第一話 『主人公が召喚されて目覚める話。』
午前六時三十分。
日は既に昇り多くの人たちが一日の始まりを迎える時間だろう。
そんな時間の静かな住宅街の中に、いかにも中流階級が住みそうな二階建ての一軒家がある。
『pppp pppp pppp pppp pppp』
その家の二階東側、窓から朝日が差し込む一室で目覚まし時計のアラームが鳴り響いていた。
この家に現在住んでいるのは一人の日本人高校生。
『ppppppppppppppppp』
両親は二人揃って海外出張中であるためにこのアラームを止められるのは彼だけである。
『ppppppppppppp,pp,p,p,,p,,,,』
十五分も止められなかった目覚まし時計はとうとう電池切れで止まってしまう。
しかしそれは仕方のない事だったのかもしれない。
アラームが起こすべき相手、ベッドに寝ているはずの高校生、新島利一はそこに居ないのだから。
アラームが聞こえないのでは止めようもないだろう。
利一のお気に入りである古い目覚まし時計が息絶えてから一時間たったころ。
一階のリビングで突如何の前触れもなく、むくりと起き上がる人影があった。
部屋の証明は点いておらず、庭に続く窓もカーテンが閉め切られ日光が入らないため部屋は暗い。
起き上がった彼、新島利一は目の前にあるテレビの画面にゲームのタイトル画面が表示されてからゲーム機の電源を落とす。
そう。利一は昨日買ったRPGをずっと、一睡もせずにプレイしていたのだ。
さらに丁度きりがいいところのボスを倒すまで続けていたら、毎日鳴るようにセットしていたアラームを切り忘れていたことにも気づかなかったのである。
とりあえず、目標を成し遂げたその顔はとても清々しい表情だった。
利一は部屋が暗かったのでカーテンを開けると、庭の生垣の向こうに登校する中学生を見つける。
そんなに遅い時間まで続けていた自覚がなかったのでおかしいな、と思いつつ時計を見た。
時計が示す時間は七時半。
流石に夜から時計が止まっているのだと考えるほど利一は呑気ではない。
「うげっ、もうこんな時間か……準備して登校しよう。」
新島利一は極めて一般的な高校生である。
毎日、日本ならではの平和な日常を親友達と共に過ごし、家でも充実した時間を過ごしている。
そして今日もまた、いつも通りの一日を過ごすはずだ。
準備を終えて制服に着替えた利一は何か良くない予感を感じた。
それでも今は遅刻しないギリギリ。
間にあうかどうかわからない出発時間であって、余裕のない状況である。
利一は嫌な感覚を徹夜明けの疲れと判断してとにかく外に出た。
駐輪場が教室から離れすぎていて、高校までの距離が近いのと合わせて自転車を使っていても意味がない。
覚悟を決めて走り出す。
それはゲーム発売後の利一にとっていつもの光景だった。
だというのに嫌な感覚はどれだけ家から離れても薄れない。
あれ、おかしいな家に帰りたい衝動が急に湧き上がって……
利一は何か嫌なことを思い出しそうな気がして止まる。
それは、一つの運命。
避けては通れない道。
近くを利一と同じ制服を着た生徒の二人組が通った。
「なあ、もう今日はよくね? 」
「まあ一日目の試験は実技科目だから受けなくても補修はないだろうけどさ。一応遅刻でも良いから受けとこうぜ。四限目の音楽は何を考えてるのかわかんない金田だしよ。」
「お前音楽の担当あいつか。そりゃ残念だな。一人で落ちてくれ」
「見捨てんなよ! 」
今日は定期テスト一日目なのだ。
利一は遅刻することにした。
いつも以上にゆっくりとしたペースで学校へ向かう。
でもなんかいつも以上に調子が悪いような……徹夜明けだからかな、と利一は考えたがよく徹夜する利一にはあてはまらない考えである。
そんな他愛もない事を考えていた時だ。
頭を引き裂く様な鋭い痛み。
利一は登校途中にひどい頭痛を感じ、道に倒れこんでしまった。
救急車を呼ばないと。
そう頭では思っているのに、結局利一は指一本動かせえなくなったまま意識を失ってしまう。
________________________________________
利一が意識を取り戻して、最初に見たものはレンガ造りの天井だった。
形が微妙に不揃いであるレンガとその組み方から利一はテレビで見た古城やら史跡を連想する。
気だるさが全身を蝕んでいたがこのまま寝てしまってはいけないと、利一はどうにか起き上がる。
今何時だよ。
学校始まってんじゃねーのか?
