活動を封印し、悪事を防ぐための呪法の成就を救世主の象徴である北極星に祈ったのです。このことが何か、事件解決のお役に立ちますか?」と飛鳥師が言った。

「いえ。飛鳥師がこの宝剣を注視されていたので、スサノオ命の『十挙剣とつかのつるぎ』と関係があるのかと発想したもので、ちょっと質問させていただきました。」

「あら。そうですよ、この『真珠宝剣』はスサノオ命が持っていた『十挙剣』と同じ長さです。そして、イザナギ命が持っていた時には『天之尾羽張あめのおはばり』と呼ばれていました。虚空を生み出し、新しい命を生み出す剣です。イザナギ命が火具土の神をこの剣で斬って、その血から八柱の神が誕生しました。天照大御神が『十挙剣』を噛み砕くと宗像三女神が誕生しました。新しい時代を導く虚空蔵菩薩の持つ『真珠宝剣』の十個の真珠は『如意宝珠』、すなわち、虚空蔵菩薩の意のままに神意を成就させるように正しく用いられなければなりません。」

「はあっ、なんとも難しい話になってきたな。」と矢倉刑事は思った。


「しかし、何故に『十の祈り』が殺人事件と関係があるのですか?」と飛鳥師が訊いた。

「事件捜査の詳細は申し上げられませんが、古代天文図に描かれている北極五星が事件に関係する刀剣鞘にも描かれているのです。」と太郎が言った。

「なるほど、北極星を含む五つの星が刀剣と関係するのですね。」と飛鳥師が言った。

「そうです。北極五星は陰陽道と関係があるのでしょうか?」と太郎が訊いた。

「どうでしょう。961年、霊能陰陽師の賀茂保憲と安倍晴明が京都嵐山にある神護寺で五帝祭という二振りの刀剣に神霊を憑依させて霊剣を造る陰陽道の儀式を行いました。

では、何故に神護寺で行われたのかです。中国漢の時代に五帝とは青帝・赤帝・白帝・黒帝・黄帝と定められました。また、空海は845年、神護寺に宝塔院を建立し、五大虚空蔵菩薩を祭り、中央尊の法界虚空蔵を白色、東方尊の金剛虚空蔵を黄色、南方尊の宝光虚空蔵を青色、西方尊の蓮華虚空蔵を赤色、北方尊の業用虚空蔵を黒紫色としました。そして、金門鳥敏法かのととしどりほうと云う除災呪法を実施しました。ですから、陰陽道で云うところの五帝とは法界・金剛・宝光・蓮華・業用の虚空蔵菩薩のことなのです。そして、虚空蔵菩薩の持ち物は『宝剣』と『如意宝珠』ですから二振りの刀剣の名前は国の宝である天皇を守るための『護身剣』と兵隊を意のままに動かせる『将軍剣』と命名されたのです。この二振りの霊剣をあわせて『太刀契だいとけい』と呼びました。これが、神護寺で五帝祭が行われた理由です。北極五星は太子・帝・庶子・后・北辰と呼ばれた五つの星ですが、『将軍剣』に北極五星の呪符が刻まれていたようです。」と飛鳥師が言った。


「人を斬りたくなる妖刀を造ることは出来るのでしょうか?」と太郎が訊いた。

「保憲師や晴明師のように霊能者で陰陽道の呪法を体得した霊能者であれば可能でしょう。ただ、本来、正しくは、刀身には虚空蔵菩薩の『宝剣』霊気を憑依させ、刀剣鞘には『如意宝珠』霊気を憑依させるのを基本とします。なぜなら、刀身は護身が目的、刀剣鞘は刀身が人を傷つけるのを防ぐことが目的だからです。しかし、妖刀では刀身には虚空蔵菩薩の『如意宝珠』霊気を、刀剣鞘には『宝剣』霊気を憑依させます。そうすると。人を斬るために意の如くに刀身を振り回せます。鞘に収めた刀剣を持ち歩いている時には護身機能が働くため、他人から斬りかかられることがありません。」と飛鳥師が言った。

「なるほど、妖刀にはそう謂う機能が備わっているのか・・・。徳川家の家紋入り『妖刀・村正』は誰が何の目的で造ったのだろう・・・。虚空蔵菩薩といえば寅年生まれの守り本尊だったな。そう云えば、徳川家康は寅年生まれ。家康が『妖刀・村正』を造らせたのかな・・・?」と太郎は思った。


