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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

氷の海に眠るひと

作者: 夕子

この物語はTwitterの診断メーカー『幻想カルテ』で出た結果をもとに作ったものです。

カルテの名が示すとおり、病気やそれに関する話も出てきますので、そのような設定が苦手な方はこの話を読むことをやめて戻ることをお勧めします。



懐中時計の文字盤の中で、綺羅綺羅しい蝶が揺らめいている。

本来そこにある筈の数字は無く、ただ淡い赤のようなオレンジのような夕焼け色をした蝶がひらひらと鮮やかに、赤い文字盤の空を揺らめいていた。



「…………」



それを無心で眺めていた女が、静かに懐中時計の蓋を閉じる。

目許にかかった前髪を指先で払い、ふと微笑んだ。



「こんにちは、先生」



艶やかな漆黒をした長い髪、対照的に病的な白い肌、その二つを混ぜ合わせたようなグレイの瞳。


美しい人だった。



「こんにちは、気分はどうだい?」

「よくはないわ」



悪くもないけど。

女の答は淡々としたものだった。

いつものことだ。少なくとも出会って十年近く経つが、彼女は曖昧な答えを返すのが常だった。


それも、しかたないとは思う。


話を変えようと視線をさまよわせれば、小さな手の中にすっぽりと収まった懐中時計が見えた。



「……その時計、気に入っていたのに」

「ええ、気に入ってたわ。先生、気に入っていた(・・)のよ、私は」



彼女は冷淡ともとれる口調で囁いて、懐中時計をテーブルに置いた。


瞬間。


硝子が割れるように澄んだ、鈴のような音を響かせながら、懐中時計は粉々に砕け散ったのだった。




***




【死血病】。

それが彼女を十年も蝕む病の名前だった。

体内の血液がゆっくりと冷えていき、最終的には絶対零度となった血液が肉体を内側から凍死させる原因不明の病気。

進行が大変遅かった為に治療が見つかるのではと誰もが期待したが、未だに確たる治療は見付からない。精々が部屋を暖かくして体内が凍り付くのを防ぐくらい。


……それすらも、今はままならない。



「ねぇ、先生。今日の天気はどうだった?」

「よく晴れていたよ」

「そう……今は、春なのよね。日差しが気持ちよさそうだわ」



ぽつりと呟く女の横顔には、何の表情も浮かんでいない。

この部屋に、窓はない。扉が一つあるだけだ。



「……」

「やだ、そんな顔しないでよ先生。私が出ていけないことくらいわかるでしょう?」



女はくすくすと白い寝台の上で笑う。薄緑の患者服の合間から、肌が覗いていた。

透明で照明の光を浴びると虹色に揺らめく幾何結晶(プリズム)のような、蛋白石(オパール)のような、硬質な肌。否、それは最早肌ではなく、人の体の部位の形をした水晶だった。

彼女は此方の視線に気付き、困った風に微笑んだ。



「あら、見えちゃった?」



死血病は、彼女を彼女たらしめてはくれなかった。

病は体内の血液を凍らせながら、同時に体を爪先から氷へと変えていく。

光を浴びて輝く結晶の足はさながら硝子のようで、けれど、暖かな日差しを浴びた瞬間、彼女の体はひび割れて砕け散る。


それだけではない。


彼女が触れたものはすべて、氷となってしまうのだ。



初めて彼女が砕いたのは、お見舞いと称して渡した薔薇の花束だった。

水晶に淡い赤の絵の具を溶かした薔薇水晶(ローズクォーツ)のようなそれが散った瞬間の彼女の顔を、よく覚えている。



「―――ひとは私を見て哀れだというけれど」



鈴が転がるような声で彼女は笑った。



「私は幸せなのよ、先生」

「幸せ……?」



此処は箱庭なのだと彼女は言う。自由はない。けれど欲しいものはなんでも手に入る。嫌な物は何もない。真綿で首を絞められているような心地よさだと、彼女は語る。

くすくす笑いながら彼女は指先で何も挿されていない花瓶に触れた。

ぴしりぴしりとひび割れていくような音を響かせながら、凍る。



「ねぇ、先生。花が欲しいわ」

「花?」

「ええ、花。薔薇がいいわ、青い薔薇。凍らせたら、きっと美しいんでしょうね」



青い薔薇。不可能を可能にした花。

彼女がそれを凍らせて、砕け散らせる様を思い描くのは容易だった。



「皮肉かい?」

「いいえ、純粋に美しいと思っただけ。あなたに皮肉を言う気はないわ、むしろ感謝してるのに」

「感謝? どうして?」



だって。

彼女は静かに微笑んだ。




「あなたをずっと独り占めできて、私はとっても幸せなのよ」




***




私が青い薔薇を渡す前に、彼女は死んだ。

それは彼女の誕生日。

なんとか青い薔薇を手に入れて病室へ訪れた刹那、彼女の体は硝子じみた氷像へと変わり果て、砕け散ったのだった。




呆気ない、終わりだった。




最期、虹色に揺らめく彼女の瞳が私を捉えた時を思い出す。

永遠にも似た時間の中、彼女は―――喜色を満面に浮かべていた。



「……君は幸せだったというけれど」



私は誰もいない病室に置き去りにされていた氷の花瓶に、慎重に青い薔薇を生けた。

液体窒素で凍らせた、青い薔薇。彼女が作りたかっただろうものには程遠いだろう。



「私は、君をもっと幸せにしたかったよ」



彼女の名前は、咲。

【死血病】と呼ばれる病の唯一の患者であり―――私の、恋人だった女性(ひと)



硝子の花瓶を一度押せば、ぐらりと揺れてゆっくり倒れていく。

スローモーション。テーブルから離れて空中を回転しながら落ちていき、床に落ちて砕けるまでの様がはっきりと見えた。




かしゃん




硝子細工が壊れる音。

氷の花瓶も青い薔薇も砕け散り、白い床に広がっている。






透明な欠片も青い欠片もするりと溶けて、そのまま消えた。








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