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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

いっそう美しい桜を、あなたに

作者: ひだか こう

 桜はね、昔々のその昔は、もっとひそやかに咲く地味な花だったんだ。


 ざらつく幹をそっと撫ぜながら、この場所であの人にそんな話をしたことを思い出した。ぽつりと一人たたずむこの大木は、昔々のその昔とは違う薄紅色の花びらを風に任せていた。カーディガンを羽織って出てきたが、いたずらに吹く風はまだ肌寒い。

 少し離れたところには、桜並木の遊歩道。しかしなぜか、この桜の大木一本だけがそこから離れた公園のすみ、少し小高いところに植わっていた。まるでこの土地の主みたいだね、なんて、そんな話もあの人とした。きっとこの公園と遊歩道ができるよりもずうっと昔から、この大木はここにたたずんでいるのだろう。

 付近に人影はない。人々はみな、華やかな桜並木の方に好んで集まっていた。花見のシーズンだからだろう、こだまするように笑い声が遠くから聞こえてきて止むことを知らない。もうそろそろ、街頭に明かりが灯る時刻であるはずだ。


 じゃあ、なぜ桜は、こんなにも華やかになったの。


 無邪気に笑って見せながら、あの人は問いかけてきた。そう、確かこのあたり。この張り出した枝の中でも、一番丈夫そうなものの下だった。なぜだと思うとはぐらかしながら隣に並んで立つと、沈んでいく夕日のまぶしさにあの人は目を細めていた。今、ちょうど日が沈む。場所も時間もあの時と同じだ。小さく首を傾げ少し唸って考えた後に、あの人はまた無邪気に笑って見せながら、わからないと答えたっけ。


 有名な短編の一説にあるじゃない、知らないのかい。


 あの人はそこでもう一度首をかしげた。そして、ああ梶井基次郎、とつぶやいた。そうだよ、彼が短編の中で桜の樹の下には屍体が埋まっていると言っていたね、とだけ返事をしたと記憶している。あの人は、この桜もそうなのかなと独り言つように言い、返答がないと察すると、だから綺麗なのかなと続けた。

 その後は、あの人とは会話を交わしていない。いや、交わせないようにしてしまったと言ったほうが正しいか。ふと、より美しい桜を見たくなったのだ。そしてあの人のさいごの一言でつい、魔が差してしまった。


 あれから数日は、実に甘美な浮遊感とよりいっそう美しく芳香を放つ桜に酔いしれた。しかしそれから数日は、あの人はよりいっそう美しくなった桜を見られないではないかと、申し訳なさに苛まれた。どうすればよいかと考えているうちに、花は散った。どうすればよいか思いついたのはこの冬だった。そして今日、あの春の日と同じくらいに咲き誇るこの大木のもとへやってきた。


 ざくり、ざくりと重たい音が地面をえぐる。こつんという音とともにあの人が顔を出した。あの人との一年ぶりの対面に、もちろんあの人の姿は変わり果てているけれども、思わず口元を綻ばせずにはいられなかった。


「よりいっそう美しい桜を、見せてあげます」


 あの人を、桜が良く見える位置においてやった。そして張り出した枝の中でも、一番丈夫そうなものの下に立ち、ゆっくりと、しかし確実に喉にナイフを突き立てた。ぼたぼたと滴るしずくを見て、ああ、あの人の血の流れる音を、肉壁を介さずに初めて聴いたのもあの時この場所だったと思い出す。夕闇の中で見たあの人の血は、妖艶な黒さを持っていた。しかし、今流れおちる血はそれとは違い、どす黒く地面に吸い込まれていく。

 人の気配がした。二人だけで桜を楽しみたい。その願いが通じたのか、それ以上近づいていくことはなく、笑い声とともに遠ざかって行った。


 ああ、さすがに腕に力が入らなくなってきた。


 かき集めた力を振り絞って、喉にナイフを突き立て横に引く。そしてさいご、さっきまであの人が眠っていた場所に身を横えた。心地よい睡魔とともに、視界が黒に染まった。




 翌朝、H市の公園のすみに立つ住民から「千年桜」と呼ばれている桜の木の下で、白骨死体と何者かによって喉周辺を主に切りつけられた死体が発見された。後者の死体の腐乱は進んでおらず、遺族の確認でH市在住の20代男性だと身元が特定された。

 ただ不思議なのは、男性は死後間もないことが見て取れるのに、昔々のその昔からそこに埋まっていたかのように、遺体に桜の根が巻き付いていたことだった。

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