「ところで、飛鳥師は何故にここに居られるのですか?」と矢倉刑事が訊いた。

「朝熊山にある金剛証寺の経塚群を奇麗にする依頼を受けてこちらに参りましたのよ。あら、もうこんな時刻。午後からご本尊の虚空蔵菩薩様の前で経供養をいたしますので、これで失礼いたします。」と腕時計を見て飛鳥師が言った。



大和の光陰56; 

2016年3月6日(日) 午前11時30分過ぎ  鳥羽駅前の名店街ビル内の警備室


中村博士の言葉『鳥羽の真珠』は鳥羽に展示されている『真珠宝剣』のことではないかと思った太郎と矢倉刑事はイベント会場にあった監視カメラの記録映像を確認するためにビルの地下にある警備室に来ていた。


「この映像が1月12日のイベント会場の映像です。24時間監視しています。何時頃の映像が必要ですか。イベント会場が開いているのは10時から18時までです。」

「10時から4倍速くらいで見せていただけますか。」と太郎が言った。


そして、中村博士が写っている部分を発見した。

「中村博士が話している男は見たことがありますよ。こいつはホテル・ワシントンの監視カメラの記録映像に映っていた男ですよ。1月11日の午後8時35分頃にロビーから出て行った男です。」と矢倉刑事が言った。

「これは、ホテル神武のフロント係りの若月研次郎です。」と太郎が付け加えるように言った。

「ええっ。刀剣鞘のTVオークションの応募者リストにあった若月研次郎ですか。」と矢倉刑事が言った。

「そうです。1月10日の夜、オークションの出品者の極龍愛神会幹部・横溝研吾からの電話を中村博士に取り次いだフロント担当者が若月研次郎でした。先日、ホテルで確認しました。この若月が刀剣を収集する趣味があるかどうかを調べる必要がありますね。それと1月11日から14日までの行動もね。」

「任意同行を求めても拒否されて、証拠隠滅されれば元も子もないですから若月の周辺に聞き込みしてみます。盗んだ証拠品の刀剣鞘や預金通帳を隠されると逮捕状請求のための物的証拠は何もないことになりますね。」と矢倉刑事が言った。

「預金通帳は捨ててしまっているかも知れませんが、中村博士殺害の目的が刀剣鞘を手に入れることだったから、大切に保管しているとは思いますが・・・。」と太郎が言った。



大和の光陰57; 

2016年3月16日(水) 午後2時30分ころ  奈良県警察本部捜査一課取調室


奈良県警の協力の元、若月研次郎の住む賃貸マンションの部屋を家宅捜査した三重県警の捜査班は徳川家家紋入りの刀剣鞘と『キトラ古墳天文図に関する覚書』と書かれたB5サイズのノート2冊などを押収した。そして、若月研次郎に任意同行を求めた後、中村博士殺害容疑で逮捕した。

その翌日、寺田刑事と矢倉刑事による若月研次郎への尋問が始まっていた。


取調べ状態を撮影するカメラの映像録画機器が設置された部屋では大和太郎がビデオモニター画面を見ている。


「1月10日の午後8時30分頃、中村様がフロントの電話で刀剣鞘の出品者と話しているのを聞きました。その時、1月13日(水)午前11時30分に宇治山田駅で出品者と待ち合わせする約束をしているのを聞きました。私もあの刀剣鞘が欲しかったので、入札に応募していましたが落札できませんでした。あのTVオークションでは所持していた日本刀を出品して手に入れたお金で新しく日本刀を買い替えたりしていました。刑事さんも話つぃの部屋に3本の刀があるのを見たでしょう。日本刀は刃の美しさだけでなく鞘の化粧が芸術的なのが魅力なのです。」と若月が言った。

