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鬼を喰らう

 桃太郎と鬼との、友情の御噺。

「旦那ぁ、本当にあの島へ行くのかい?」

 船頭は櫂を持った手を動かしつつ、雇い主である義親に尋ねた。その質問に、義親は胡座をかいたまま頷いた。

「ああ。あそこには私の親友が住んでいるのでな、たまに美味い酒を持って行くのだ」

 彼が自分で積んだ小さな酒樽を軽く叩いてそう言うと、船頭は素っ頓狂な声をあげて振り向いた。

「親友!? あの『鬼』と旦那がかい!?」

「そうだ」

 義親が答えると、船頭はガクガクと震え始めた。

「あぁぁ……助けてくだせぇ……どうか命だけは……」

 櫂を投げ捨てた船頭は額を舟底にこすりつけて懇願した。その様子を見て義親は愉快そうに笑った。

「はははっ、安心しろ、俺はお前をとって喰ったりしないさ」

 そう言うと船頭は安心したのか、顔をあげて息を吐いた。

「あぁ、そりゃあよかった……。あの『鬼』の親友だって言うから、旦那もあれほど恐ろしいのかと思っちまった……」

 どうやら『鬼』はここでも畏怖の対象らしい。義親は溜息をついた。

「安心しろ、ああ見えて根は案外いい奴だ」

 そう言って、船首の向く方を見る。深い蒼と透き通った青が広がる中、小さな島がぽつんと一つあった。何者も寄せ付けないような断崖絶壁の島。それこそが『鬼ヶ島』だ。『鬼』の住まう島、だから『鬼ヶ島』。この辺りの人々はこの島を恐れて誰も近付こうとはしない。そこに義親の親友は住んでいる。

「宗平……」

 義親は船頭に聞こえないほど小さな声でそう呟いた。


     ***


 この辺りの海域の波は荒い。そこを舟で渡ることで一苦労なのに、鬼ヶ島は切り立った崖に四方を囲まれている。そこに上陸するには、人の手によって作られた島唯一の港に船を着ける他ない。しかしそこから勝手に上陸をすることは許されない。常に見張りが監視台の上から目を光らせているのだ。

「貴様ら、何者だ!」

 その見張りが二人に気付き、弓を二人の乗る舟に向かって構えた。船頭は見張りの声を聞いただけで怯えてしまい、義親にしたように頭を下げた。

「ひぃぃ……お助けを……」

 義親はそんな船頭を無視して立ち上がり、凛々しい声を張り上げた。

「俺は備前守桃山義親! お主らの棟梁、鬼岡宗平殿に用があって参った!」

 それを聞いた見張りは少し驚いたようだったが、すぐに叫び返した。

「備前守がこのような所に一人で来るはずがなかろう! 正直に話さねば命はないぞ!」「やめろ」

 見張りはその声を聞いてその先を言うのをやめ、振り向いた。そこに立っていたのは、ゆうに六尺はあろうかという大男だった。しかもその体格に見合った、いや、それ以上の筋肉があった。

「あ、お頭」

「そいつは俺の友人だ。通してやれ」

 大男はそう言って、見張りを押しのけた。

「久しぶりだなぁ、義親ぁ!」

 大男は満面の笑みで、しかし子供が聞くと泣き叫びそうな声で叫んだ。

「まあ、上がってゆっくりしていけ!」

 大男がそう言うのを聞いて、義親は船頭の方を見た。そして苦笑を浮かべて言った。

「あれが、お主らが恐れている『鬼』、鬼岡宗平の本性だ」


     ***


 義親は宗平に案内されて、鬼ヶ島の様々な場所を回っていた。どこもゴツゴツとしていて、慣れていなければなかなか歩きにくい。酒樽は宗平が担いでいた。

 鬼ヶ島に客が来ることはほとんどないらしく、すれ違う男達が一人の例外もなく義親のことを物珍しそうに見るのだった。

「しかし義親、あの男を帰らせてよかったのか?」

 前を歩いていた宗平がそう尋ねた。義親は頷いて、

「ああ、帰りはお前に送ってもらうとするさ。しかし、ここに来るのは本当に久しぶりだ」

「もう何年も来てなかったからなぁ」

 はははと笑う宗平を見て、義親は苦笑した。

「言うな。帝から備前守に命ぜられてからは忙しかったんだ」

「まあ、折角来たんだからゆっくりしていけ」

「言われずともそのつもりだ」

 話していると、宗平が立ち止まって酒樽を地面に置いた。

「ほら、ついたぞ」

 そこにあったのは屋敷だった。もちろん都のものほど大きく豪華ではない。国司が住むような規模のものだが、それでも岩だらけの場所には不釣り合いだった。義親が以前来た時にはこんなものはなかった。

