第三十二話 『主人公が後悔する話。』
それはこの世ではないどこかの情景だった。
男の騎士と美しい女性が向かい合っていて、男は跪いて礼をしている。
「きっとあなたが世界を良い方向へ導いてくれると信じて『風神の長槍』を授けましょう。」
そこには今は利一の手にあるはずの槍があって、騎士はその言葉を神妙な顔で聞いていた。
だが聞き終えてから騎士は直ぐに返答できず、困ってしまっている。
「どうしたのですか? 」
女性は騎士が沈黙してしまったことを不思議に思い、尋ねた。
騎士はまだどうしたものかと考えているようだったが、恐る恐るという様子で答える。
「女神様。私のような騎士にとって、神器を授かることはこの上ない誉れであります。しかし今は戦乱の世。もし私が戦場で死に、神器が敵国に奪われてしまえば、たちまち私の母国が危険にさらされることになりましょう。それは絶対に避けねばなりません……」
騎士は沈痛な面持ちでそう言った。
女神はその騎士が純粋な信仰心を抱いていることを知っていたために、母国を想って断った彼の決心を尊いものだと考えた。
騎士の想いを聞いた女神は騎士に提案する。
「ではあなた以外の者が使用したときには、槍の能力の一部を制限するという枷を付けましょう。それならば国が滅ぶほどの危機は避けられるはずです。」
騎士はそれならば助かりますと答え、『風神の長槍』を受け取った。
女神は騎士が地上へと変える際に、一言付け足す。
「万が一、無理に槍の能力を引き出そうとする者が現れたときには、その者の体に重大な傷を負うことになるでしょう。それでは、私はいつまでもあなたが最後まで生き抜くことを願っています……」
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利一は起きた。
瞼が目ヤニで張り付いて目が開けられなかったのも数秒、目を開けるとそこは知らない部屋であった。
(ああ、そうか。戦闘の途中で気絶したんだったな……)
利一はそこが病院であろうと包帯の巻かれた身体状態と部屋の内装から判断し、生きていることに安堵した。
どうやって勝ったのか、それとも逃げたのか、事件の起こりから何まで、全く事情を把握していない利一には少しの予想も出来ない。
だから起きた利一は、とにかく誰かに事の顛末を聞きたかった。
しかし足が折れているのか完全に固定され、体力が回復していないことあり、ベッドから起きるのはやめた。
「誰かいませんかー」
同室に入院患者は居ないようだったので、特に気にせず、枯れている喉で精一杯の声を出した。
すると廊下から看護士が現れた。
「良かった、意識が戻ったようですね! 血まみれで運ばれてきたときにはもう駄目かと……いえ。今、お連れ様をお呼びします。まだ所々骨が折れている状態なので、動かないでくださいよ? 絶対安静です。」
そう言い残して、看護士は居なくなった。
利一は看護士が心底安心した、という顔をしていたことを不思議に思った。
利一が意識を失った原因は深刻な魔力不足であり、そうなると人は意識を飛ばして体を保護する。
その状態は仮死状態に近く、本人は時が経っていることを全く感じられないのだからこの疑問は仕方ない。
利一が起きたのは事件発生から三日後の朝。
戦闘が終わった後、右手を失い、全身の皮膚が裂けたまま転がっていた利一は、駆け付けた自警団たちにより病院に運ばれた。
運ばれたと言っても助かる見込みは戦闘終了時点でほぼ無くなっており、息があるなら希望を捨てずに運ぼうと自警団の内の一人が言わなければ、日の出前に息絶えていたであろう重症で、利一が今も日を拝めめているのはひとえにリナティアの治療術のおかげである。
帰ってきた自警団からリナティアが事情を聞き、すぐに利一の治療は始められた。
一番大変だったのは散り散りになった右腕の復元で、術中何度も心肺停止状態に陥りながら、安定状態にするまで丸一日を要した。
リナティアは治療後に自らの魔力を使い果たしたようで、利一と同じく意識不明になる。
リナティアは一日で目を覚まし、今は同じ病院で利一が目を覚ますのを待ってくれているのだ。
看護士が呼びに行ったのも、リナティアである。
まあ利一はありとあらゆる事情を知らないので、どうなったのか、すべての結果を待つばかりなのだが。
ふと、病室の窓から外を見ると、街には前と変わらない活気があるように見えた。
まだ幼い子供達が外を走り回り、商店を構える商人は積極的に客引きをしている。
大きな荷物を背負っているのは旅人だろうか。彼らが通ると宿屋が是非にと言い寄っていた。
そんな情景を見たから、利一はきっと何事もなかったのだと、すべては元のままなのだと。
そんな勘違いをしてしまった。
コンコン、と病室のドアがノックされる。
「トシカズ様、入ってもよろしいですか? 」
リナティアだ。だが声に覇気がない。
いつもの王女然とした迫力が、その声からは感じられなかった。
「どうぞ。」
利一はリナティアを部屋に招き入れる。
ドアが開き、リナティアが病室へ入ってきた。
(……ん? 顔色が悪いような。)
リナティアは明らかに元気がなかった。治療のことを知らない利一は、何があったのかと不安になる。
「そこの椅子を使ってください。」
