或る本
或る本を探していた。
いつのことかは忘れたから、きっと子供のときのことなのだろう。早熟な子供であったから、小説に興味を持ったのは八歳くらいだったと思う。
其の本の題は忘れてしまったが、内容はなんとなく覚えている。或る男性が、一人の女性と出逢い恋に落ちる。紆余曲折を経た末に結ばれるという話だったと記憶している。なにぶん、子供の頃に読んだきりであるから、その辺りは曖昧であるが、その色褪せた臙脂色の厚表紙と、ずしりと手にかかる重みは鮮明に覚えている。
子供のくせにどうしてそんな本を手にとって読んだのか、疑問ではある。別に、読み直したいと思うわけでもない。
しかし、私はその本を探さなくてはならないような気がしていた。どうしてかはわからない。もう数年もすれば四十になるというのに、未だに善い嫁を貰えぬ所為かも知れない。恋愛小説に、そういった「こつ」を求めるのは浅はかであろうが。
まあ、それは冗談である。別に私は結婚を急いではいない。独り遺された田舎の母は、ときどきお見合いを押し付けてくる程度には私に結婚を急かすが、それは単に私の将来を心配してのことだ。だから、私が嫌だと言えば、直ぐに引き下がる。
ああ、話が逸れてしまったか。
なにせ、私は其の本を三年ほど前から、ずっと探している。それだけ探していても、今以て微かな噂も聞かない。
話の内容は在り来たりなものであるし、私の記憶が曖昧な所為もある。何度か、此れだという本を御目に掛けたことはあるが、何れも一目見ただけで違うと判った。内容も、本物ならば心当たりがあろうが、そういうこともなかった。
今の時代、インターネットというものもある。どういった風に検索を掛ければよいのか思い当たらなかったので、質問サイトに書き込むなどの方法を用いている。しかし、それで手に入る情報も、どこか的外れなものであった。
ある事に思い至ったのが、この初夏の話だ。
私はずっと他人から探し出そうとしてばかりいたが、元々其の本は私の家にあったものだ。親族の家に譲ってしまっているというのが、可能性として、最も高いのではないだろうか。
どうしてその事に今まで気付かになって、なかったのだろう。いや、後悔してももう遅い。
私は母方の親戚から総当りを始めたが、しかし誰もそんな本には心当たりがないようであった。それぞれに一応の口止めをした。伯父叔母辺りに尋ねてみてもわからなかったのだ、きっと母方の家にはないとあたりをつけた。
母には本を探していることは一度も告げていない。というのも、母から提案される見合いを断っているというのに、一冊の恋愛小説を三年間も探していることが知られれば、なんと言われるかわからないからである。繰り返し言うが、私は結婚を急いでいない。
父方の親類をあたり始めて六件目になるが、そこでようやく、其の本を知っているという人物に出会った。
父の従弟にあたる男性だった。最後に会ったのは父の葬式のときであったか。親戚からやや疎まれている、偏屈な人であった。しかし、父とは相性が良かったらしく、生前は二人でよく酒を飲みに行っていた。確かに私の父は変わったところがあったと思う。
どうやら、その人は、父が死ぬ数日前に件の本を受け取ったそうだ。父は自宅で息をひきとったものだから、そういうチャンスもあったのだろう。それまでに私が其の本を読もうと思っていればこんなに探さなくて済んだのかもしれないが、今更悔いても仕方のないことである。
とにかく、その人は確かに父から本を受け取ったのだ。私は其の本を譲ってもらう為に、彼の家を訪ねた。
父の実家は農家で、本当ならば今頃はその人が家を継いでいるはずだったのだが、なにせ親類から疎まれている人だ。継ぐ継がない以前に家を追い出され、今は別の地方に土地を買って、年金生活をしているそうだ。
電車を何度も乗り継がなければならないほどの距離だったが、私はそれを苦には感じなかった。
私を出迎えてくれた彼は真っ先に、其の本が今ここにはないと言った。私が連絡をしてから家中探してくれたそうなのだが、どうしても見つからなかったらしい。
彼は大きな本棚と大量の書籍を所有しているが、その中にも紛れ込んではいなかったという。というより、もともとその本棚に仕舞っていたらしいのだが。
盗まれるにしても、泥棒が其の本だけを持ち出すとは思えない。
ここまできて、私の本探しは完全に行き詰ってしまった。これ以上は、理詰めではどうしようもない。どこに行ったか心当たりが無いのであれば、手の付けようがない。
私はついに其の本を諦めることにして、家に帰ろうとした。
私が男性の家を去ろうとしたまさにその時、一人の女性が尋ねてきた。
その女性は大学生らしかった。よく、ここに本を借りに来るのだという。
しかし、驚いたのは、彼女の右手に見覚えのある臙脂の表紙が握られていたことである。
其の深い紅色、年季の入った表紙、漂わせる雰囲気。一目見ただけですぐにわかる。其れは子供の時、私が手にしたあの本そのものであった。
なるほど、どうやらこの女性はこの本を借りていて、返しにくるところだったらしい。
「えっと……この本が何か?」
視線に気付いた女性が私に尋ねる。
私はできるだけ簡単に事情を話した。彼女は、すぐに理解してくれたようだった。
「どうぞ」
「ありがとう」
差し出された本を、私は両手で受け取った。子供の頃に感じた懐かしい重みが手を通って伝わってくる。
ああ、ようやく、この本を再び手に取ることができた。これで、何故私がこの本を探していたのかもわかるだろう。
もう一度、彼女にお礼を言って立ち去ろうとすると、呼び止められた。
「あの……その本、いいですよね」
私は頷く。記憶の中では曖昧だが、子供ながらに感動した記憶がある。
「また、読み直してみるよ」
「ぜひ。そのときは、一緒にお話しましょう」
その誘いを、私は快諾した。きっと、彼女との話は楽しいものになるだろう。今から、楽しみで仕方がない。
私たちは、互いに連絡先を交換して別れた。
帰り道、私は電車に揺られながら、其の本を開いた。
物語に没頭した。やや黄ばんだページをめくる度、私の中に流れ込んでくる。基本的に三人称で書かれてはいるが、主人公の男性の内面描写が存分に描かれており、簡単に感情移入ができた。何度か、電車を乗り過ごすほどに、私は読み耽った。自宅の最寄り駅に着く頃には、私は其の本をすっかり読み終えてしまっていた。
そして、私は知っていた。
此の物語が、誰の物語なのか、知っていた。
父は、三十幾つにして、当時二十歳だった母と結婚したという。
此の物語で、主人公は三十六になった時に、結婚した。
なるほど、私がこの本を探したのも当然だった。
三年前、父が七十歳で他界する前に、何度も聞かされた話。二人の馴れ初めを、覚えるほど聞かされた。
此の物語は、父が書いたものなのだ。
またおっさん。




