遡及
そこは、紫陽花が咲き乱れる庭園だった。
見渡す限り藍色と赤紫色。疎らに白も見受けられる。その花弁で空からの悲しみを受け、愛する人を亡くしたかのように、泣き止む様子もなく涙を流し続けている。
いつ、どのようにしてここに来たのかは分からない。記憶の中にこのような場所はないからだ。ただ、ここが限りなく美しく、そして悲しげなことだけは理解した。
傘が必要だと思った。
この雨は降り止むことはないだろう。だから、この雨を遮るために傘が欲しかった。だけど、手に傘は持っていなかったし、辺りを見回しても紫陽花しか目に入らない。
仕方がないので、歩き始めた。
幸いにも、この庭園には道があった。紫陽花が造った一本道だった。傘を差した人がちょうど二人通れるくらいの幅の道だ。真ん中を歩いた。
何故か裸足だった。舗装されていない地面は雨でぬかるんでいたので、足が汚れた。それならばいっそ、何も気にせずに歩こうと思った。
どれだけ進んでも景色は変わらない。道の両側に藍と赤紫が広がるだけ。まるで紫陽花に誘い込まれているかのような気分に陥った。いや、実際そうなのかもしれない。共に泣いてくれる者を求めて、紫陽花が誘惑しているのだ。しかし、そうだとしても進まなければならない気がした。
更に進むと、道の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。段々と近づいてきて、それが子供だと分かった。
子供は小学三年生くらいの背丈だった。彼女も傘を持ってはおらず、頭からびしょびしょに濡れていた。制服らしいものを着ているから、たぶん私立小学校かどこかの生徒なのだと思う。
その腕に青いものが幾つも痛々しく浮かび上がっているのが見えた。
その子と特に何があるわけでもなかった。ただ、すれ違ったときに香った匂いに、どこか懐かしさを覚えた。
再び歩き続ける。あてもなく。
次にやってきたのはセーラー服を着た少女だった。大人びているが、どこかあどけなさの残る顔立ちで、高校生だと思った。
少女が近づいてきて、思わず、足を止めた。
物憂げな表情で俯いているが、それではっきりと、彼女の美しい顔立ちを見ることが出来た。すっと通った鼻筋と、庇護欲を煽る潤んだ瞳。肩ぐらいまでの黒髪が、雨に濡れて薄紅色の頬に貼りついている様は扇情的だ。夏服で生地の薄いセーラー服も、透けてその下の白く健康的な肌と年相応に可愛らしい下着を浮かび上がらせている。
突然立ち止まったことは少女を驚かせてしまったらしく、彼女もまた歩みをやめた。少女は何か言おうと顔を少し上げたようだったが、思い直したのか再び俯いた。
少しの間、互いにその場に立っていた。雨に打たれ、しかしそれを遮る術を持たない可哀想な二人だった。
再び歩き始めた。
背後で、水溜りを踏む音が聞こえた。
それっきりだった。
意識が途絶えた。
結局、傘は見つからなかった。
***
目を覚ました。自室のベッドの上だった。
外は雨だった。窓から、街路に植えてある紫陽花が見えた。
悲しいくらいに美しい花を咲かせていた。
くっさいチープな表現するのが楽しかった。