利一は見舞客用なのか、ベッドの近くに置いてあった椅子を指して、リナティアに勧める。
「ありがとうございます。」
リナティアは利一に勧められるまま座った。でも、その態度はいつもと確実に違う。
何せ笑みがない。特殊な場でなければいつだって、無理をしてでも人前で笑みを絶やさなかったリナティアが、微笑む余裕を失っているのだ。
これは何かあったのだと、利一は思った。
「一つ……絶対に聞かなくてはいけないことがあります。今日はそれだけにしましょう。何せ起きたばかりで、眠気もさることながら空腹もひどいので。」
利一はリナティアを思いやるつもりでそう言ったのだが、空腹は本音であった。
そんな利一の提案を聞いたリナティアは、重い表情を崩さず否定した。
「いいえ。トシカズ様には早く現状を理解してもらわなければなりません。」
この時、利一は時間的猶予がないことを知った。
そして、次々挙げられていく最悪の報告を聞いて、とうとう死んでしまいたくなった。
中でもサーシャが死んだという報告が、利一の精神を痛めつけた。
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恵人は教会から借りている部屋を真っ暗にして、引きこもっていた。
とにかく現実を受け入れられなくて、一人になりたかったのだ。
鎧が動きを止めた。
その時戦場に立っていたのは、恵人だけである。
リボルブは不意を突かれ放たれた、利一への魔法を無理な体制から剣で受け止め、剣が溶けて変形したところでスタミナ切れ。鎧の腕の一撃をくらって、茂みへ飛ばされた。
それからは恵人一人でどうにか時間稼ぎをし、聖剣が金属の塊になってやっと、鎧は止まった。
そんな激しい戦いを勝ち抜いたというのに、現実は非情である。
恵人が鎧の胴部をこじ開けて見た物は、真っ白な灰の山と、サーシャの衣服だった。
その灰がサーシャの遺骸であると理解してしまった瞬間。恵人は足元がなくなったように感じた。
何かに関わって後悔するくらいなら、始めから関わらないほうがいい。
それが恵人の考え方の根幹であり、昔からそういうふうに生きてきた。
それを変えようと、この世界では頑張ってきたのだ。
その結果は最悪の物になってしまった。
恵人が立ち直るのには、長い時間が掛かりそうであった。
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少しして、利一は退院した。
治癒魔法は骨折なども高速で直してしまうのだから便利である、と少し前の利一ならば疑うことなく思っていただろう。
利一の退院を祝う雰囲気はどこにもない。
仕方ないだろう。この数日で事情が変わりすぎたのだから。
混乱を招くとして公にされていないが、サーシャの事例から仮説が立てられた。
『魔力を完全に失えば人は死ぬ』というものである。
おそらく、今まで魔力を完全に失った人間などいなかったのだ。
今回の利一のように、使い切る寸前まで魔力を使う人間はいても、完全に失う前に防衛本能から意識が飛び身体を守るため、それ以上は消費できないようになっている。
それに対して鎧は本人の意思に関わらず魔力を吸い上げていた。
だからサーシャは灰になって死んでしまったのだ。
この事情を知った者は使い果たさなくとも何かしらの副作用があるのではという疑心にかられ、魔力を使うことに対して抵抗を感じるようになり、それは勇者一行も例に漏れなかった。
利一はもう戦いたくないと思った。
魔力を使うことに予想外の副作用があるかも知れないという恐怖と、そして他にもう一つ。
戦うことで傷つけば、リナティアに迷惑をかけてしまう。
それが一番嫌な理由だった。
『魔法を使うことで何かしらの副作用が現れる可能性がある』と告げたリナティアの、悲しそうな表情はもう見たくないと利一は思ったのだ。
利一は空を見る。
今は昼過ぎで、この時間は強い通り雨が降ることが多いのだが、今日は降るのが遅いのだろう。
空には雲が集まっているものの、すぐに雨が降りだすという様子はなかった。
病院から出て少し。孤児院へ行ける曲がり角は直進する。
顔をだしてはいけないような気がしたのと、今は葬儀で忙しいから気にしないでくれと一度だけ見舞いに来たフキリから言われていたからだ。
そして曲がり角から数十歩歩いたところで、孤児院に通っていた時世話になっていた商店の店主と目があった。
「よお! 元気にしてるかい! 」
この街は人と人との関わり合いが非常に強い。
だから店主にもサーシャのことは伝わっているはずだ。
だが店主は前と変わらない態度で利一に接してきた。
「ええ、まあ。」
利一は適当な返事をした。あまり人と話したい気分ではなかったからだ。
店主はそんな利一の表情を見て、何を思ったか近づいてきた。
そして耳をかせと小さく言って、利一に耳打ちする。
「俺たち商人はな悲劇に嘆いてばかりいられないのさ。その代わりに、少しでも稼いで、しっかり送り出してやる。それがこの街の流儀だ。」
店主はそれだけ言うと、店へ戻っていった。
利一は店主の言葉の言外に「お前はどうするんだ」という意味を感じた。
街は活気に満ち溢れている。
そんな街で暗い顔をしているのは実に自分らしくないなと、利一は少しだけ笑った。




