ヤガイソウ
やっと帰宅だ。今日は色々なことがありすぎた。ミケちゃんと出会い、瑠衣先輩と勝負したり、陸上部に入部したりと、中学までの自分には考えられないようなことだらけだ。
今日の 晩御飯はハンバーグ、トマトとレタスのサラダ、そして白米と味噌汁。良く言えば和洋折衷、悪く言えばどっちつかずな献立である。
まず手をつけるのはハンバーグ。拳サイズのそれを一気に平らげると、次は白米だ。それも一気に口にかき込む。三番目に食べるのは味噌汁。これは具ごと一気飲みする。最後にゴマだれをかけたトマトサラダを口に運ぶ。一つの料理を一気に食べるのが俺のやり方だ。
家族からは変な食べ方だと罵られるが、俺は幼い頃からこの食べ方が身に染み付いているから、今更変えられない。それに、あちらこちらと節操なく様々な料理を箸で突く方が余程変な食べ方だと思う。
風呂へ入り、寝巻きに着替えると、自室のベッドに背面からダイブした。疲れ切った身体は布団に沈み込み、さらには意識すらも沈みこんでいく。
俺は目を瞑り、嵯峨山部長の言葉をゆっくりと反芻した。
伊東は11月に開催される、全国高校駅伝の千葉県予選に出場するため、依古島高校男子 駅伝部を設立した。手始めに、今年はその大会で県6位以内に入って関東大会に出場、そして俺たちが2年生になる翌年には、県で優勝して全国駅伝に出場すると、嵯峨山部長・監督・OGの方々に堂々宣言した……らしい。
あいつは頭が沸いているのだろうか。
無理に決まってるだろ! 現時点で男子部員はたったの2人だぞ?! そのうち、1人は邪な理由で入部した運動経験皆無の素人。もう1人は挨拶もまともにできない、女子陸上部員に混じって黙々と走る不審者野郎だ。
そもそも、駅伝に出場するには最低7人必要らしいから、遅くとも夏までにあと5人集めないと廃部沙汰だ。こんな馬鹿げた話があるだろうか?
だがしかし、やはり女の園は捨てがたい魅力だ。女子部員の顔面偏差値はかなり高い。スタイルも抜群。心なしか汗も良い香りがした。
そして、愛しのミケちゃんがいる。この部活は辞める理由が山ほどあるが、やめられない理由も同じくらいある。
巨大な不安に一抹の希望を抱き、俺の意識は睡眠の海へと沈んでいった。
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「こんにちわーっす!」
「お、江口か。元気が良いな」
嵯峨山部長はニコリと微笑む。か、カワイイ……と言うより、美人だ。昨日は緊張してちゃんと確認できていなかったが、よく見てみると、鼻筋は真っ直ぐ通っていて、目はキリッとして顔が整っている。短髪だが、やや長めの前髪は黒のピンで留めてあり、さながら出来る美人OLのようだ。ぜひ甘えたい。
……そんなことを言ったら雷が落ちそうなので言えないが。
「部長、今日の練習はどんなことをするんですか?」
「……江口、昨日私はお前に練習予定表を配ったはずだが……?」
彼女は笑顔を崩さない。しかしさっきまでのそれとは全く別物だった。眉間に少しシワが寄り、目尻がピクピクと痙攣している。まずい、怒っているぞ。恐らく練習予定表はカバンの中に入れっぱなしだ。ひとまずここは何とか取り繕わなければ!
「そ、そ、そうです! 練習予定表……は、貰いました、はい。今日の大まかな練習は把握しているのですが……で、ディテールを知りたいなあ、と」
「そうかそうか。それなら、今日の練習の大まかな流れを言ってみろ」
「え?! えっとですね……準備体操して、ストレッチして、アップのジョグをして、あと……アキレス腱を伸ばして、ラジオ体操も挟んで……」
「体操、ストレッチ、2時間のロングジョグの後、快調走を10本……ですよね」
この声は、伊東駿介だ……! 危ない危ない、こいつが今日の練習メニューを流暢に説明してくれたおかげで、俺はどやされずに済んだ。気に入らないやつだけど、ここは感謝しておかなければ。
「準備体操しか無いような練習メニューなんて、幻のファンのために開催されるオフ会のようなものですよ」
……?? その例えはよくわからないが、馬鹿にされているということは理解できた。前言撤回、感謝などしないぞ。
「それで、そのロングジョグはこのトラックで行うのでしょうか」
「今日は短距離パートがトラックを使って練習する日だ。そこで長々とジョグをしていては向こうに迷惑になる。それに、400mトラックを2時間も延々と走り続けるのも酷だろう。そこで……」
「野外走……ですね」
嵯峨山部長の話を遮り、伊東が答えた。へんっ、部長に最後まで言わせれば良いものを。『俺は理解できてます』アピールなんて要らないんだよ! ……ところで、ヤガイソウって何なんだ……?
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ひとまず準備体操とストレッチは終わった。しかしながら、未だに『ヤガイソウ』が一体どんな練習なのかわからない。陸上競技専門用語か? そうだ、きっとそうに違いない。
徐々に長距離走のメンバーが集まってくる。当然、周りは伊東を除いて全員女子。おおよそ30人……いや、40人か。依古島ジャージを着ていない女子は恐らく一年生だ。つまり一年生は約10人。
部員らは各々仲の良い友人と談笑している。もちろんミケちゃんもだ。それに対して、俺はひとりぼっち。一応、伊藤駿介が隣にいるが、『俺に話しかけるな』と言わんばかりの雰囲気を醸し出している。
「よし、全員集まったみたいだな」
嵯峨山部長が話し始めると部員らの喋り声はピタリと止んだ。いよいよ練習が始まる、そんな雰囲気だ。
「今日のメニューは予定表通り、ロングジョグを行うが、その前に7人から8人の班を五つ作る。各班で固まって依古島緑地公園まで走って行き、折り返してここに戻ってこい。走行時間は2時間、ペースは1kmあたり5分だ。かなりゆっくりとしたペースだが、フォームを意識して真剣に取り組め。以上!」
今やっと理解した。ヤガイソウって学校の外を走る練習のことだったのか、なるほど。
「江口君!」
「ひょわ?! ……ってなんだ、ミケちゃんか」
「なはははは、驚きすぎだよー!」
突然声をかけられて素っ頓狂な声を出してしまった。凄く恥ずかしいが、ミケちゃんが笑ってくれてるからそれでいい。
「江口君、私と同じ班だね! 今日は楽しく走ろっ!」
「えっ、本当?! よ、よろしくな!」
き、キタアアアアアア!! 待ってたんだ、この時を! この瞬間を! 好きな女の子と一緒に楽しく走るこの練習を! ありがとう、エロス。ありがとう、嵯峨山部長!
「それと、伊東君も同じ班だよね。私、三池霧子。よろしくね!」
「……よろしく」
な、なんですとおおおおお?!
1日1話、中々つらいですね。
明日は投稿出来ません。