何時いつ、中村博士から刀剣鞘を奪う決心をしたのだ?」と寺山刑事が訊いた。

「奪うつもりはありませんでした。成り行きで中村様を殴る結果になってしまったのです。」

「鳥羽の名店街のイベント展示で中村博士と一緒に『真珠の宝剣』を見学していたが、どちらから声を掛けたのだ?」

「私からです。インターネットで『真珠の宝剣』が1月12日から3月6日から展示されるのを知って、1月11日から1月14日まで非番日と休暇を合わせて伊勢観光をする計画をしていました。そこに、中村様が刀剣鞘を落札した事が目の前に現れたのでした。ぜひ、この手に取って見たいと思いました。そこで、1月11日の夕方に食事をしたホテル・ワシントンから中村様に電話をしました。落札した刀剣鞘と関係がある『真珠の宝剣』が鳥羽の真珠店が入っている名店街の真珠イベントで展示されているので案内すると口から出任せを言って1月12日の午後2時に鳥羽駅前で会う約束をしました。携帯の電話番号はホテルの宿泊名簿からメモしていました。」

「宇治山田駅で会う話はしていないのか?」

「13日に宇治山田駅で出品者と会い、そのまま帰京する予定だから、12日しか予定が取れない、と中村様が申されたので、12日に鳥羽駅前で会うことにしました。宇治山田駅ではありません。」

「中村博士から明日会おうとか言われたのか?」と矢倉刑事が訊いた。

「11日に掛けた電話ですから、たぶん、そんな返事だったと思います。鳥羽の真珠店が入っている名店街ですねと念の押しされました。その時は、私とではなく自分一人で展示を見に行くつもりかなとも思いましたが、鳥羽駅前でお会いできました。展示会を見ながら『刀剣鞘』を見せて欲しいと中村様にお願いしました。13日は東京に帰る予定を変更して、13日の夕方、私が宿泊している安楽島町の満留山神社近くにある旅館・八神荘で会う約束をしました。その後、八神荘の場所を確認し、中村様も13日夜に一泊する予約を私がしておく約束をした後、そのまま別れました。満留山神社は須佐之男命と天照大御神が天の安河原で行った誓約うけひによって、勾玉から生まれた五男と『十挙剣とつかのつるぎ』から生まれた三女を祀る神社で、キトラ古墳と同緯度に当たる場所だと説明すると、何故か、博士も興味があると云う事で八神荘での宿泊を決められました。キトラ古墳と『十挙剣』の名前が利きました。」


「13日は何時に博士と会ったのだ?」寺山刑事が訊いた。

「夕方、午後6時頃でしたかね、中村様の部屋で『刀剣鞘』を手に持たせてもらいました。不思議に心安らぐ気がしたものです。30分くらい、『刀剣鞘』やキトラ古墳の古代星空についての話、盗掘で盗まれてしまったキトラ古墳に副葬されていた刀剣は反りの無い直刀の黒漆塗銀装太刀と推定された話などをした後、夕食を兼ねて鳥羽駅前の居酒屋まで旅館の車で送ってもらいました。」

「そこで中村博士に酒を飲ませたのか?」

「はい。私も飲みましたが、中村様は『刀剣鞘』が手に入ったことで上機嫌で、かなりお酒が入ったと思います。」

「どこで中村博士の頭を殴ったのだ?」

「居酒屋からの帰りはタクシーで戻ってきました。満留山神社前の駐車場でタクシーを降りました。そこで突然、中村様が満留山神社にお参りしたいと言われたのでした。天文博士ですから、神社からの星空を見たかったようです。」

「街灯はなく暗かったのではないのか?」

「中村様はいつでも天文観測が出来る様にとLED小型懐中電灯を常時携行されているようでした。その懐中電灯で急な68階段を照らしながら登り満留山神社に参拝しました。『この階段は68段あるのですね。キトラ古墳の星座の数も68個なのですよ。68星座を一つ一つ訪問している気分です。内規、赤道、外規の三重の同心円の中にある68星座と三重県の中にある満留山神社の68階段。満留山神社とキトラ古墳は同緯度にあり、見える星空は同じなのです。不思議な因縁がありそうだな。』と中村様は満足そうでした。」と若月が懐かしむように言った。