うわ、スクバも無くなってるし。
いや、この際学校はあきらめよう。
こんな事があったんだから休んでも許されるはずだ。
思ったことが次々に頭の中を駆け巡り思考がまとまらない利一は、混乱しているのを自覚したので一旦思考を落ちつけようとする。
今はどうしてここに居るのかを考えるよりもここから何をするかのほうが大事なんじゃないか?
そう、きっと大切なのはこれからのことなのだ。
まずはここがどこなのかを確認する。
家に帰れる場所なら帰る。
そしてゲームの続きをしよう。
思考の整理は失敗に終わった。
利一は混乱しながらも自分の今いる部屋を見渡して状況を把握しようと試みる。
扉が一つあるだけの壁に、中央の床には不思議な円状の模様。
なんのためなのか天井は高くつくられているから窓一つないというのに閉塞感はない。
むしろ不思議なほど解放感がある部屋だった。
利一の前方にはファンタジー小説に出てくるような西洋巫女風の姿をした少女がいて、壁際にはこれまたどこかの絵画に皮肉たっぷりに意地汚く描かれるような豪奢な恰好をした男達が模様を囲うように立っている。
部屋全体に何とも言えない奇妙な雰囲気が流れていて居心地が悪かった。
とりあえず人に事情を聞こうと、模様の中央に寝かされていた利一は少女に話しかける。
「すいません、ここはどこですか?」
しかし少女は返答どころか反応一つしない。
さすがにメンタル強い俺でもガン無視は傷つくよ?
利一がそんなことを思っていると、少女は急に力が抜けてひざから崩れるように倒れてしまう。
少女があまりにも唐突に倒れたので利一は驚いたのだが、この部屋にいる見物人と思われる人間達は皆、落胆したような表情でその少女を見ているだけだ。
駆け寄り、呼吸をしていることが分かると一安心した。
「大丈夫ですか。聞こえたら反応してください。」
だがどれだけ声をかけても反応はなかった。
焦れた利一はむやみに触るべきでないことを承知の上で少女に怪我がないかを確認しようと思い、抱き起そうとする。
しかし、利一はその少女に触れることができなかった。
まるで両手が存在しないかのように通り抜けてしまったのだ。
利一がそのことに呆けているうちに少女は騎士風の人達に運ばれる。
利一は余りにも理解を超える状況にその場から動くことすら出来なくなってしまった。
________________________________________
しばらくして部屋の中にいるのは利一だけになった。
利一は何よりも自分が分からなくなってしまい、ネガティブな考えだけが頭の中を巡る。
もしかして、ここは死後の世界なのか?
なら俺はいつ死んだ?
どうすればこの世界から抜け出せるんだ?
永遠にこのままなのか?