「どうしたんだ、これ」

 聞くと、宗平は豪快に笑った。

「はははっ、作ったに決まっているだろう!」

「いや、それはわかるが……。どうして屋敷など?」

 義親の問うと、宗平の顔が少し曇った。

「俺もいつ死ぬかわからねえからな。何かを遺しておきてえんだ」

 微かだが悲しそうな顔をした宗平を見て、義親は驚いた。この男がこのような表情を見せるとは思いもしなかった。

「充分遺しているじゃないか。先の大乱でお前がどれだけの功績を残したか、都には知らない者などいない」

 義親は否定はしなかった。というよりも、否定することができなかった。その意味を悟ったのか、宗平は静かに笑った。

「酒でも呑んで話そう。そのために、ここに来たんだろ?」

 そう言って宗平は屋敷に入っていった。義親も少し遅れてその後に続いた。


     ***


 お互いに酒には強い。義親はあぐらをかいて、昔はよく呑み比べをしていたものだと懐かしんでいた。

「どうした、呑まねえのか? この酒は美味いぞ」

 義親は酒の注がれた盃に手をやっていたが、口は全くつけていなかった。

「それはお前が言うことじゃないだろう」

「まあな」

 宗平は笑って豪快に盃の酒を呑み干した。人払いをした屋敷の中にその笑い声が虚しく響いた。盃に酒を注ぎながら、宗平は真面目な表情で義親の顔を見た。

「で、話ってのはなんだ、義親」

 少し躊躇って、義親は口を開いた。

「鬼岡宗平殿の先の大乱での活躍は驚くべきもの。これが都でのお前の評判だ」

「そんな大したことはしてねえけどな」

 義親も宗平も、少しも表情を変えなかった。

「お前は強い。恐ろしく強い。だが、あまりにも強過ぎた」

 宗平はその言葉の意味を理解したようだった。

「都の奴らが、俺を恐れてるってわけか」

 義親は頷いた。

「お前には、俺にはない統率力と強さがある。そんなお前が反乱を起こすことを帝……というより貴族達が恐れをなした」

 宗平は笑って「そんなつもりは全くないってのに、臆病な奴らだ」と言った。いつもの気丈な笑いではなかった。義親は何も言えなかった。それ以上、宗平に伝えることができなかった。宗平はそんな義親の顔をちらりと見て、酒を一口呑んだ。先ほどまでの豪快さはなくなっていた。