「星座は見られたのか?」

「はい、よく見えました。あれが天極五星だ、四補だと説明されました。私にはよく判らなかったですがね。」

「なぜ、殴ったのだ?」

「満留山神社の68階段を下りて来た後、あの『刀剣鞘』が急に欲しくなったのです。私にも理由は判りません。気が付いたら手に石を持っていました。そして、目の前に中村博士が倒れていました。死んだと思いました。その後、中村様の部屋から車のキーを取り、二見が浦の駐車場まで博士を運び、放置しました。その後、駐車場近くに放置されていた古い自転車で旅館近くまで戻りました。時刻は判りません。そして、翌朝、旅館には中村様は朝早く出て行かれたことにして、私が宿泊費を払いました。」


「68段の階段か・・・。そう云えば、火継神事を行った鳩山町の『銀河の丘』にある階段も68段だったな。公の道路から1段上がったところが銀河の丘の玄関広場、そこから64段の階段を上ると半球のステンレス天球が埋め込まれている基盤手前にある太陽を向拝する場所となり、更に3段上がるとステンレス天球と黄道12星座をあらわす12本のステンレスヘンジが埋め込まれた基盤床面に到達する。公道が地球表面でヘンジ基盤が宇宙空間にある高天原に相当すると考えると、その間には68の階層があると云うことか・・・? 68と云う数字は素数17の4倍になるな・・・。17=10+7か・・・。10は十字架すなわち北極星。そして七剣星とも呼ばれる北斗七星。満留山神社、キトラ古墳、銀河の丘の夜空に見える68星座は何を意味するのか・・・?」とテレビモニターを見ながら、太郎は取り留めもなく思いを巡らせた。


「中村博士の預金通帳は如何どうした?」

「燃やしました。60万円を郵便局で出金したのを警察が知ったら、『刀剣鞘』落札の件が明るみに出て、ホテルの電話を取り次いだ私が疑われるのではないかと考え、通帳を自宅に持ち帰り、大和川の河原で燃やしました。私には刀剣を蒐集する趣味がありますからね。」と若月が言った。

「お前の部屋には3振りの日本刀があったな。」と寺山刑事が言った。

「それほど高価な日本刀ではありませんよ。1振りは坂本龍馬が持っていたのと同じ陸奥守吉行で江戸時代は多くの侍が持っていました。二振り目は沖田総司の愛刀と同じ菊一文字則宗、そして、もう一振りには表側に村正、裏側に泰山府君の銘が彫られています。」


「村正と云えば妖刀だな。」と矢倉刑事が言った。

「妖刀と云うのは後世の作り話です。家康の遺品にも村正銘のものが二振りあるようです。徳川家末裔の方も妖刀説は否定されています。」と若月が言った。

「そうであってほしいが、松阪市の斎宮跡地公園内で『五個の水晶玉が両サイドに埋め込まれた刀剣鞘に納まっている村正銘の太刀』による殺人事件があったからな・・・。村正/泰山府君の太刀ね・・・、そんな刀が本当にあるのか・・・。だれかの身代わりを求めているのか・・・? ふーう。」と太郎は訳もなくため息をついた。


「ところで、ホテル・ワシントンの和風レストランで、隣席で食事をしていた外国人と話をしただろう?」

「はい。」

「その外国人とは、この女性とこの男性だな。」と云って、寺山刑事が監視カメラ記録映像を基にして作ったキャサリン・ヘイワードとビットリオ・ルッジェーロの写真を見せた。

「そうです。」

「英語で話したのか?」

「そうです。私もホテルの従業員ですから外国人のお客様とお話する機会はたびたびあり、対応の仕方は心得ていました。」

「何を聞かれたのだ?」

「英語で書かれた石舞台の観光パンフレットの内容でした。」

「どんな事だ?」

「『パンフレットには狐が女の姿に化けて石舞台の上で踊った、という伝説が書かれているが、白い鳥が石舞台の上で飛んでいたという伝説は無いのか?』と云う女性からの質問でした。『無い』と答えたら、『そんな事はないだろう』と不思議そうに言っていました。」

「それだけか?」

「それだけです。」

「そうか。ところで、中村博士が撮影した天体写真のデータが入ったSDカードはどうした?」と寺山刑事がカマをかけた。

「そんなものは知りません。中村様が甘樫丘で天体写真を撮られることはしていましたが、私は天体観察には興味はありません。SDカードが紛失しているのですか?」と若月が訊いた。