意識があるだけの、何もできない時間を延々と過ごす。
それに対する恐怖だけで利一の頭がいっぱいになる。
利一が何も出来ないという事への本能的な恐怖を味わったのはこの時が生まれて初めてだった。
何時間迷っていたのだろう。
時計もなく本人の時間の感覚が薄れた状態で混乱しているならば尚更、いつまでも考えなどまとまるはずがない。
しかし利一には混乱した時に思考停止をできる特技があった。
そうすることで何をすべきなのかに思考を集中させることが出来ることを経験として学んだのだ。
いつまでも考えがまとまらない利一は一旦恐怖する心に逆らって、自分が分からないのなら自分を知ればいいじゃないかという考えに至る。
さっき少女に触れることが出来なかったように、自分が何が出来て何が出来ないのかを明確にすることで今の恐怖を抑えられるのではと思いついたのである。
利一は自分が何にも触れられないのか検証を始めた。
まず、壁を殴る。
八つ当たりだ。
少しでも感情を逃せれば思考もまとまるような気がした。
拳は壁にぶつかって、何よりも利一は痛みを感じたことに驚く。
自分には今も痛覚がある。
匂いを感じることから嗅覚があることも分かる。
感覚が元のままなら、まだ何か出来るかもしれない。
わずかながら現状を打破できるという希望が見えた。
本能的恐怖も限りなく抑えられる。
利一はあれこれしてとりあえず味覚以外の感覚はあることを確認し、安心した。
次は部屋からの脱出だ。
ここがどこなのかをはっきりさせるにはどうしても外へ行かなければならない。
物に触れられるのならこの部屋から早く出ようとこの部屋に一つだけある大きな両開きの扉に手を掛ける。
なかなかの重さがあるように感じたが、利一は力を入れて手前に引いた。
しかし残念ながら扉は開かなかった。
鍵がかかっていたのである。
本人は時間の感覚を取り戻していないから気付いていないが、利一が混乱したまま誰もいなくなるまでだいたい五時間もたっていた。
中に誰もいないと思われていたのであるなら鍵がかかっているのは当然のことだ。
焦った利一は扉にタックルをしようとも思ったが、鍵が壊れた場合の面倒を考えて自粛する。
つ、詰んだのか?いや、まだ他に方法があるはずだ……
利一は十分程悩んだ末に壁のすり抜けが出来ないかを試すことにした。
人の体をすり抜けてしまったのなら、意識一つで壁だってすり抜けることも可能なのではないかという発想だ。
すり抜けるように意識したうえで壁に向かう。
一歩、二歩、三歩……
利一はこれがだめだったらという緊張から亀の歩みで壁に近づく。
壁に手が触れる。
本当に出来なくなってしまうような気がしたので、駄目だとは思わなかった。
すると壁の手で触れているあたりが青白く淡く光り、問題なく壁をすり抜けることに成功した。
念のため体に異常がないかを確認した後、利一はもう一つ今すぐに知りたいことができた。
自分がいわゆる透明人間になっているのではないかということである。
部屋で人に囲まれていたあの時、絶対に目立つ位置に居たにもかかわらず誰とも目が合わなかった。
もしも見えているのなら絶対におかしなことなのだ。
確認をするために、まず部屋の前の廊下から人が居そうな所へと移動する。
利一が目指したのは調理場だった。
人が居る可能性が高い上、自分が料理を食べることができるのか、さっき調べることの出来なかった味覚の有無などを確認出来るからである。
長い道のりの末に調理場を見つけた利一は壁をすり抜けて内側へ入る。
調理場では沢山の料理人が忙しく働いていた。
利一は彼らの目の前に立ったり、声を掛けたりをするが、誰も利一に気付く様子はない。
調理台の上に載っているリンゴを一つ持ち上げると、それを料理人の前に振りかざす。
それに対しても料理人は無反応だった。
こうして自分が透明人間であることを確認した利一は、得られた結果に満足しながらリンゴを齧る。
サクッという音と共に酸味のある甘さが口いっぱいに広がり、利一は驚愕した。
うますぎる。
今まで自分が食べていたリンゴは本当にリンゴだったのか疑いたくなるほどに。
これは本当にリンゴなのだろうか。
そのリンゴを超える食べ物を利一は知らない。
今までの人生で食してきたどんな手の込んだ料理でさえ、その食材の味を超えたものは思い出せなかった。
そんな小さな驚きのせいだろうか、利一の頭に一つの雑念が浮かぶ。
これは覗きでもしろと言いたいのか?
誰にも気づかれない、透明人間。
男なら誰でも一度くらいは悪い意味で憧れるシチュエーションではないだろうか。
誰の意志かは知らないが、鋼の精神を持つ俺はこの程度の事じゃ動じない!
そんな強い意志でもって利一はその雑念を振り払う。
さすが本作の主人公である。
この程度のことで非人道的な行動をするほど安い精神はしていない。
それはさておきさっき倒れた女の子が心配だから少し彼女の部屋まで様子を見に行こうと利一は少女の部屋を探しに行く。
利一は人として正しい行動を心がける優しい青年なのだ。
2014/2/18少し改稿
2014/5/11さらに改稿