「なぁ義親」

 右手に持った盃に目をやったまま、宗平は口を開いた。

「なんだ」

「俺ぁ、もし誰かに殺されるなら、お前がいい」

 そう言って、酒を少しだけ口に含んだ。

「何を言っている。俺はお前を殺させやしない。都の貴族たちを止めてみせる」

 義親が言うと、宗平は首を横に振った。

「駄目だ」

「どうしてだ!」

 義親は盃を投げ捨てて立ち上がり、宗平に向かって叫んだ。辺りに酒が飛び散り、盃が鈍い音をたてて畳の上に落ちた。

 宗平は先程と同じように首を横に振った。

「反乱を起こすかもしれない俺を庇うってことは、お前も反逆者として処分されるかもしれない。俺は絶対にお前にそんなことはさせねえ」

 普段は荒っぽいはずの宗平が冷静だった。しかし義親の方は冷静でいられなかった。いられるはずがなかった。

「そんなことわからんだろう!」

「いいんだよ、義親」

 叫ぶ義親を、宗平は静かに制止した。

「俺ぁ死ぬ覚悟なんかとうの昔にできてる。だけど、どうせ死ぬんなら最後に大暴れして、都の貴族どもをぎゃふんと言わせてやりてえ」

 盃に残った酒を呑み干して、宗平は立ち上がった。

「もう終わろう。送っていく」

「宗平……」

 呆然と立ち尽くす義親をよそに、宗平は襖を開けて部屋の外へ出ていった。


     ***


 義親は、再び鬼ヶ島の土を踏んでいた。しかし今回は以前のように宗平を訪ねて来た訳ではない。兵を率い、宗平を殺しに来たのだ。それが朝廷の命だった。

いくら義親が説得しようとしても無駄だった。貴族たちは全く聞き入れようとしなかった。そればかりか、こうして『鬼』討伐を押しつけてきたのだ。

 義親は幾つかの死体が転がった鬼ヶ島の港で、宗平の言葉を思い出していた。

「俺になら殺されてもいい、か……」

「どうしたのですか」

 儚げな表情をしている義親に、兵がそう尋ねてきた。自分たちの上に立つ者が戦場でそのような顔をするのが不安なのだろう。

「いいや、なんでもない」

 そう返すと兵は安心したのか、そうですかと言って義親から離れていった。ふと屋敷のあった方角を見ると、煙があがっていた。


     ***


 宗平は、火が放たれて煙が充満した屋敷の中で盃に酒を注いでいた。そこは義親と酒を呑んだ部屋だった。宗平は額から血を流し、左肩は斬られていた。その傍らには太刀が抜き身で置いてあった。

「俺ももう終わりか……」

 盃を、あぐらをかいた膝の上に置き、そう呟いた。外からは断末魔と雄叫びが聞こえてくる。鬼ヶ島に住んでいた者の声なのか、攻めてきた者の声なのかは宗平にはもうどうでもよかった。ただひたすら、信じてその時を待っていた。

「宗平ぁ!!」

 襖を蹴破って入ってきたのは義親だった。右手には刀を持ち、身体は返り血と煤にまみれていた。宗平は酒を呑み干し、盃を投げ捨てた。そして太刀を手に取り立ち上がった。

「やっと来たか、義親。待ちくたびれたぞ」

「言うな。これでも急いだんだ」

 息を荒くした義親が、刀を構えてそう言った。宗平もそれを見て、太刀を右腕一本で構えた。左腕はだらんと垂らしていた。

「しかし、こうしてやり合うのは何年振りだろうな」

 宗平が言うと、義親が苦笑した。

「懐かしいことを言うな。十年振りくらいか?」

「これが最後になると思うと少し寂しい気もするな」

 宗平は寂しそうに言った。義親は何も言わなかった。

「始めよう」

 ただ静かにそう言った。


     ***


 桃山義親はある貴族に招かれて都のある屋敷にいた。

「しかし、桃山殿のご活躍は本当に素晴らしいですな」

 義親の前に座っている貴族が機嫌良さそうにそう言った。酔っているせいか顔がほんのり赤くなっていた。義親は首を横に振った。

「そんなことはありません。私は、親友一人救えないくらい弱い」

 そう言って、酒に口をつける。流石に貴族が呑む酒だけあって美味かった。

「なにも謙遜しなくとも。あの鬼を討ち取ったのは桃山殿なのですぞ? 我らは鬼がいつ反乱を起こすかと思うと夜も眠れなかったというのに。本当に桃山殿には感謝するしかありませんな」

 貴族はひひひ、と変な笑い方をして酒をぐびぐびと呑んだ。昼間から呑み過ぎだ、と義親は思ったが口には出さなかった。

「そういえば、最近物語を書き始めたそうではないですか」

 別に義親は隠してはいなかったが、まさか都でも聞いていた者がいるとは思わなかった。

「ええ、まあ」

「武功をあげるだけでなく物語まで書くとは、本当に桃山殿は素晴らしい才能をお持ちだ。しかし、一体どんな話を?」

 この男に褒められてもあまりいい気はしない。だがまあ、別に言わない理由もないので義親は酒を一口呑んでから言った。

「桃から生まれた子供が、鬼退治をする話ですよ」

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