「いや、知らなければそれでいい。」と寺山刑事は言葉を濁した。

「天体写真のSDカードがなくなっているなら、中村様のお知り合いに訊いてみたらどうですか?1月10日の夜8時ころ、刀剣鞘の出品者から電話が入る前に、相良とか云う方から電話があり、ロビーに居た中村様に取り次ぎました。内容は覚えていませんが天体観測の話を4,5分されていました。」と若月が言った。

「電話の相手は相良と言ったのだな。」

「はい。電話の取り次ぎの場合は、掛けてきた相手のお名前を聞くのがホテルの規則ですので。」

「そうか。天体観察に関心が無いのなら、何故に中村博士の『キトラ古墳天文図に関する覚書』のノートを持ち帰ったのだ?」

「私の名前がノートに記録されているとまずいと思ったのです。私の名前の記録はありませんでしたので安心して、そのまま部屋に放置してしまっただけです。でも、中村様のノートには、キトラ古墳天文図は甘樫丘での天体観測に基づいて描かれた可能性があると書かれていましたね。ホテルのお客様への観光案内に利用できるかなと思って記憶しました。」と若月が言った。


「甘樫丘に陰陽寮の占星台があったということか・・・。中村博士は何か証拠でも見つけたのだろうか?確かに甘樫丘の見晴らし台からは地平線まで見えるからより広く星空を眺めることができるからな・・・。」と太郎は思った。



大和の光陰58;

2016年の某日、某所  ブラッククロスの十人会議テンメンバーズ


「キャサリンからの情報があります。彼女が石舞台で巫女舞を踊っている時、上空に飛んでいた白い鳥を霊視しました。その霊鳥は巫女舞が終わると白い矢に変身して東の方向に飛び去ったのでした。その鳥が気になったキャサリンはオメガ教団の伊周天明の案内で奈良県の東方にある三重県の伊射波神社の奥宮に祀られている領有神うしはくかみの小さな岩座いわくらの上に白い霊鳥が留っているのを霊視したそうだ。そして、その霊鳥は白い弓矢に変身して、真直ぐ天空に向かって昇って行く姿がキャサリンには視えたそうだ。伊射波神社は天照大御神を祀る伊勢神宮の近くにある古い神社らしい。そこに、『トコトノカジリ』の言霊を破るすべのヒントがあるように思われます。アポロン、それは弓矢の名手。そのアポロンの神託によれば、プトレマイオスのカノープスを手に入れてアンゴルモアの大王を甦らせ、世界を変え時、メシアの法は太陽から暗黒の冥府に落ちる。暗黒の冥府に落ちたメシアの法を拾い出す術が『トコトノカジリ』の言霊を破る術であると云う事であった。『トコトノカジリ』とは『アマテラスオオミカミ』を11回唱えること。オメガ教団の伊周天明によればアマテラスオオミ神は伊射波神社近くの伊勢神宮に祀られている祭神である。暗黒の冥府に落ちたメシアの法を拾い出す術とは、白い弓矢が漆黒の宇宙空間に飛び込んで行くように、伊射波神社の領有神が持つ白い弓矢が暗黒の冥府にあるメシアの法に命中すれば良いのです。」とナンバーワンが言った。

「それでは、リオ・デ・ジャネイロで生贄にした中国の情報部員の魂はどうなるのです。」と新しいナンバーファイブが訊いた。

「彼の魂は中国の泰山に住む冥府の神々にアレキサンダー大王をアンゴルモアの大王として蘇らせて貰うために遣わした使命魂です。彼に持たせた白い石板には『泰山府君祭』と『YOU ONLY LIVE TWICE』の銘が刻んであります。『YOU』とはアレキサンダー大王です。リオ・デ・ジャネイロのキリスト像の十字架の前で彼を死に導いたのは、アレキサンダー大王の友人でもあったエジプトの初代王プトレマイオス将軍がエーゲ海に沈めたカノープスの壺に入っているアレクサンドロスの心臓に宿る魂を甦らせるための儀式です。ところで、ナンバーファイブ。1999年8月18日のグランドクロスの日に生まれた中国人の男子でアンゴルモアの大王となるはずの肉体は見つかりましたか?」とナンバーワンが訊いた。

