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幸福忘れの不幸思い

作者: 片結 あるふ

 不公平ではなかろうか。

 何故、彼らばかりが幸せそうに笑うのか。

 何故、私ばかりが人に知られず泣いているのか。

 そう思うのが私の人生の形であった。

 何事にも悲観的で、他人の幸福に泣いているのが私という人間だった。

 私だって、目に見える幸福がほしい。

 日常会話すらままならないコミュニケーション能力が、そんな私を阻害する。

 片思いすら抱けぬ恋心が、そんな私を阻害する。

 周りの誰かみたいに、世界に当たり前のように存在してくれる幸福を私もこの身に授かりたかった。

 どうして、初めにそう思ったのはもうずいぶんと昔のことだ。

 きっと、そのときから私の幸福は減少したのだ。

 黒い大人たちが泣いていた。

 初めて、母の悲しそうな泣き顔を見た。

 父がいなくなったその日、私は不幸になった。

 「ねぇ、母さん?」

 母は私の声を聴かなくなった。

 父の子である私を殺すことで、すべて忘れようとしていると白衣の似合う大人に言われたのを覚えている。

 料理上手だった母が包丁を手に取ったのは人の肉を捌くためだった、私を事実的に消すために。

 私はその時のことを忘れられない。

 孤独な今も不幸だが、あの瞬間が人生で最大の不幸だと言える。

 震える手で包丁を私に突き出す母は、何も狂っていたわけじゃなかった。

 むしろ、狂ってくれていたほうがよかったと思うほどだ。

 母の言葉はこうだった。

 「もう、母さんを苦しめないで」

 今にも聞こえなくなるような震える声でそう言ったのだ。

 私はただ「ごめんなさい」としか言えなかった。

 こんなものが、人生なのかと私は世界の誰かに聞きたかった。或いは神様に。

 私は笑えない。

 世界が、当然のごとくあふれる不幸が私を苛むのだ。

 どうしようもなく、不幸だ。と、私は枯れた涙を零す。

 世界の何処に行っても、眩しい幸福が私の目を焼き、心を泣かす。

 それでも、そんな幸福が堪らなく欲しいから、私は死ぬことを選べないままただただ無益な人生を涙と不幸を引き連れて流していく。


 その日も、私は他人の幸福に泣きながら、私の幸福を探し求めていた。

 不公平な世界のどこかに、きっとあると言い聞かせて。必死に。

 決まった家を持たない私はもうボロボロだった。文字通り、身も心も。

 そんな風貌が、ガラスや水たまりなんかに映るたびに不幸が襲い、幸福が離れていくような気がして、やっぱり涙は無限に溢れた。

 まるで神様が、涙が出るだけ幸せだろうと笑っているような気さえした。

 「どうして、私ばかり不幸なの」

 口癖のように時々出る言葉はそれくらいだった。

 唯一の私の主張で、自分で不幸だと認めさせてしまう最低の一言。

 そんな私に、声かけるものがあった。

 「思い込むなよ馬鹿野郎が」

 と、それはひどく荒れた言葉づかいで、けれど優しさという成分を多く含んだ調子で告げた。

 「あんたが不幸だったら、死んじまった奴らは何なんだ?」

 上から目線で、自分が正しいというような自信一杯なはっきりとした口調。

 「死んじまうより、不幸だって言うんならいっそあんたを殺してやるよ」

 本気じゃない言葉だった。

 きっと、そうやって乱暴に、自分勝手に人助けを演じる人間なのだ。

 そう、こんな偽善者はもう見飽きるほどだ。

 家を飛び出してからの1年ほどはそんな言葉と卑しい視線を向ける男たちに最低限の幸福、つまり、ただの「生」を与えられていたのだから。

 きっと、この男もそういう目的で、飽きたら捨てるのだろう。

 私には言い返す言葉が山のようにあった。

 例えば、

 「とっくに、私は死んでるよ」

 父が死んだその日から。

 「幸せのうちに死ねるなら、死後永遠に幸福だとは思わない?」

 生きているのが不幸だなんて。

 「殺せるのならそうしてよ」

 孤独死にならないのなら、それだけで報われる。

 死ねるはずがないのだけど。

 「…………」

 当然、偽善者さんは言い返してこなかった。

 ただ、その代りに。

 私の身体、心の抜け殻を。

 ゆっくりと抱きしめた。

 私は何も言えない。

 ただただ、暖かい。

 久しぶりの感覚に、体が麻痺しているのかもしれない。

 こんなものに、暖かさなんて……

 ふざけないで、と言ってやりたかった。

 乱暴なその人は、私の耳元でこう囁いた。

 「あんたは、ここで死んだ」

 ひどい嘘だと思った。

 「あんたは、ここで生まれたんだ」

 ひどい嘘だと思った。

 「必要なら、俺が親になってやる」

 ひどい、嘘だと思った。

 「求めるなら、俺が恋人になってやる」

 ひどい、うそだと、思った。

 「不幸なら、俺が幸せにしてやる」

 …………。

 世界の誰かに言いたい。或いは神様に。

 私はどれくらい不幸だったと思いますか。と。

 私はどれほどに幸福だったと思いますか。と。

 

 単純な不幸とは思い込みだ。

 純粋な幸福などありきたりだ。

 救われる不幸こそが、幸福なのだ。

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