「はい。アレキサンダー大王が遠征を諦めた地点である北緯33度44分にあるインドのタキシラ遺跡と緯度が1度以内の誤差範囲にある北緯34度27分の西安で数人の候補者を見つけ出してあります。西安郊外にある始皇帝の兵馬俑の兵隊を甦らせることが出来る人材がアレキサンダー大王の遠征を引き継ぐ男子であると云う事でしたね、ナンバーワン。」とナンバーファイブが言った。


※著者注記:

祇園精舎の手前のインダス川流域まで征服していたアレキサンダー大王は部下のギリシア人庸兵たちの反抗に会い、インド以東への遠征を諦めたと謂われる。そして、ペルシアのスーサの王宮に戻り、その後バビロンの宮殿で毒を飲まされ、遺言を残し、33歳の若さで死んでしまった。

なお、アレキサンダー大王がインドで引き返した理由は、裸の哲学者と呼ばれたバラモン教の僧侶カラノスが『中央に居て、世界を支配する』ことを教えた為であるとする説がある。

中央とはペルシアの王宮があるスーサの都であり、そこに彼は戻って世界支配すること考えたとされる。


「その通りです。因みに、伊射波神社と関係がある満留山神社はスサノオ命と云う蘇り伝説のある厄神を祀っている神社らしい。そして、満留山神社は北緯34度27分にあるらしいのです。」とナンバーワンが言った。


「我等の願いが成就することを祈って乾杯。」とナンバーセブンが音頭を取った。



大和の光陰59;エピローグ

2016年5月9日 正午前   伊勢市朝熊山経ケ峯にある金剛証寺の経塚群遺跡


朝熊山は伊勢神宮の鬼門に当たり、神宮鎮護の霊場とされている。

金剛証寺本堂の西南で経筒が明治27年に発見された。当時は樹木に覆われたものさびしい場所であったらしく、そのまま放置されていたが、昭和34年9月の伊勢湾台風の後、倒木の整理していた時に経塚群が発見され、昭和37年、38年に600平方メートルの範囲が調査され、34基の経塚が発見された。そして、銅鏡、仏像、銅経筒など多くの出土品が昭和38年に国宝に指定された。

経塚の願主の多くは神仏習合時代の伊勢神宮の神職や僧侶であったと謂う。

経塚は御釈迦様が入滅後3千年後には仏法が衰えると云う末法世思想が原点にあるらしい。しかし、御釈迦様が入滅後の56億7千万年後に弥勒菩薩が出世する時に備えて経典を残そうとする目的で埋経(経塚に供養した写経を埋めること)が行われたとも謂われている。


飛鳥光院師と二人の剪定作業員が経塚群とその周辺の草木の伐採をしながら経塚石塔の補強と清掃手入れを行っている。


「3月7日から経塚の手入れを始めて、もう2か月になるわね。やっとこの1本で終りね・・・。この塔も倒れそうね。あそこに居る作業員のおじさんに手伝ってもらって直しましょうかね。でも、そろそろお昼ね。」と飛鳥師が思った時、土木作業員が叫んだ。

「尼さん。お昼にしましょうか。」


金剛証寺から運ばれてきた弁当とペットボトルのお茶を作業員の男性が飛鳥師に手渡した。

そして、いつものように作業員は電池式の携帯ラジオのスイッチを入れた。

アナウンサーの声が経塚群周辺に響いている。

「お昼のミュージックの時間です。今日は映画音楽を特集いたします。まず最初にスパイ映画『007は二度死ぬ』より主題歌『You Only live twice』をナンシー・シナトラの歌声でお聴きください。」

「007は殺しの番号。ジェームス・ボンドはやはりショーン・コネリーが一番似合っていたよな。」と一人の作業員が言った。


♪ You only live twice or so it seems,♪(あなたは2度生きるか、またはそれと同じような生き方をする。)

♪ One life for yourself and one for your dream. ♪(一つの命はあなた自身のため、もう一つはあなたの夢を実現するため。)

♪ You drift through the years ・・・・・ ♪(あなたは長い年月を彷徨さまよい・・・・・)

♪ Till one dream appear and Love is it’s name.♪(そして、一つの夢が現れます。その名は愛。)

♪ ・・・・・ ・・・・・・・・・♪

♪ This dream is for you, so pay the price, ♪(この夢はあなたのもの、だからその対価を払いなさい。)

♪ Make one dream come true, you only live twice. ♪(夢を実現させるために、あなただけが2度生きるのです。

♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ♪


飛鳥師は歌曲を聞きながら考え事をしていた。

「お釈迦様が生きている時は周囲の人々に中道を説き、死んでからはその教えが仏法となって世の人々に進むべき道を教える事となった。すなわち、お釈迦様は2度生きたのと同じなのね・・・・。」

そして、平家物語冒頭の一節を思い出していた。

「『祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常のひびきあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。』だったわね。一度の人生を無駄には過ごせないわね・・・。

『光陰、矢の如し。少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。』ってとこかしら・・・。」

「しかし、今日の空は美しく晴れ渡っているわね。宇宙空間の暗黒が群青色に感じられて星が見えそうな昼下がりだわ・・・。」と飛鳥師は頭上の青空を見上げて感じた。




           大和の光陰

      〜キトラ古墳・天文図殺人事件〜 

             完



(2017年2月18日 午後5時10分 脱稿) 

           

              目賀見勝利


参考文献:

高松塚への道  網干善教  草思社  2007年10月 第一刷発行

高松塚古墳は守れるか  毛利和雄  日本放送出版協会 2007年3月 第一刷発行

歴史読本 2015年1月号 特集・古代王権と古墳の謎 138ページ

キトラ最古の天文図の謎 NHK−BSプレミアム コズミックフロント 2015年7月22日放送 

飛鳥の大宇宙  NHK−BSプレミアム プレミアムヒストリー 2016年5月18日放送 

別冊日経サイエンス・古代文明の輝き 日本経済新聞出版社 2015年12月 1版1刷

神から人類への啓示  藤原大士  日新報道 1992年3月 発行

強運 深見東州 たちばな出版 平成10年11月 初版第1刷

地球の歩き方 ブラジル  ダイヤモンド・ビッグ社 2014〜2015年版

陰陽師列伝  志村有弘  学習研究社  2000年9月 第一刷発行 

現代に息づく陰陽五行 稲田義行 日本実業出版社  2003年3月 初版発行

陰陽師の世界(別冊宝島) 加門七海監修 宝島社 2016年4月 発行

古代世界70の不思議 ブライアン・M・フェイガン編 北代晋一訳 東京書籍 2003年10月初版

続サライの奈良  サライ編集部編  小学館  2010年4月 初版発行

奈良県の歴史散歩(下)  奈良県高等学校教科等研究会編 山川出版社 2007年6月1版

奈良・大和路寺寺の昔話 株式会社フジタ発行 1981年

旅 奈良大和路古道 西岡比古司 京都書院 平成10年5月 第1刷

ノストラダムス大予言原典 大乗和子訳 内田秀男監修 たま出版 昭和50年3月 初版

ジュセリーノの予言  テレビ東京制作班  ソフトバンククリエイティブ社  2008年5月 初版

増補三鏡 出口王仁三郎聖言集 八幡書店 2010年4月 初版発行

いま忍者・初見良昭  NHK−BSプレミアム  2016年7月7日 放送

合気道開祖 植芝盛平伝  植芝吉祥丸著  出版芸術社  平成11年4月 第一刷発行

アレクサンドロス大王物語(伝カリステネス) 橋本隆夫訳 国文社 2000年7月 第1刷発行

図説アレクサンドロス大王 森谷公俊著 河出書房新社 2013年12月 初版発行

アレクサンドロス大王東征を掘る エドヴァルト・ルトヴェラゼ著 帯谷知可訳 NHK出版協会2006年5月初版

アレキサンダー大王―未完の世界帝国 ピエール・ブリアン著 桜井・福田訳 創元社1991年9月第一刷発行

古代秘教の本  編集スタッフ・少年社ほか  学習研究社 1996年8月 第一刷発行

エジプト古代文明の旅 仁田三夫ほか 講談社 1996年11月 第1刷発行

ファラオの遺跡 執筆・吉村作治ほか 日本テレビ放送網株式会社 1987年3月 第1刷

秘法カバラ数秘術  斉藤啓一著  学習研究社  昭和62年1月 第1刷発行

人と神と悟り  日垣の庭宮主著  神道日垣の庭  平成4年12月 初版発行



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